第1話
並盛町は小さい町だ。高い建物も少なく、ちょっとした高台に登れば大体の裏路地まで見渡せる。そんな町で子ども二人を探しだすことなど、イタリアの入り組んだ裏路地に精通した人間には容易いことだ。
商業ビルの上からスコープ越しに道を見下ろす。丸いレンズに収まったのは、栗色の髪の子ども。護衛もつけずに、一人でトタトタと歩いている。
「見つけたぞ、対象Aだ」
「こちらラットD小隊、対象Aを発見」
ビルの屋根に乗っていた一人が呟けば、それを聞いた傍らのもう一人が通信機へ報告する。ザザ、と砂嵐の音がして通信機から対象を確保するようにとの声が聞こえた。
「電波が悪いな」
「通信に問題はないようだから気にするな」
それもそうかと報告した一人は納得して、通信機のボタンから手を離した。
「それより対象の確保だ」
男たちは、揃いの灰色のジャケットのフードをかぶる。
対象Aは中々の手練れだと噂されている。あの有名な暗殺部隊のボスを、拳で吹っ飛ばしたと言われているほどだ。見た目には、とてもそうは見得ない。イタリアの同じ年ごろの子どもより、随分小柄で幼い容貌をしているせいかもしれない。そんな彼は今、手負いと聞いた。怪我なのか病気なのか、詳しいことまで諜報部隊は掴めなかった。そこはさすが天下のボンゴレの情報統制力といったところか。
「対象Bも発見したらしい。これから町に、一般通信機の電波を妨害するジャミング電波を流すそうだ」
「了解した」
互いに視線だけ交わし、男たちはビルの上から飛び降りる。赤や青の炎を放ち、落下スピードを調節しながら着地する。大きな音を立てずに道路へ降り立った男たちを、見とがめる通行人はいなかった。
「あれ、電波が悪いな」
すぐ背後を男が通り過ぎても、そんなことを言って携帯端末を振っている。男たちも自然な動作で、先ほど子どもが曲がった道へ足を向けた。
「ん?」
少し進んで、男たちは足を止めた。別の方向から回り込んだ者たちも、眉を潜めて立ち止まる。子どもを追いかけ、追い詰めるつもりだった。しかし、その子どもの姿がどこにもない。事前に調査した際、ここは一本道だったと記憶している。
「どういうことだ?」
小隊長が不機嫌を声に乗せた。しかし他の男たちにも答えることはできない。顔を見合わせる仲間たちの背中を見る位置にいた男は、ふと辺りを見回した。
風景が微かにぼやけたように感じたのだ。薄い白を流し込んだような――いやまるで、薄い霧でもかかり始めているような。
「nebbia……?」
パチリ、と一つ瞬きすると、目の霞のようにその白はかき消えた。今のは何だったのだろう、とこの小隊では一番の下っ端は呑気に首を傾げる。彼がそんなことをしているうちに、何やら前方が騒めいた。
「あれは……!」
仲間たちの間に緊張の糸が走る。その肩の合間から顔を覗かせた男も、いつの間にか現れた二人組に警戒心を高めた。
どっしりとした体格の青年と、その傍らに寄り添うように立つ幼い子ども。彼らの顔を、下っ端である男も見たことがあった。今回の任務の事前情報として、ファミリー内で共有されていた情報の一つ。
シモンファミリーとボンゴレファミリーの、十代目守護者たちである。



目の前に並ぶ灰色の集団。囮に誘き寄せられ、別の方向からも集まって来る。
コクリと唾を飲みこみ、背中へバズーカを括りつけるための紐をギュッと握った。緊張した面持ちのランボを見下ろし、らうじは小さく笑う。
「いけるか、ランボ」
「ふ、ふんだ。らうじのくせに、ばかにすんな」
ランボはまだ幼さの残る顔でツンとそっぽを向く。クスリ、とらうじは笑みを落とした。
それが合図だったわけではないが、辺りの風景がサラサラと解け始める。集団は驚き、キョロキョロと辺りを見回している。それもその筈、彼らが町中だと認識していた場所は、建物一つない岩場に変わってしまったのだから。
「幻覚……!」
それに気づいた一人に続き、集団はすぐにその場を離れようとする。逃がさない、らうじは眼光を鋭くし、その足で強く地面を踏み込んだ。
