#5 ぼくらはきっと
正面のスライドに、捜査資料が映る。それを際立たせるために、室内は薄暗く明かりを落としている。
「昨夜未明、東都で爆発事故が発生。死傷者は――」
淡々とした声で告げられていく事故の詳細。痛ましいその内容に、高木は眉間へ皺を寄せた。
事故と報道されているが、実際は人為的なものであるという見方が強い。現場から、爆発物らしき残骸が発見されたからである。それは、嘗て警視庁を騒がせたとある爆弾犯の作成した爆弾と、よく似ていた。
「これが、現場近くの防犯カメラの映像です」
手元の資料を握りしめる勢いで凝視していた高木は、ハッとして顔を上げた。
何てことない夜の町。電灯とポツポツとした店の明かり以外、光源がないため映像自体は暗い。ふと、映像の端で何かが素早く動いた。次の瞬間、映像では奥の位置にある建物が爆発した。
白鳥は映像を巻き戻し、高木も気になったある部分で停止する。映像の端を横切ったのは、人間だった。
「爆発の数分前に、現場から走り去る人影です。走り去る様子から、重要参考人と考えられると思います」
不鮮明な映像が拡大され、処理によって詳細を露わにしていく。ハンティング帽をかぶっている若い男か。帽子の端から零れる髪の色が、彩度調整によって明らかになる――前に、強い光が会議室の後方から差し込んだ。
「誰だね!」
その光でスライドの映像が遮られる。目暮が驚いた様子で訊ねると、足音を高く鳴らしながら入室した男が、警察手帳を開いた。
「警視庁公安部、風見裕也警部です」
「公安部が、何のようかね」
「この案件は、公安預かりとなりました。監視カメラの映像も含め、捜査資料を全て提出していただきます」
ガタリ、と高木の隣に座っていた佐藤が立ち上がった。
「全て!? いきなりやってきて、それはちょっと横暴ではないですか?!」
「これは決定事項です」
佐藤に一瞥もくれず、冷ややかな風見の声が会議室に響く。高木が呆気にとられる間に、風見の後に続いて入室した公安部の部下たちが、目暮と白鳥から資料を回収し始めた。
「いきなり何なんですかね」
千葉も不快感露わに呟く。高木は同意しながら、低い彩度のままの男の映像を見つめる。
まさかこの男が、公安案件に関わる重要人物なのではないか。
そう高木が思い至った瞬間、プチリと映像が消された。



「え、高木刑事たち、捜査できなくなっちゃったの?」
コナンの言葉に、高木は気まずそうに頷いた。元太たちも目に見えて詰まらなさそうに唇を尖らせるので、高木は「しょうがないだろ」とぼやいた。
いつも少年探偵団で遊ぶ公園近くで、爆発事故があった。その影響で公園まで封鎖され、公園で遊べないなら事件について調べよう、といつもの通り元太たちの暴走があり、コナンたちは警視庁までやってきたわけだ。
「まぁ別の部署が捜査してくれているから、そっちに任せて。君たちは別の公園で遊んでおいで」
「はぁい」
さすがに他の部署には親しい知り合いもいない。素直に頷いて、元太たちは警視庁を出て行く。コナンもそれに続こうとして、「高木くん!」というハキハキした女性刑事の声に足を止めた。
「ほら、行くわよ」
「行くって……例の事件ですか?」
「そうよ」
高木の返答を聞く前に、佐藤はサッサと歩き出す。慌てて後を追いながら、高木は「でも」と口を開いた。
「あれは公安預かりにって……」
「黙ったまま持ってかれちゃ、こっちの気が済まないわ」
「で、でも……」
「高木くん、思うところないの?」
カツ、とヒールの靴を鳴らして立ち止まり、佐藤はバランスを崩しかけた高木にズイと詰め寄った。
「現場近くには警察学校があるのよ。このまま見過ごすことはできないわ」

「で、なんでコナンくんまで……」
