松萩松編(3)
「あれ」
少女は顔を上げた。母の用事が終わるのを待つ間、店頭に置かれたガチャポンの機体を眺めていた。そんな折、ふと横を通り過ぎた男から焦げたような臭いが漂ってきた気がしたのだ。そちらを見上げて、少女は「あ」と口から零れそうになる言葉を、手の平で抑えた。
男は少女のそんな反応に気づかず、角を曲がっていく。
チラリと見得た顔は、先日公園でボヤ騒ぎがあったとき、煙草を落とした男のそれだった。

松田はくさくさとした気持ちで街を歩いていた。頭を冷やせ、ついでに日用品の買い出しをして来いとの、山の管理者からのお達しである。同行しているのは、諸伏だ。ついでに街のホテルに宿泊している兄から、頼んでいた修理品を受け取るつもりらしい。
手土産の菓子の入った袋を揺らしながら、諸伏は松田の様子に苦笑を溢した。
「松田、怖い顔してるぞ」
「うっせ」
棒付きキャンディを鋭い犬歯で噛み潰し、松田は舌を打つ。眉を下げた諸伏は、ふと目的地を通り過ぎかけていたことに気づいて彼を呼びとめた。
「松田、兄さんとの待ち合わせはこの喫茶店だ」
松田は足を止めるも、こちらへ顔を向けない。仕方ないなと呟いて、諸伏は彼の背中に声をかけた。
「ちょっと待っててくれ。すぐに用事を終わらせて来るから」
苛立った心持のまま友人の家族に顔を合わせるのは、松田も良くないと思ったのだろう。彼なりの気遣いと受け取って、諸伏は小走りで喫茶店へ入って行った。
カランコロン――離れたところから聞こえるベルの音を耳に通し、松田は大きく息を吐いた。そのまま街路樹に凭れかかり、空を仰いだ。
頭に血が昇っていることは自覚している。焦っていることも。それでも、先の火種と穢れの原因を絶たなければ、もっと強い炎が萩原を襲ってしまう恐れがある。
(それは、何としても防いでやる……)
ギリ、と奥歯を噛みしめる。咥えていたキャンディの棒が、嫌な音を立てて曲がった。
「ん?」
何やら騒がしい子どもの声。その中に聞き覚えのある声が混じっている気がして、松田はそちらに視線を向けた。
「アイツらは……」
しっかり見覚えのある眼鏡の少年を筆頭に、四人の子どもたちがコソコソと路地裏に入って行った。

「ここか……」
歩美が目撃したという、煙草着火事件の容疑者と思しき男。目撃場所に案内されたコナンは、片膝をついてしゃがみこんだ。緊張した視線を向ける歩美たちを背に、コナンは地面へ手のひらをつけて目を閉じる。
二つ並んだ目を閉じることで開く第三の目が、周囲に漂う残滓を追う。間違いない、怪異の痕跡がハッキリと残っていた。
「……確かに、ここを通ったみたいだな」
「すごーい、コナンくん、分かるの?」
「え、ああ。慣れないと分からないけど、跡があるから」
コナンの言葉を素直に信じた歩美たちは、足跡でも残っているのだろうと思って目を凝らす。ただの人間の彼らに見える筈ないものであるから、コナンは引きつった笑いで誤魔化した。
「おい、坊主ども」
「わ!」
突然声をかけられ、コナンたちは肩を飛び上がらせた。振り返ると、そこに立っていたのは黒を基調としたジャケットスタイルの松田だ。サングラスを少しずらし、松田はコナンたちを見下ろす。
「こんなところで何してやがる?」
「え、えっと……」
コナンは口ごもった。降谷から、松田の危険性は聞いている。そもそも、痕跡があることを確認したら降谷に報告し、そこから調査をする予定だったのだ。ここで松田に情報を先走りで渡してしまうのはまずい、とコナンでも分かる。
「あー、公園のお兄さんだ」
「僕たち、あのとき煙草を落とした人を探しているんです」
「あ? それでなんでここに?」
「お前ら、ちょっと、」
「歩美、昨日ここをその犯人が歩いて行くの見たの」
しかしそんなことを考えるより早く、子どもたちの口を塞ぐことを急ぐべきだった。後悔先に立たず。ギラリと松田の瞳が光る。自慢げに胸を張る歩美たちの横で、コナンはガックリと肩を落とした。

