#2 選択の結果
カンカンカン――暗い屋上に甲高く鳴り響く足音。緩みかけた指に力がこもり、逆に押し留められていた力がフッと抜けていく。それらを手の平で感じながら、グルグルと頭から視界まで高速回転するような感覚に陥る。
それは、咄嗟の判断だった。
胸元のスマホには仲間の情報、目の前には同じ狼だと名乗る男、その奥の階段から聞こえるのは誰かの足音。
抑えつける力が弱まったのも手伝って、景光は反射的に目前の男を足で払って倒した。何かを叫ぶように口を開く彼の背へ足を置き、胸元に向けていた拳銃を階段へ。
暗い屋上、動く影が見えた瞬間、引き金にかけた指を折り曲げた。
パァン――。
空気を裂く銃声。
それと一緒に、煌めく金が階段の向こうへ落ちていく風景が、瞬きを忘れた網膜に焼き付いた。

酷い悪夢で目が覚めた。室内にこもる荒い息と肌に張りつく汗が、他人事のように感じられる。起き上がってスマートウォッチに目を落とす。
時刻は午前二時。顔を上げた先の扉から、ノックの音は聞こえない。



「バーボンについて?」
沖矢が訊ね返すと、コナンはコクリと頷いた。
コナンや沖矢――赤井――所属するFBIが追い続ける黒ずくめの組織の、幹部構成員だと判明した男。緑川一色と名乗る彼は、その後もコナンが居候する毛利探偵事務所の下にある喫茶店ポアロでバイトを続けている。
悪い人ではなさそう、というのが彼と接したコナンの感想だ。灰原はまだ警戒しているようだが。ただ、それだけに緑川の思惑と、組織時代彼と親しくしていたというバーボンの存在が気にかかった。
灰原曰く、粛清された『探り屋バーボン』の術を引き継ぐ幹部、スコッチ。赤井は潜入捜査官時代、二人と任務を共にしたことがあると聞いた。
「俺は、二人と一緒にそう何度も組んでいたわけではない。バーボンには『生理的に気に入らない』と一方的に嫌われていたくらいだ」
「へ、へぇ……どんな人だったの?」
「日系人だとは噂で聞いていたが、風貌は日本人離れしていた。言語も幾つか習得していたようだが、日本語に癖は見られなかったから、日本育ちというのは間違いなかったのだろうな」
金の髪に色の濃い肌、瞳は澄んだ青い色。目鼻立ちの彫は東洋系だが、色はまるで違った。
「粛清されたって聞いたけど」
「君の情報網は侮れんな」
まさか隣家の少女から、と明言できずコナンは視線を逸らした。
「NOCだったの?」
「……いや」
そこで言葉を止め、沖矢は珈琲で口内を潤した。
「――あのとき初めにNOCだと言われたのは、スコッチの方だったんだ」
「え……」
当時ライというコードネームで組織に潜り込んでいた赤井の元に、組織から任務の連絡が入った。『スコッチはNOC 粛清せよ』――どういう経路で情報が洩れ、組織がそれを掴んだのかは分からない。数度だけ任務を共にした赤井は、彼がこのまま死んでしまうのは惜しいと思い、保護のために動いた。途中まではうまくいったと思ったのだ。しかし、それが傲りとなったのか。
階段を駆け上がる足音に他の組織の追手が迫っていると勘違いしたスコッチは、極限の状態で選択をした。
そのままライの手を振り払い、自身の胸を撃ちぬいて自決するか。迫る追手を制して、生き残るか。
「そして彼は、後者を選択した」
音に気を取られて力を緩めた赤井を足蹴にし、追手の影が見えた瞬間に引き金を引いた。影の全体像が分からなかったので凡その検討をつけての発砲だったが、真っ直ぐ影の右肩を撃ちぬいた。突然の銃撃に対応できず、影は驚いたまま体勢を崩し、また階段の向こうへ戻って行ってしまった。
「最大の誤算があるとすれば、その影がバーボンだったということだ」
「え……!」
拳銃を奪われたこと、音に気を取られて警戒が疎かになったこと――赤井のミスも大きいことは否定しない。直接の原因も、落下した際に打った場所の悪さであり、運といえばそれまで。しかしあの時影をよく確認せず発砲したのはスコッチで、それを受けた相手はバーボン、それは揺ぎ無い事実となって結果を示した。
被弾の反動で階段下へ落下した身体を、スコッチが慌てて追いかける。少し遅れた赤井は、赤い血だまりの傍らで蹲る彼の背中を見下ろすこととなった。
「NOCとして潜入した先で心を許してしまった相手を、撃ってしまったことによる罪悪感――あの頃の俺は、そういう姿だと思っていた」
「けどもしも、二人ともNOCで、同じ場所から潜入していたとしたら……」
コナンは言葉を止め、くしゃりと顔を歪めた。当時の赤井でも思わず目を逸らしてしまった光景だから、この幼い少年には余程堪えるだろう。
「それでも、後に『自分のNOC疑惑はバーボンの濡れ衣で、そのNOCこそバーボンだった』ということにして潜入を続けているのだから……強い男だ、スコッチは」
それがどこまで厚いポーカーフェイスの下に塗り隠された姿か、赤井には分からない。

薄暗い部屋の中、机の上に分解した拳銃の部品を並べる。卓上ライトだけが照らす手元で、丁寧に部品を磨き上げていく。すべて終えると手早く組み立てる。
ジャキ――元通りになった拳銃を構え、前方の壁へ銃口を向ける。黒い引鉄へ指をかけようとして、ピクリと手が止まった。
「……っ」
ギリリと歯を噛みしめる相貌は、普段喫茶店で接客する優しい笑顔とは似ても似つかない。
どれほどそうしていたか、やがて構えていた手を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
ぺたり、と銃から離した手で自分の頬に触れる。汗と外気で冷えた頬をなぞると、嘗て触れて消えた温もりの感覚が思い起こされるようだった。
――ヒ、ロ。
肩を撃たれて錆びた鉄に床に頭をぶつけているのに、痛みで苦しいのは自らの方なのに、彼は諸伏の方が酷い怪我をしていると言うように顔を歪めていた。頬に触れた手が離れていくことが怖くなって、諸伏はそれを掴んだ。しかし互いに血に濡れていた手は、ズルリと滑っていく。
――『――――』
ゆっくりと動いた口が、紡いだ言葉。諸伏だけが受け取った、最後の言葉。
それを抱きしめるように、そっと膝を立てて諸伏は顔を埋めた。
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