#6 ××になれる
「武器の密輸?」
赤井は頷いた。
キールからもたらされた新しい情報とは、ジンたちがアメリカから武器を日本に密輸入するというものだった。
「恐らく、今バーボンが行っている爆発事件は、警察の目を引き付ける囮だ」
「それ、緑川さんは知っているのかな?」
「それは分からない……が、知っていたとしてもおいそれと報告はできていない可能性が高い」
「どうして?」
「スコッチは、キュラソーの事件でNOC疑惑をかけられるのが二度目になる。それでもいまだ生きて組織に在籍できているが、首の皮一枚といった状況だろう。そんなときに日本警察が密輸入の情報を掴んだとすると、余計NOC疑惑が濃厚になってしまう」
成程、とコナンは納得する。つまり、これは炙り出しでもあるということだ。もしかすると、バーボンの目立つ動きも、スコッチへの揺さぶりなのかもしれない。
(とすると、やっぱり記憶喪失の線が濃厚か……)
コナンは、盗み聞いたスコッチとバーボンの会話を、赤井に話してはいない。
思案に耽るコナンを見下ろし、赤井は「そこで」とスマホの画面を見せた。
「FBIから、日本警察へ捜査協力を要請する」
見せてくれたのは、ジェイムズへのメール画面だ。
輸出先はアメリカ。FBIが不審な輸出経路を発見し、その輸出先が日本であることを掴んだため、共に検挙してほしい。そういう体で、動きたいのでフォローを頼みたい、と言った内容だ。
「これなら、ある程度ジンたちの疑惑の目を彼らから逸らせるだろう」
「赤井さん……」
「ボウヤ、これでも俺は彼らに情を感じているんだ」
そう何度も行動を共にすることはなかったし、あの一件の後からスコッチとの間に溝はできてしまった。NOCリスト流出事件のときは、縄張りを犯してしまったために、余計仲を拗らせてしまった自覚もある。
「同じ烏に噛みつく狼として、手を差し伸べてやりたいという感情はある」
赤井はそう言って、口端を持ち上げた。コナンはそこでホッと胸を撫で下ろした自分に少し驚きつつ、ならばと一つの提案を打ち明けた。

「FBIから、捜査協力……」
『ああ。捜査一課と協力して取引現場を検挙する運びになった』
風見からの連絡に、諸伏は驚きを隠せない。風見も、気持ちは分かると同意した。
『諸伏、例の爆破事件については……』
「すみません、風見さん」
言葉を遮ると、風見はそれ以上問い詰めなかった。諸伏は机についた手を握りしめる。
「そちらは俺に任せてもらえませんか?」
『……恐らく、そちらは密輸入現場から目を逸らすための囮だ』
「分かっています」
『……まだ上層部はハッキリとあの人の処遇を決めたわけじゃない。無茶をするな』
ギリ、と諸伏は下唇を噛みしめる。ゆっくりと呼吸をし、彼は真っ直ぐ視線を前に向けた。
「はい」



「公安に爆破事件を取られたと思ったら、今度はFBIと密輸組織の検挙?」
佐藤は思わず顔を顰める。先日の一件がまだ尾を引いているのだろう。隣に立つ高木は、苦笑いを溢した。
会議室には捜査一課のメンバーと、以前も合同で捜査したFBIが並んで座っている。思わずキョロと辺りを見回した高木は、佐藤に小突かれた。会議が始まろうとしていたのである。高木が慌てて背筋を伸ばすと、丁度会議が始まるところだった。
FBIが掴んだのは、日時と場所。爆破事件の繋がりも示唆されたときは驚いたが、成程公安が登場しないのはそれが理由かと高木は納得した。爆破事件を取り上げた代わりに、こちらで花を持たせてくれたといったところか。佐藤に言えば「そんな優しいところかしら?」と眉を顰めそうだが。
「相手は銃器を所持している可能性が高い。総員、十分警戒するように」
管理官の言葉に、高木たちは声を揃えて返事をした。
「はい!」

カンカンカン。鉄の階段は音が響く。空を突くように聞こえるそれを耳に通しながら、バーボンは首だけそちらへ向けた。無機質なコンクリートの壁に手をついたまま振り返ると、風が髪を持ち上げて一瞬視界を隠した。その一瞬。カン、と足音が止まる。ハラリと髪が頬の横へ垂れて、視線が開ける。階段の前に立っていたのは、灰色のパーカーを羽織った男だった。
「やぁ、バーボン」
ポケットに手を入れたまま、スコッチは口角を上げる。こんな風に笑う男だったのかという感想が、バーボンの胸中に浮かぶ。それと同時にツキリと頭が痛んだ。
