#4 謎解きゲーム殺人事件
「……おい、諸伏」
名前を呼ばれ、諸伏はハッと我に返った。応接用のソファで捜査資料を読むうち、転寝してしまっていたらしい。ソファに寝そべる諸伏の顔を、眉を顰めた眼鏡の男が覗き込んでいる。
「あ、風見さん……」
「お前、何日帰宅してないんだ?」
床に散らばった書類を拾い上げ、風見はため息交じりに訊ねる。頭を掻きながら起き上がり、諸伏はグルリと視線を動かした。
「どうだったろう……一昨日スコッチの仕事が終わってから登庁して……」
「一度帰ってしっかり寝ろ」
諸伏が手に取ろうとした書類まで奪い、風見はしっかり脇に抱えてしまう。
「酷い顔をしている。……今のお前を見て、あの人がなんて言うか」
「……」
バーボン――降谷零。諸伏の幼馴染にして、犯罪組織に潜入していた同志。風見は、彼の連絡員として動いていた。今は、諸伏のフォローと連絡員を務めてくれている。
風見より年下であったが上司という立場にあった降谷が、彼とどういう関係を築いていたのか、諸伏は知らない。しかし今でも敬称をつけて呼び、丁寧な言葉で語る様子を見ると、尊敬されるような上司として振舞っていたのだろう。諸伏の知る、降谷零らしいことだ。
俯く景光の肩を軽く叩き、風見は部屋を出て行った。
一人残った諸伏は、膝に腕を置き、大きく息を吐く。
「……明日、ポアロのバイトだったなぁ……」
時刻を示すスマートウォッチを一瞥し、諸伏は目蓋を下ろした。



「バーボンが生きていた?」
灰原は顔を固くし、コナンは神妙な表情で頷いた。
「安室透、奴がバーボンだった」
「そんな……でも、確かに組織は粛清したって……!」
灰原は自身を抱きしめるように腕を回す。彼女に暖かい飲み物を差し出しながら、共に話を聞いていた阿笠も「どういうことじゃ?」と困惑顔だ。
「……バーボンは、スコッチに右肩を撃たれ、その反動で階段から転げ落ちた。その際、後頭部を強打して死亡。そういう話だったらしい。……もし、その後、組織に回収されたバーボンの身体が、蘇生措置を取られていたとしたら……」
「NOCだと言われていたのよ? そんなことをする意味が分からないわ!」
声を荒げた灰原は、新たなる組織の影に怯えている様子で背中を丸める。これ以上彼女とこの話を続けるのは憚られて、コナンは「悪い」と呟いて話を打ち切った。

「俺も?」
緑川が目を瞬かせると、世良は八重歯を覗かせて頷いた。
放課後、制服姿のままポアロに寄った世良は、同じ格好の蘭と園子を伴っていた。テーブル席で和気藹々と話す彼女たちの元へお冷を出したところ、世良に声をかけられたのだ。曰く、今度の週末に謎解きゲームへ付き合ってくれないか、と。
緑川は苦笑いを浮かべた。
「こんなおじさんを誘うより、同級生の男の子を誘ったら?」
女子高生三人と三十路間近の男一人。人によっては通報されかねない組み合わせだ。
「彼氏とか」
「蘭の旦那がいればねぇ」
「園子!」
「真さまも、今は海外の試合で忙しいし。毛利のおじさまは返事がつれないし」
蘭の声をヒラリと掌で叩き落として、園子は悩まし気に吐息を漏らす。真澄は持ち上げていたパンフレットを机に置いた。
「僕は元々二人みたいな人はいないし……それに、男は緑川さんだけじゃないぜ」
「え?」
「コナンくんも誘ったんだ、ね?」
蘭と世良の間でジュースを飲んでいたコナンは、コクリと頷く。
「コナンくんがいれば十分じゃないかな。俺よりよっぽど謎解きゲームの役に立つよ」
「そんな、緑川さんだって探偵助手なんだからクイズなんてちょちょいのちょいでしょ!」
園子の言葉に、緑川はますます困り顔。コナンはチラリと世良を一瞥した。キュッと眉を寄せた横顔は、何とかして緑川をゲームに誘い出したいと物語っている。
ここ最近、緑川はどこか沈んだ様子だった。普段通りの笑顔だが、ちょっとした違和感が世良やコナンといった聡い人間には伝わってしまうのだ。恐らく彼の気分転換を狙っているのだろう。コナンだってそれに協力するのはやぶさかでない。
「このゲーム、5人1チームで動くんだって。人数が足りないとその場でマッチングしてくれるみたいだけど、初対面の人とゲームをするより、緑川の兄ちゃんがいてくれた方が、世良の姉ちゃんたちも安心だと思うな」
それ以上反論が思い浮かばなかったらしい緑川は、小さく吐息を漏らして了承した。

