第4話
並盛町、とあるホテル。
森に囲まれたそこは、今はシンと静まっている。時刻は昼を少し回ったところ。ビュッフェや外出で動く人影や声があっても良い時分だが、正面口が開く様子はない。
木々の影に隠れて様子を伺っていた男は、背後にいる部下たちへ向けて顎を動かした。
適当な情報を得られれば御の字とばかり紛れ込ませていた諜報員だったが、かなり有益な情報をもたらしてくれた。ボンゴレが利用し、関係者が何人も出入りしていたホテル。標的がいる可能性が一番高い場所だ。
ホテルを取り囲むように小隊は広がり、合図を待つ。内部に侵入できるなら窓一つだろうと使って、一斉に攻め込む手筈だった。
「作戦開始」
通信機から聞こえる小隊長の声を合図に、灰色の集団は木の影から飛び出した。
――バリ、と何かを突き破るような音がする。
空気の変化に気が付いたのは半数ほどで、気が付かなかった半数はそのまま建物近くまで駆け寄った。その瞬間、ド、と地面から有刺鉄線のように尖った植物が突き出した。近づいていた者たちを貫き、晴の炎の気配を纏った有刺植物は、ドームのようにホテルを覆っていく。
肩や腹を切り裂かれて地面に転がる仲間を見下ろし、無事だった半数はジリと後ずさった。
「これは……!」
状況を理解する暇すらなかった。無事だった幾人かも、横から飛んできた衝撃波を直に受け、吹き飛ばされたのだ。
ハッとして、衝撃波の射程圏外にいた幾人かが振り返る。
ホテルの正面入口に、いつの間にか二人の青年が立っていた。
「フン、どうにか間に合ったようだな」
「極限ひやひやしたぞ」
眉のあたりに傷を持つ青年と、眼鏡をかけた青年。二人とも格闘家なのか、両の拳をテーピングで固めている。
ぱち、と動きやすいように上着のボタンを外し、了平はキリリとした視線を敵へ向けた。
「まさにファミリーを襲う逆境……ここはこの俺が通さん!」
「結局、ホテルを守っているのは僕の森の炎だ。お前だけの力ではない」
紅葉は眼鏡を外して、胸ポケットにしまった。了平は額に筋を立て、紅葉を睨んだ。
「何をぉ! 俺の晴の炎の活性のお陰で、ホテルを覆うことができるのではないか!」
「僕がいなければ、馬鹿の一つ覚えのように敵を殴り飛ばすだけだっただろうが! そもそも、この場所がバレたのもそちらの落ち度だろう!」
「トマトやシャンソンみたいな名前のやつは、俺は知らん!」
「んなわけあるか、ボンゴレの知り合いと聞いたぞ!」
銃を構えた敵は、思わず拍子抜けする。現れた青年たちがそっちのけで言い争いを始めてしまったのだから、しようがない。このまま不意打ちして良いものだろうか、と目配せし合い、青年らの頭を狙った。
銃から放たれた弾は、真っ直ぐに青年たちのこめかみへ向かい――二つの色の違う炎を纏った拳によって握りつぶされた。
「!」
「フン、余計なことに眼を使ってしまった」
呟く紅葉の傍らから、ボクシングの構えをしたまま了平が駆け出す。彼へ銃口を向ける敵の立ち位置と隙のある関節部位を確認し、紅葉は炎を纏った拳を振った。
拳圧と共に伸びた木の葉状の炎が、銃を構える敵の関節を切り裂く。身体の自由を的確に奪う攻撃に為す術もなく、次々と膝をついた。
その間に射程圏内に敵を捉えた了平は、ホテルと自分の間に敵を置き、足を開いた。身体を一つのバネとして、自身の細胞の強みを最大限に生かした動きで拳を振るう。
「――マキシマム・キャノン!」
輝く太陽のような衝撃破は、ホテルを隔てた反対側にいた敵も巻き込んで、木々を薙ぎ倒した。
シュゥ、と煙立つ拳を下ろし、了平は焦げた地面に倒れこむ敵を見下ろす。目の前に聳えるホテルには、傷一つ見られない。
了平はグッと拳を握った。
「よし!」
「このおバカ! 結局僕の炎がなければホテルごと殴る気だったではないか!」
眼鏡をかけた紅葉はグシャリと髪を掻きむしった。



