松萩松編(6)
シャン、と鈴が鳴る。
四方を縄と札で囲まれた部屋、浅葱色の袴姿の風見と伊達が、上座の左右に坐している。中央には白装束の萩原が、慣れない正座の痛みに耐えながら目を閉じて座っていた。彼の斜向かいに並んで膝立ちするのは、巫女装束の上原と三池だ。二人は神楽鈴を握る手の首を、クンと捻る。
シャン、と澄んだ音が室内に響いた。同時に、清められた水がまかれたような、涼やかさが漂う。
風見と伊達の間に張られていた御簾の向こう、祭壇ともいうべき場所に坐する影が、ゆっくりと動いた。指か尾を動かして、風見に合図を送る。それに会釈を返して、風見は部屋の外へ目配せした。
合図を受け、一人の男が入室する。萩原と同じく白装束をまとった松田だ。彼の足元で、灰色に似た毛皮がスルリと動く。
それを目の端に捉えながら、松田は歩みを進める。上原と三池は、壁際まで身を引いた。
部屋の中央には、松田と萩原のみ。萩原の後頭部を見下ろし、松田はゆっくりと息を飲みこんだ。
シャン、と鈴が鳴る。部屋に満ちた清浄な空気が、肌に触れる。
松田は片膝をつき、頭を垂れる萩原の肩に両手を置いた。少し襟首をくつろげると、萩原の背中が緊張からか強張る。その筋肉の動きを手の平で感じながら、松田も自身の緊張を落ち着けるために息を吸う。
シャン。鈴の音が、強く鼓膜を叩く感覚。
「……っ」
それに重なって、萩原の息を飲む音を聞きながら、松田は口を開いて身を屈めた。
シャン――鋭い犬歯が、鈴の音と共に小麦の肌を食い破った。



「お疲れ様」
他人の目と慣れない礼儀による緊張から、グッタリとする松田へ景光は声をかける。喫茶スペースのベンチを陣取って横になっていた松田は、「おう」と顔を上げた。それから景光が机に置いた氷水を掴んで、一気に喉へ流し込む。
「っはー、まさかあんなに人がいるとは思わなかった!」
「あれでもこじんまりとした儀式だけど……」
「仕方ないだろ、最低限儀礼には則らないと」
苦笑する景光の肩越しに、呆れた様子の降谷が口を挟んだ。
「いいじゃないか。これで二人の希望通りだ」
爪楊枝をくわえた伊達が、カラカラと笑った。松田は机に頬杖をついて、ムスリと少し頬を膨らませる。
ピクリ、と黒い耳が動いた。少し遅れて金と三毛の耳も反応し、扉を見やる。
「そら、やってきたぞ」
「いってて……」
降谷の言葉通り、カラリと扉が開いた。ガーゼを貼った首筋を撫でながら現れたのは、萩原だ。彼は顔を揃えた四人を見つけると、眉を下げる。
「もう、陣平ちゃん、力強すぎ」
「うっせ、そういうもんだから我慢しろ」
「それにしてもでしょ。流血が酷いって三池さんたちが言ってたよ」
松田はばつが悪そうに視線を逸らし、ガリガリと氷を噛んだ。
「後悔すんなって言ったろ」
「いや、そういう話じゃねーって」
伊達の隣に座りながら、萩原は手を振る。「まぁまぁ」と景光は二人を宥めた。
「これで晴れて、松田は萩原の狗神になったわけだし」
降谷が嘗て提示した二つの道。一つは常に傍にいて萩原を守る狛犬となること。もう一つは、松田自身が狗神として萩原に憑くことだ。これにより萩原は狗神憑きと等しくなり、強すぎるカグツチの加護を狗神の【呪い】で抑えることができる。それと共に、ある程度二人の距離がある場合でも、松田が位置感知することが可能になったので、不測の事態にも対応が容易くなった。
「まぁ、裏を返せば、今まで以上に四六時中監視されてるようなもんだが」
「今更だしねぇ」
萩原は笑って、降谷から受け取った水で喉を潤す。
「しかし」
癖のように指が撫ぜる萩原のガーゼを見つめ、伊達は吐息を漏らした。
「これからは服装に気を付けろよ。結構目立つ位置に噛みつかれたからな」
「え、これ消えないやつ?」
「そりゃ、狗神の契約の証みたいなもんだからな」
えー、と驚く萩原を見やり、降谷は景光越しにそっぽを向いたままの松田を見た。
「……まあ、別に首である必要はなかったが」
ポツリと呟く降谷に、萩原が食いつく。彼がさらに訊ねようとする前に、松田の手が景光を飛び越えて降谷の口を塞ぐ。ギリ、と頬ごと掴まれた降谷は、すぐに手首を掴んで松田を引き倒した。
「いってて!」
「また一方的に殴られたければ応じるが?」
「誰が手前に負けたことがあるって?」
気配を察した景光がヒョイと避けたので、松田はベンチの上で後ろ手に取り押さえられる。その体勢で煽る姿勢は無謀だな、と伊達は苦笑した。
儀式後で疲れていると言って、降谷はさっさと手を離した。舌を打って、松田は立ち上がると、これ以上ここにいられるかとぼやいて喫茶スペースを出て行く。
「陣平ちゃん」
「疲れてんだ、静かに寝させろ」
萩原の声に足を止め、松田は背中を向けたまま答える。
「おう、おやすみ……ありがとな」
「……フン」
パシ、と黒い尾が床を叩いた。
ドタドタと足音を立てて去って行く松田を見送り、降谷はフゥと吐息を漏らした。
「全く、アイツの嫉妬深さは生来の物か分からないな」
降谷は呟く。萩原がキョトンと目を瞬かせると、「知らないのか?」と逆に驚かれた。降谷は萩原のガーゼに覆われた首筋――狗神の噛み跡があるその場所を一瞥して、口元に笑みを浮かべた。
「狗神憑きはな、往々にして自分のものに執着するのさ」
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