「小五郎のおじさんも気にしてたから」
佐藤と高木の後をついて歩いたコナンは、二人と共に現場へと来ていた。ニコニコ笑うコナンに、高木は諦めてため息を吐く。それを気にせず、辺りを見回していたコナンは、ふと近くの店に目を止めた。
「あれ、監視カメラじゃない? 何か映ってなかったの?」
「ああ、映っていたよ。爆発前に現場を立ち去る男がね。でもそれごと全部、公安に持っていかれちゃったから」
ハンティング帽をかぶった若い男だということまでしか、高木には分からなかった。
「若い? 帽子かぶってたし、夜の暗い映像だったのに?」
「体格的にそう思ったんだよ。あと服装とか」
「でも、小柄な老人ってこともあるでしょ?」
「髪じゃない?」
高木とコナンの会話に入って来たのは、現場の周囲を一周してくると言っていた佐藤だ。
「ハッキリとは分からなかったけど、随分脱色していたように見えたわよ」
あまり大柄すぎない体格と、明るい髪色。確かに、若い男と推測できる。
フムと口元へ手を添えたコナンは、こちらを射抜くような視線の気配にゾワリと背筋を泡立たせた。慌てて辺りを見回す。視線は、道路の向こうから飛んできていた。
「!」
(緑川さん……!?)
灰色のフードをかぶった緑川は、顔に落ちる影の中からじっとコナンの方を見つめている。やがて、ふいと視線を外して歩き出し、彼は人ごみに溶けていった。
(公安案件の事件だから、様子を見に来たってことか……?)
それにしては、視線が暗くどこか思いつめた表情だった。少し迷ったが、コナンは高木たちに別れを告げ、緑川の後を追いかけた。

「緑川さん」
コナンの声に、緑川は素直に足を止めて振り返った。「やあ」と小さく笑みを浮かべる。コナンが何かを言うより前に、緑川は公園の休憩所を指さした。
「座って話をしようか」
深緑に囲まれたそこは、周りの目が届きにくい場所だ。コナンは頷き、緑川の向いに腰を下ろした。
「捜査一課と一緒にいたってことは、爆発事件のことを聞いたんだね」
意外にも、口火を切ったのは緑川だった。
「うん。でも公安案件だって言われちゃた」
「そっか」
「それって、監視カメラに映っていた男の人が理由?」
コナンは緑川を見つめる。膝の上で組んだ指を見つめる緑川は、暫くしてから口を開いた。
「……君は賢いから、どう取り繕ってもいつかバレてしまうんだろうね。でも、これだけは譲れない。……アイツだけは、俺が止めなきゃ」
ぐ、と手を握りしめ、緑川は低く呟く。しかしすぐ、いつもの『緑川一色』の笑顔を浮かべると「あまり危ないことをしないようにね」とコナンの頭を撫でて立ち去った。
彼の背中を見つめ、コナンはグッと眉を寄せる。
ハンティング帽子に金の髪、そして、緑川の『アイツ』という呼称。恐らく、今回の事件の容疑者とされるのはバーボン――緑川と同じ嘗て警察官であり、潜入中に命を落としたと思われたものの、生還していた男。現在も警察官として扱われているのかコナンには分からないが、元がついても公安部としてはひた隠ししたいことだろう。
そして、緑川としても、看過できない事件であるらしい。
何故バーボンが、日本の米花町で爆発事件を起こす必要があるのか。初めの事件の後も、警察学校を中心として二つの爆発物が発見されている。一つは爆発前に発見できたため、解体できたと報道がされていた。
黒ずくめの組織の幹部にしては、監視カメラに映る迂闊な行動、警察学校付近を現場にする挑発行為は直接的すぎる。
推測としてあげられるのが、赤井のときと同じ撒き餌であるということ。死亡した筈のバーボンの姿を衆目に晒すことで、連なる者の情報ないしは仲間を誘い出そうとしているのではないか。