薄暗くシンとしたホテルの廊下。カーペットに足音すら吸い込まれるそこに、一つの影が落ちる。頭まで灰色のフードで覆った小柄な影は、真っ直ぐ足を進めてとある扉の前で立ち止まった。
黒い手袋をした手が、ドアの取手にかかる。そのまま力をこめて扉を開こうとした影は、ふと扉の隙間がキラキラとした何かで塞がれていることに気が付いた。す、と指でなぞると刺すような冷たさがある。氷だと思い至った瞬間、その後頭部を射抜くように銃口が突き付けられたことを気配で感じた。
「悪いな、家主は現在昼寝中だ。ベッドメイキングや掃除は断っている」
甲高い声は、影よりも幼いことを印象づけた。取手から手を離し、クルリと振り返る。廊下の壁際に設置された飾り棚の上に、二人の幼子が腰かけていた。そのうちの片方、黒い帽子をかぶった幼子が、影へ銃口を向けている。
「その氷は特別性でな、簡単には破壊できねぇ。それにその奥は球針体も控えているから、侵入は不可能だぞ」
「……成程、聞いていた通りだ」
影は銃口を向けられても態度を変えず、世間話でもするような声色。十代半ばの少年といったところか。隣で成り行きを見守っていた幼子の片方が、ヘルメットの下で渋く顔を歪めた。
「情報より到着が早いな。しかも一人か。どういう了見だ」
「……アルコバレーノのリボーンとスカルとは、あなたたちですか?」
ピリ、と空気が緊張する。スカルはチラリと横目でリボーンを見やる。リボーンは帽子のツバでできた影に表情を隠したまま、銃口を一ミリもずらさずに突き付けていた。
ジリ、と少年は指を握りこむ。
「守護者へ取次を。伝えたいことがあります」
「交渉か?」
「いえ。この作戦の戦局を有利にするための情報を」
少年の言葉に、スカルはますます顔を顰めた。どういうことだろうと疑問を言葉にしないまま、もう一度リボーンへ視線をやった。リボーンは何かを見定めるように、フードの下に隠れた少年の顔を見つめている。
そこでやっと、少年は手袋をした手を持ち上げて、フードの端を掴んだ。パサリ、と背中へ落とされるフード。その下から現れた顔に、スカルはさっぱり見覚えがない。しかしリボーンは違ったようだ。
「あなたは、この顔をご存知だと伺いました」
「……言ってみろ」
「先輩?!」
思わず、スカルは声を上げていた。しかしリボーンは彼へ一瞥もくれぬまま、じっと少年を見つめる。ほ、と小さく息を吐いた少年は、微かに肩の力を抜いた。彼も余程緊張していたようだ。
「我がボスより、今回の作戦で重要と言える情報を伝えるようにと言われています」
黒髪と灰色の瞳――スカルは知らない、未来の世界で書類越しに対面した青年の幼い顔立ち。緊張感あるやり取りの後ホッと安堵した様子は、嘗て聞きかじった彼の生涯と繋げるにはあまりにもちぐはぐ過ぎた。
グイド・グレコ。彼もまた、未来の記憶を得たことで日本に呼び寄せられた、とある男の駒だった。



港へ向かう道を一台のバイクが走っていた。乗っているのは二人の青年。やがて海が見えてきたところで、バイクは止まる。ハンドルを握っていたスポーツマン然とした体格の青年が、エンジンを切ってヘルメットを外した。
「うっし、この辺りか?」
彼へしがみつくように座っていた筋骨隆々とした青年は、くらくらと揺れる頭を抑えながらバイクから降りる。
「わり、スピード出し過ぎたかな。大丈夫か、カオル」
「いや……」
バイクから降り、山本武は目を回した様子の水野薫を覗き込んだ。漸くヘルメットを外した水野は、それを山本へ手渡しながら息を吐く。
「武がバイクの免許持ってるなんて知らなかった……」
しかも裏道を苦も無く走る様子から、随分運転に慣れている様子だった。山本は水野に預けていた竹刀袋を受け取り、カラカラと笑った。
「免許取ったのは春休みなんだけどな。ちょっと、機会があって中二の頃に」
