#3 悪夢からの亡霊
本日は青天なり。眩しい陽光を遮るようにかぶったハンティング帽を少し持ち上げ、空を切り取ったような瞳が街を映す。
「ここが、キュラソーの消えた米花町」



その日、コナンは歩美たち少年探偵団と阿笠と共に、営業を再開した東都水族館を訪れていた。再開したと言っても水族館と一部のアミューズメントコーナーのみで、観覧車はまだ暫く修理中となっている。謎の観覧車銃撃事件の跡は色濃く残っているが、それ以上に来場者の笑顔と声が園内を彩っていた。
イルカのショーを見るのだとはしゃぐ三人を見送りながら、コナンはふと入口横のベンチへ目を止めた。
あの日、彼女を見つけたベンチ――そこに今、ひとりの男が座っていた。ループタイとベスト、手袋まではめたフォーマルな衣装は、水族館では少々目立つ格好だ。セットアップのハンティング帽子の端から、キラキラと輝く金の髪がこぼれていた。
「……!」
コナンの視線に気づいたのか、男の首が動く。パチリ。晴天よりも澄んだ青い瞳と、目が合った。目鼻立ちは日本人のそれに似ているが、肌の色は黄色人種にしては色が濃い。
「わぁ、綺麗な人。外国人さんかな?」
足を止めたコナンに気づいて引き返してきた歩美が、同じようにベンチに座る男を見て頬に手を当てた。
「どうかしたのかな?」
「日本語が分からなくて、困っているのかもしれません」
顔を見合わせて頷き合った三人は、ダッと駆け出す。コナンが止める間もない。困っているかもしれない人がいたら取敢えず声をかける、それが念頭にある三人だ。ため息を吐きつつ、英語ができないなら通訳が必要だろうとコナンも足を向けた。
「おい、灰原?」
「あ、ごめんなさい」
ぼんやりとしていた灰原はハッとして、いつの間にか掴んでいたコナンの袖から手を離す。
「どうかしたのか?」
「いや、何かしら……どこか、既視感があって……」
キュラソーのことを思い出してしまったのかもしれない、と呟いて、灰原は「行きましょう」とコナンを促した。
コナンと灰原がベンチに辿り着いたとき、歩美たちと男はにこやかな笑顔で会話をしていた。
「あ、コナンくん」
「このお兄さん、道に迷っちゃったんだって」
「君たちも、お友だちかい?」
男の口から零れたのは、流暢な日本語だ。癖のない調子に驚いた様子が表れてしまったのか、コナンを見て男はクスリと笑った。
「珍しい色だろ? 血縁に外国の血があるらしいんだけど、僕自身は生まれも育ちも日本なんだ」
「あ、ごめんなさい……」
「気にしないで。この子たちが色を褒めてくれたから」
男が言うと、歩美たちはコクリと頷いた。
「金髪も青い目も、綺麗だね!」
「ちょっとびっくりしちゃいましたけど、お兄さんによく似合ってると思います」
「しかもイケメンだしな」
曇りない真っ直ぐな賛辞に、男は少し照れたように笑った。
「お兄さん、道に迷ったの? どこに行きたかったの?」
コナンが話を戻すと、男は「ああ」と頷いた。
「知り合いが東都に来たことがあるって聞いたから、僕も観光しに来たんだ。観覧車のある水族館と、米花町に。だけど……」
そこで言葉を止めて、男は遠くを見上げる。その視線の先には、工事用の布や足場に囲まれた観覧車がある。
「観覧車に乗れないって分かって、この後どうしようかなぁって考えてたんだ」
ノープランの旅行を恥じるように、男は頬を掻いた。
「じゃあ、案内するよ!」
声を上げたのは歩美だ。彼女は白い手袋に包まれた男の手をとった。
「そうですね、僕たち米花町に住んでいるので、詳しいです」
「兄ちゃんに米花町の名所を教えてやるぜ」
次々と提案する子どもたちの勢いに、男はさすがに戸惑ったように目を瞬かせた。
「え、でも、君たちこれから水族館に行くんだろ?」
「水族館はいつでも行けるもん」
歩美の言葉に、光彦と元太も頷く。戸惑った男が、阿笠へ視線をやる。この場で唯一の大人で保護者であると判断したのだろう。阿笠は苦笑しながら、子どもたちを宥めた。
「ほら、お兄さんも困っておるじゃろ」
「えー」
「兄ちゃんも一緒に行こうぜ、水族館。その後、米花町観光だ」
「えっと……良いんでしょうか?」
「こちらとしては大丈夫ですよ。ご迷惑なら、子どもたちに言い聞かせますので」
男は少し迷うように眉を下げ、視線を左右に動かした。歩美たちは期待のこもった目で男を見つめる。やがて根負けしたのか、男は小さく笑みを浮かべた。
「じゃあ、お願いしようかな」
「わーい!」
途端、嬉しそうに歩美たちは飛び跳ねる。阿笠はすっかり恐縮した様子で、子どもたちの強引さを詫びた。
「そういえば、お兄さんのお名前は?」
歩美が訊ね、まず自分から名乗った。続いて元太、光彦と続き、歩美がコナンと灰原を紹介する。ベンチから立ち上がった男はニコリと微笑んだ。
「安室透。これが僕の名前です」