「ほぉ、結構本格的なんだな」
あまりこういったアミューズメント施設は訪れないと言っていた緑川は、内装に感嘆の声を漏らした。
外観は真四角のビルだが、案内された会場はハロウィンの夜をテーマにした装飾で彩られている。星の形の吊るしライト、床はスクランブル交差点を表現した十字の横断歩道。実物よりは小さめだがパトカーを模した大道具まで。
コナンもそれらを見回して、ワクワクする心に浮足立ちかけていた。
入口で渡された謎解き用の冊子を手に、コナンたちは制服警官の恰好をしたスタッフのもとへ向かった。コナンたちを確認すると、バインダーを脇に降ろし、スタッフは敬礼のポーズをとる。
「お疲れ様です。ただいまより、事件の説明をさせていただきます」
謎解きゲームは、ある程度のシチュエーションが用意されている。今回、参加者は私服刑事となって、ハロウィンの夜に交差点で起こった発砲事件の謎を解いていくという設定だ。謎を一つ解くごとに犯人へのヒントが示され、また次の謎がある場所へ向かうといった仕組みになっており、それはこの建物内に留まらず付近の提携ビルにも及ぶ。
「いやぁ、ゲームだと思って甘く見てた。すごいな、これ」
半分ほど進んで冊子を片手に、緑川は呟いた。園子と蘭は提携ビルの階段に貼られたポスターと、睨めっこしている。その隣で、世良はヒントを出している。
既に謎が解けているコナンは先のページを確認しながら、チラリと緑川を見やった。
「ん、コナンくん、どうかした?」
コナンの視線に気づいた緑川が、冊子から目を離す。ニコリと笑ってみせた顔はまだどこかに疲れはあるものの、先日より隈は薄れているようだ。
「緑川さん、最近眠れてないの?」
コナンと目線を合わせるために膝を折っていた緑川は、目を丸くした。それからすぐに目元へ手をやる。
「君に隠し事は難しいなぁ……ちょっと気になることがあってね」
「……それって、大切な人のこと?」
床に目を落としていた緑川の顔色が変わる。見開かれた灰色の瞳がコナンを射抜いて、思わず息が詰まった。
「……君は、本当に……」
切ないような、眩しいものを見るような、そんな風にくしゃりと顔を歪める。続けられた言葉は掠れていて、コナンもすぐには聞き取れなかった。
「解けた!」
園子の大きな声が、階段へ反響する。「次はあそこね」と園子が歩き出したので、蘭は「行くよ、コナンくん」と振り返った。
「あ、うん」
「緑川さんも行こうぜ」
世良に頷きながら、緑川は立ち上がる。彼の背中を見上げて、コナンは先ほど微かに聞こえた言葉を反芻した。
――アイツと、仲良くなれそうだな。