「ご機嫌よう、スコッチ。よくここが分かりましたね」
彼とは挨拶の一度きりのみで、その後は連絡もとっていなかった。スコッチは表情を崩さないまま、スマホの画面を見せて来た。そこには、この辺りの地図が映っている。
「警察学校を中心に、爆発物の発見された場所を点と線で結ぶ。すると、」
言いながら、もう片方の手でスコッチは地図をなぞった。描画アプリだったのか、彼の指が動く跡に白い線が引かれた。警察学校を丸で囲み、その周囲に突き立てられた線が五つ。
「桜の家紋なんかで、よく花芯を表す形が浮かび上がる」
それを基に、残り一つの現場を割り出す。そこに爆発物があることを確認した後、その爆発が見える場所を探した。
「しらみつぶしにはなったけどね」
スコッチはスマホをしまう。バーボンは肩を竦めて、パチパチと手を叩いた。
「よく僕が桜を模したと分かりましたね」
「君は日本警察の鼠だと疑われていたから……意趣返しのつもりだったんだろ?」
「……それと、挑発ですね」
スコッチの方へ身体を向け、バーボンは腕を組んだ。
「以前も言った通り、僕には記憶がありません。鼠だったとしても、覚えていない。そんな僕が堂々とこの国で犯罪行為を行ってみせて、古巣とされている連中はどう動くのかな、と思いまして」
尾行された様子も指名手配される気配もない。肩透かしだと、バーボンはため息を吐いた。
「俺の揺さぶりもあったんだろ? ジンあたりが考えそうなことだ」
「ご名答」
さすが、バーボンより付き合いが長いだけある。
「で、僕を追いかけて来た理由は?」
あれだけ熱烈な――何度も現状を問うメールを送って来ていたから、大方の予想はついているが。
スコッチは軽く目を細めた。
「君と、話したいと思って」
スコッチは、バーボンの予想通りの返答をした。思わず口元に笑みを浮かべ、バーボンは小首を傾いだ。
「……あなたの話は聞いています。僕と親しくしていたと」
「ああ」
「本当にそれだけですか?」
スコッチは視線でその言葉の意味を問う。口元へ手を添えて、バーボンはギラリと探る視線を向ける。
「親しい幹部という間柄だけではなく、例えばそう――同じ巣穴の鼠だったとか」
笑みを湛えたまま、スコッチは答えない。その表情が何故か引っかかって、意味の分からない頭痛に苛立ちが沸き上がった。
「……君は、俺の大切な友だちだった。あの暗闇の中でも、道を見失わない光だった。だから、こうして話したいと思った」
「……それで僕が納得すると?」
思わず、声が上ずった。苛立っていることを自覚し、これではいけないと己を律する。心が波立つ自分とは対照的に、相対するスコッチは凪のように平然としていた。
「どういった言葉なら、君は満足する?」
ズキズキと、頭が痛む。多湿のときは傷が疼くこともあったが、今日は青天。気圧のせいだろうか。だが、どうせここで考えても理由は判明しない。バーボンは頭を振った。
「どうせなら、隠している首輪を見せてほしいですね」
「……」
「どうなんです?」
挑発するように笑みを浮かべても、スコッチは表情を変えない。沈黙を続けるなら、これ以上彼に構ってはいられない。スコッチから視線を逸らし、バーボンは予定爆発地へ視線を向けた。
「君らしくないな」
そんな背中へ投げられた言葉。ザワ、と腹が熱くなった。
「あなたに分かるんですか?」
いや、分かるのだろう。記憶を失くす前、自分と親しくしていた男だ。むしろ分からないのは、自分の方。
「がっかりしたでしょう? 残念に思ったでしょう? 失望したでしょう? あなたの知るバーボンでないことに」
口が勝手に動く。俯瞰視点の自分が、それではバーボンではないと告げている。組織から教えられたバーボンはもっと冷静で、挑発をすることはあれど、簡単に喧嘩を買うような余裕ない人間ではない。そう言い聞かせようとするのに、言葉は止まらない。
記憶を失った時点で、自分はそれまでのバーボンではなくなったのだ。組織が望んだのは洞察力と情報収集能力。それを組織のために使うため、『無』となった自分は教育をされた。
「何もない……何もないんですよ、僕には。キュラソーが全てに染まる白だったのなら、僕は透明だ。なににも染まれない……安室透でしたっけ……ふふ、言い得て妙な名前だ」
「……」
「再教育を受けても、黒には染まり切れない。違和感ばかりが心に残る……その理由を、あなたが持っているのではないかとも思いました」
