FBIから合同捜査の要請があったようです。
「危ない!」
昼下がりの住宅街、そんな声と共に甲高いブレーキ音が響いた。道路のブレーキ痕と電柱に衝突して前方がひしゃげた軽自動車、そして横断歩道の途中で倒れる子どもの姿。歩道に立っていた陣平は、大きく目を見開いた。
「航!!」

看護師からの走らないようにという警告を聞き流し、教えられた処置室へ駆け込む。
「航!」
「よぉ」
目的の人物は、カラリとした笑顔で手を振って見せた。思わず、膝から力が抜けかける。零はベッドで横になる航の元まで歩み寄った。頬にガーゼ、手足に包帯。消毒の匂いもしたが、副子や三角巾の姿は見られない。骨折はしていないと、零の視線の先を辿った航が説明した。
「挫創と打撲が幾つか。頭を打ってるから、一日経過観察で入院だと」
「そうか……」
前髪を持ち上げるように巻かれた包帯を指でなぞり、零はゆっくりと息を吐いた。
「無事で、良かった」
「心配かけたな」
「お前と交通事故の組み合わせは心臓に悪い」
やっと肩から力を抜き、零は傍らの椅子に腰を下ろした。
「ったく、目の前でくたばるのは、一人で勘弁してほしいぜ」
ずっと眉間に皺を寄せたまま、陣平がぼやく。隣に座っていた研二は酷く居心地悪そうな顔で、窓の外に視線を向けた。
「下校中だったのが幸いしたかもな。ランドセルがある程度クッションになった」
景光が、ボロボロになったランドセルを見やる。「あと、トラックじゃなかったことも」と小さく付け加えると、航は「悪かったって」と両手を上げた。
「ボールを拾いに飛び出した子どもを追いかけての、名誉の負傷とか言ってくれないのか?」
「名誉のために死んだやつなら、もうお腹いっぱいだ」
頭をかきながら、零はため息交じりに呟く。それは、思わず零れた本音だったのだろう。数拍おいてハッとした零が顔を上げると、ベッドの周りに座る子どもたちは揃って顔を俯かせていた。
「わ、わるい」
「いや、まぁ、こちらこそ……?」
「しかし、嫌な符号が続くね」
微妙な空気を換えるように、研二が明るい声を上げた。
「俺と陣平ちゃんが爆弾で、航が交通事故」
「あとは景の旦那だな。何だっけ?」
「お、オレのはそうそうないから平気だよ!」
「爆弾だってそうそうないわ」
分かっているくせにと言い返したいが、それよりも傍らの零の反応が気になって、景光はソロリと彼を見上げた。口元へ手をやって何やら考え込んでいる様子の零は、研二たちの言葉を無視できないと感じているようだ。
「ゼロ」
「既にあり得ないことが起きているんだ。何があっても、僕は驚かないぞ」
馬鹿げていると続く景光の言葉をバサリと切って、零は彼の額に指を突き付けた。
「屋上と拳銃だ。近づくなよ。こいつらは助かったが、次もそうとは限らない」
「か、過保護……」
景光が精一杯の反撃とばかり呟くと、零は一笑にふした。
「あれだけ粘って人の家に居座ろうとしたやつが、何を言っている。言い出しっぺはそっちだからな」
ぐうの音もでない。ふと視線を動かすと、ニヤリと笑う研二たちと目が合う。お前たちも共犯だと叫びたかったが、何を言っても墓穴を掘りそうな予感しかなく、景光は言葉を飲みこむしかなかった。
「……分かった。けど、ゼロもだからな」
景光がそう言うと、零はフッと微笑んで彼の頭をクシャリと撫でた。

「じゃあ、会計をしてくるから」
先に車へ、とキーを受け取り、景光は病院を出た。研二と陣平はお手洗いへ寄っているため、彼は一人で駐車場に向かった。零の目立つ愛車は、すぐに見つかる。
病室から預かったボロボロの航のランドセルを後部座席に乗せたとき、ふと項の産毛がチリリと痛んだ。
「!」
憶えのある感覚。こちらを観察するように見つめる、視線の気配だ。
景光はドアを閉める。自然な動作で辺りに視線を動かすが、先ほどの一時感じた気配は、どこにも見当たらない。
静かな駐車場。遠くから、子どもたちの声が聞こえてくる。涼やかな風が背後から吹いて、景光の髪を揺らした。
「……」
カリ、と景光は項へ爪を立てた。



