1−2
ぐらり、と足元が揺れた。前触れなどなかった。
「な、なんだ?!」
「地震!?」
「みんな、落ち着いて!」
最年長の仁が声を上げ、その場を動かずしゃがむように指示する。大人しくそれに従いながら、佳織は怯えるウパモンを抱きしめた。
隆志も慌ててチビモンを抱き上げた。その瞬間、足元の地面が消えた。
「は」――ガクン、と首が揺れる。隆志はそのままバランスを崩し、頭から落下した。隆志だけではない。それは他の子どもたちも同じで、デジモンを抱きしめたまま悲鳴を上げて、為す術もなく落下していく。
「――あれ、は」
曇天のような雲間を抜けた刹那、隆志は目にした。落下する先に広がる大地。そしてそれを鏡に映したように逆さまになって空に浮かぶ、もう一つの大地を。



ぶつん、と何かが切れる音がした。え、と思う間もなく、突如太一の身体は何かに吹き飛ばされた。
「タイチ!」
同じように謎の衝撃波を受けたアグモンは、必死に手足を伸ばしてパートナーの身体を支えた。
彼らは、足を踏ん張ることもできず、ドサリと固い床に転がった。
「太一さん!」
驚いたのは、その部屋で同僚と話をしていた光子郎だ。彼は、突如として研究室に現れた太一の元へ駆け寄った。そこで太一が、受け身はとったものの頭を打ったことに気づき、同僚に医師を呼ぶよう依頼した。
「太一さん、どうして。デジタルワールドにいた筈じゃ……」
アグモンは気絶をしているようで、テントモンが必死に声をかけても反応しない。太一は小さく呻き、薄く目を開いた。
「デジタル、ワールドから……はじかれた……」
「デジタルワールドから……?!」
光子郎は慌てて画面を確認した。デジタルワールドとのゲート開通を示していた画面が、今は真っ黒な画面を見て愕然とする光子郎の顔を映している。
「そんな……どうして……」
言葉を失う光子郎の足元で、太一はズキズキとする頭の痛みに歯を噛みしめた。
(たい、よう……っ)
フッと意識を失う直前、太一の脳裏を過ったのは愛息子の姿だった。



――誰かの、泣き声が聞こえた。
ハッと隆志は目を開く。視界には、青い空が広がっていた。固い地面で仰向けに寝転がっていることを自覚しても、隆志はすぐに起き上がることができなかった。少しして、隆志が目覚めたことに気が付いたのか、チビモンが顔を覗き込んでくる。
「タカシ! 気が付いた!」
「チビモン……」
上半身を起こすと、チビモンは涙を浮かべた顔を隆志の胸元に擦り付けた。青い頭を撫でながら辺りを見回すと、同じような状況の子どもたちの姿があった。
「みずほー!」
「大丈夫よ、ピョコモン。……陸も、怪我はない?」
「うん。ツノモンは?」
「お、おれは、へいき」
「プロットモンは?」
「わたしは平気だ。晄も無事でよかった」
「いってて……」
「たいよー?」
「少し擦りむいていますね。無理しないで」
「ほたるはんも、急に動かん方がええで」
「かおりー、かおりー」
「ウパモン、私はここにいますよ」
「心臓に悪いなぁ!」
「驚いたわね、リラ」
「そ、園さん……そろそろどいていただけると……」
「あ、ごめんごめん、ポロモン」
「サトル、怪我は?」
「うん、大丈夫みたい。ありがとう、ミノモン」
「ノゾムも大丈夫だった?」
「うん。かなり驚いたけど」
「びっくりしたなぁ……」
「プカモン、悪いけど一度僕の背中から降りてくれないかな」
カラカラ笑いながらプカモンが地面に降りてから、仁も身体を起こした。それから子どもたちを見回して、大きな怪我をした者がいないことを確認する。
「みんな無事みたいだね。はぐれた人もいないかな」
「みんないますよ」
先ほどの落下は驚いたが、みな同じところに着地できただけ良かったのかもしれない。晄は呟いて苦く笑った。
「ここって、デジタルワールドなんですか?」
佳織はキョロ、と辺りを見回す。
