プロローグ〜feat.KAROSU&ISSHU〜
「ワイちゃん……これはいつにもまして強引すぎじゃあないですか?」
「文句言わない」
もそりと立てた膝に顎を乗せたエックスをバッサリと斬り捨てて、ワイは二つに結んだ髪の様子を鏡で確認する。満足げに微笑むワイの横顔を眺めながら、エックスは深く溜息を吐いた。身だしなみを整え終えたワイは、ズビシとエックスの鼻先へ指を突き付けた。
「エックスだって悪いのだからね、あんなものを独り占めして」
「あれは、勝手に送り付けられたものだし……そもそも俺は、使うつもりなかったし」
ワイの視線から逃れるように腕の中へ顔を埋め、ブツブツとエックスはぼやく。ワイは両手を腰へ持っていき、鼻から息を吐いた。
「まあまあ、ワイちゃん」
そんな彼らへ声をかけたのは、同室にいたエックスの兄カルムだ。短い茶色の髪を弄りながら、カルムは苦笑する。
「無理やりでもここまで出て来られただけ、成長しているでしょ、エックスも」
「まあ、そうだけど」
唇を小さく尖らせて、ワイはストンと椅子へ腰を下ろす。彼女へ部屋に用意されていた菓子を勧めながら、カルムは窓から見得る真っ青な海へ視線をやった。
ここはとある船の一室。彼らはこれから、イッシュ地方のとある島へ向かう。その島で開催されるポケモンフェスタに形は違えど、カルムとエックスの兄弟は招待されたのだ。
「まさか、エックスがグリーンさんと知り合いだったなんて、驚きだよ」
「友だちだもんね」
「別に……そういうわけでは……」
エックスはまたため息を吐き、もっと丁寧に刻んで捨てておけばよかったと数日前の自身の行動を後悔していた。
とある旅の途中で出会ったカントー地方のトレーナー・グリーン。カントーチャンピオンだった彼から、フェスタの招待状を貰ったのがことの発端だった。封筒に入っていたのは、短い手紙と五人分の渡航券――つまり、ポケモンフェスタの招待券だ。
幾ら旅で少しアクティブになったとはいえ、まだまだ引きこもり生活から脱せないエックスが、遠いイッシュのしかも離れ島を訪れることを遠慮したいと思うのは必然。そこで彼はそれを引き出しにしまって隠しておいたのだ。それを見つけてしまったのが、先日フェスタの準備のため一時帰宅したカロスチャンピオンの兄・カルムで、彼の話を聞いてフェスタに興味津々だったワイは目を輝かせてチケットを握りしめた。
グリーンは、サナたちの分も用意してくれていた。チケットを譲るからワイたちだけで行けば良いとエックスは言ったのだが、サナたちそれぞれ所用があり――家族旅行に習い事、トロバはプラターヌ研究所の留守番をお願いされていた――全員揃って五日間を過ごすことが難しくなった。そこでワイは頑としてエックスの参加を譲らず、彼を引っ張ってカルムと共に船へ乗り込んだのだ。
「それに、グリーンさんがエックス宛にくれたんだよ。張本人が来ないと意味がないじゃない」
「別に良くない……?」
「頼むよ、エックス。俺の顔を立てると思ってさ」
困ったように笑いながら、カルムも手を合わせる。確かに、チャンピオンとして先輩の招待を足蹴にしたとなれば、身内で後輩のカルムは居心地悪いだろう。仕方ないとため息を吐いて、エックスは膝を胸へ抱き込んだ。
何はともあれ、既に船に乗ってしまったのだ。行きつくところまで行くしかない。
割と早く腹をくくれるようになったのも、あの旅のお陰かもしれない、とエックスはこっそりぼやくのだった。
「そう言えばワイちゃん、余ったチケットを欲しいって言っていたけど、どうしたの?」
「ああ、あれ。ちょっと妹にね」
「旅に出ているっていう?」
「そう。――良い人がいるみたいだから、その人を一緒に誘いなさいって言ってね」