「安室さん、こっち」
つい先刻知り合ったばかりだというのに、歩美たちはすっかり安室透という男に懐いていた。人懐っこい笑顔や柔らかい雰囲気、丁寧な口調が功を奏していたらしい。水族館を速足に進んでいく元太たちに注意を促しながら、コナンと灰原は彼らから遅れて順路を進んだ。
「灰原、どうかしたのか?」
安室と行動を共にするようにしてから口数が少なくなった少女へ、コナンは声をかける。かぶった帽子に触れながら、灰原は小さく首を振った。
「ちょっと考えてしまっただけよ。……さっきの彼、やけに日本生まれと日本育ちを強調していたじゃない。あの目立つ色のせいで、随分大変だったのかなって、勝手に想像してただけ」
「あ……俺、やっぱり失礼なこと言ったかな」
ポリ、と頬を掻くコナンに、灰原は小さく息を吐いた。
「ま、あの子たちにフォローされたわね。純粋な子どもの言葉って、本当に悩んでいる人を救うみたいだし」
灰原しかり、色のなかった彼女しかり。コナンは、子どもたちに腕を引かれて水槽を覗く安室の横顔を見つめた。ガラスに映る笑顔は、取り繕ったようには見えない。
「……そうだな」

米花町に来たなら、是非ここに行くべきと三人の意見が一致したのは、喫茶店ポアロだ。
「いらっしゃいませー。あら、コナンくんたちじゃない」
笑顔で出迎えてくれたのは、看板娘の梓だ。テーブル席に案内され、元太は早速メニューを開く。ふと、辺りを見回していた光彦が梓へ声をかけた。
「今日は緑川さん、お休みなんですか?」
「そう、今日は一日お休み」
「残念です。緑川さんのハムサンド、是非安室さんにも食べてもらいたかったのに」
残念そうな顔の光彦に、安室は首を傾げた。
「そんなに美味しいのかい? その緑川さんのハムサンド」
「はい!」
力強く光彦が頷くと、お冷を持ってきた梓が小さく微笑んだ。
「今度また食べに来てください。あ、でも店長のケーキも美味しいんですよ!」
続けて、梓は今日のおススメを紹介する。安室は頷きながらそれを聞いていた。
注文したメニューが揃い、子どもたちは行儀よく手を合わせた。
「いただきます」
コナンがフォークを手に取ると、「あー!」と元太が声を上げた。店内で大声を出すなと眉を潜めて指摘すると、元太は向いに座る安室を見つめていた。
「安室の兄ちゃん、食事中は帽子を取らなきゃいけないんだぜ」
「あー……」
フォークに巻いたカラスミパスタを運ぼうとしていた口を閉じ、安室は手を下ろした。
「ちょっと見逃してほしいかな……」
「帽子を取れない理由があるんですか?」
「うん……僕はあんまり覚えてないんだけどね、昔頭をぶつけたらしくて、後頭部に傷があるんだ」
その影響で少し髪も薄くなっているため、あまり人前で帽子をとらないようにしていると、安室は小声で教えてくれた。
「それは……ごめんなさい」
「良いよ、言わなきゃ分からないもんね。それより君たち、行儀作法をしっかりしているなんて偉いね」
安室の笑顔で元太たちは肩の力を抜いた。それからは和気藹々と、食事の時間が続いた。
(頭をぶつけた……)
ナポリタンを咀嚼しながら、コナンは内心首を傾げる。最近、どこかで聞いたような話の気がしたが、それが何なのかすぐには思い至らなかった。

