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「ずっと考えていた……この事件が始まったときから――なんで、俺だけなんだろうって」
ファイアやサトシでもなく、他のマサラの子どもでもなく。
一人トキワの森に迷い込んだあの日、それからニョロと出会い二人っきりで過ごした日々。あの家で暮らし始めた日々と一緒に思い返すと、何故と問わずにはいられないほど、温度差に心が震えた。
サトシと間違われて誘拐されたと知ったときだって、彼のせいで、と少しでも思ってしまった。あんなに暖かい家族なのに、それを一瞬でも疎ましく思ってしまったのだ。
「俺は……俺なんか、いなくたって」
「レッド」
咎めるグリーンの声に首を振り、決して顔を上げようとしない。
「俺はできた人間じゃない……俺一人ばかり孤独を味わって、なんでサトシたちは恵まれていたんだろうって思うような、最低な兄貴だ……!」
「レッド!」
グリーンは頬を掴み、無理矢理顔を上げさせた。赤い目の端に浮かんでいた雫が、パッと散る。
「俺はお前のライバルだ。勝手に俺のライバルを卑下することは許さない」
「……何だよ、それ……っ」
頬を掴むグリーンの手を引き剥がそうとしていた手は、震えながらそっと重なる。やがて頬にはボロボロとした涙が振れ始め、レッドの顔はたちまちぐしゃぐしゃになった。
「グリーンだって、俺のことどうでも良いって思っているじゃなかぁ」
「思っていない!」
「嘘だ!」
だって、とレッドは食い下がる。さすがにグリーンも苛立ってきて、いつ言ったのだと子ども染みた言葉を投げてしまった。
「リザードンを借りたときだよ!」
具体的な場面が上がったので、グリーンは思わずレッドの頬を引っ張っていた指を止めた。赤くなりかけた頬を摩り、レッドはぷっくりと頬を膨らめる。
「リザードンを貸したとき……」とグリーンは頭の中で呟き、記憶を掘り起こした。
「……あのときか」
グリーンがポケモン協会の出張へ行く数日前だ。ファイアの修行するシロガネやままで行く予定だとレッドが告げると、殆ど無理矢理リザードンを押し付けられたのだ。
グリーンだって移動手段に困るだろうと告げれば、他に幾らでも移動手段はあるとグリーンは事も無げに言った。それに少々ムッとしたので、プテのボールを手の平に握らせたのだ。
グリーンはそのボールをポケットにしまいながら、最近の調子はどうだと訊ねた。
「帰って誰かが家にいるのは、少し擽ったいな」
「まだそんなことを言っているのか」
呆れたように笑いながら、グリーンは「だが」と呟いた。
「もう、お前を待つ必要もないな。……安心した」
「え……」
家族がいるのだ、他人のグリーンが帰りを待って『おかえり』を言う必要はない。
レッドからしたら唐突なその言葉は、しかしグリーンの胸のうちにずっと前からあったものだった。優し気に目を細めるグリーンの横顔を見ると何も言えなくなって、レッドは口を噤んだ。
――そのとき本当に言いたかった言葉は。
「俺は、グリーンにもおかえりって言ってほしかったよ……待っていて、ほしかったよ」
いつもの快闊な様子はどこへやら、レッドはグズグズと鼻を鳴らす。ボロボロと零れる涙を親指で拭って、グリーンは小さく息を吐いた。
「本当にお前は……変なところでネガティブだな」
「ぅ、どういう意味だよ!」
「普通に考えて、家族との時間をもっと大切にしろという意味に決まっているだろ」
「うるさいな、ショックだったんだよ! お前のことが好きだって気づいたばっかりだったから!」
「……は?」
しまった、とレッドは自身の口を手で覆った。グリーンは目を細め、じっとレッドを見つめる。レッドは視線から逃げるように視線を逸らすが、相変わらず肩を掴まれている以上、逃げ切れはしない。
「レッド」
「……」
「それは、自惚れても良いのか」
え、と思わずレッドの口から声が漏れた。予想外に弱弱しい声が聞こえてきたのだ。
逸らしていた視線を戻すと、グリーンはいつも吊り上げている眉を柔らかく下げていた。