成程と、水野は得心がいく。きっと、水野たちと出会う前に起こった幾つかの戦いで、そういった機会があったのだろう。元々運動神経の良い山本のことだ、修得するにも苦でなかった筈。
「で、位置情報ってどこら辺?」
竹刀袋を背負った山本が訊ねる。水野は一度携帯端末を確認して、港に立ち並ぶ倉庫を指さした。
「……あの辺り、だと思う」
「どれどれ」
水野の携帯端末を覗き込み、山本もキョロリと辺りを見回す。それから二人で端末に届いた位置情報の示す場所へ向かった。
「あれ、か?」
「取り壊し中、みたいだな」
難解な文章はともかく、地図なら山本も読み違えることはない。しかし位置情報が示していた場所にあったのは、半分ほど屋根と壁を失った倉庫だった。出入りする人影どころか、中を塒にしている犬猫の気配すらない。
元々半信半疑な情報元からのタレコミだったから、偽情報を掴まされたと思うこともできる。しかし、もう一つ可能性があった。山本がここへ来たのは、それが理由である。
「んじゃ、やってみっか」
軽い調子で言って、山本は胸元のチャックを下ろした。外気へ曝したのは、ボンゴレギア。
「――形態変化」
竹刀袋から取り出した時雨金時と山本の服装が変化する。腕を交差させ、山本は二ッと笑みを浮かべた。
「時雨蒼燕流・特式十二の型――左太刀、霧雨」
物体を切り裂く以外の目的で繰り出された衝撃波が、崩れかけの倉庫を通り過ぎて行く。風のように小雨のように撫でた剣撃を見送り、山本はもう一太刀を構えた。
「次郎の嗅いだ幻覚を斬れ――右太刀、斬雨」
もう一方から放たれた剣撃は、雨が降る前の燕のように地面から上空へ向けて滑って行く。
バチン、と音が鳴り、半壊の倉庫を包んでいた幻覚のシャボン玉が割れた。
現れたのは、煉瓦造りの倉庫。屋根も壁も穴が空いた様子はなく、入り口には見張りらしい人間二人の姿も見得た。
「! 幻覚が、破れた!」
銃を手にしていた二人は、自分たちの周りを包んでいた幻覚が破られたことを感じ取り、慌てた様子。
「ビンゴだったな」
「ああ……情報通り、あそこがアジトらしい」
山本はニヤリと笑いながら、耳につけた通信機へ情報が正確だったことを伝えた。水野もシモンリングを解放し、ドリル状の武器を構える。
そこで漸く、見張りたちも山本と水野の存在に気づいたらしい。一人が、倉庫内にいる仲間へ伝えようと踵を返す。もう一人はその場にとどまり、水野たちへ向けて銃を構えた。
ド。轟音が倉庫を揺らす。
一歩二歩踏み込んだ水野が、銃を構えた方ごと見張り二人と扉を武器で押し込んだのだ。
「……何人来ようが、関係ねぇ」
崩れた扉の向こうで、数十人ほどの男たちが突然の襲撃に驚いている。武器を下げた水野の背後から、山本が部屋の中へと飛び込んだ。
「時雨蒼燕流・攻式八の型、篠突く雨」
奇襲に反応できないでいる集団の前に踊り出て、山本は一太刀剣を抜く。地面に叩きつける雨のような斬撃が、敵を一掃した。
雨のような斬撃の中、赤い飛沫は一度も床を濡らさない。
山本のリーチから外れた敵を激流の如く押し貫いていた水野は、それを察し「武らしい」と呟いた。
「ん? 何か言ったか、カオル」
「……いや、何でもない」
押し入った入口から見える場所には、動く人間はもういない。倉庫の奥や二階の方で動く気配を感じ、山本は曲げていた膝を伸ばした。
「うっし、取敢えず、俺たちの役目はここの制圧だな」
「……ああ。エンマたちのためだ」
二人は頷き合い、倉庫の奥へ向けて駆け出した。



重低音が、森の中でこだまする。エンジンを切り、黒い裾を翻した男がバイクから降りると、それを待っていたかのように一羽の黄色い小鳥が飛んできた。ス、と差し出された指を止まり木にした小鳥は、よく動かした羽根を労わるように嘴を差し入れる。そうして小鳥が毛繕いをするうちに、男はその足についた発信機兼小型カメラの番号を確認した。小鳥が満足して顔を上げる頃、男はジャラリと鳴るブレスレットをした左手を脇に垂らし、森の奥へと進んでいった。
