たまゆらの音
「ゼロ?」
お八つ時、厨房で拵えた御萩を手に景光は部屋を覗き込んだ。部屋の主は船を漕いでいたようで、景光の声でハッと顔を上げた。
「何だ、ヒロか」
青い瞳は景光の姿を認めると、またトロリと眠そうに溶けた。景光は苦笑しながら部屋へ入り、彼の隣に膝をつく。
「おやつを持ってきたけど、先に休息だね」
文机には、先ほどまで集中して取り組んでいたらしい仕事の後が見える。その隣に御萩の皿を置いて、代わりに空いた手を降谷へ伸ばした。柔らかい頭を引き寄せ、自分の肩口へ降谷の額を押し当てる。
「ヒロ、」
「眠そうな顔してる」
少し抵抗の素振りを見せたものの、眠気には荒げなかったのか降谷はスリと額を擦りつけた。それから景光の胸元へ手のひらを添え、グッと力を込める。「わ」と声を上げる間もなく、景光は腕の中の降谷と共に、彼の柔らかい尾の上に倒れこんだ。
「ゼロ、重いだろ」
ポンポンと肩を叩いてみるが、降谷は小さく呻くだけで景光から離れようとしない。すっかり諦めて、景光はフワフワとした黄金の布団による昼寝の相伴にあずかることにした。胸元に耳を当てるようにすり寄る降谷へ腕を回し、景光も降谷の髪へ顎を埋めた。景光の呼気に触れてか、時折ピクリと動く狐耳が頬を叩く。
まだ景光が人間の姿に化けられなかった頃は、降谷の腕の中にすっぽりと収まって昼寝をしていた。そのことを思い出して、また笑みがこぼれた。フ、と漏れた吐息を受けて狐耳が動く。
「……ヒロ」
「あ、ごめん」
「いい」
モゾリと動いて、降谷は景光の胸元に手を添えた。そこで漸く景光は、降谷が自身の心音を聞いていることに気が付いた。
「大丈夫、生きてる」
神山へ侵入者が現れたという言葉だけ聞いて、周囲の制止も聞かずに妖怪が忌避する匂いを振りまく人間へ飛び掛かって、あっけなく返り討ちにあった、景光の心臓の音を。退魔師の、それも赤井が使用する弾は特別製で、さすがの景光も死を覚悟した。それでも傷は残ったが、こうしてまだ降谷の隣で眠ることはできている。
「兄さんが言ってたよ、猫は魂が九つあるらしい。あと七回は斃れても平気さ」
「そんな、悪趣味なこと言うな、馬鹿……」
語尾が消えていく。降谷の口はとうとう言葉を紡がなくなり、小さな寝息だけが聞こえ始めた。
景光はそっと、金色の頭を撫でた。同じ色でも、髪と尾では手触りが違う。サラサラとした髪を手で掬って溢し、景光はゆっくりと鼻から息を吸う。太陽と森と、水の匂い。降谷の匂いだ。
「……それでも俺は、お前を守れて良かったと今でも思うよ」
起きている時に言えば、絶対に怒られる自覚がある。だから本当に小さな声で呟いて、景光は目を閉じた。
腕の中に抱えた太陽の温もりを、塞がった心臓の穴の上に感じながら。
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テーマ「人外ファンタジー」
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