松萩松編(4)
男女の二柱が神産みをした際、最後に産み落とされたのは火の神だと言われている。母であった神はその出産が原因で命を落とし、父なる神はそれに怒り、生まれたばかりの火の神の首を落として殺してしまった。そこから流れた血や身体からさらに神が生まれることになるのだが、火の神自身も火を取り扱う職種の人間を中心に火事を防ぐ守り神として祀られている。
古来より火は邪気を払う神聖なものとみなす場合もあり、その点で考えれば萩原は火の神に愛された特別な人間なのだろう。ただそれが、人間の身の丈に合う加護であったかと問われれば、否だ。
「だが幾ら人の身の丈に合わないものでも、それは既に魂に結ばれている。解くことは僕でもできないな」
「……なら、こいつは一生このままなのか」
グス、と鼻が鳴る。それを目の前に立つ金色に知られたくなくて、松田は顔を伏せた。ユラリと尾を揺らし、何かを考えるように顎へ手を添えた金色は、やがて松田の傍らに膝をつく。彼の手が包帯だらけの萩原の手を取り上げたので、松田は思わず顔を上げた。
「……」
金色は萩原の手を挟むように、自分の手を重ねた。金色が何事かを小さく呟く。すると、金色の耳と九つの尾がふわりと揺れ、その毛先から蛍のような光が生まれた。その光はゆっくりと浮かび上がり、萩原の額や頬、手へと降りていく。
スゥと肌に吸い込まれるように光が消えていくと、萩原の眉の間にできていた皺が引いていった。
「あ……」
「応急処置だ。水の加護で火の邪気を払った。後でちゃんと加護をこめた数珠をやる」
稲荷は田の神、ひいては水も司る。弁天の系統ほどではないにしろある程度の加護なら与えられる。淡々と説明をして立ち上がる金毛を視線で追って、松田はパクパクと口を動かした。
「なんで……」
「僕を頼ってきた人間に、何も手を貸さないほど冷たい血は持っていないつもりだけど」
心外だというように金毛は眉を顰める。松田は慌てて首を振った。
「……ありがとう」
「……意外だ。小屋の狗神は厭世主義者だと聞いたが」
「うっせ。……こいつには、普通に生きてほしいと思っただけだ」
すやすやと眠る萩原に視線を向け、松田はギュッと膝の上で手を握りしめた。その様子を見て、金毛はフムと顎を撫でた。
「狗神」
「あ?」
「そういえば君、その呪い体質をどうにかしてほしかったんだよね?」
山を留守にしていたため、すっかり対応が遅くなって悪かった。ちっとも悪びれない声色で、むしろ楽しそうに笑みまで口元に浮かべ、金毛は松田の顔を覗き込んだ。

咄嗟に頭を腕で庇ったコナンは、浮き上がった身体を何かに引っ張られた。ゴロゴロと地面を転がり、ドスンと大きな物にぶつかる音。引っ張った何かがコナンの小さな身体を抱きしめていたので、彼自身に大きな痛みはない。そっと目を開くと、コナンを抱きしめていた松田が、グッと顔を顰めて横たわっていた。
「松田さん!」
「っ……問題ねぇ」
松田は身体を起こす。コナンも片膝をついて起き上がり、邪気の放出地点――爆心地へ視線を向けた。
蹲る男がいた場所に、煌々と赤紫の炎が燃え上がっていた。
「野火のくせに、とんだ大きさじゃねぇか」
舌を打って、松田は割れたサングラスを投げ捨てた。
男――野火の首につけられていたのは、コナンはチラリとしか確認できなかったが、邪気をため込んだ呪具だったようだ。一気に膨れ上がった邪気に耐え切れず、野火は暴走状態にある。何故そんなものを装着していたのか、松田が声をかけたタイミングで暴発したのは果たして偶然か――問いただしたいことは多いが、まずは目の前の暴走状態を鎮圧することが先決だ。
「坊主、核は分かるか?」
「やってみる」
僅かにフレームが歪んだ眼鏡を外し、コナンは目を凝らした。
呪いを受けたことで、コナンが得た副産物がある。それが『眼』だ。元々『気配を察知する触覚』は優れている方だった。そこへ怪異の形を捉える【眼】が加わったことで、怪異の足跡や核を目視することができるようになった。神通力に秀でた鞍馬の――もしくは不死となった迦楼羅になぞらえて――烏天狗の寵児と呼ぶ者もいる。
青みがかった瞳が炎を捉える。赤紫の炎の奥、熱から逃れるように藻掻く人間のシルエットが浮かび上がる。その首当たりに、チカと光る何かが見えた。
「……炎の中心辺り。やっぱり呪具が核になってるみたい」
「それ壊さなきゃ、延々と邪気を垂れ流しそうだな」
ジャケットを脱ぎ捨て、松田は首元のボタンを外す。ぐわりと松田の肩から妖気が立ち上り、ムクムクと頭部と手足に集まっていく。ピンと立った黒い耳、鋭い爪――狼を思わせるその部位が現れ、松田は体勢を低くする。開いた口の端から、鋭い犬歯が光っていた。
「援護は任せた」
コナンへ短く言い、松田は妖気を纏った足で地面を蹴った。
炎自体に敵意はない、どころか動く気配はない。ならば刃を立てるのは容易い。松田の鋭い爪が、赤紫の炎を両断する――。
「松田さん!!」
慌ててコナンが叫んだとほぼ同時に、留まっていた炎がグワリと渦を巻き、大きさを増した。それは松田の頭上から覆いかぶさるように伸び、彼の視界を一瞬にして黒へと染めた。