しかしこの推測は、バーボンがNOCであるという前提条件が必須となる。実際のところ、バーボンが公安部の潜入捜査官だということは、諸伏の態度と赤井の証言しか根拠がない。
しかし、コナンは諸伏の言動や眼差しこそ、バーボンが彼と同じ所属の潜入捜査官であることの裏付けになると信じていた。信じたいと、思ったのかもしれない。
だとして、そんな組織の敵であるべきバーボンが、仲間の筈の警察を挑発する意味とは何か。
日本へ迫る危険を示唆し、警告しているのか。あるいは。
――初めまして、ではないんでしたね。
全て忘れ、組織の一員となってしまったか。

賢い子どもだ。もう少しすれば、諸伏が慌ててかぶせた建前など取り払って真実に触れてしまうだろう。その前に、いや、もっと早く、諸伏自身で騒動を抑え込まなければならない。
ポツリ、と頬に雨粒が落ちる。天気予報では、これから土砂降りになると言っていた。フードだけかぶり、諸伏は木の影でスマホを取り出した。
今朝だしたメールの返信は、届いていない。
『to Bourbon』――宛先の文字を目でなぞる。先日の爆発事件について、バーボンからの連絡は何もない。顔を合わせたのもあのビルのエレベーター前以降、一度もない。今どこで、何をしているのか、何を考えているのか、諸伏には何も分からなかった。
つい先日の魔女の言葉が耳の奥で蘇る。
『あなたが彼の右肩を撃ちぬいた後、組織が回収に来たでしょう? 詳しい経緯は知らないけど、どうやら蘇生措置を施して、それが成功していたらしいの』
バーボンの洞察力や頭脳は、NOCだった場合組織にとっては脅威だ。しかし彼の持つ情報は、そのまま処分するには惜しいと判断された。あわよくばそれを引き出してから、という打算によって蘇生された男は、しかし目覚めるとほぼ全ての記憶を失っていたという。
確かにあのとき、頭を強打していた。その外部的ショックが原因か。
『お陰で組織は情報を引き出せずじまい。その代わりに再教育を施したらしいわ』
今度こそ裏切ることのないように、その才能を組織のためだけに使用するように。
それを聞いた瞬間、目の端が赤く染まって、諸伏はワイヤレスイヤホンを地面へ叩きつけたくなった。微かに漏れた呼気で、世界的名女優には何か勘づかれたかもしれない。彼女は同情的な声色で、しかし奥にからかう色を垣間見せる声で囁いた。
『技術を受け継ぐほどに親しくしていたあなたには、残念なことでしょうね。その片想いが成就することを祈っているわ』
白々しい、と記憶の中のベルモットへ対して内心毒づき、諸伏は目を閉じる。
ベルモットから説明され、本人の口からもハッキリと肯定された。諸伏の希望など、入る余地はない。それでも、諸伏はすべてを風見、そして公安上層部へ報告しなかった。バーボンを――同じ桜の紋に誓った同志を、裏切り者と断罪されないためだ。それでも監視カメラの映像が波紋を呼び、事実確認を急げとせっつかれている。
(考えろ、考えろ)
どうすれば、彼を救える。組織からも、裏切り者の汚名からも保護できるのか。これを果たせなければ、諸伏は今度こそ彼を失ってしまう。
今のままでは、降谷零は日本警察の裏切り者として追われてしまう。例え警察で保護しても、今の状態では組織のスパイとして動かれかねない。それではスコッチである諸伏も危険に晒されてしまう。
トン、と樹の幹に背中をぶつける。懐の固いものが、その存在を諸伏に告げた。パーカーの上からそれを撫で、諸伏は目を伏せる。
(いざとなったら、どんな手を使っても……)
――急功近利。
唐突に、数年顔を合わせていない兄の言葉が脳内に浮かんだ。ガツンと殴られた気分だ。黒い靄に占められていた頭が冴えていき、諸伏は大きく息を吐いた。
「……成功に急ぎ、目先の利益に縋りつくな……」
