睡眠はしっかりとりましょう。
メゾン・モクバの1DKは、成人男性一人と小学生四人が雑魚寝をするにギリギリの広さだった。零用のベッドはあったが、そこに子ども四人も入るわけなく、結局じゃんけんでベッドに寝る一人を決めた。零は家主ということもあり、ベッドで寝ることは子どもたちの中で決定事項だったらしい。
あいこを繰り返す子どもたちを零がキッチンから眺めていると、漸く決まったらしい。遠慮がちに手を上げたのは、景光だった。
「良いのかなぁ」
ブツブツ呟きながらベッドに乗る景光に、零も曖昧な笑みを返すしかない。研二たちは、机をどけた床での雑魚寝にワクワクしているといった様子で、枕を並べていた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
プツン、と電気が落とされる。ジワジワと暗順応になっていく視界が、腕に触れる温もりに引きずられるようにして閉じていった。

コツン、カツンと固い音が聴こえた。フッと景光の意識が浮上する。
辺りはまだ夜の闇に閉ざされている。枕元の時計は深夜二時を示していた。
あふ、と景光の口から欠伸が零れる。身体自体は小学生そのものなので、どうしても身体能力や体力はそちらへ引っ張られる。今も眠気が勝っていたが、何となく先ほどの音が気になって、景光は眠い目を擦りながらそっとベッドから降りた。
航の寝息が聞こえるベッドの脇を通り抜け、部屋を出る。細い一筋の光がリビングから盛れ、廊下を通って玄関まで伸びていた。
白いタイルの上に、乱雑に脱ぎ捨てられた一組の靴。先ほどの音はこれかと納得し、靴を揃えて景光はリビングへ向かった。
「あ、起したか?」
リビングと隣接しているカウンターキッチンで、手をついていた零が顔を上げた。キッチン上のライトだけが光源となっており、零の顔に影を落としている。
水を飲んでいたらしい。カウンターに置かれたコップを景光が一瞥すると、零は少し口端を持ち上げた。
「ヒロも水、飲むか?」
「……うん」
景光が頷くと、零は彼用のコップをとってきて、ミネラルウォーターを注いだ。
「ゼロは、今日も登庁したのか?」
コップを受け取りながら訊ねると、零はコクリと頷く。
「先日の事件の被疑者の取り調べがあったんでね、一応立ち会ったんだ」
「めどは尽きそうか?」
「どうだろうなぁ」
ぼんやり虚空を見つめながら、零はコップを傾ける。常温の水を景光も喉へ流し込み、ゴクンと飲み込んだ。
「明日はポアロだろ? 歩美ちゃんたちが久しぶりに安室さんに会いたいって言ってたぞ」
モテモテだな、と揶揄ってみれば、零は渋い顔をした。
降谷零は、安室透の親戚縁者ということになっている。学校は勿論その他一般人の前に出るとき、降谷は徹底して『安室透』を名乗り、景光たちは降谷零という親戚からの預かり子という設定だ。歩美たちから質問責めにされても、誤魔化せるだけの材料は揃えてある。
懸念点はないが、零が渋い顔をしたのは、単純に気まずいといった感情のせいだろう。まぁ、突然アルバイターを兼任する必要のある若い独身探偵が、親戚の頼みとはいえ一度に四人の小学生を養育することになったのだ。女子高生あたりは、興味津々で探りを入れてきそうである。
くぁ、と前方から気の抜けた音が聴こえた。景光が顔を上げると、頬杖をついた零が目を細めて口元に手を当てている。
「ゼロ、」
景光が言葉を紡ぐ前に、ヒョイと空になったコップが取り上げられた。「ん?」と小首を傾げながら、零は先ほどまでの眠そうな顔をどこへやったのか、スタスタと歩いて行く。
「ほら、ヒロはもう寝ろ」
「ゼロは?」
「少し確認したいデータがあるから、それを終えたら寝るよ」