短く息を吸って、吐く。片手には姉から送られてきた封筒、もう片方の手は電話のボタンをゆっくりと押していく。昼食時も過ぎ、そこそこ賑やかなポケモンセンターの片隅、セレナはコクリと唾を飲みこんで通話ボタンを押した。
数回のコール音の後、画面が揺れる。そこからひょっこりと顔を出したのは、目当ての少年だった。
「セレナ?」
「ひ、久しぶり、サトシ」
上ずった声で挨拶しながら、セレナは精一杯笑顔を作る。帽子を外した彼は、記憶の中の彼より幼く見える。それとも、セレナが美化しすぎていたのだろうか。
そんなセレナの心中など知らず、サトシは嬉しそうに電話の前に椅子を持ってきてそこへ座った。
「元気にしてたか?」
「うん。サトシはマサラに帰ってたんだね」
「そうなんだ」
少しの間他愛のない世間話をしてから、セレナは意を決して本題を切り出した。
「あ、あのね、サトシ。ポケモンフェスタって知っている?」
膝の上で握った手の中にある手紙を一瞥し、セレナは『さり気なく』を何度も心の中で呟く。ああ、とサトシは頷いた。
「イッシュで開かれる大会だろ? 俺の幼馴染や兄ちゃんも招待されててさ」
「へえー」
少々気にかかることが聞こえたが、それは後で聞けばよい。セレナは、何度も繰り返し練習した言葉を言おうと口を開く。
「あの、私と一緒に」
「だから俺、一緒にフェスタに行くんだ」
「……へ?」
セレナの言葉が止まった。彼女の変化に気づかないサトシは、照れ臭そうに笑いながら頬をかく。
「幼馴染が招待されるから、そのついでにって誘ってくれたんだ。もう今から楽しみでさ!」
「そ、そう、なんだ……」
「セレナも参加するのか?」
「う、うん。お姉ちゃんからチケット貰って……」
「へえ、セレナのお姉さんてどんな人なんだ?」
その後、互いの家族や幼馴染の話になり、「向こうで会えるといいな!」というサトシの笑顔を最後にセレナは通話を切った。
黒い画面に焼き付いたサトシの笑顔が見えるようで、セレナはがっくりと頭を垂れる。二人ともフェスタに行くなら待ち合わせの約束などすればよかったのに、結局また何も言えなかった。
「ていうか、あのときのこと忘れてるの、サトシ!」
勇気を振り絞った告白のつもりでもあったのだが、別れて以降初めての会話でそれに一切触れられないとは思っていなかった――触れられても困るのだけれど。
悔しいような恥ずかしいような、安心したような。複雑な思いを抱えたまま、セレナは額を机につけてもだえるのだった。


フェスタ二日前、ブラックたちは開催地の島へと上陸していた。さるイッシュのショッピングモールオーナーの持ち物らしい。それに感心しながらブラックが辺りを見回していると、脇腹をコツンと突かれた。隣にいたキョウヘイは、ブラックに前を向くよう指で指す。コホン、とわざとらしい咳払いが前方から聞こえ、ブラックはピシリと背筋を伸ばした。
「どうも、ふれあいブースイッシュエリア担当責任者のメイです」
ブラックとキョウヘイを含めた数人のトレーナーズスクール生徒の前に、二つのお団子を髪で編んだ少女が立っていた。
フェスタに設置されたふれあいブースは全部で六つ。カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウ、イッシュ、カロスそれぞれの地方特有のポケモンをメインに構成されている。トレーナーズスクールの生徒たちは、六グループに分かれてボランティアとして参加することになっていた。
ブラックとキョウヘイは、慣れ親しんだイッシュエリアの担当となった。
責任者というメイは手元の資料を捲りながら、仕事と道具の説明をしていく。
「あの人……」
「キョウヘイ?」
メイの顔をじっと見つめ、キョウヘイが何かを呟く。ブラックは聞き返すが、キョウヘイは気が付いていないようだ。
やがて一通りの説明を終えたメイは顔を上げ、ニコリと微笑んだ。
「そんな人はいないと思うけど、幾ら珍しくて気に入ったポケモンだからって、勝手にブース外へ連れ出すことは厳禁ですからね」
とても綺麗な笑顔だったが、その裏に隠れたオーラにブラックは背筋を凍らせた。