ズシン――山が揺れたような音と威圧感。集団は足を止め、らうじたちへ目を止めた。
バサリと上着を脱ぎ捨て、らうじはリングへ力を込める。噴火する山の如き炎が、口元に装着したマスクから牙となって燃え上がった。
「うわあ!」
集団は驚き、ジリリと後ずさる。シモンの戦闘パターンについて、彼らは情報を集めきれていなかったようだ。ならば、ランボについては殊更データがない筈である。
コクリと唾を飲みこみ、ランボはポケットの中の緑色の立方体を確かめた。
まだ幼いランボ用に、タルボが白蘭や正一たちと共同製作したこの時代唯一の匣兵器。兵器と名ばかりで、単に保存用の名目が大きい。七歳児には重く持ち運びにくいヘルムを、常時身につけておくためのものだ。ランボの炎の波長にのみ反応するリングが、それを開く鍵となる。しかし、まだランボはそれを開かない。七歳児のランボにも、ヘルムはまだ大きくて重く、扱い辛いのだ。これは、もう一つの武器と併用する第二の武器。
「――サンダーセット」
パチ、と静電気に似た軽い音が辺りに響く。単発で鳴っていたそれはやがて連なる音に変わり、白い電流となってランボの角に集まった。
急に電気を身体に貯め始めた子どもの姿に慄く集団。逃げ出そうとする幾人かを叱責し、小隊長らしい一人が銃を構えた。
「餓鬼に何怖気づいてやがる!」
男の指が引き金を引く。放たれた弾丸は晴の炎を纏いながら、真っ直ぐランボへ向かう。しかしその前に突然隆起した地面によって阻まれた。
「!」
「うああ! 道が!」
瞠目する男の背後で、若い隊員が情けない声を上げる。振り返って見ると、いつの間にか集まった小隊連を取り囲むように壁ができていた。人の手で丁寧に整えられた壁ではない、無理やり地面を隆起させたようなゴツゴツとした山壁。こんな炎の能力は、聞いたことがない。
壁に気を取られていた男は、懐へ近づいた小さな気配に気づくのが遅れた。ハッとしたときには、構えた拳銃よりも男の心臓に近いところへ立っていた。
「俺っちの角は、百万ボルトだもんね」
「……!」
ばち、と緑を帯びた電流が、ランボの角から炎のように立ち上がる。
「エレットゥリコ・コルナータ!」
網膜を焼く緑の閃光。男の脳がそれを認識したとき、彼の身体は既に宙を舞っていた。
「こ、このやろう!」
雷の角に放り投げられ、ぐしゃりと地面へ落ちる男。気絶したのか動かない姿を見て逃げられないことを悟ったのか、他の男たちも各々の武器を構えた。
らうじは強く足を踏み込む。ズシン、と地面が揺れ、よろめいた幾人かをらうじの顎が投げ飛ばす。
「くそ!」
なんとか身を屈めて顎の攻撃を避けたうちの一人は、体勢を低くしたまま辺りへ視線を動かした。そして、片膝をついたランボに目を止める。
先ほどの攻撃を、この男はしっかり記憶していた。雷の炎と電流を混ぜ合わせた、下手をすればコンクリートすら貫通するだろう鋭い一撃を見ていた。しかし、同時にその弱点も、この男は理解していた。あの子どもの小さな身体では、攻撃範囲に限界がある。不意をつけば、人質にもできるだろう。
数秒でランボの死角となる道順を叩きだした男は、らうじの意識が別のメンバーへ向いていることを確認した。それから、体勢を低くしたまま地面を蹴る。
「!」
気配に関しては敏いらしい。男が二歩踏んだところで、ランボは迫る影に気が付いた。しかし遅い。男が大きく足を開けば、ランボが電気を貯めて構えるより早くナイフが届く。
ニヤリと口元を歪める男を正面から見据え、ランボは背中から倒れるように身を引いた。ランボの手が背中のバズーカで伸びる。それを男へ向けるつもりだとしても、数秒足りなかった。
自分の読みの正しさを男が確信した瞬間、ランボは持ち上げたバズーカを自分の頭へと向けていた。
――ズドゥン。
紫色の煙が、男の視界を遮る。ランボの予想外とも言える行動にも驚いた男は、足を止めて辺りを伺った。
「やれやれ……」