「お早うございます」
「お早う」
「航くん、もう怪我は大丈夫なんですか?」
「ああ。昨日、最後の通院だったんだ」
包帯のとれた腕を回して見せると、光彦はホッとしたように胸を撫で下ろす。
ワイワイと談笑しながら歩いて行く彼らを背中を眺めながら、コナンは景光や灰原と共にのんびりと足を進めた。
「で、景光は屋上と拳銃には近づくなって?」
「ああ」
「前世の死因に引っ張られる……本当にSFみたいな話ね」
「でも本当にそれだけなんだよな。年齢も時間も日付も、細かい場所や状況について全く一致しない」
「それでもあの人は、ただの偶然で片付けられてないんでしょ? 忠告として素直に受け取っておいたら?」
「うん……」
頷きながらも、景光は浮かない顔だ。コナンは光彦たちが航や研二との話に夢中になっていることを確認し、声を潜めた。
「……まだ気にしてんのか、あの件」
「そりゃね……あれからゼロも忙しそうだし」
風邪が完治してからというもの、それ以前よりも残業の回数が増えた。元々終業時間が不規則な傾向はあったが、景光たちと暮らすようになってからはある程度時間を整えてくれていた。しかしここ最近は連日日付が変わってからの帰宅ばかり。睡眠時間はキッチリとれと言って、まだ一か月経っていないにも関わらずだ!
「そこかよ」
拳を握る景光に、コナンは口端を引きつらせた。
「それだけじゃないけど……例のカードとか」
「フォア・ローゼズ」
トウモロコシを中心とした原材料を、ホワイトオークの樽で熟成させるバーボンウイスキーの一つ。
「創始者が永遠の愛の証にしたバラのコサージュが、ラベルのデザインと名前の由来になったウイスキーね。そこだけ聞くとロマンチックじゃない?」
「ああ。ネットじゃあ、恋愛関係のもつれによる逆恨みとか、気障な愉快犯とかって憶測も出てる」
しかし、一部の人間にとっては別の意味にもとれる。
「それで、あなたはあれがあの人に宛てたものだって思っているのね」
灰原の言葉に、景光は頷いた。バーボン――それは、降谷零がとある組織に潜入していた時、使用していたコードネームだ。
「バーボンを呼び出して協力関係をとりつけたいのか、それとも挑発しているだけか……目的は分からないけど」
「安室さんはなんて?」
「オレたちには危害が及ばないようにするから安心しろって」
本題はそこじゃない、と景光はため息を吐いた。彼の言いそうなことだと苦笑し、コナンは頭の後ろで手を組んだ。
「ま、それじゃあ、私たちは手の出しようがないわね。どちらにせよ、余計な仕事になるから、保護対象の私が動くつもりはないけど」
肩を竦めて見せる灰原から、景光はコナンへ視線を動かした。コナンも頬を掻き、灰原に同意する。
「安室さんなら、俺たちの力が必要なときに声をかけるだろうし、こっちに火の粉が降りかからないうちは、やっぱり様子見だな」
コナンとしては、降谷たちが既に動いているなら、自分が解決に急ぐ必要はないように思う。景光もそれは理解しつつも、幼馴染に危険が迫っている可能性に落ち着かないらしい。
「また無茶しなきゃいいんだけど……」
スリ、と項を指でかき、景光は深々とため息を吐いた。