同時に恐怖もあった。もしその予感が当たって、本当の自分という色を見つけてしまったとき。自分の心に何が起こるのか、分からないそれが怖い。キュラソーは、そんな恐怖などなかったのだろうか。黒ではない、別の色に染まることへの恐怖は――自分が考えても答えがでないことだ。
「何もない……無……ゼロに何をかけても変わらないように、何を混ぜても変わらない。僕には『僕』というものがないんです」
「そんなことない」
きっぱりとした声は、屋上によく響いた。それまで凪のようでしかなったスコッチの雰囲気が、陽炎のように沸き立つ。
「お前は、無なんかじゃない。何にも染まらず、何を掛けても変わらないってことは、揺るがない自分があるってことだろう」
どんな時も、どれほどの暗闇にいても、消えることなく凛と立つ姿。それは、スコッチにとって――諸伏景光にとって憧憬の証であると共に、道標だった。
「俺の知るお前は、そういう人間だった。何も変わってないよ」
眩しい。思わず口から零れそうになった言葉を、バーボンは寸でのところで飲み込み、手で覆った。染まり切れないと言いつつ、自らを取り囲む黒い靄に一筋光が射してきたような、そんな感覚。どうしてそんなことを考えたのかは分からない、ただ組織に属する者としてまずいという感情だけが浮かんだ。
一時差し込んだ光の入り口を、靄が覆っていく。ズキズキと、雨の日のように頭が痛んだ。
「っだから何だって言うんですか」
今度こそ彼から視線を外し、遠くの景色へ目を向ける。スマホで時刻を確認し、胸ポケットにしまう。
定刻まで五分。街で爆破事件が起き、その隙にジンたちは取引を終える。そういう計画だ。それを完遂したとして、果たしてバーボンに色が生まれるのかは分からない。それでも、ここで足を止める選択肢は、バーボンにはなかった。
そのとき、スマホに着信が入った。こんなときに誰だと眉を顰めつつ通話を接続すると、少々焦った様子のウォッカの声が聞こえて来た。
『おい、バーボン』
「なんです? 取引前でしょう」
『FBIの連中にバレた。日本警察もいやがる』
「はあ? またなんで」
そんな馬鹿なと思ったが、ウォッカの声の背景に銃撃音が聴こえてくるため、真実だと判断せざるを得ない。
『情報元の詮索はあとでたっぷりするが、まずはこのうるさいハエの始末だ』
ウォッカからスマホを取り上げたらしいジンが、不機嫌な様子を隠しもせずに続ける。
『そっちはどうなってる』
「予定時刻までもう少しですよ」
冷静を装いつつ、バーボンも焦っていた。まさかここでFBIが出張ってくるとは思わなかったのだ。バーボンはスマホをもう一度取り出して、時間を確認した。
「あと一分……」
爆発物を設置したビルは、ジンたちがいる取引現場より離れている。警察が爆発現場へ急行するのを、想定してのことだ。計画は狂いだしていたが、これから投入されるかもしれない増援を割くために、この爆発は有効だろう。
「三十秒……」
「おい……」
「動くな」
男に顔を向けぬまま、バーボンは冷たく言う。彼の顔を直視しないよう、急所のみ焦点を合わせ、バーボンは構えた拳銃の銃口を向けた。
「!」
「あなたが来ることはある程度、予想できましたしね。鼠だと吐いたらここで始末するつもりだった」
『何だ、やっぱり吐いたのか?』
「いいえ? でもどうせ僕も復帰するんですから、こっちの探り屋はもう必要ないでしょう?」
繋がったままのイヤホンから、ジンの嘲笑する音が聴こえる。ジワリ、と男は警戒する。バーボンはスマホの秒数を確認してから、胸ポケットにしまった。
「あのビルの爆発と同時に眠らせてあげますよ」

「三、二、一……――」

「ゼロ!」

ドォォン。爆発の音がすぐ近くから響いた。バーボンが想定するより、ずっと近く。
「え……」
腕を引かれたため、直撃は免れたものの肌と服は火に炙られて赤く痛みを訴えている。イヤホンから、ジンの嘲笑が聞こえた。
『疑わしきは殺す――幾ら無(ゼロ)になったところで、NOCのお前を野放しにしておくわけねぇだろ』
仕掛けていたのか、爆弾を。当日の待機場所をこのビルに指定したのは、ジンだった。そのときに疑うべきだったと気づいても遅い。
ガンガンと殴られるような痛みと共に、先ほど聞こえた声がリフレインする。
――ゼロ!