「グリーン……?」
「俺の都合が良い解釈をして良いのか、と聞いている」
言いながら、グリーンは握ったままのレッドの手を自分の頬へ触れさせた。すり、と掌に頬ずりされる感覚に、レッドの顔がカッと赤くなる。
「……っお前! それなら、俺だって!」
「良いぞ、お前の都合よく解釈して」
先手を打たれるように言われてしまい、レッドは言葉を詰まらせた。そのままポスンと胸に頭を寄せてくる彼の背を叩き、グリーンは小さく息を吐いた。
「……まあ、それについては後で問いただすとして」
今は別にすることがある、とグリーンは空間を仰いだ。
「無理だろ……ここは始まりの樹の腹の中だぞ」
「……先ほどの質問に答えていなかったな」
唇を尖らせるレッドの顔を引き上げ、グリーンはそっと額に唇で触れた。
「……お前と一緒に戻るためだ」
レッドは信じられないと言いたげな表情で彼を見つめる。グリーンは柔らかく目を細め、レッド頬へ手を添えた。
「諦めが悪いのは、お前の専売特許じゃなかったのか?」
レッドは赤い目を丸くする。またこみ上げる熱をそっと飲み下して、レッドは震える手を持ち上げた。グリーンの手に自分のそれを重ねて、レッドはくしゃりと顔を歪めた。

こちらへ敵意を向けるピカチュウたちの様子に、ホウオウは首を傾げた。
『理解しがたい……。お前たちはサトシのパートナーだろう?』
何故協力しないのかと言いたげだ。ピカチュウたちは敵意を見せているが、ホウオウの翼の下にサトシがいるため、迂闊に手だしできない。
「そんなの、当たり前じゃない!」
ホウオウの疑問に答えたのは、ブルーだった。彼女は拳を握り、力いっぱい叫んだ。
「あなたがサトシを家族として守りたいのと同じように、ピカチュウたちもサトシとサトシの家族を守りたいのよ!」
『サトシの家族だと……? 私よりも、あの小僧たちの方がサトシの家族に相応しいと?』
「家族に相応しいとか相応しくないとか、そんな区別つけたくないけれど」
零れた涙をキッと乱暴に手で拭い、ブルーは真っ直ぐホウオウを睨み上げた。
「シゲルたちの方が、あんたよりずっとずっと、サトシの家族よ!」
そして、レッドも。
ブルーの叫びに、シンジたちの足が一瞬止まる。ホウオウはフンと鼻を鳴らした。ブルーたちの言葉など心に響かないようだった。
「……ル」
『サトシ?』
「し、げ……る」
ホウオウは少し翼を広げて足元に匿った少年を見下ろす。サトシは頭を抱え、蹲っていた。
「シゲル……兄ちゃん……シゲル……シゲル――ああああああ!」
聞こえるのは、喉を絞るようなサトシの泣声。ホウオウの顔に、初めて戸惑いの色が浮かんだ。
「勧誘はジムリーダーのポケモンたちからも断られたでしょ。その理由を考えなかったの?」
ハルカの言葉に、ホウオウは視線だけ彼女へ向ける。
『……今外にいるポケモンたちは、人間から虐げられてきたものばかりだ。人間とポケモンの絆など信じられない――だからこそ、私と絆を結んだサトシこそ特別なのだ』
「特別なんかじゃない!」
強くタマゴを抱きしめて、マサトが叫んだ。彼を背に庇っていたハルカは思わず弟の名前を呼ぶ。
「サトシは確かにすごいトレーナーだよ! ……でも、特別じゃない。普通の……家族がいて、家族とポケモンのことが大好きな、普通の人間なんだよ!」
泣き出す弟の肩を抱き、ハルカは耐えるように目を閉じた。サトシの泣声は止まない。ホウオウは少し開いた翼を動かせない様子だった。ピカチュウは警戒しながらもベッドへ飛び乗り、サトシの頭へ触れる。
「チャア……」
リザードンとゴウカザルも歩み寄って、サトシを心配するように鼻先を寄せた。ホウオウは少し身を引き、その様子をただ眺める。いつの間にかレジスチルたちも攻撃をやめていた。
「シゲル……」
分からない、とホウオウは呟いた。分からない。家族に関してか、サトシの涙についてか、それとも。
そのとき、虹色の床が割れるようにポッカリと黒い穴が空いた。
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