「幼馴染?」
チェレンが思わず問い返すと、ヒュウはコクリと頷いた。彼は持っていた餌箱を地面へ置き、手についた砂を払う。
卒業後も度々ボランティアとしてトレーナーズスクールの運営を手伝っていたヒュウは、今回の課外ボランティアにも参加してくれたのだ。
「イッシュエリア責任者のメイは、俺の幼馴染っす。結構前に旅に出たって聞いたきり、会ってなかったけど」
「そうなの?」
「俺もトレーナーズスクールに入ったし……何より、メイが故郷に帰って来なくなったから」
少し寂しそうに、ヒュウは目を細める。膝をついて餌箱を拭いていたベルは、コテンと首を傾げた。
「なんでメイちゃん、帰らなかったんだろうね」
「……俺と一緒で、ポケモンを攫われたからかと。プラズマ団の行方を、捜していたんだと思います」
「……そうなんだ」
うまく言葉を紡げず、チェレンは言葉を濁した。
プラズマ団が解散しても、まだ多くのポケモンがトレーナーと引き離されたままだ。それを解決するために、Nとファイツは旅を続けているわけでもあるのだが。
「彼女のポケモンは、見つかったのかな」
「それは、多分。この前、ボランティアやるって連絡したとき、少し嬉しそうに教えてくれたので」
――やっと取り戻せそうなの。親切な警察の人がいたから。
電話越しだったが、柔らかい声だった。
その時のことを思い出してか、ヒュウは目を細める。その様子を眺めながら、ベルは「良かったねぇ」と嬉しそうに微笑んだ。
「……彼らも、解決してくれると良いんだけど」
小さくぼやいて、チェレンは眼鏡に触れた。硝子越しに彼が見つめるのは、サンバイザーをつけた後頭部だ。

時間は、その前日に遡る。島へ向かう船の中、チェレンは自室にブラックとキョウヘイを呼び出した。
「俺たちが、バトル部門に?!」
そこで告げられたチェレンの提案に、ブラックは声を上ずらせた。キョウヘイも、息を詰めて目を見開く。
「そう。説明した通り、フェスタでは隔日バトルトーナメントが開催される。そこで、スクールのバトル演習で好成績を修めた二人に、特別課題ということで参加を勧めているんだ」
「勿論受けるぜ!」
ブラックは二つ返事で了承する。二年間ライトストーン内に閉じ込められていたブラックにとって、チェレンの課題はまさに好機だった。
ドリームワールドという異世界に二年間いた後遺症なのか、ブラックは現実世界で時折平衡感覚を失うことがあった。それを取り戻すためにポケモンとトレーナーのトレーニングを続けてきた。その結果を確認するためのリハビリ戦として丁度良い。
メラメラと炎を沸き立たせる彼と対照的に、隣に立つキョウヘイは苦虫を噛み潰したように拳を握りしめた。
「俺は……辞退したい、です」
思わず、ブラックはキョウヘイを見やった。
拳を握りしめた彼の表情は硬く、青白くも見える。微かに、肩も震えているようだ。
チェレンは口元を和らげ、ゆるく首を振った。
「君には無理なことだと思わない。僕は良い機会だと思うけど」
「でも、俺は……」
「君は、何のためにトレーナーズスクールに来たんだい?」
チェレンの問に、キョウヘイの瞳が鋭くなる。手にこもる力も増し、キリキリと皮膚に食い込む音が、聞こえるようだった。
二人が何の話をしているのか、ブラックには分からない。しかし、キョウヘイの編入当日に見た彼の表情の理由を、垣間見ている気がした。
「『彼』を見返すためじゃないんだろう? 君自身が、本当の意味でトレーナーになるためじゃないのかい? 今回のことは、その第一歩だと、僕は思っている」
ぽん、とキョウヘイの頭を撫で、チェレンは微笑んだ。幼馴染の包容力ある姿に、ブラックの背がむず痒くなった。
「エントリーは僕が済ませておくから、心が決まったら会場に来ると良い。……ま、エントリーの取り消しはできないみたいだけどね」
事務手続きの負担を減らすための処置だろう。そんな注意書きが、トーナメントとコンテストに記されているとチェレンはにこやかな笑顔で教えてくれた。

ボランティア活動の最中、そんな回想から戻りブラックは大きく息を吐いた。持っていた餌箱を地面に置くと一緒に膝を曲げてしゃがみこみ、頭を掻く。
「……チェレン、良い性格になったなぁ」
自分がいない二年間の間に、何があったのか。昨日船上で幼馴染の笑顔は初めて見た。思わず、ブラックの頬が引きつる。
そんな彼の様子を見て、キョウヘイは小首を傾げた。

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