パリン、と何かが割れる音がした。バーボンの姿を映した鏡が、蜘蛛の巣のようなヒビを立てて崩れていく。その奥から現れるのは、こちらを、『×××××』を見つめるのは――。
「ひ……ろ……」
「!」
スコッチが顔色を変える。そんな顔もできたのか、と状況を俯瞰する自分が呟いた。
どこかフワフワと、身体と心が離れているような奇妙な感覚のまま首を回す。本当ならば、今頃煙と悲鳴が立ち上っている予定のビル。しかし途切れる筈の平凡な日常は、停止することなく続いていた。
「……」
爆発物は発見され、解体されていた。恐らく、目の前の男の手によって。
一度にビルが吹き飛ぶほどの爆弾は、さすがのジンも用意できなったようだ。代わりに重要な骨組み部分はしっかり破壊したようで、足元が傾いていくのが分かる。
ヨロリとたたらを踏んだ身体を支えるように引いた腕を、振り払う。バーボンは空いた穴の隣、背丈の低くなったコンクリートの壁に手をついた。
「来るな!」
駆け寄ろうとした男を、震える手が構えた銃口で制止する。
「来るな……お前は……」
頭と腕が痛い。それぞれ、別の理由で痛みを訴えている。気を抜けば意識を失くしてしまいそうな痛み。あのときも、そうだった。目の前に立つ男の顔さえ、あのときと同じ――。
「ぁ、あああぁあああ!!」
パァン――。サイレンサーでもついていたのだろう、たいして音は響かない。それでも胸元に当たった鉄は音を立て、灼けるような痛みに息が詰まった。手から拳銃が滑り落ち、ぐらりと身体が傾く。それに伴って視線がとある方向へ向いた。
キラリと、遠くのビルで光るのは、ライフルのスコープだ。あの距離から狙撃できる腕を、バーボンの教えられた知識の中では、一人しか該当者がいない。
(赤井、秀一……!)
生きていたのか、と呟く間もない。はずみで足元に転がったワイヤレスイヤホンが、踏み潰される。踏み潰したのは、こちらへ駆け寄ろうとする男だ。
ズルリ、と壁についていた手が滑り、バーボンの身体は宙に滑りでた。「あ」と言葉が漏れたような気もする。不思議と、死への恐怖はなかった。
「ゼロ!」
ただ、こちらに迫る男への呆ればかりが浮かぶ。
「……捨てて行けって、言っただろ」
人間は、頭から落下する。自然、腕は空へ向かって持ち上がる。それを掴んだのは、同じように頭から落下する男だった。掴んだ手を引きよせて、険しい顔を近づける。
「――できるわけないだろ!」
ともすれば泣きそうなほどに歪んだ顔。ズキズキとした痛みだけが現実を伝えている。
「……ばかだなぁ」
意識を失う瞬間、自分の身体が着地したのは固いコンクリートではなく、ゴムの匂いがする柔らかい何かだった。
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