バチ、と紫煙の奥で電流が走る。一陣の風が辺りへ立ち込める煙を取り攫い、現れた新しい気配の正体を露わにする。
「また突然だな、これは」
フワフワとした癖のある黒髪と、使い古された角。どこかで見たパーツを身にまとう青年が、そこに立っていた。呆気に取られる男を気にせず、青年は足元に転がっていた緑の匣と小さなリングを拾い上げる。
こちらの様子に気が付いたらうじが、手近な三人を投げ飛ばしてから青年へ駆け寄った。
「ランボ」
「らうじ、これは、いや、分かってる。幾ら俺でも、この空気の感じは嗅ぎなれた」
リングを指にはめ、ランボと呼ばれた青年は拳を握る。リングから立ち上った緑色の炎を、ランボは匣の穴へ押し込んだ。
「……開匣――そして、形態変化」
パカリと開いた口から飛び出したヘルムは、雷の炎を纏いながらランボの頭へ乗っかる。らうじの顎に負けずとも劣らぬ、避雷針のような角だ。
「むぐ」
重さに首が曲がりそうになり、ランボは膝の曲がった足を踏ん張った。十七歳のランボにも、このヘルムはまだ大きくて重いのだ。ヨタ、とよろめくランボの肩を、らうじの手が支える。
「行くぞ」
「ああ」
角と顎、対になる武器を纏う二人を見て、集団の幾人かは後ずさり、幾人かは武器を構える。一番近くにいた男は、電気を蓄える避雷針と溶岩を貯める噴火口を見上げている気分であった。
「――サンダーセット」
数秒後、並盛の岩場に雷と地震がいっぺんに起こったような酷い破壊音が響き渡った。



ズシン、と腹の奥まで響くような地鳴りを、その少年は離れたビルの屋上で聞いていた。手すりを乗り越えた屋上の縁に座って、ぶらぶらと足を揺らす。赤い髪の少年は、ヒュウと口笛を吹いた。
「始まったみたいだね」
鼻や頬に絆創膏を貼った少年の背後に、別の気配が現れる。栗色の髪を好きに遊ばせた少年は、静かな瞳で屋上に座る少年の背中を見やった。
「……危ない」
「心配してくれるの?」
嬉しいなと笑って、赤い少年は立ち上がる。栗色の少年が小さく息を吐いたとき、彼の背後にあった屋上の扉が乱暴に開かれた。
「ここにいたぞ!」
焦ったような男の声。赤い少年は楽しそうにもう一度口笛を吹く。栗色の少年が冷静に振り返ると、灰色の集団が武器を構えて屋上に駆け込むところだった。
「対象を発見したDからE隊と連絡がとれません」
「他の小隊に報告を。F小隊が両対象を確認したと。D小隊たちが見つけたのは、恐らく幻術だ」
慌てた様子の男へ、冷静に声をかけるのが小隊長らしい。他と比べて少し風格が違う。彼は部下たちより前に出て、少年二人に銃口を向けた。
「大人しくこちらへ来い。少しでも炎を灯すような真似をしてみろ、この町にいるお前たちの知人が眉間へ穴を開けることになるぞ」
ピクリ、と栗色の少年の指が動いた。赤色の少年は手すりをヒョイと飛び越えて、栗色の少年の隣に並ぶ。
「僕たちの知人?」
「守護者たち以外の一般人にも、お前たちの知人がいることは調査済みだ」
「成程。取敢えず聞くけど、そっちの部隊は全部で六つなの? 僕らの知人を監視しているのは、そのうちの一小隊って考えて良いのかな」
「……お前たちには関係ないことだ」
喉が渇く感覚を、小隊長は味わう。事前に渡された顔写真を見たときは気弱そうに見えた、傷だらけの赤い少年。その本人である筈の目の前の少年は、笑顔なのにどこか不気味だった。その笑顔が、嘘偽りであるような。
「教えてくれると有難いんだけどなぁ。――だって『俺ら』の役割って、」
ジリ、と小隊長はコンクリートを踏みしめる脚に力をこめた。彼の態度から異変を察知したらしい後続の隊員らも、身構える。
「戦力の半数を誘き寄せて、もう半数をばらけさせることだったからさ。全体数が分からないと成功したかどうかわからねーじゃん?」
「……喋りすぎ」
ケラケラ笑う赤い少年へ、栗色の少年は呆れたような視線を向ける。
どういうことだ、と小隊長は訊ねようとして息を飲んだ。サラ、と二人の少年の輪郭が歪み始めたのだ。まるで霧のように、砂のように。