「こいつに見覚えは?」
警察庁のとある会議室。机に置かれた写真を見て、零は是と頷いた。零と対角位置に座っていた赤井は、くわえた煙草に火をつけた。
「例の組織に出入りしていた情報屋ですね。直接の面識はありませんが」
「バーボンとはライバル関係と聞いたが?」
「組織内の噂に、信ぴょう性を求めないでいただきたい。ライとバーボンがライバル関係なんて囁かれていたようなところだ……向こうが勝手にこちらをライバル視していただけだと思いますよ」
バーボンとしては、相手のやっかみをスルーしていた。あちらは、あらゆる情報を手にしていることがアドバンテージの情報屋。対して探り屋のバーボンは、指令に従って必要な情報を手に入れるだけであって、組織での立ち回り方がそもそも違ったのだ。
「争っても意味はないですし、そんなことをして出る杭のように打たれては、敵わなかったので」
「妥当な意見だな」
「それで?」
写真に写っているのは、ダウンタウンらしき町の雑踏。多くの人間はピントがズレており輪郭もハッキリしない。レンズが焦点を合わせていたのは、写真の左隅にいる人物だ。
さっぱりと切り揃えられた赤髪。スレンダーな体躯に小麦色の肌。瞳の色はハッキリとしないが、日系人ではない。ティーンエージャーという形容が似合う、若い少女に見える。
「数年前からアメリカをテリトリーにしていたが、最近、日本に入国したと情報が入った」
「……へぇ。随分とFBIは仕事熱心ですね」
「こっちで幾つかの案件に関わっていたから、マークしていたんだ」
フ、と赤井は煙を吐く。その端が髪先へ届く前に、零は手でバシリと叩き落とした。
「それで?」
「……先日の爆発物事件。予告はネットに出されていたと聞いた」
「ええ。サイバー犯罪対策課に書き込み元を……って、まさか」
零は表情を固くする。赤井はコクリと頷いて、灰皿に煙草を押し付けた。代わりに胸ポケットから四つ折りのメモを、指で挟んで取り出した。
「恐らくこちらでマークしていた、その情報屋の使っているサーバーと一致する筈だ」
「っ風見」
ギリと歯を噛みしめ、零は振り返る。壁際で呆気にとられていた風見は駆け寄ると、赤井が差し出したサーバーのアドレスメモを受け取って、慌ただしく会議室を飛び出していった。バタンと閉じられた扉から視線を赤井に戻し、零は机に両手をついた。
「……情報屋の目的は?」
「君の方が詳しいのでは? ”親愛なるフォア・ローゼズ”」
「だから、バーボンと奴に面識はない!」
ダン、と零の拳が机を揺らす。赤井の斜め後ろで控えていたキャメルが、大きな肩をビクリと揺らした。
「君の認識は関係ないかもしれない。今分かっているのは、奴が来日したこと。先の爆発物事件に関わっていたこと……そして、バーボンを探しているということだ」
その情報屋は、FBIが担当するテロ事件にも関わっている。赤井たちが来日したのは、情報屋を捕縛するに当たって、日本警察と合同捜査を要請するためだった。

「……と、いうわけで、FBIからの情報提供がきっかけだが、合同捜査をすることになった」
「すっげぇ顔してる」
渋いお茶を何とか飲み下そうとするような顔で、零はダイニングテーブルに手をつく。陣平は呆れた顔をしながら、彼がテーブルに広げた写真と書類に目を落とした。
「良いのかよ、小学生に機密書類見せて」
「自衛のためだ。……コナンくんまで呼んだ覚えはないけど」
ダイニングテーブルの端からひょっこりと顔をだす眼鏡の幼顔に、零はジロリと視線を向ける。「えへへ」と誤魔化すように笑う顔は、無断で紛れ込んだことを悪いと思っているようだ。
「自衛のためなら、僕も知ってたって良いでしょ」
零はため息を吐いた。
「赤髪の情報屋なぁ」
まだ十代か二十代前半といった年頃の子どもの写真を見て、航は顔を顰めた。
「バーボンをライバル視する情報屋……? そんな子、組織に出入りしてたか?」
「ハッキリ噂されるようになったのは、スコッチが粛清されてからだからな」
「素性は調べてないのかよ、探り屋」
「組織から指令はなかったし、特に表だったアクションは起さなかったからな。日本国内で起きた事件で、関わったものもなし。だから放置で良いと判断した」
サラリと言うと、五人からジトリとした視線を受けた。
「……前は一般人だからそういう対応かと思ったけど、安室さんて基本放任タイプなの?」
「まぁ、零はそういう感じだよね」
「突っかかってくる人間、全部あしらってたら疲れるだろ」
「はいはい」
陣平にあしらわれるように手を振られ、何故だか癪然としない気分のまま零は口を噤む。
「で、取敢えずこいつに注意すれば良いんだな?」
航が話を戻すために、写真を指さした。零は気を取り直して、頷く。
「ああ。赤髪でアメリカ人。不審な人物がいたら、僕か風見に連絡をするように」
「あ、最近見たぜ、赤髪の外国人」
ヒラリ、と研二が手を上げる。「は?」と零とコナンは揃って口を開いた。
「外国人……かは分からないけど、赤い髪の不審者は見かけたな」
「オレも、こんな体格の人と会ったなぁ。帽子かぶってたけど、赤っぽい髪だったような」
「俺も。鈍ってた日本語、あれは外国人だったからだろうな」
マジかよ、とコナンは思わず呟いていた。四人ともそれぞれ、赤髪の外国人らしき人物と既に遭遇していたとは。
「お、前ら!」
バン、と零は机を叩いて立ち上がる。
「そういうことは早く言え!」
「手前にだけは言われたくねぇ!」
ギャーギャー言い争う――主に陣平と零――の姿を眺め、コナンは引きつる口端を少し持ち上げた。
(分かった……この人たち、似た者同士なんだ)
類は友を呼ぶ、まさにそれを体現している。
長い付き合いの彼らの諍いをコナンが止められる筈もなく、暫くの間ダイニングルームには団栗の背比べの争いが響いていた。
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