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これは、幼い頃の思い出です。
僕には、同い年の幼馴染がいます。やんちゃで好奇心旺盛で、いつも身体のどこかに傷を作っているような、どこにでもいる元気いっぱいの男の子です。当時から少しませていた僕は、そんな彼を鼻で笑ってからかいながらも、一緒に野山を駆け回っていました。
ある日のことです。僕たちが住む町の近くには、隣町へ繋がる大きな森があります。大人たちからは、入ってはいけないと禁止されている森です。しかし、僕と幼馴染はちょっとの反発心と好奇心から、そこへ飛び込んでしまいました。
身の丈以上の木々が生い茂る森は、日光もあまり射さず、薄暗い印象を受けます。しかしいつもは見ることがないもの――バタフリーの群れやピジョンの水浴びや、巣を守ろうと警戒するスピアーの集団――に驚き、圧倒され、もっと奥へ奥へ足を踏み入れていきました。
いつの間にか幼馴染とははぐれ、僕は気づくと一人で森を歩いていました。
その頃は、まだパートナーポケモンなんて連れていなかった僕は、勿論心細くありました。しかし同じようにひとりぼっちの幼馴染を見つけなければ、という使命感の方が勝り、足を止めることはしませんでした。
それを見つけたのは、本当に偶然だったと思います。あのときの記憶を何度思い返し、森を歩き回っても、二度と同じ場所へ辿り着けた例はありません。
僕は、森の木々が守るように囲む洞の足元で、幼馴染を見つけたのです。
水の流れる尾とも聞こえてきました。たくさんのポケモンたちが、同じように洞の足元や木の枝の上で、思い思いの恰好で寛いでいます。中心にある洞の入り口からは、雨上がりに見る虹よりも鮮やかな翼が覗いていました。
幼馴染は、翼の主が差し出した胸の上に乗って、呑気な寝顔を羽毛へ埋めていたのです。
僕は暫く声も出せず、その光景を見つめていました。やがて、その穏やかな空気に誘われるように眠ってしまったのでしょう。気が付くと、僕は幼馴染と一緒に森の入り口で寝転がっていました。
大人たちからは、こっぴどく叱られました。何せ、ちょっと前までこの辺りでは、僕らくらいの子どもたちが行方不明になる事件があったものですから、当然のことです。兄も従兄もおじいさまも、幼馴染の母が一等泣いて起こっていました。
僕はシュンと項垂れる幼馴染の背に、虹色の羽根が一つついているのを見つけました。しかしそれを誰にも言わず、そっと埃を払うように取ると、草むらの影へ捨ててしまいました。
僕は、あの日見た光景を誰にも話していません。
あの虹色が、いつかどこか遠くへ幼馴染を連れて行ってしまいそうで――あのときの話をした途端に、昔話宜しく、幼馴染が虹色の元へ走って行ってしまいそうで――怖かったのです。
――引用『とある少年の回顧録』

【第三話】

ザワリと肌を撫でる風が、嫌な予感を掻きたてる。
ざわざわと、ドームへ避難してきていた街の人々が、不安を息に混ぜて吐き出している。
赤と青の耳を震わせてしがみつく二匹を抱きしめ、少年はドームの天上に小さく空いた窓を見上げた。
そこから見得る鱗のような雲空の上、赤と青のしなやかな肢体が飛び回っている。同士のためにと飛び立って行った片割れの願いを汲み、この街を守っているのだ。
ドームの入口ではいなくなったポケモンを探しに行こうとする人たちと、それを止めようとする父たちの姿が。双方必死な様子を見て、少年は手元の二匹を抱きしめる腕に力をこめた。
「……君は大丈夫なの……? サトシ……」
誰よりもポケモンと近しい彼は、この状況でどうしているだろうか。一抹の不安が過り、少年――トオイはプラスルとマイナンの頬に顔を埋めた。

彼は柔らかく上等な羽毛枕ではなく、少々筋肉のついたしなやかな太腿の上で目を覚ました。
そっと髪を柔らかく撫でる手がとまり、「起きた?」とか細い声が落ちてくる。彼は頷いて、身体を起した。どこかぼんやりとした赤い瞳を覗きこみ、ニコリと微笑む。
「お早う、兄ちゃん」
「……お早う、サトシ」
つられるように、口元へ小さな笑みが浮かんだ。
円形の広々としたホール。鏡のように磨きあげられた床は、虹色のガラスで花のような模様が描かれている。壁には花弁のように柔らかいカーテンが並び、天井には天体の動きを模した照明が浮かぶ。そんな部屋の中央に置かれた、ふかふかのベッドに、二人は座っていた。
仲良く微笑む兄弟を、部屋の奥から見守る瞳はすっと眼光を細め、虹色の翼を広げた。