落下するそのときまでいた筈のデジタルワールド。そこの景色と何か変わった様子は見られない。落下した事実などなかったと言えそうなほどだが、仲間が全員同じ体験をして地面に転がっていたという偶然は説明し難い。
「雰囲気は、デジタルワールドみたいだけど」
「デジタルワールドの地図は開けますが、位置情報が機能していませんね」
キョロキョロと辺りを見回す太陽と、タブレット操作して眉間に皺を寄せるほたる。そうだ、と彼女を見て仁は手を打った。
「ゲートは? 確かほたるくんは緊急ゲートのプログラムを持っていたよね」
「先ほど試しに開こうとしたのですが、エラーが出てしまって……」
簡易なものだから、何かの衝撃で破損してしまった可能性もあるとほたるは言った。カクン、と口を開く仁の背後で、トントンとスマート・デジタル・デバイスの画面を突いていたリラが腕を投げ出した。
「あーもう、SD2も繋がらない! ママたちと連絡がとれないよ!」
「つまり……」
既に自分のSD2を試していた晄が、腕を組んで空を見上げる。
「僕らは、このデジタルワールド(暫定)に閉じ込められた」
辺りへ一瞬の沈黙が落ちる。頭を掻きむしった仁は、空を貫くような悲鳴を上げた。



パチパチと薪の火の粉が舞う。周囲の散策で疲れた子どもたちは、小さなそれを取り囲んだ。
「ただいまー」
「採ってきたよー」
そこへ、食材探しに出かけていた太陽、陸、ほたるの三人が帰ってきた。三人とも、両手いっぱいに木の実などを抱えている。弟の心配をしていたミズホは、真っ先に駆け寄って怪我をしていないか陸に訊ねた。当の本人は曖昧な笑みを返して軽く流す。
空腹だった隆志は、園たちが手際良く火にかけていく食料を覗きこみ、その多さに目を丸くした。
「よくこんなに見つかったな」
「太陽のお陰だよ」
「父ちゃんに仕込まれたからね。サバイバルは得意なんだ」
まるで自分のことのように親友を自慢する陸と、父親を自慢できて嬉しそうに頬を綻ばせる太陽。そんな年相応の反応を見せる最年少二人に破顔し、園は彼らを強く抱きしめた。
「かわいー!」
そのはしゃぎように、彼女の実弟である悟は複雑な想いで渋い顔をした。園につられて興奮した隆志も、二人の頭を撫でながら褒める。
「……それで、これからどうするの?」
ジリジリと焼けていく木の実を指先で突きながら、リラがポツリと溢した。さすがの彼も、家に帰れない状況のためか元気がない。薪を囲んで輪になっていた子どもたちは、思わず顔を見合わせた。
「ゲートは完全に閉じて使えないしね……」
「このまま私たち、家に帰れないんでしょうか……?」
「大丈夫だよ、きっとお父さんたちが気付いて助けてくれるって」
顔を俯かせる佳織を元気づけるように、ノゾムが笑って声をかける。佳織の顔に僅かな笑みが浮かんだ。
そんな彼らの様子を見て、晄は口元を緩めた。それから隆志や仁の方へ声をかけた。
「今日はもう休める場所を作って、探索やこれからのことを考えるのは明日にしよう」
「そうだね、僕らはともかく、低学年たちにこれ以上歩かせるのは大変だ」
仁はチラリと太陽と陸の方を見やる。隆志も頷いた。晄はそれを確認し、ほたるとミズホ、園にも声をかけた。集まった高学年組は、中低学年組から少し離れたところで丸くなる。
「何だよ、晄」
「ちょっとこのメンバーで話しておきたくて」
隆志は首を傾げたが、ほたるや仁は心得ているというように頷いた。
「父さんたちと連絡をとって現実世界へ戻るまで、僕らが何とか下の子たちを守らなきゃね」
「そうね、陸と太陽くんはまだ二年生だもの」
弟に関して心配性なミズホも、同意する。園は成程と腕を組んだ。
「先に私たちだけで明日の探索方法を話し合っておこうってことね」
園の言葉に晄が頷くと、仁はフムと顎を撫でてほたるを見やった。
「SD2の通信も繋がらない、ゲートもエラー。地図は?」
「先ほどテントモンとピヨモンにお願いして、上空から見た地形データをとりました。殆ど、デジタルワールドと変わりはありません。だから、皆さんのSD2の地図データが使用できる筈です」