「お待たせ、松田……って、あれ?」
風呂敷包みを抱えて喫茶店から出て来た諸伏は、そこにいる筈の友人の姿が見当たらず、目を瞬かせた。



割れた木札を手の中で弄り、降谷は深々とため息を吐いた。
「降谷ちゃん……」
「却下」
ポイとゴミ箱へそれを放り入れ、降谷は弱弱しい声を切り捨てる。それから左右の袂に手を差し入れ、布団に座る萩原を見下ろした。
「その怪我で、山から下ろすわけにはいかない」
「えー」
「まだ、発端となった穢れの出所も分かってないんだ。大人しくしてろ」
強い口調で言えば、萩原はばつが悪そうに頭を掻いた。
「穢れを受けたきっかけに、心当たりはないのか?」
伊達も訊ねるが、萩原は首を振る。
「降谷ちゃんが腕輪の不備を見つけてくれた日だろ? あの日はふらり火に付き纏われて、陣平ちゃんが焦げて……」
怒った松田によって、ちっぽけな怪異だったふらり火はあっと言う間に追い払われた。とても降谷の加護を破るほど、力を持った様子はなかった。
「その前は?」
「んー……長い階段前で立ち往生してるおじーちゃんがいたから、負ぶって階段上って……そしたら神社で引いた大吉のおみくじを失くしたっていうから、捜しても見つからねぇし、一緒におみくじ引いたくらい?」
「またお前は……」
ヘラリと笑う萩原に、降谷は吐息を漏らす。
「その老人か?」
「可能性はあるが……回りくどいな」
フム、と顎を撫でた伊達は、自分のスマホが震えていることに気が付いた。「ナタリーからだ」と画面を見た伊達は、降谷たちに一言断って部屋を出ていく。その背中を見送り、降谷は「仲が良くて何よりだ」とぼやいた。
「……そう言えば、」
「ハギ?」
「いや、神社を出るとき、金髪の女の人とすれ違ったなぁって……」
「金髪?」
萩原はコクリと頷き、記憶を辿るように視線を動かす。
「降谷ちゃんやナタリーちゃんより、薄い金髪の。なんでか気になったんだよなぁ」
降谷は眉を顰めた。ただの一般人の可能性もあるが、萩原の勘はこういうとき無下にできない。
思考に耽る降谷は、着信音でハッと我に返った。文机の上に置きっぱなしにしていたスマホが、『諸伏景光』の文字を画面に表示させて震えている。取り上げて着信をタップすると、『ゼロ!』と慌てた様子の幼馴染の声が聴こえてきた。
「ヒロ、どうかしたのか?」
『ごめん、松田とはぐれた!』
「は?」
降谷は思わず固い声を漏らした。余程慌てているらしい景光の後ろから、『落ち着きなさい』と言う彼の兄の声も聞こえる。落ち着けと降谷も言葉を返すと、通話を終えたらしい伊達も部屋に戻ってきた。萩原がスマホから漏れ出た景光の言葉を伊達に伝えると、太い眉がギュッと寄った。
「松田も子どもじゃないんだ、そう易々と暴走するとは……」
「いや、今ナタリーから連絡があって、どうやら松田のやつ、江戸川の小僧と一緒らしい」
他にも数人子どもを連れて街を走る姿を見たが、中心街から離れた方へ向かっていたことが、ナタリーには気がかりだったらしい。伊達から陰陽寮がバタバタしていると聞きかじっていたことも、連絡してきた理由だ。
「コナンくんが何かを見つけて、たまたまその場に松田が居合わせた」
「ということは、」
三人は顔を見合わせた。
「ヒロ、すぐに位置情報送れ。僕らもすぐに向かう」
『あ、ああ』
「伊達、行くぞ」
「おう」
「俺も……」
布団から立ち上がりかけた萩原は、グイと両肩を降谷と伊達に押されてまた腰を下ろすはめになった。
「お前は待機だ」
「でも……!」
「手負いのやつが、無茶をするな」
きつく指をさされて言われれば、萩原はグッと口を引き結んだ。降谷はスマホで景光と会話をしながら、足早に部屋を出て行く。伊達は片膝をついて、俯く萩原の肩へ手を置いた。
「……俺らに任せろ」
萩原は何も答えない。伊達は後ろ髪を引かれる思いだったが、降谷の後を追った。
バタバタと遠ざかる足音を聞きながら、布団の上に置いた手を、萩原はギュッと握りしめた。

「この先か」
クン、と松田は鼻を鳴らす。そのまま当たりを見回す彼の隣、コナンはポケットの中でスマホを転がした。
松田の気迫に押されるまま案内してしまったが、降谷たちに連絡しないのは悪手だったのではないか。コナンや松田だけならまだしも、一般人の歩美たちも着いてきてしまったのだ。何かあったとき、降谷の力がないと誤魔化しようがない。
都心の中心部から離れた神社の境内。手入れする人間も参拝する人間も少ないのか、随分と寂れた印象を受ける。階段の上まで上がったところで嫌な気配を奥から感じ、コナンは足を止めた。
「おい、お前ら」
背後で階段を上っていた歩美たちに、視線もくれないまま声をやる。足を止めた三人は、首を傾げた。
「このまま帰れ」
「えー」
「ここまで来て、そりゃないですよ」
「お前だけずりぃぞ」
予想していた通り、彼らは唇を尖らせる。小さく息を吐き、コナンはスマホを取り出した。それを、一番几帳面な光彦へ渡す。
「このまま階段を降りて駅まで行ってから、その画面に出ている番号に連絡してくれ。この神社の場所を伝えてくれれば、それで良い」
「それだけですか?」
「お前らが頼りなんだ」
肩越しに真っすぐ見つめれば、三人は少し顔を見合わせて頷いた。渋々ながらも、重要な役割を与えられたと納得したらしい。「後で絶対説明してね」と念押しして、三人はトタトタと階段を駆け下りていった。
三つの足音が小さくなったのを確認してか、松田が足を進める。ポケットに両手を入れた姿勢で、彼は社の前に蹲る男の前で足を止めた。
「……おい、ちょいと聞きたいんだが」
裾の汚れた灰色のジャケットが、ビクリと震える。そろそろと松田を見合げた顔は、こけた頬と眼鏡が印象的だ。しかし松田は、サングラスに映ったとあるものに目を見開いた。
「松田さん?」
「っ来るな!」
背後から歩み寄るコナンへ、松田は鋭い声を飛ばす。首を傾げながら足を止めたコナンは、振り向いた松田の焦った様子の向こう、喘ぐように口を動かし手を伸ばした男の首元に目を奪われた。
「こいつ、呪具を付けられてやがる!」
それはまるで爆弾のように。松田の叫びとほぼ同時に、凝縮されていた邪気がその場を吹き飛ばすような勢いで、一挙に放出された。
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