パラパラと、雨粒が葉を叩いている。傍らの緑を伝って地面へ落ちていく雫を目で追い、赤井は空を仰いだ。
天を覆う木々の間から、雨粒と共に柔らかい陽光が降りて来る。
サンシャワー、狐の嫁入り。この国では、嫁入り行列を人の目から隠すため、狐が降らせる雨だと呼ぶ。この山の管理者は、ただの自然現象だと一蹴していたが。
一度だけ歩いた道の記憶を辿りながら、赤井は足を進める。幾つか岩を乗り越え、木の根を登った頃、目的の風景は見つかった。
アクアマリンをそのまま溶かしたような、深く澄んだ青い池。周囲を取り囲むのは柔らかい苔を生やした岩で、さらに深緑の葉が雨や日光を遮る傘となっている。
岩をクッションに見立てて腰を下ろすのは、この山の管理者である降谷だ。白い一枚の着物姿になっていた彼は、両の足をヒタリと青い水につけていた。
カサリと赤井が足音を立てると、降谷の金の耳がヒクリと動いた。顔を上げて赤井を見つけ、降谷はあからさまに顔を顰める。
「何か用ですか? というか、どうしてここに?」
「何となく、虫の知らせというやつかな」
両腕を組んで、赤井は樹の幹に凭れかかった。降谷は吐息を漏らして、くしゃりと前髪をかきあげる。金の髪に絡んでいた雨粒が、真珠のように辺りへ散らかった。
「部外者が来られないようにさせていたんですけど……木霊は外の人間に甘い」
赤井が真っ直ぐここへ辿り着けたのも、面白いこと好きな木霊のおかげだったらしい。精霊関連には嫌われていなかったことに、赤井は思わず安心してしまう。
「あまり責めてやるな。俺が興味半分で踏み込んだんだ」
「でしょうね。ズケズケと、いつかも土足で踏み込んでくれましたし」
ぽちゃん。水面が揺れる。足首までしか浸けていなかった降谷は、一息に膝上まで池に浸けた。随分、深い池らしい。コナンは溺れてしまいそうだ、と呑気な感想が赤井の頭に浮かんだ。
「君は毎月、七日にはこうして山に籠るだろう? 少し気になってね」
「……あなたも退魔師であるなら、まじないのためと考えなかったのですか?」
「そうだな。見られて困るなら、もっと強い人避けの加護があるだろうと踏んだ」
結果はこの通り。木霊の悪戯程度に破られる人避けは、さして強固なものではなかった。
降谷はため息を吐いた。
「一応山の管理者ですからね。月に一度はこうして加護をかけ直しているんです。……それでなくとも、今月はいろいろと煩わしいことも多かったですし」
金の尾が一つユラリと動いて、別の苔岩を示す。そこにはキラリと輝く水晶の腕輪が置かれていた。山へ加護を与えると共に、友人用の呪具へのまじないもかけていたらしい。
「さっさと百鬼夜行を追い払って、ついでにあなたもこの山を出て行ってくれれば有難いんですがね」
とうとう赤井に背を向けて、降谷は九つの尾を池に浸した。パシャリ、と一つが水を飛ばし、それが彼の肩を濡らす。
金の毛に散らばる雫が、頭上から落ちる日を受けて白く光を放つ。深い緑の中、池の青さもあってそれらすべてが宝石のように見えた。
「――綺麗だな」
「……は?」
ばしゃり。
一際大きな音を立てて、九つの尾が水面を叩いた。水しぶきが随分遠くまで飛んで、赤井の顔まで濡らしていく。赤井が目元の水を手で払うと、振り返った降谷は渋く顔を引きつらせていた。
「急に何を言いだすんですか、あなた」
「俺はいつも正直に生きているつもりだ」
パッと手を払うと、飛び散った水滴が近くの葉を叩いた。
「それに、あの猫又も同じことを言っていた」
「……は? ヒロが?」
ピクリ、と三角の耳が揺れる。
「ああ。長く生きていれば、人も妖怪もどこかしら歪むものだが、彼にとって君はいつまでも綺麗な存在であるらしい」
ふと、赤井は上着まで濡れていることに気づいた。胸ポケットを探ると、そこに入れていた煙草が箱ごとぐっしょりと濡れている。乾かせば吸えるだろうか、と赤井が考えていると、ざぶんと音がした。見ると、降谷が池に頭まで沈んでいる。
「降谷くん?」
思わず声をかけて、これも儀式の一つかと赤井は様子を見守った。ブクブクと泡だけが水面を揺らすこと数分、降谷は慌ただしく池から顔を出し、大きく肩で息をした。
「大丈夫か?」
「……ええ、お気になさらず」
額に貼り付く前髪をかきあげながら、降谷は対岸の腕輪を胸に抱きかかえて池から上がる。耳から頬にかけて肌がほんのり赤らんでいたので、水温が低かったのかと赤井は思った。だから赤井は上着を脱ぎ、濡れそぼった白い着物が張りつく肩にそれを掛けた。
「……何の真似です?」
「禊ではないのなら、別にこれくらい影響はないだろ?」
「要らぬ世話です」
「いつもの羽織もないまま、社まで行くのか? 道中風邪を引いたらどうする」
あの猫又も心配するだろうと付け加えれば、噛みつこうと犬歯を見せていた降谷は渋々口を噤んだ。
肩幅は赤井の方が若干広いのか、降谷はずり落ちそうになるジャケットの襟首を手繰り寄せる。鼻に襟が触れた際、何かに気づいたように眉を顰めた。
「すっかり沁みついていますね、煙草の匂い」
「ああ、すまない。君も苦手だったか」
「まぁ、少し」
投げ捨てられるだろうか、と一瞬思ったが、降谷はクンと鼻を一度鳴らしただけでそんな様子は見せなかった。人の気遣いを打ち捨てるような性格ではないと、赤井はすぐに思い直す。
「いつまで突っ立っているつもりですか?」
行きましょう、と降谷はそれだけ言って、サッサと歩いて行く。赤井は小さく肩を竦め、その背中を追いかけた。
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