腹も満ちた後は、どこへ案内しようか。安室の前を浮足立った様子で歩きながら、歩美たちは話し合う。安室はニコニコとした笑みを崩さず、子どもたちの様子を見つめていた。
「あ、そうだ、安室さんは――」
振り返った光彦がそう安室へ声をかけた瞬間、横の路地から飛び出した人影が、彼に思い切りぶつかった。
「わ!」と光彦は道に倒れる。咄嗟に腕を伸ばした安室が肩を掴まなければ、そのまま車道へ転がりそうな勢いだった。
「光彦くん!」
「あ、待てよ!」
光彦にぶつかった人影は、詫びの言葉一つなくそのまま走り去る。その様子に元太が憤慨していると、路地から弱弱しい声が聞こえて来た。
「だ、誰か……ひったくりだ……」
スーツ姿の年配の男は、それだけ言うとドサリとその場に倒れこんだ。慌ててコナンが駆け寄り声をかけるが、気絶しているのか反応がない。上等なスーツは砂で汚れ、白い髪の間から赤い血が見えた。鞄をひったくられた際、どこかに身体をぶつけたようだ。
「灰原、警察と救急に連絡を!」
「分かったわ」
頷く彼女にこの場を任せ、コナンは走り去る人影を追いかけた。
「あ、ありがとうございます」
礼を言う光彦を道の端に座らせると、安室はコナンの背中へ視線を向けた。そして、彼も同じように走り出した。

休日の昼時、人通りの多い道を走る大人へ追いつくのは容易ではない。子どもの小さな身体を利用して隙間を抜けても、リーチの違いが出てしまう。コナンの視界で、相手はまた細い路地に飛び込んだ。慌てて駆け込むと、犯人は路地に放置されていたゴミ箱や酒のケースを蹴飛ばしながら逃げていく。
「っ待て!」
ゴミ箱が目の前に飛んできて、コナンは思わず足を止めた。その横を、素早く通り過ぎる影が一つ。
「――え」
コナンは目を疑った。
散乱する障害物を飛び越え、ビルの壁を蹴るように飛び上がり、一気に犯人の頭上に躍り出た一つの影。風圧で帽子が飛ばないように手で抑え、安室は驚いて足を止める犯人の上に着地した。ドサリ、と地べたに倒れ伏す犯人の背中を踏みつけ、鞄を持っていない手を後ろで押さえつける。
あまりに華麗な捕縛に、コナンは思わず口を開いたまま立ち尽くした。
「あ、コナンくん、何か縛れるもの持っているかい?」
ケロッとした顔で肩越しに振り返る安室は、先ほどまでの彼の笑顔と変わらない。黒い鞄を持ち上げて「これがあの人の荷物かなぁ」なんて呑気に呟く姿に、思わず口元が引きつった。
やがて、遠くからサイレンの音が聴こえてくる。

