第2話
どうぞ。ごめんなさいね、今お茶しかなくて」
「お構いなく」
奈々の差し出した湯呑を受け取り、入江正一と名乗る息子の友人は会釈を返した。彼と一緒に訪問してきた白蘭という白い青年は、居候のフゥ太と楽しそうに話をしている。
白蘭は分からないが、入江は聞けば有名な進学校に通っているらしい。そんな子がどこで息子と知り合ったのだろう、並中出身だったのかしら、と奈々はぼんやり考えながら頬へ手をやった。
「本当にごめんなさいね、ツナ、イタリア旅行へ行って、まだ帰っていないの。向こうでトラブルがあったみたいで、飛行機の予約がとれないんですって」
「それは大変ですね。僕らもすみません。事前に連絡も入れずに来てしまって……」
「代わりにフゥ太くんに遊んでもらうからお構いなくー」
「白蘭さん!」
入江が慌てたように白蘭を諫めるが、奈々はフフと笑って「ごゆっくり」とダイニングキッチンの方へ戻った。
「……はぁ」
奈々が家事へ戻ったことを見届け、入江は大きく息を吐いた。フゥ太とじゃれていた白蘭は頬杖をつく。
「心配性だなー、正チャンは。大丈夫だって。囮を貸したんでしょ?」
「別にそっちは心配していませんけど……幾ら人手が足りないからって、たまたま日本にいた僕らを護衛にするなんて、と思って」
十年後でも入江は純粋な戦闘力ではなく、知略とメカニック能力を以てしてのし上がっていた。高校1年生の今もそれは変わらない。一応、何かあったときのためにと晴属性のリングを所持してはいるが、それも治療目的だ。
「僕は白蘭さんが獄寺くんたちに手を貸すと思ったのに……」
「僕も初めはそのつもりだったけど、リボーンくんに止められちゃってね」
「リボーンさん……」
机に顎を乗せたまま、入江は眉を顰める。彼なりに黒衣のヒットマンの思惑を読み取ろうとしているのだろう。白蘭は何となくわかる気がしていたが、深く考えるのは面倒だったので既に諦めている。
「ま、外の警備は桔梗と彼に任せて、僕らはのんびりと戦果報告を待とうよ」
白蘭は腕を枕にゴロリと寝転がる。すると顔を上げた正一が、他人の家で行儀が悪い、と顔を顰めた。



奈々への挨拶を済ませて早々、桔梗は沢田家の周囲を取り巻く空気に眉を顰めた。一人玄関先に残った彼は、辺りへ視線を向けて、壁の僅かな凹凸に足をかけた。トントンと階段でも上るような足取りで、沢田家の屋根に飛び乗る。
「あなたは……」
そこにいた人物を見て、桔梗は思わず目を丸くした。ゴロリと屋根に寝転がっていた少年は、重たい頭を桔梗へ向ける。それからピシリと人差し指を持ち上げた。
「あー、あなたはー……見たことある人ですねー」
「……桔梗です」
桔梗が名乗ると、そうだったかもしれない、とぼやきならが、林檎の帽子をかぶった少年フランは身体を起こす。
「どうしてここに? この家を囲んでいる霧は、あなたのですね?」
「ミーは師匠に言われて仕方なくですー。そちらもどーせ、ボンゴレ絡みなんでしょー?」
「師匠……六道骸、ですね」
意外だと桔梗は思った。霧の炎による目隠しならあのクロームという少女か、それでなくても護衛として戦える他の者がいると予想していたからだ。
「犬にーさんたちも、沢田綱吉の知り合いの家へ向かわせられていますしー。まー、ミーは特に戦う気はないんでー、こうして昼寝していたわけですー」
そう言うと、フランはゴロリと寝返りを打った。まるで自宅のベッドにでもいるような寛ぎようだ。それでいて沢田家を囲う霧の幻術は緩んでいないのだから、さすがは六道骸の弟子と言うべきか。
白蘭も恐らくフランの存在には気づいていただろう。それでも桔梗にこうして警備を命じたということは。
「……仕方ない、私もフォローしましょう」
「あ、じゃーお任せしまーす」
「……あなたもやるんです」
渡りに船とこちらへ押し付けて屋根を降りようとするフランの襟首を、桔梗はひっつかんで押しとどめた。



