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一筋の光。木々の生い茂る中から立ち上った雷を目印にJr.は降下した。
「ファイア!」
Jr.の声に反応を見せたのは、ファイアが最近捕獲したばかりのピカチュウだ。やっと現れた救援にほっと安堵の息を漏らしている。
彼の主人は、その隣で水溜まりに倒れ込んでいた。慌てて駆け寄り側に膝をつくと、開閉スイッチを壊されて転がるボールを見つけた。無事だったのはピカチュウのだけで、だから外へ出てられたのだろう。
それからずっと、目印になるようにと電撃を放っていたのだ。気絶するシャワーズを抱き締めるファイアも、意識はない。目立った外傷はないが、もしポケモンの特殊技を受けていたら。
「……っ」
シャワーズの技だろうか、凍る水溜まりの上に寝ていたために、身体は冷え切っている。Jr.は自分のジャケットをかけ、肩と膝裏に手を当てて抱き上げた。
ピジョットの背で、すでにシャワーズや他の荷物と共に乗り込んでいたピカチュウが、急かすような声を上げる。歯を噛み締めJr.も乗り込むと、オーキド邸まで速く向かうよう頼んだ。彼の心情を察してか、ピジョットは高い嘶きと共に空へ舞い上がる。
それを森の中から見上げていた姿、そしてファイアのリュックの中で図鑑が受信音を立てたことに、気づく者はいなかった。

始めに部屋を飛び出したのはシゲルで、続いてブルーが一人にしてほしいと断ってから出て行った。
気まずさの漂う室内、叫んだことで我に返ったのかシンジは大きく息を吐いて顔を歪める。近くにいたジュンが場の空気に馴れずそわそわしていたのが勘に障ったが、それを今指摘するほど厚顔無恥ではない。代わりに口から溢れたのは、深い溜息だった。
「なんだってんだよ……」
ジュンが弱々しく呟く。しかし顔を上げず何も答えないシンジに舌打ちし、きっ、と顔をそらした。
「ここオーキド研究所っすよね」
「え、ええ」
急にどうしたのだろうかと、クリスは首を傾げつつも頷く。するとジュンは何やら鞄を探り、少々よれた真っ白な封筒を取り出した。
「トキワジムリーダーとカントーチャンピオンへ。ダチからの頼まれ事っす」
クリスは受け取った封筒の宛名に目を落とし、そこに並ぶ几帳面な文字に思わず目を丸くした。
「全地方ジムリーダ、四天王、チャンピオンに召集令です」
『シンオウチャンピオン、コウキ』

ピチョン、と何処かで雫が落ちる。
身体が重く、酷く気だるい。レッドの意識は浮上した途端に、そんな感覚を受け取った。
それでもゆっくりと瞼を開く。そこに光は無く、ぼんやりとした狭い部屋がようやっと認識出来る程度だった。
どこだろうかと体を動かした途端、ジャラリ、と重い金属音が響く。やっと寝惚けた頭が冴え、今の自分の体勢と、気絶する前の記憶を弾き出した。
レッドの両腕は高々と掲げられ、天井にでも繋がっているのだろう鎖付の手枷で、拘束されている。コンクリートの壁と床に身体を預けて座り込めるようにはなっているから、苦しさはない。前に投げ出された足には枷がついておらず、それだけは自由に動かすことが出来た。
その足すら届かない前方には等間隔に並んだ鉄格子があり、その更に奥にはコンクリートの壁と扉が見える。
「気がついたか」
レッドが現状を把握した頃、その扉を開いてランプを手に男が現れた。エルレイドのトレーナーだ。
レッドの睨みを軽く受け流して、男はランプを壁の留め具にひっかけると、檻を開き中に入ってくる。その余裕そうな態度に対し自分は恐怖しているのだと、レッドは悟らざるを得なかった。
腰に残したままの筈のフッシーとニョロのボールはない。それに斬りつけられた背中が、ズキズキと痛んだ。
余裕無いレッドを見て口角を上げた男は彼の前で腰を屈めると、顎を鷲掴み、その赤い瞳が逸らされることのないよう固定した。
「マサラタウンのレッド」
「……っ」
「ったくすっかり騙されたぜ」
「……?」
