ペットの散歩中、のはずでした。
「わふ!」
白い毛玉が、動いている。円らな瞳でこちらを見つめるのは、生き物だ。真っ白い、犬だ。
「名前は?」
「ハロ」
犬用のトイレを設置しながら、零は答える。一番に手を伸ばした研二が首筋を撫でると、舌を伸ばした犬は気持ちよさそうに目を細めた。
トイレを設置し終えた零は、次に見守りカメラだと箱から手のひらサイズのカメラを取り出した。立ち上がった彼は、足元でニヤニヤと笑みを浮かべる景光を見つけて、手を止める。
「何だ、その顔」
「いや……」
いつか、零が車の趣味について否定したときと同じ笑みを浮かべて、景光はギターを指さす。
「『ふるさと』♪」
「!」
「は? どういう意味だ?」
反応を示した陣平へ、景光が振り返る。慌てて零は彼の口を塞いだ。
「何でもない!」
「?」
景光以外、音楽に対して興味が薄くて助かったと、零は内心胸を撫で下ろした。
「こいつ、ここで飼うのか?」
「ああ。僕が出張のときは風見に世話を任せていたんだが、お前たちがいるならいいかなと」
「ふーん」
「餌はキッチリ量と回数を守って、毎回記録すること」
「お前……ペットでも手を抜かねぇな」
零の指さした先にあった今までの記録を見て、陣平は口元を引きつらせた。陣平たちでも記録できるよう、紙で出力することにしたらしい。ペラリペラリとそれを捲って、陣平は「うへ」と顔を顰めた。
「ここまでキッチリやる必要あんのかよ。警察犬にでもする気か?」
「根性は認めるが……食い意地が張ってるから難しいだろうな」
何か思い出したのか、苦く顔を歪めながら、零は冷蔵庫が映る角度にカメラをとりつけていた。
「そんなにカメラつけるのか?」
所属上、防犯意識が高いことは分かるが、幾らなんでもつけすぎではないかと研二は首を傾げる。冷蔵庫が映ることを確認してから、零はため息を吐いた。
「……以前、アイスを盗み食いしたことがあるんだ。椅子を引きずって、証拠隠滅までして」
「え」
「さすが、零の飼い犬だな」
研二の腕の中で尻尾を揺らすハロは、子どもたちの視線を受けて「わん!」と一つ鳴いた。

ハロにつけたハーネスを研二が握り、その速さに引っ張られる彼を陣平が追いかける。ぎゃーぎゃー声を上げながら先を走る二人を見送りながら、三人はのんびりと道を歩いた。
「はえー……」
「いつも走って散歩してたからな。体力はかなりある筈だ」
「お前、本当、人間も犬も問わずスパルタだな」
風見という部下も、そんなスパルタに振り回されているのではないか。航は一度会った眼鏡の男にこっそり合掌した。
ふと、零が立ち止まった。景光が振り返ると、零はスマホを取り出して何やら険しい顔をしている。
「ゼロ?」
「すまない、少し電話してくる」
「……分かった。オレたちならそのまま帰るから」
「悪いな」
零は短く言って、細い脇道へスルリと消えていった。
ハロの鳴き声が聴こえる。零を見送った航と景光は駆け足で、ハロたちの元へ向かった。随分先へ進んでいたと思っていたハロたちは、橋の前で立ち止まって川の方を見下ろしていた。
「あ、景、航」
「零は?」
「仕事みたい」
「どうかしたのか?」
陣平と研二は顰めた顔を見合わせ、「見た方が早い」と橋の下を指さした。石造りの手すりに足をかけ、景光たちも下を見やる。そして「あ」と声を揃えた。
泥で濁った川の水面に、黒い塊――明らかに人間の頭と分かるものが浮かんでいた。

「つまり犬の散歩中、吠えるので何かと川を覗いたら、死体を見つけたと」
フムフムと頷きながらメモをしていくのは、優男という形容が似合う男刑事。鑑識から話を聞いていた女刑事もやってきて、彼と何か言葉を交わす。男の方は頷いて、こちらに視線を戻した。
「ごめんね、吃驚しただろうけど、もう少しお話を聞かせてくれるかな?」
コクリと頷いた景光と研二は、ここで待っていて欲しいと言う刑事たちの言葉に従った。刑事二人がその場を離れたことを確認し、景光と研二はチラリと背後を見やる。