最後の謎があると示されたのは、ビルの一室だ。料理店に見立てる内装のそこへコナンたちが足を踏み入れると、ウエイターに扮したスタッフが二名、何やら困ったような顔を突き合わせている。コナンたちに気が付くと、ウエイターの一人が顔を顰めた。
「あー、いらっしゃいませ」
「あの、私たちここのシェフにお話を聞きに来たんですけど」
蘭が言うと、ウエイターは顔を見合わせた。おや、とコナンは片眉を上げる。イベントの演技にしては、わざとらしさがない。
「すみません、実はシェフがちょっと見当たらなくて……」
「え、次は逃走先を探すの?」
冊子は残り一ページ。後は犯人に話を聞き、証拠を持って元の会場に戻ると聞いたのだが。園子の言葉に、ウエイターは慌てて手を振った。
「違います。実はシェフ役がどこかに行っちゃって……」
本当はこういう言い方はまずいのだが、とウエイターは囁く。成程、遊園地で言えばキャスト役の彼らから、ゲストが聞いてはいない言葉だ。
「あんたたちが代わりに出題だせないのか?」
「出しても良いんですけど……」
ふと、コナンは奥の部屋に並ぶロッカーへ目を止めた。何か違和感があったのだ。じっと見つめていると、それはやがて判明する。
「……ねぇ、そのシェフって、帽子かぶってる?」
「え、ああ、うん」
「それがどうかしたの?」
「あれ……」
コナンは指をロッカールームへ向ける。大人たちの視線が、それにつられてそちらへ向かった。それが何か理解した途端、蘭と園子は目を見開いて肩を寄せ合った。
「きゃああああ!!」
ポタリ、赤い雫を溢すコック帽が、ロッカーの隙間からはみ出ていた。

シェフ役のスタッフの殺人事件は、世良とコナンの活躍、そして緑川のフォローによって無事解決。謎解きゲームは途中棄権の形になってしまったため、園子は不満げな様子だったが、世良はどこか嬉しそうな顔をしている。
「世良の姉ちゃん?」
「ふふ、いや、緑川さん、少し元気になったかなって」
現場に駆け付けた刑事に話を聞かれている緑川の背中を見つめ、世良は「良かった」と呟いた。話を終えた緑川は戻ってきて、スマートウォッチに目を落とした。
「ちょっと遅くなっちゃったかな。帰り大丈夫かい?」
「私たちは迎えが来るから」
「僕も大丈夫、ここから近いしね」
世良はニッコリと笑って、緑川を見上げた。
「また遊びに行こうぜ、緑川さん」
「……機会があればね」
世良はその返答で満足だったらしい。蘭たちに別れを告げて、彼女は軽い足取りで駅へ向かっていく。
「じゃあ、俺もここで。気を付けて帰ってね」
「今日はありがとうございました」
丁寧に頭を下げる蘭に手を振って、緑川も歩き始める。高身長の部類だがスッと人ごみへ溶けるように、その背中は馴染んでいく。
「……すぐ戻るね、蘭姉ちゃん」
コナンはそれだけ言うと、止める蘭の声も聞かずに駆け出した。

コナンたちと別れ、緑川は人ごみに紛れるように気配を潜める。夜の町へと変わりつつある風景を流し見しつつ、そっととあるビルに入った。
電灯のジーという音だけの白い廊下だ。エレベーターの前に人影はなく、緑川はそこで立ち止まって上の階のボタンを押した。
「お見事でした、先ほどの事件」
ビルの中に、声が反響した。緑川は入って来たのとは違う方向へ視線を向けた。影の落ちるそこから、足音を立てながら一人の男が歩いて来る。
金色の髪をハンティング帽子で隠した、若い男だ。
「どうも」
エレベーターへ視線を戻して、緑川は短く返す。男は少し肩を竦めて、緑川から距離をとった場所で壁にもたれかかった。
「あれが赤井秀一の妹ですか。写真で見た通り、よく似ていますね」
「……何か用か? 組織から追加任務があるとは聞いていないけど」
「つれないですね……挨拶ですよ。僕も米花町へ向かうよう指示されましたので、同じテリトリーを任された者として、先輩にはご挨拶が必要かと思いました」
コツ、コツ。滑らかな革靴が、褪せて汚れた床を叩く。緑川の間合いで、男は立ち止まった。チン、とエレベーターが到着を告げる。開くドアをそのままに、緑川は男の方へ顔を向けた。
「初めまして――ではないんでしたね。僕はバーボンです。よろしくお願いしますね、スコッチ」
垂れた青い瞳が、緑川を映す。嘗て、緑川はその瞳が濁る瞬間を見た。見た筈だった。目の前にいる男は緑川の記憶と寸分違わぬ立ち姿で、ニコリと笑った。
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