警察の事情聴取に良い印象はないから、と縛り上げた犯人をコナンに任せ、安室はサッサとその場を立ち去ってしまった。米花町の観光が途中で申し訳ない、と歩美たちへの伝言を預かり、コナンは警察が来るまでその場で待機していた。
警察に犯人を引き渡すと、コナンは急いで安室の後を追った。彼が立ち去る際、靴の裏に発信機を取り付けておいたのだ。その反応を見ると、彼はまだそう遠く離れていない。それを追いながら、コナンは灰原へ連絡を入れた。
『あ、江戸川くん、そっちはどう?』
「今犯人を警察に引き渡したところだ。被害者と光彦の様子はどうだ?」
『命に別状はないようよ。一応、二人とも病院へ向かったわ』
「そうか」
動いていた発信機が止まる。
「なぁ灰原、前にスコッチのことを聞いただろ」
『何よ、急に』
灰原の声が小さくなる。近くにいる歩美たちに聞こえないよう、配慮しているのだろう。
「スコッチには会ったことないって言ってたな。じゃあ、バーボンはどうだ?」
『何よ急に……スコッチはミステリートレインで初めて顔を見たし、バーボンにも会ったことはないわ』
「でもお前、スコッチとバーボンは同じ年ごろの男だって知ってたじゃないか」
『全部組織内の噂話というか、世間話で聞いた程度よ。探り屋バーボンには、同年代の親友みたいに親しくしている幹部がいるって』
「それがスコッチか」
『ねぇ、ちょっと、急にどうしてそんな話を』
「悪い、灰原」
走り続けていたコナンは足を止める。人気のない公園だ。その中央に、探していた人物を見つけた。
「後でまた詳しく説明する」
『ちょっと、くど――』灰原の返答をみなまで聞かずに切り、コナンはスマホをポケットにしまった。両手をポケットに入れたまま、ゆっくりと公園へ足を踏み入れる。特に気配や足音を消さなかったのは、既に相手もコナンの存在を認めていると分かっていたからだ。
ドキドキと逸る心臓を抑えつけながら、コナンは彼から距離をとって立ち止まる。空を見上げていた安室は、ゆっくりとコナンへ振り返った。
「やぁ、コナンくん」
日本人離れした風貌、しかし目鼻立ちは東洋系で、使う日本語にも癖がない。金の髪に色の濃い肌、瞳は澄んだ青い色。そして、後頭部をぶつけたことがある過去。
あり得ない、そう囁く声もあったが、あまりにも符号が揃いすぎている。
コナンの鋭い視線を笑顔で受け流し、安室は「どうかしたのかい?」と優しい声色で訊ねた。
「……安室の兄ちゃんて、悪い人なの?」
ス、と青い瞳の瞳孔が細くなった。

スコッチ用で使っているスマホが着信を告げた。町中で、と文句を言いたくなるが小さく息を吐いて、諸伏はワイヤレスイヤホンのスイッチを押した。
『ハァイ、スコッチ』
「ベルモット、何の用だ?」
こんな昼間から連絡してくるとは珍しい。そう揶揄すれば、魔女は電話の向こうで喉を鳴らした。
『あら、折角、赤井の死が確定して意気消沈しているあなたに、サービスで教えてあげようと思ったのに』
「嫌なことを蒸し返してくれるな」
諸伏は苦く歪めた顔を周囲に晒さないように、フードをかぶった。ベルモットは実に楽しそうに笑う。パシャ、と水音がしたので、風呂にでも入っているのだろう。優雅なことだ。内心ぼやく諸伏へ、ベルモットは現在地が米花町かと訊ねた。
「そうだけど」
『そう。ならすぐにでもあの子と会いそうね』
「あの子?」
『喜びなさい。あなたにとっておきのプレゼントよ』
じわり、と何故か嫌な汗が額に浮かんだ。ドクドクと心臓が鳴り始めるのは、ここ数年で培った経験からくる予感か。
『――最も、それは片想いかもしれないけど』
「だからどういう……」
ひたすら道を歩いていた諸伏はふと足を止め、道路を挟んだ向かいにある公園へ視線を向けた。
「――は?」
思わず、声を零れる。魔女はまた笑って『あら、もう会えたのね』と呟いた。
人気のない公園の中に、諸伏もよく知る少年探偵が立っている。その彼と向かい合う、見覚えのある衣装と帽子で身を固めた男は。
「なんで……」
茫然としながらも長年呼び慣れた綽名が口から零れなかったのは、諸伏の意地だった。

コナンの問を受け、男は口元に指を添える。先ほどまでとは違う、コナンも覚えのある光を湛えた瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いた。
「バーボン――これが僕のコードネームです」
過去から蘇った亡霊は、ニコリと微笑んだ。
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