「だったら、街の場所も同じ可能性が高い。はじまりの街に行けば、ゲンナイさんかレオモンたちと会えるかも」
「じゃあ、明日からはそこを目指して――」
ミズホの言葉は、不快な羽ばたき音にかき消された。ピタリと硬直した六人は、ゆっくりと顔を上げる。
そして目にした想像通りの光景にヒクリと顔を引き攣らせた。
「……きゃああああ!!」
「姉ちゃん? ……って、」
「うわああああああ!!」
突然叫んだ高学年組の方を見やった陸と太陽は、目を丸くした。リラや悟は彼らの背後から迫る物体に驚き、同じように叫び声をあげて立ち上がる。
空気を盛大に震わす羽音を立てながら、森の上に現れたのは、両手に大きな鎌を持った昆虫型のデジモン――スナイモンだった。スナイモンはフーッフーッと荒い息を吐いて、子どもたちを威嚇するように鎌を持ち上げる。
「お、怒ってる……?」
「まさかこの辺りが縄張りなのかな?」
「えー、ちょっと休んでいただけなのに!」
「とにかく逃げるぞ!」
「は、はい!」
高学年組が中低学年の手を引いて、デジモンたちも連れ、彼らはスナイモンから逃げ出した。
羽音が喧しい。それ以上に、自分の呼吸と鼓動が煩わしい。暫く走り続けたが、スナイモンが一向に諦める様子はなく、こちらの体力が限界に近づくばかりだ。最後尾を走っていた隆志は舌打ちし、引いていた太陽の手を晄へ押し付けた。
「隆志くん!」
「先に行け! 俺が食い止める!」
隆志は足を止めて、声を張り上げる。彼の足元ではそれに賛同して、チビモンも迫りくるスナイモンを睨み上げていた。
「おれもやるよ、たかし!」
「あんがとよ、チビモン」
頼もしげな相棒に笑い返し、隆志はスナイモンを見上げる。ぐっと唇を引き締めた彼が掲げたのは、デジヴァイス。手の平に収まるほど小さなそれから、眩い光が放たれた。それは進化のエネルギーをチビモンへと送りこむ。
「チビモン進化――ブイモン!」
「行っけぇ!」
スナイモンへ向かって飛びかかるブイモンの背中を押すように、隆志は叫んで拳を振り上げた。自分より巨体のスナイモンが振り回す角をヒラリと躱し、ブイモンは得意の頭突きを無防備な腹へ叩きこんだ。
不意の衝撃にスナイモンが怯んだのを見て、晄は立ち止まっていた子どもたちへ走るよう叫んだ。その大声に頷き合い、子どもたちは走り出す。
しかし彼らはすぐ、立ち止まらざるを得なかった。
先頭を走っていた園が、小さな声を上げて足を止めた。その先は、崖であった。仁はプカモンを抱いたままそろそろと下を覗きこみ、そしてすぐに首を引っ込めた。
「下は川だ……」
子どもたちの背筋が凍る。
ブイモンは、決して劣勢ではない。しかし互角の力では押し切れないのだろう。少しずつ、スナイモンと共にこちらへと迫ってくる。
子どもたちは無意識のうちに、崖のギリギリまで寄り一つに固まった。ブイモンは彼らを庇うように、スナイモンと距離をとった。
「こうなったら……!」
晄はグッと顔を険しくし、握りしめたデジヴァイスを一瞥した。
そのときだった。
スナイモンと睨み合う子どもたちの間に、黒い稲妻が落ちた。地震のように辺りが揺れ、子どもたちは思わず膝をつく。稲妻のバリバリと割れるような音に重なって、スナイモンの呻くような悲鳴が響いた。
「え」
ゆっくりと倒れていくスナイモンの足元に一筋のヒビが見える。それは子どもたちの立つ地面をスッパリと切り離すように伸びた。
逃げる間もなく、切り取られた地面ごと十二人と十二匹の身体は真っ逆さまに落下した。
「うわああああああ――!!」
堪らず上へと伸ばした腕は、何も掴めない。隆志はギリ、と歯を食いしばった。
水面に叩きつけられる感覚と、身体にまとわりつく感触。それらを最後に、隆志の意識は途切れた。
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