「陣平ちゃん」
「航、なんでそんなに隠れるんだよ」
「気まずいんだよ! 察しろ!」
生前バディを組んでいた後輩刑事二人が、どこまで面影を察することができるかは分からない。それでも、心理的な抵抗が全くないわけではない。
「堂々としてれば大丈夫だって。ほら笑顔、笑顔」
「手前も神奈川県警行けば気持ちが分かる!!」
「航もだってのは意外だ」
「んー……いやまあ、教育係として接してた後輩に子ども扱いされるのは、やっぱり気恥ずかしさがあるというか……」
「何を話しているのかしら?」
ビクリと景光は肩を飛び上がらせた。この身体になって警戒心がなくなったとは言わないが、やはり生前の経験値は下がっているらしい。女刑事の接近に気づかなかったことに内心顔をしかめつつ、景光は何とか笑顔を浮かべて振り返った。
「な、なんでもないよ」
「ふーん?」
膝を折ってしゃがんだ女刑事は、微笑ましいものを見るような顔だ。
「私、佐藤美和子っていうの。あなたたちのお名前を、教えてくれるかしら?」
「ふ、降谷景光です」
「ふるや?」
ピクリ、と佐藤のこめかみが動く。
あれ、彼女は零と面識があったのだろうか。安室としてはあった筈だが、とそこまで思考した景光の肩を、研二が引っ張る。
「名前だけなら、調べたことあった筈だぜ」
「! あ!」
景光もそこで思い出した。景光の名前だけなら何となく聞いたことがる程度で済むだろうが、保護者の名前をハッキリ伝えてしまうと、後々面倒なことになりそうだ。
「他の子は?」
「えっと、こっちが航で、陣平。俺は研二」
「苗字は?」
「みんな降谷だよ」
「あら、お友だちよね?」
「えっと、ちょっといろいろあって、今のお父さんに引き取られたの」
景光がしどろもどろに答えると、佐藤は研二と彼の背中に隠れる陣平たちを一瞥した。複雑な家庭で落ち着かないところ、死体の第一発見者になって怯えている子どもの姿に映ったかもしれない。このままの姿勢を貫く、と陣平は強く研二の肩を掴んだので、彼の喉から悲鳴が零れそうになった。
「じゃあ、お父さんの連絡先、言えるかしら?」
「……お父さん、お仕事忙しいから、親戚の人のところに住んでるんだ。その人の連絡先でいい?」
さらに複雑な家庭設定になってしまったな、と研二は言いながら少し後悔した。眉を顰めた佐藤は「ええ」と頷く。
「佐藤さん!」
「高木くん」
一度上司のところへ行っていた男刑事が戻ってきた。丁度良いと佐藤は景光たちの保護を彼と交代した。
「このお兄さんも、名前が『わたる』って言うの。結構頼りがいがあるから、安心してね」
「佐藤さん?」
吃驚する高木にヒラリと手を振って、佐藤は鑑識の方へ歩いて行く。
「……お兄さん、あの刑事さんの彼氏?」
ため息を吐きながらしゃがんだ高木へ、徐に研二が声をかける。ビクリと肩を揺らしたのは高木だけでなく、研二の背中にへばりつく陣平もだ。服越しに立てられる爪の痛みに耐えながら、研二は「どうなの?」と高木に訊ねる。
「あ、あはは……最近の小学生はマセてるなぁ」
苦く笑いながら、高木は頭をかいた。
「指輪は、買ったんですか?」
悪乗りをした景光も訊ねる。
「それより、君たちの家の連絡先を教えてくれるかな」
「いて」と研二の声が気になったが、先ほどの景光の言葉と合わせて流し、高木は胸ポケットから手帳を取り出した。
「手帳」
「え?」
「指輪は、手帳なんかに挟むなよ」
「……え」
景光の背後に立つ少年が、ポツリと呟く。ポカンと口を開いて、高木は不思議そうな顔をする景光と共に、その少年を見つめた。
少年らの中で一番背の高い彼は、太めの眉が特徴的だ。それだけでなく、どこか見覚えのあるような顔立ちが、目を引いた。確か、彼の名前は――。
「あれ、高木刑事?」
高木の思考は、聞き慣れた幼い声で現実に引き戻された。
顔を上げると、橋の欄干からこちらを見下ろす眼鏡の少年と目があった。
「コナンくん」
高木より早く、研二が少年の名前を呼ぶ。