コップを洗い、零はそれを水切りカゴに並べる。む、と景光は眉間へ皺を寄せた。
「急ぎか?」
「……」
ついでに流しをザッと洗い流し、キュッと蛇口を閉める。景光には、それで十分だった。キッチンから出てダイニングテーブルの方へ向かおうとする零の袖を掴み、景光はグイと引っ張って廊下に出た。
「お、おい」
慌てて抗うそぶりを見せながらも、零が景光の手を振り払わないことは、景光本人がよく知っていた。今の景光の力では、零の腕力に敵わない。これ幸いとぐいぐい引っ張って、景光は零を彼の寝室に押し込んだ。
「おい!」
「ほら、他の奴らが起きるだろ」
人差し指を口元に当てると、零はパッと口を手で覆った。それからばつが悪そうに顔を歪め、ため息を吐く。
「……ポアロの出勤は六時だ。九十分横になれれば十分……」
「前からちょっと思ってたけど、」
トン、と零の腰を押し、景光は彼をベッドへ押しやった。よろけて手をつく零が振り返ると、その鼻先へ人差し指を突き付ける。
「ゼロは睡眠時間が短すぎる! 社会人だって必要睡眠時間は六時間以上必要なんだぞ」
しかも零の職業は身体が資本。それは本人もよく理解していて、だからこそ食事や運動に関しては人一倍気を使って、それをおざなりにする部下へ助言もしているくせに。どうして睡眠だけは、適当に済ませようとするのか。
「休息はしっかりとっている。睡眠だって……短時間は毎日じゃない」
こんな仕事なのだから、夜遅くなってしまうのは仕方ない。それは景光も理解している。
零の頭へ掛布団を放り、視界を遮ったことでできた隙をついて思い切りタックルする。「ぐ」と息を詰めた零は、不意打ちを避けることもできずにベッドへ倒れこんだ。
陣平と研二が発案した、小さな身体でも零をベッドへ押し込む技である。
「ほら、寝る」
ポンポンと布団の上から胸を叩くと、モゾリと端から顔を出した零は深々とため息を吐いた。
「分かった、分かったから」
降参だと両手を上げる零をじっと見つめ、嘘偽りなさそうだと確信してから景光は彼の上から降りた。そのまま、零の隣に座った。
「おい?」
「寝るまで監視しておく」
零は思い切り顔を顰めた。何か言いたそうに口を開閉したが、景光が譲らないことを察したのかまたため息を吐いて、起しかけた上半身を横たえた。
チラリと枕元の時計を確認し、景光も布団へ潜り込んだ。
並んで寝るのは、小学生以来だ。それも、畳の部屋で遊び疲れていつの間にか寝こけていたような記憶しかないが。気が付くと辺りは夕陽に染まっていて、行儀よく並べられた景光たちの腹の上には、叔母のかけたタオルケットが乗っていた。
今は随分と、体格差も状況も違う。それでも、どこか懐かしさを感じるのは隣に並ぶ存在のせいだろう。
秒針のない時計が、音を立てることはない。じじ、と暗闇で鼓膜を叩くのは自分の血管の音だったり、耳鳴りだったり。目を閉じて逃げていた睡魔の尻尾を捕まえた頃、もぞりと隣の塊が寝がえりを打った。
パ、と景光の目蓋を撫でていた睡魔が逃げていく。右側臥位の状態で目を開くと、薄暗がりの中でも色が分かる金が、すぐ目の前にあった。
この体勢は、覚えがある。メゾン・モクバで寝ていたときも、気が付くと金髪が胸元に寄っていた。恐らく――いや確実に、心臓の音を聞いている。無意識に、命の音を手繰っている。
「……待ってくれ、――」
ポツリ、と耳鳴りだけの部屋に掠れた声が落ちる。景光はそっと腕を持ち上げて、傍に寄る温もりに手の平を当てた。
「……ここにいるよ……もう、何処にも行かない。零」
静かな暗闇の中、胸元に寄った頭がホッとしたように息を吐いた。
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