自らに言い聞かせるように呟き、諸伏は顔を上げた。その双眸には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。

屋上で一人、バーボンは手すりに寄り掛かって空を見上げていた。強風というわけではないが、時折流れる風が、金髪を頬に纏わりつかせて少々鬱陶しい。手で払うこと何度目か、胸ポケットに入れていたスマホが小さく震えた。
「珍しいですね、あなたから連絡なんて。ジン」
耳に装着したワイヤレスイヤホンへ手を添えて応答すると、フンと不機嫌そうな声が聞こえた。
『病み上がりのくせに、随分派手な立ち回りをするじゃねぇか、バーボン』
「目晦ましを依頼したのはそちらですよ」
クルリと反転して手すりに背を預け、バーボンは首を逸らした。薄灰色の雲がかかる空は、彼の瞳よりずっと暗い色をしている。
「全く、病み上がりにとんだ依頼をしますね。あの男のNOC疑惑は晴れたと伺っていますが?」
『火のないところに煙は立たねえんだよ。お前の動き次第によっては、アイツもボロを出すだろう』
ジンからの依頼は二つ。一つが、二度もNOC疑惑の浮上したスコッチの揺さぶりだ。それほど疑わしい男なら、既に頭を撃ち抜いていそうだ。それが、ベルモットたちから聞いたジンという男だと、バーボンは解釈している。しかしそれを差し引いても、ラムとあの御方はスナイパーと探り屋の二面性を持つスコッチを重要視しているようだ。
バーボンが探り屋として復帰すれば、その二面性も価値が下がる可能性はあるが――如何せん、自分は記憶喪失の身だ。暫くその可能性も低いだろう。
「まぁ、確かに以前の僕と親しかったという情報は、間違いないようですね。随分残念そうな顔をしていましたから」
――残念ですか? 哀しいですか? それとも、失望しました?
時折点滅する電灯の下、開いたままのエレベーターにも乗りこまず、覗き込んだ顔。薄く笑って問いかけた男は何も答えず、暗い灰色の双眸でバーボンを見つめていた。
ポーカーフェイスをしたつもりだったのだろうが、バーボンにはその裏に隠されていた感情がよく分かった。これも、自分と彼が親しかった由縁なのかもしれない。
『情が湧いたか?』
「どうでしょう……僕はキュラソーのように記憶のキーがあるわけじゃないですからね。彼がそれに成りえるのだとしたら、よっぽど僕は彼に心を許していたんでしょうね」
すらすらと口から出る言葉は、自分のことながら他人事じみていて薄っぺらい。それをジンも感じたのか、喉の奥で笑う声が聞こえた。
『鼠を鼠と自白させる以外の柵は、こっちには関係ない。ついでに警察の目を引き付けておくことを忘れるなよ』
「それは構いませんよ……指定日以外のタイミングや方法は、好きにさせてくださいね」
『乗り気だな』
「そうですね……」
これも失くした記憶の縁だろうか、何か心が動かされるきっかけが起こりそうな予感があった。
「僕のことはもう好いでしょう。そちらも、くれぐれも失敗しないでくださいね、ジン」
フンと最後にもう一度鼻を鳴らして、ジンは通話を切った。
イヤホンから手を離し、バーボンは目を閉じる。頭から足の先まで撫でる風の感覚が強まり、同時に雨の匂いが鼻をついた。
ふと、脳裏を過ったのは、全てを見透かすような瞳を持った少年の姿。会ったばかりの彼に「悪い人なの?」と問われ、正直にコードネームを名乗ってしまったことは、迂闊だったかもしれない。
「……ベルモットのお気に入りと聞いたので、油断したかな」
復帰したばかりで余計なミスは許されない。そう己を律し、バーボンはゆっくりと目を開いた。
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