「降谷たちもいたのか」
コナンの返答で、どうやら知り合いのようだと察する。随分大人びているが、コナンもまだ小学二年生だ。景光に確認すると、同じクラスなのだと確認がとれた。
「どうしたの?」
「ちょっと俺らがよくないもん見つけちゃって」
研二の説明を聞きながら歩るいてきたコナンは、辺りを見回して凡その事情を察したように「ふうん」と頷いた。
「もしかして、髪の長い男の人なんじゃない?」
「え! よく分かったね」
ご遺体は男性だったのか、と景光たちは視線だけ合わせる。水面に浮かんでいたのは頭のみで、長い髪が散らばって顔や体つきは見得なかった。
「なんで知ってんだよ」
「ちょっと、毛利のおっちゃんのところに来た依頼人の挙動が怪しくてな」
やっと研二の背中から出てきた陣平が、訊ねる。コナンは肩を竦めつつ説明し、背後を振り返った。
少し離れた電柱の傍に、蘭と共に青白い顔で立ち尽くす女性の姿があった。
「被害者の身内? それとも、」
「恋人。俺は容疑者だと思ってる」
毛利の依頼人が関係ありそうだという話を聞き、高木は急いで目暮と佐藤に報告へ向かった。彼の背中を見送り、航はコナンの返答に眉を顰めた。コナンの推理とあの態度なら、取り調べを行えばすぐに自白がとれそうだ。しかし、とコナンは呟いて顎に手をやった。
「証拠がない」
「アリバイは?」
「あるが、簡単なトリックだ。それはおっちゃんも解けてる。あとは、あの人がこの場に来たことがある決定的な証拠があれば……」
「アン!」
景光はハッとして、研二がハーネスを握ったままのハロを見やった。景光が気づいたと同時に、他の三人とも目が合う。
「匂い」
「手綱」
「持ち物」
「土手――と、」
チラリと景光は顔を上げる。顔を突き合わせて話をする刑事たちの輪に、急いできたといった風体の男が駆け寄っていた。
「被害者だな」
「おい、お前ら何を……?」
四人の端的な意思疎通について行けないコナンが、眉を顰めた。二ッと笑った陣平は、彼の頭をぐしゃりとかき混ぜる。
「??」
「ゼロから聞いたよ、君も似たようなことやってたんだろ?」
クスクス笑いながら、景光は片目を瞑って見せた。

「あの子らの保護者は、安室くんだったのかね」
「ええ、彼らを引き取ったのが、僕の遠縁でして……」
少々不審げな佐藤の視線を無視しながら、安室はヘラリと笑う。クン、と袖を引かれて視線を下げると、景光がじっと安室を見上げていた。
「どうかしたか?」
「……」
安室が訊ねても、何も返答しない。困った顔をして安室がしゃがむと、景光はギュッと彼の首に腕を回した。
「……」
「事件現場を見たから、怯えちゃったんですね」
甘える様子を見て、高木は安室が保護者だと納得したようだ。
耳元で囁かれた言葉に、安室はスッと目を細めた。それからニコリとほほ笑み、景光を抱えて立ち上がる。
「ええ。頭しか見得なかったので、怖かったそうです。首から下がなかったものと思ったみたいで」
「ああ、そう見えたがご遺体は全部揃っていたよ。身体もちゃんとあった……と言っても安心できる要素にはならんか」
「身体の方は浮かんでいなかったのですか?」
「そのようだ。足に重りを括りつけておってな。外傷も、包丁で切ったような指の切り傷だけだから、自殺の線でも捜査中だ」
「成程……」
目を細め、安室はチラリと道路の方を見やる。
電柱の傍らで蘭に介抱されながら座り込んでいた女性が、「きゃあ!」と驚いた声を上げていた。白い犬が突然飛び掛かって鞄の中身をぶちまけられたのだから、それも仕方ないことだ。
「ごめんなさぁい」
ハーネスを手放してしまった研二が、慌てて駆け寄って来る。蘭が散らばった女性の持ち物を拾い上げる横で、ハロはフンフンと鼻を鳴らして女性や蘭、鞄の臭いをかいでいた。
「あれ、これ、メンズ用のコスメですよね」
オリーブ色のシンプルなパッケージのチューブを取り上げて、蘭が訊ねる。女性はビクリと肩を揺らし「え」と声を裏返した。
(成程)
