松萩松編(1)
「あー、ちょっと慣れないなぁ」
随分長いこと手首につけていた、守護の呪いが施された数珠。つい先日、効果が薄くなっていると思ったら、穢れと摩耗で作り直しが必要だと判明。新しいものができるまで、萩原の左手首は軽い状態となっていた。
違和感の拭えない手首を摩りながら、萩原はため息を吐く。
「ハギ」
愛称と共に、背後から伸びた手が、トンとカフェオレの香りがするカップを置いた。萩原が肩越しに見やると、自分の分に口をつけながら松田が隣の席に腰を下ろすところだった。礼を言って、萩原は松田がレジで受け取ってくれたカップを手に取る。
松田は頬杖をつき、街へ出るときは必ずかけるサングラスを少しずらした。
「また触って、そんなに落ち着かねぇかよ」
「え、ああ……まぁ、結構長いことつけっぱなしだったからね」
言いながらまた指でなぞったことを自覚し、萩原は「おっと」と手を離した。「ふーん」と平坦な声を漏らし、松田は半身を萩原へ向けた姿勢のままカップを傾ける。
萩原はぼんやり手を見つめ、それから不意にクククと笑った。
「何だよ、キモ」
「ひど」
ストレートな松田の言葉に苦笑し、萩原はまた自分の手首を右の指でそっとなぞった。
「ここに何もないのは、陣平ちゃんと出会って以来かなって、思っただけだよ」
「……そうだったか?」
松田が視線を外すと、萩原は「そうだよ」とカラカラ笑った。
「忘れちゃった?」
サングラスの色ガラス越しに、松田は外の風景を見つめる。
大通りから一つずれた道沿いにあるこのカフェの隣は、緑に満ちた自然公園がある。大きな樹の作る日陰を飛び跳ねるようにして遊び回る子どもたちの声が、ガラスを隔てたここまで届いてきそうだった。
「……そう簡単に忘れねぇよ」
ポソリと呟く。隣に座る幼馴染は、小さく嬉しそうに微笑んだ。

「全く、どんな使い方をしたらこんなになるんだ」
和紙の上に糸から外した水晶を並べ、降谷は吐息を溢した。彼の背後では、立派な尾に櫛を通す景光がいる。景光は降谷の尾からすいてとった毛束を、伊達に渡した。彼はそれを丁寧に糸車に足していく。
萩原に渡していた数珠は、降谷の毛を紡いで作った糸と、神山の湧き水で清めた水晶を使っていた。水晶は魔除けに、九尾の毛は能力抑制に。摩耗してほつれた糸は一から作り直しだ。水晶の方はどうかと、降谷は一つ摘まんで日に透かした。
キラリと光る透明な粒の中に、亀裂のような模様が見える。一見クラック水晶のようだが、穢れが内に入り込んでしまった結果だ。これは使い物にならない、と降谷は和紙に戻した。
伊達からもう十分だと言われて櫛の手をやめた景光も、シゲシゲと水晶を覗き込む。
「それ、どうするの?」
「次の満月のときにでも処理するさ」
和紙で水晶を丁寧に包み、降谷は小箱の引き出しの一つへしまった。
しかし、と降谷は眉を潜めて口元に手をやる。
「そんな簡単に割れる代物にしたつもりはない。ハギのやつ、どこであんな穢れを拾ってきたんだ?」
「アイツは行動範囲が広いからなぁ」
糸車の手を動かしながら、伊達も首を捻る。
そもそも、萩原が家族に連れられてこの神山を訪れ、降谷が直接あの数珠を渡してから随分と経つ。萩原の成長に合わせて都度、調節はしていたが、あんな壊れ方をしたことは一度だってなかった。
「まさかこれも、百鬼夜行の影響じゃないよな……」
降谷の眉間へ寄る皺が深くなる。きっと今の彼の頭を占めるのは、常日頃から気に食わないと言っている男の姿だろう。それを想像すると景光は、右胸が少し重たくなるようだった。



――何してるの、君?
暗い、光のささない閉め切られた小屋の中。唯一外から開く小窓から顔を覗かせたのは、子どもだった。

「あれ、萩原さんと松田さん?」
「あ、コナンくん」
自然公園のベンチで座ってのんびり空を眺めていた松田は、そんな声に意識を引っ張られた。隣に座る萩原がニコニコと手を振るのは、陰陽寮に居候している少年だった。
「一人?」
「学校の友達と一緒」
コナンが指さす方向では、三人の子どもが走り回っている。鬼ごっこをしていたが、コナンは疲れたので休憩のため抜けてきたのだと言う。萩原に勧められてベンチに座り、コナンは汗で貼り付いた首元を指で引っ張った。
「二人は買い物?」
「デート」
「阿保の言うことは気にすんな」
萩原の言葉をバッサリと斬り捨てて、松田は背もたれに後頭部をぶつける。萩原はへこたれた様子なく、カラカラと笑った。
「俺の買い物に陣平ちゃんが付き合ってくれただけ。今、ちょっと一人で出歩くの怖くてさ」
コナンはチラリと萩原の左手首を一瞥し、「ふーん」と納得したようだ。聡い子どもである。萩原が内心そう呟いていると、コナンの姿を探しているのか子どもたちが声を上げ始めた。
「呼んでるよ」
「えー……」
「さっさと行ってやれよ」
「この公園、ボール使用禁止だからサッカーできないんだよ……」
乗り気じゃないのはそれが原因か。コナンはため息を吐きながらも、渋々ベンチから立ち上がった。
「じゃあね、萩原さん、松田さん」
「おう」
「またね」
駆け出しながら、コナンは二人へ手を振ろうと振り返った。眼鏡越しにベンチへ座る二人を見やった目が、大きく開かれる。青の混じる瞳に、萩原の姿とその背後に立つ男、そしてその男の手から火が付いたままの煙草が落ちる瞬間が映った。
「萩原さん!!」
小さな火種は萩原の背中へ、吸い込まれるように落ちていく。コナンの声で気づいた松田が、慌てて手を伸ばした。それが萩原の襟をつかんで引っ張るより少し早く、ベンチと萩原の間に落ちた煙草がボゥと大きな火柱となって燃え上がった。
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