「まさか、こいつら――!」
「前提条件を分かってない奴らは、幾らでも騙しようがある」
ニヤリと笑った赤い少年が、腕を持ち上げる。ぐえ、と小隊長の斜め後ろから悲鳴が上がった。視線をやると、一人の隊員が足元から沸き上がった砂の手に首を絞められている。その反対側では、何匹もの蛇に囲まれ四肢を撮られた別の隊員の姿もある。それまで冷静だった小隊長も慌て、銃を強く握りしめて少年たちを睨んだ。
「お前ら、古里炎真と沢田綱吉じゃないのか!」
「Lo nego」
栗色の少年が、初めて笑みを見せる。サラサラと解ける輪郭は、霧の被り物を取り払って一人の少女の姿を露わにさせた。
「Il mio nome eChrome」
その隣に立っていた筈の赤色の少年も、崩れる砂のようにその姿を変えていく。帽子の位置を整えて、姿を見せた青年はニヤリと笑った。
「かわいくてかっけー、最高じゃん」
親し気に笑いかける青年に返答もせず、少女は持っていた錫杖を回すと、トンとコンクリートをついた。
その途端、男たち身体を浮遊感が襲う。まるで蟻地獄に吸い込まれるように、宙へと投げ出されたのだ。
「ひい!」
突然の異常事態に混乱し、男の一人が喉を引きつらせる。無様に宙で藻掻く男を見上げる少女と青年は、まるでそこにまだコンクリートの地面があるかのように、佇んだ姿勢を崩さない。幻覚だ、と小隊長は気づいた。しかし一度幻を事実だと認めてしまえば、そこから抜け出すのは容易ではない。
手足を動かす小隊長へ、少女は錫杖を向けた。
そのときだ。パシュ、パシュ、と軽い音がして、少女と青年の胸に風穴があいた。
「え……」
「あり?」
青年は茫然といった様子で、自身の胸を見下ろす。
彼らが立つビルの屋上から、数棟のビルを超えた場所にあるマンション。そのとある階の廊下で、キラリと光るものがあった。ライフルのスコープである。
「子ども騙しな手を使いやがって」
別部隊として待機していた狙撃手は、スコープから目を離さぬまま舌を打つ。術士の胸を打ち抜いたのだ。これで、幻術に翻弄される仲間たちは解放される筈である。
スコープで補足し続けていた対象の身体が、不意にクラリと傾いた。狙撃手は、青年が倒れる姿を予想していた。しかし、青年はグルリと首を回してスコープ越しに狙撃手を見つめた。
「!」
スコープの向こうで、青年と少女の身体が、砂のように解けていく。その下から現れたランプのような形をした機械が、カランと地面に転がった。
「――囮!?」
狙撃手は思わずスコープから顔を離す。その途端、首に無機質な何かが添えられた。ヒタリ、と狙撃手は動きを止めた。背後にいつの間にか現れた気配が、狙撃手の首に鎌の刃を突き付けているのだ。少しでも動けば、首をはねられる。顎に垂れる汗を拭うこともできず、狙撃手の手からライフルが滑り落ちた。
「さぁてと、アンタにも一応聞こうかな。部隊の数と、人質監視に回している人数と、ついでに根城にしている場所について」
軽薄な声は、先ほどまで小隊長たちと対面していた青年のものだ。子どもが放つにしては重い圧を背中に感じながら、狙撃手は口を開く。
「RATTO-C , spara al bersaglio!」
その言葉は、通信機へ向けたものだった。青年は舌打ちして、鎌の峰を狙撃手の首へ叩きつけた。ガクリと意識を失って、狙撃手は倒れ伏す。
鎌の柄でトントンと肩を叩き、青年――加藤ジュリーは気絶した狙撃手を見下ろした。
「俺ちん、やっちまったかな?」
言葉とは裏腹に、少しも悪びれない声色。僅かに唸ったものの「ま、いっか」と軽い調子でぼやく。
そんな彼のことなど露知らず、ビルの給水塔に腰掛けたクローム髑髏は、サラリと頬にかかった髪を耳へかけた。彼女の足元では、蛇に四肢を拘束された男たちが幻術によって目を回している。
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