インプットはバッチリだと見上げるハロの頭を撫で、ハーネスを航に渡す。
「あれ、それ、血みたいなのついてない?」
「え、そう?」
「そんなわけない!」
どこだろうとひっくり返す蘭の手からひったくり、女性はさっさと荷物を鞄へ詰め直した。その様子に蘭は驚いていたが、研二はニコニコと微笑んだまま「ごめんなさい」と謝った。
チラリ、と背後のコナンへ視線をやる。ヒクリと頬を引きつらせつつ、コナンは力なく親指を立てた。彼の欲しかった情報は得ることができたらしい。
さて、後は土手の捜索である。
「アン!」
航をハーネスで引っ張りながら、ハロは雑草だらけの土手へ飛び込む。少し先にそこを掻き分けていた陣平は、顔を上げた。
「ハロ公、多分この範囲だ」
「ワン!」
素直に従い、ハロと共に航は陣平の示した場所を見やる。水場近くということもあり、地面は湿っていた。少し体重をかければ、足跡がつくほど。
「遺体を運んでれば、その重みで沈むな」
「ああ。ここは遺体発見現場から上流。まだ警察もここまで捜索はできていない」
航を中心とし、ハーネスが伸びる範囲を、ハロはくまなく走り回る。白い毛が茶色く汚れてしまったから、帰宅したらすぐに風呂場に直行コースだろう。
「ワンワン!」
一際大きな声で、ハロが鳴いた。航と陣平がそちらを見やると、「ドヤァ」と効果音がつきそうなほどのしたり顔で、お座りをするハロがいた。
「こいつ、ほんと零に似てるな」
苦笑しながら陣平はハンカチを取り出し、ハロが見つけたそれを取り上げた。
背後から、甲高い女性の声が響いて来た。二人が振り返ると、現場まで近寄ってきた女性が何事か安室に対して食って掛かっている。それを正面から受ける安室は、涼しい顔をしていた。
航はため息を吐きつつ、持ち上げた手を振る。その合図を見つけて、安室は笑みを深くした。
「ほら、彼らが見つけてくれたようですよ。あなたがここに来たことがある証拠を」
陣平がハンカチで摘まんだリップケースを掲げると、女性はがっくりと項垂れた。

「名犬ハロちゃ〜ん!」
風呂上りでモフモフと手触りの良い毛波を撫でまわし、研二はハロと共に床へ転がった。
「いや〜俺たち最高のグループじゃない?」
「ハーネスで逆に散歩されてた奴が何か言ってやがる」
一緒にシャワーを浴びて汗を流した陣平は、首から下げたタオルで頭を拭いている。
「しかしこの街、相変わらず普通じゃねぇな」
「こんなもんじゃないぞ、あのコナンくんと一緒にいると」
零はクックと喉で笑う。え、と声を漏らしたのはコナンと同じクラスの二人だ。
「俺ら、少年探偵団にも誘われてんだが……」
「もうこの一年は退屈しないだろうな」
冷蔵庫から麦茶を取り出し、降谷は人数分並べたコップへ順番に注いでいく。
「いっそお前たちで探偵団作ったらどうだ」
「わざわざ元本職に小学生と張り合えって?」
「冗談だ」
クスクス笑って、零は麦茶を冷蔵庫へしまう。コップを受け取りながら、陣平はムッとした顔で彼を見上げた。
「随分、楽しそうじゃねぇか、零」
「ん? まあな」
まだ持ち帰った仕事があるからと寝室へ向かう零の背中を睨み、陣平は麦茶で喉を潤した。
「ゼロ、きっと楽しかったんだよ」
同じように麦茶のコップを持った景光が、にやける顔を抑えられないと言った様子で笑っている。丁度、先ほどまでの零のように。
「みんなと昔みたいに事件解決できてさ」
ハロを腹に乗せていた研二も起き上がり、航と顔を見合わせる。一瞬の間の後、三人は苦笑と共にため息を吐いた。
「全く。アイツ、喜ぶの下手くそになりやがって」
「はは、零の言う通り、探偵団作っちゃう?」
「少年探偵団? 遊撃隊?」
「小五郎さんも、ホームズももういるだろう」
目だって刑事部に顔を覚えられそうだと航がぼやくと、同じ気持ちの陣平は「確かに暫くは勘弁だ」と苦く顔を歪めた。
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