「コナンくん!」
景光の位置情報と、コナンが光彦に託した連絡によって降谷たちが目的の神社へ辿りついたとき、コナンはヘタリと座り込んでいた。彼が茫然と見つめる先には、煌々と燃え立つ赤紫の炎の塊があった。
「大丈夫かい?」
駆け寄った降谷は、彼が擦り傷だらけの様子を見て顔を顰めた。彼らの存在に気づいたコナンは、眼鏡を外した顔を上げ、首を振る。
「僕は大丈夫」
「おい、松田は?」
先に辺りを見分し、炎の塊を睨んでいた伊達が訊ねる。コナンはグッと顔を顰め、炎を指さした。
「あの炎に、取り込まれたよ」
「!」
コナンは降谷の手を借りて立ち上がり、呪具をつけた野火を見つけたこと、松田が声をかけたタイミングで呪具が暴発したこと、それを抑えようとした松田が炎に取り込まれたことを説明した。
話を聞いた降谷は顎へ手を添え、フムと頷く。
「コナンくん、君の【眼】では、今のあれはどう視える?」
「……爆弾」
彼らの到着で幾分冷静になった頭で、コナンは答える。
炎の奥で、元々呪具にため込まれていたであろう邪気と、元来松田が内包する妖気。二つの気配がグルグルとめぐっている。少しずつ、お互い混じり合って更なるエネルギーを作り出すように。まだ松田が抵抗しているため抑え込まれているが、完全に穢れに飲み込まれたとき、先ほどとは比にならない衝撃波が一帯を襲うだろう。
コナンの見解に降谷も疑問点はないようで、一つ頷くと伊達たちを見やった。
「伊達は人避けの結界を頼む。ヒロは周囲の索敵を」
「ああ」
「無茶すんなよ」
景光と伊達は頷いて、すぐさま走り出す。神社の裏手に広がる林と、階段下へそれぞれ向かう背中を見送っていると、コナンは頭上から声をかけられた。こちらを見下ろす降谷の頭には三角の耳が乗っており、先ほどまでの擬態を解いたのだと分かった。
「一応、内部の警戒は続けてもらえるかい?」
「え、あ、うん」
「内側からはアイツに任せて……僕は万が一を考えて結界を張るよ」
「内側からはって……あの状態の松田さんに?」
邪気の炎に取り込まれたと言っても、完全に意識を失ったわけでないことは、コナンにも分かる。それでも、全てを彼に託せるほど楽観視できる状況ではないと思ったのだ。
降谷はパチリと片目を瞑って笑った。
「アイツは、やるときはやる男だよ」

(なんてこと、考えてそうだな、零のやつ……)
一方の松田は、コナンたちの予想通り、意識を保ったまま邪気の塊内部に囚われていた。思考は回せる。手足も動く。妖気も使えないことはないが、端から吸い取られていくような感覚がある。一定量吸われてしまえば、松田の周囲に漂う邪気と混ざり合い、さらなる爆発を引き起こすだろう。
松田はポケットへ手を入れて、しかしそこにある筈の煙草が消えていることに気づき、舌を打った。
目前には、既に姿を保てなくなった野火。中心辺りに浮かぶのは、先ほども見た呪具だ。これを何とかしなければ、松田だけでなく周囲の人間にも危険が及ぶ。
「ち」
松田は片膝をついて、呪具へ手を伸ばした。
妖気と邪気を吸い、混ぜ合うという余計な機能はあるものの、基本的な構造は松田も見たことがある典型的な首輪だ。これなら三分とかからず破壊することができる。
「なめられたもんだな」
伸びた右手人差し指の爪を、首輪の端にかける。
繊細な能力行使を不得手と思われがちだが、寧ろ松田の得意分野だ。伊達に数年、この身に宿る呪いと付き合ってない。
「そんなに欲しけりゃくれてやる」
爪の先から少しずつ、細い針金のように途切れることなく。邪気の根源である首輪を、破壊するだけの妖気を流す。
「――狗神の呪い、好きなだけ喰らえよ」
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