並盛町、某所屋外カフェテリア。
バン、と勢いよくアイアンテーブルにグラスを叩きつけたのは、髪を切り揃えた女性だった。
「男は金! 一も二も! まぁ三くらいに顔があっても良いけど」
それに頬を膨らめて反論したのは、髪を一つに結んだ少女だ。
「ラブフォーオール、オールフォーラブです! 愛の力があれば何だって乗り越えられるんです!」
少女の言葉に、女性はハッと鼻を鳴らす。ますます少女は頬を膨らめ、ギギギと相手を睨んだ。
そんな二人の間に入る形で円形の机に向かっていたフワフワとした少女と花の刺青を持つ少女は、のんびりとメニューを眺めている。
そんな少女たちの様子を、少し離れたテーブル席から眺めていた犬は、ストローを齧りながら嘆息した。
「ったく、呑気なもんらぜ」
「犬、行儀が悪い」
眼鏡の位置を正しつつ、千種が諫める。犬はベエと舌を出して、背もたれにかけていた腕を下ろした。犬が斜め後ろへ向けていた身体を正面へ戻すと、丁度向いに座っていたγが深く息を吐くところだった。腕を組んで目を閉じているが、警戒は解いていない。女友達と談笑する己の主へ異変が起これば、すぐさま飛び出す用意ができている。
この男がいれば、自分たちは必要ないのではないか。MMも護衛対象らと意気投合しているようだし、幾ら慕う男の指示だとしても、こんなところにいる意味はないような気がする。歯で摘まんだストローをプラプラと揺らし、犬は背もたれに身体を思い切り預けた。
そうして喉を曝して見上げた空は、青い。
「――」
クン、と鼻が動いた。火薬の匂い、砂の匂い――これは、戦いの匂いだ。
微かであるから、少女たちが気づくことはないだろう。それを嗅ぎなれた者か、特別に鼻がよい者でなければ気づかない。この場で言うならそれは犬や千種、そしてγであった。MMがどうかは分からない。恐らく気づいたと思うが、それよりもハルとか言う夢見少女との論争に夢中であるから、確実とは言えない。
γは目蓋を持ち上げ、不機嫌そうに眉を顰めた。己の大切な主がいるこんな時に始めるなんて、と内心毒づいているのだろう。
犬は上向けていた顔を下ろして、隣の同胞へ視線をやった。
「……柿ピー?」
思わず、名前を呼ぶ。
ぐしゃりと掴まれ、皺の寄ったニット帽。千種はこみ上げる吐き気を堪えるような顔で歯を食いしばっていた。テーブル上に残ったもう片方の手もギュッと握り閉められている。
「どーしたん?」
「……犬」
いつもは冷静な彼が、珍しく唇を震わせている。身を乗り出して千種の顔を覗き込んだ犬は、そこでまたクンと鼻を揺らした。そして気づく。
「……は?」
ヒクリ、と頬が引きつった。溝鼠のような臭いが、脳の奥に押し込んでいた記憶を引き上げる。犬は思わず、項垂れるように身体を丸くする千種の肩へ爪を立てた。
二人の様子を見て、γは不思議そうに首を傾げる。
犬はようやっと、六道骸が何故斥候でも索敵でもなく一般人の護衛に二人をやったのか、その意味を理解した。



RATTO-C――そう無線で呼ばれた少年の一人は戸惑った。
彼は対象へライフルの照準を合わせ、スコープからその一挙一動を逃さないようずっと監視していた。その指示があればすぐに撃ちぬけと命令されていたが、それにしては命令の声が切羽詰まっていたのだ。何があったのだと問い返すが、無線からそれ以上の応答はない。
傍らで別の対象に狙いを定めていた少年が、指示が出た以上それに従うべきだと言った。そして引き金にかけた指へ力をこめたその少年は、ふと動きを止める。パリリ、と空気中の塵を伝って緑色の線が走ったように見えたのだ。彼は思わずスコープから目を離し、その線を視線で追った。
「――volpe?」
緑色の毛並みを持つ狐の姿を視界に収めた途端、身体の芯を走ったのは電流の痛み。悲鳴も上げられぬまま硬直した少年は、ライフルを取り落とした。
カラン、と音が鳴ったそちらへ、視線をやる者はいなかった。その場にいた半数は同じように雷撃を受け、もう半数は突如として起こった脳を絞めつけられる感覚に悶絶していたのだ。
パタパタと倒れて行く狙撃部隊。その中で、唯一立ったまま深く息を吐いたのは、中華服の少女だった。
「……餃子拳」
肩にやっと届くの黒髪を二つに結んだ幼い少女――イーピンは腰の横へ拳を並べた。
ピュウと口笛を吹いたのは、物陰に隠れてイーピンの手腕を見守っていたシャマルだ。白衣のポケットへ手を入れた彼は、のんびりとした足取りで歩み寄って辺りを見回す。
「上出来、上出来。さすが将来有望なお嬢さんだ」
「……まだ、これくらいじゃ足りないです。γさんのフォローもあったから」
普段より随分固い表情で言って、イーピンは手を下ろした。シャマルは少し肩を竦め、ポンポンと彼女の頭を撫でた。
「その年にしちゃあ十分だ」
シャマルからしたら、まだ十代半ばであれだけの戦力を有する彼らの方が可笑しいのだ。少し目を離した隙に、どれほどの『死ぬ気』を経験したのか。こっそり苦く口元を歪めて、シャマルはイーピンの背を叩いた。
「ほれ、京子ちゃんとハルちゃんたちのところへ行ってやれ」
「でも……」
「後のことはおじさんに任せなさい。頼まれたのはあの子らの護衛なんだろ? だったらもっと近くにいた方が良いし、何よりあの子たちが心配して探してる」
シャマルが親指で少し離れた場所を示す。そちらへイーピンが視線をやると、確かにキョロキョロと辺りを見回す二人の姿があった。
餃子拳を使ったのは、服に泥や汚れが付かないようにするため。チラリと自分の恰好を見直して不審な点がないことを確認すると、イーピンはシャマルへ頭を下げた。それからピョンと飛んで、京子たちの元へ向かっていく。
まだ小さく柔らかい背中を見送り、さてとシャマルは足元に転がる少年たちを見下ろした。
何れもシャマルの教え子と同じか少し上くらいの年齢だろう。つまり、十代半ばの少年ばかり。それがユニフォームとでも言うように、揃いの灰色のパーカーを着ている。
シャマルは膝を折って、一番近くで気絶していた一人の襟元を寛げた。そこへ予想通りのものを見つけ、思わず舌打ちが漏れる。
「……あの眼鏡のガキの態度はこれが原因か」
大きく溜息を吐き、シャマルはガシガシと頭を掻いた。
「全く、痛い目を見たこと、もう忘れちまったみたいだな。あー、やだねー」
また面倒なことに巻き込まれてしまった、とシャマルはゲンナリと口をへの字に曲げる。
チラリ、と視線をやった先は、少し離れた喫茶店のオープンテラス。そこで少女たちがニコニコと楽しそうに談笑する姿を見ると、まあもう少しただ働きをしてやっても良いかもしれない、とシャマルは思うのだった。
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