ぱ、と手を離し男は溜息を吐く。訳が分からないレッドは睨むことも忘れて、そんな男を見つめた。
「一体、何が目的なんだ」
「さてね。俺達は依頼されただけだ――マサラタウンのサトシを捕まえろってな」
ひやり。背筋が冷える。思考が停止し、額から頬に煩わしい汗が滑った。
「……は?」
「こんなことならもうちっと下調べしとくんだったな」
目を見開くレッドとは対照的に、男は軽い調子で喋っては溜息を吐く。
そうだ、彼は始めになんと言っていた。『ピカチュウを肩に乗せ帽子をかぶった少年』――なぜその可能性を思いつかなかったのか。
微かに震えるレッドと目線を合わせた男の口が歪む。何故か、恐怖しか浮かばなかった。
「悪いことしたな。まさかお前が庇った方がサトシだとは、思わなくてよ」
そうだ、肝心のサトシは無事なのだ。自分はこんなことに慣れているから良い。彼が無事なら、それでいい。そう思うのは偽りでない筈なのに、どうしてだろう――こんなにも絶望で、心が満ちてしまうのは。
「可哀想になぁ、弟と間違われてこんなことになっちまうなんて」
加害者の台詞ではないが、今のレッドに反論する気力も思考もない。
気のせいだろうか、部屋に冷気が漂い始めたように感じ、手足の感覚が無くなっていく。レッドは思わず喉の奥でひきつった悲鳴を上げた。
手足から始まる氷が、全身へ広がっていくような感覚――いや、彼の目には、確かにそうなっていく自分の身体が映っていた。カンナの時よりも強い冷気が、大気中の水分も巻き込んだ刺だらけの氷でレッドを包んでいく。
歯の根が合わなくなったのは、寒さのためだけではない。氷の中に閉じ込められ、五感思考さえ凍らされるあの感覚。石像化した時でさえ感じたそれの記憶は、慣れではなく増大した恐怖を抱かせた。怖い。全て凍り一人暗闇に閉じ込められる――ニョロと出会って間もない頃、毎夜感じていたのと同じものを、また体験するのは。
「苦しいか? 寂しいか?」
男の声が遠くから聞こえた気がした。だが実際人の気配はすぐ耳元まで迫っており、距離感や平衡感覚まで失う世界に、更に震えが増す。
「可哀想になぁ、サトシのせいで」
そうだ、彼に間違われたから自分はこんな目に合っている。それに、あの時彼が飛び出して来なければ、捕まるなんてヘマはしなかった。
男の言葉に同意して沸き上がる思考を、頭を振って否定する。彼は家族だ、護って何が悪い、やっと望んだものなのに。
――家族なんて、いるから
自らに沸き上がる負の感情を否定していたレッドは、唐突に浮かんだ思いに不覚にも隙を作ってしまった。それは心の隙間。催眠術で操るには、都合の良い程度の。
にやり、と男が細く笑む。ブウン、と鈍い金属音のようなものが響き、先程まで幻覚に恐怖し震えていたレッドの身体がぴくりと止まる。鮮やかな赤の瞳は虚な光を湛え、まるで固まった血のような色を見せた。
「終わった?」
ひょっこりと女が顔を出す。隣には、二つのモンスターボールとスプーンを携えたユンゲラーがいる。ボールにはそれぞれニョロボンとフシギバナが入っており、主人の姿を見つけてか、じたばたと暴れ始めた。
「おう。……てかお前性格悪すぎだろ。こいつかなり怯えてたぞ、なに視せたんだ」
「人聞き悪い。そんなに怖いもんじゃないわよ」
おどけたように肩を竦める女に溜息を吐いて、彼女のユンゲラーからボールを取り上げた。
「で、どーすんの? そいつ、人形にしちゃって」
「最近勘づいてるチャンピオンがいるからな。そいつらの排除用」
それを玩具のように弄び、男は悪戯小僧よりも幾分か悪どい笑みを浮かべた。必死でボールから出ようとポケモンが暴れているが、ユンゲラーの『ねんりき』で制限されているから無駄なことだ。
睨み付けるポケモンに鼻で笑い返し、男はそれを放り投げた。
「……」
それを茫然と見つめるくすんだ赤の瞳は、最後の一瞬に浮かんだ優しげな緑がなんなのか、それすら理解出来ずにいる。
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