男が消えて数分後、別の影が森の入り口に現れた。
「……これは」
鈴木アーデルハイトは、不自然に森の入り口に置かれたバイクへ目を止め、それが知人の持ち物であることを確認した。
「あの男は、もう向かっているということか」
ある意味、予想通り。アーデルハイトは小さく息を漏らしつつ、舗装されていない山道へ足を踏み入れた。
彼女の目的地は、獣道を幾つか曲がった先にあった。先に入った男が幾つか邪魔な木の枝を折ったらしく、そのおかげもあってあまり迷わずに済んだ。
そして彼女の予想通り、目的地では既に乱闘が始まっていた。
「……私の出番はなかったかしら」
森の中にポツンと建つ小屋。簡易テントが周囲に乱立するそこは、現在ボンゴレとシモンの総力で迎え撃っているとあるファミリーの隠しアジトだ。
元々、アーデルハイトに与えられていた役割は、敵アジトの発見と壊滅だった。しかし、そこはとあるルートから齎され情報を基に、山本と水野が向かっている。アーデルハイトは引き続き自己判断による個別行動の続行が許され、勘と敵の動向による推理によってこの森に辿り着いたというわけだ。
そういったことによる嗅覚は、雲雀恭弥の方が優れていたようだが。
「さて……」
鉄扇を広げたものの、どうしたものかとアーデルハイトは崩れたテントを見回す。取敢えず中心の小屋へ向かおうと足を踏み出した。そのとき。
――ガキン。
「っ」
背後から放たれた弾丸が、真二つに割れて地面へ落ちる。アーデルハイトは振り向くこともせず、スタスタと足を進めた。
テントの影から引鉄を引いた男は、彼女の背後に現れた氷の彫像に頬を引きつらせた。アーデルハイトと瓜二つの彫像が、隠れていた男を見つけて、腕と一体化している刃を振り上げた。
「随分派手にやったものね」
傾いた扉を蹴飛ばして、小屋の中を覗き込む。カーテンを閉め切って薄暗い室内で、その男は床に寝る人間の背中に足を乗せていた。意識を飛ばして肉袋と化した物体は、アーデルハイトを一瞥した男に顎を蹴り上げられ、壁際に転がって行く。
「何してんの、君?」
「恐らくはあなたと同じ目的かと」
「僕は風紀の執行に来ただけだ。こいつらは並盛を荒らしていたからね。僕の獲物だ」
「あなたの獲物かどうかは関係ない。私は腕章にかけたもう一つの誇りを守りに来たのみ」
じっとアーデルハイトの瞳を見据えた雲雀は、「ふうん」と小さく呟いて視線を外した。
「小動物たちの、ね」
それから彼は懐へ手を差し入れ、何かを取り出した。数枚の書類をホチキス止めしたらしいそれを、雲雀はアーデルハイトへ投げつけた。
「これは……?」
「くだらない溝鼠の戯言。……全く、いけ好かない男の名前を見るはめになった」
眉を顰めるアーデルハイトを一瞥もしないで、雲雀はスタスタと小屋の奥へ進む。
一部屋しかないと思われた小屋には、もう一部屋あったようだ。隠されていた筈の扉は、雲雀が暴れたことによって容易にその奥を覗かせていた。
書類に少し目を落としたアーデルハイトは、その柳眉を殊更に顰めた。そして奥の部屋へ消えていった雲雀の後を追って、彼女もそこへ足を踏み入れる。
殺風景な部屋だった。研究器具で溢れていた先ほどの部屋とは違い、机も本棚もない。あるのは、壁に飾られた旗のみ。杯を掲げる灰色の鼠のような紋は、今回アーデルハイトたちが迎え撃ったマフィアの紋章だ。
「グリージャの……?」
雲雀はその旗を、草でも毟るように手で掴んで床に落とした。
「!」
赤いペンキで書き殴られた文字。それは、変遷する時代の波に馴染むことができず、プライドを捨てられず、霧の中へ消えていったとあるマフィアを示すものだった。
「――【estraneo】」
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