時は、図鑑所有者たちが集合する少し前に遡る。
ヒビキたちが訪れ、ミュウツーと対峙したのは、今は使われなくなったとある犯罪集団のアジト――その後にポケモンハンターのねぐらと判明したが、今は色濃いバトルの痕跡で面影はない。
ヒビキは大きく息を吐いて、顎に垂れた汗を拭う。
洞窟の内部に造られただけあって、空気の巡回が悪く熱気がこもりやすいのだ。
熱さに強いとは言えない相棒の背中を見やって、ヒビキは小さく歯を噛みしめた。オーダイルは肩を張って威嚇しつつ、対峙したミュウツーの出方を伺う。
息を切らしたオーダイルとは違い、ミュウツーはどこまでも落ちついた様子。しかしダメージ的に五分へ持ちこめている筈だ。
散らかった瓦礫の隙間で横たわる片割れとその友人たちは、他のオオタチやデンリュウが介抱している、任せて良いだろう。ヒビキは「フーッ」と息を吐き、目前の敵へ焦点を合わせた。
ぱしり。熱くなったヒビキの手首を、冷たい手が掴んだ。
「……っ!」
「落ち着け、ヒビキ」
ギラリと熱のこもった瞳で振り向けば、冷や汗をかいたソウルが、グッと唇を噛みしめた固い表情で見つめていた。離すよう口を開きかけたヒビキは、しかし更に負荷のかかった手首の痛みに顔を顰める。ソウルはヒビキの腕を引いて自分の後ろへやると、オーダイルの横を通ってミュウツーの正面に立った。
「……アンタのことは多少知っている」
ロケット団によって造られた生命――ミュウの遺伝子を持つ唯一のポケモン。嘗てはその境遇を絶望し、暴れていたと噂で聞いている。
今も、ポケモンを虐げるポケモンハンター共々、ゴールドたちを倒してしまったと見るのが自然だ。しかしソウルには、そう思えなかった。ミュウツーの瞳が、憎悪など微塵も感じさせない澄んだ色をしていたから。
「ここで、本当は何があったんだ」
「……」
ミュウツーはじっとソウルの瞳を見つめ返し、手にしていた武器を消した。それからオオタチが介抱するゴールドたちの方へ歩み寄り、彼らへ手を翳す。――フォン、と涼やかな音がして、翡翠色の光がゴールドたちを包みこんだ。
「……『いやしのはどう』……!」
ヒビキが声を上ずらせる。ソウルは唾を飲みこんで、その様子を見守っていた。やがてゴールドたちの傷が薄くなると、ミュウツーは手を引っ込めてソウルたちへ向き直った。
『彼らが戦っていたのは私ではない』
頭へ直接響いてくる声は、テレパシーによるものだ。
『奥で転がっている人間たちと相討ちしたか、それとも……』
「それとも?」
『第三者に奇襲をかけられたか』
「……あなたがその第三者ではないのですね」
『疑うのはお前の自由だ』
しかし、当事者の話を聞いてからでも遅くはあるまい。ミュウツーがそう言って腕を組むのとほぼ同時に、オオタチの尾を枕にしていたゴールドが小さく呻いた。
ヒビキは慌てて彼の元へ駆け寄った。
「ゴールド!」
「……ったくよぉ……お前といいクリスといい……心配症ばっか……」
身体を起したゴールドは、自嘲気に笑って前髪をかき上げた。ヒビキはホッと息を吐き、「……当たり前だろ」と掠れた声で呟く。
ラルドとミツルも意識が戻ったようで、上半身を持ち上げて辺りの様子に目を瞬かせていた。ソウルが、何があったのかと問うと、ゴールドは苦く顔を顰めた。
「……ミュウツーが言った通りだよ。俺たちはポケモンハンターのアジトを突き止めた、でポケモンハンターたちとバトル中、第三者の襲撃を受けた、以上!」
奥の方に三人ほどいる筈だと、ゴールドは親指を向ける。
ソウルはメガニウムを連れて、彼の示した方へと進んでいった。ソウルの背を見送り、ヒビキは声を潜めて「……何があったの?」と訊ねた。ゴールドは目を細め、床についていた手を持ち上げる。
その指に摘ままれていたものに、ヒビキは息を飲んだ。
「――いと高き空、虹色の翼」
日を受けて煌めく羽根を天上へ透かし、ゴールドは口元を緩めた。それはどこか自嘲的な雰囲気を持っていた。
ヒビキは掠れた声で「まさか」と呟く。ミュウツーは得心したように頷いた。
『近ごろ、野生のポケモンたちが落ち着きなかったのは、そういうことか』
「ハ……主の御乱心てか……」
『まだ憶測にすぎない』
「……始まりの樹」
ポソリとヒビキが呟いた。何の話だと眉を顰めるゴールドに構わず、ヒビキは彼の肩を掴む。
「さっきリーフさんから連絡があった。ゴールドたちを見つけたら、一緒に始まりの樹へ行けって……」
「それが何だって……」
「始まりの樹は……っ」
口を挟んだミツルは、骨を伝って走った痛みに一度言葉を止め、ラルトスたちの力を借りながら体勢を正した。
「……ミュウの棲む、ポケモンたちの楽園と呼ばれています」
『成程』
主と呼ばれるポケモンが巣とするには、これ以上ない。
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