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「それじゃあよろしくな」
「ああ」
画面の向こうの兄へ短く返し、シンジはポケッチを閉じた。軽く息を吐きつつ上げた視線の先には、自然の木々に囲まれた建物がある。
シンジは、老夫婦が営んでいるという――聞く所によれば若い男性職員もいるようだが――ジョウト地方の育て屋に、兄レイジの使いとして来ていた。何でも修行時代に何度もお世話になり、今でも交流があるのだとか。
シンジは現在ジョウトリーグ挑戦中。その育て屋のあるコガネシティ周辺を訪れると聞いたレイジが、渡して欲しいものがあるのだと彼に依頼したのだ。それはポケモンのタマゴらしいのだが、何のポケモンかは分からないため、助力を仰ぐつもりらしい。
面倒だと思いながらも、しっかりタマゴを布で包んで抱えたシンジは、育て屋の道のりを急ぐ。
早く預けて次はエンジュのジム戦をしようかと思案していた彼は、ふと視界に何か掠り、つい足を止めてそちらを見やった。
「あれは……」

報せを受けたシルバーたちがオーキド研究所に足を踏み入れた途端、ガタリと大きな音が響いていた。
すでに集合していたブルーたちは酷く顔を歪めており、クリスに至っては顔を青ざめている。シルバーやイエローは何も言えずに息を飲み、彼の衝動性をよく理解しているヒビキが口火を切った。
「何してるんだよ、ゴールド!」
床に、水がこぼれている。その近くには硝子の破片が散らばっており、元はコップがあったことを示していた。
コップが砕け散り、水たまりを作るきっかけを作ったのは、切り傷を負ったゴールドの拳である。それは誰の目から見ても明らかであった。
物を壊したことを咎めると同時に傷の心配をしたヒビキが、ゴールドの手を取る。すると、まるで関係ない奴は口を出すなと言いたげに、勢い良く振り払われた。驚いてよろけるヒビキの肩を、ソウルが咄嗟に支える。
「……悪い」
伏せた顔から表情は読み取れない。やっと漏れた声は地を這うようで、聞く者の感傷を刺激した。
「ブルーさん、これは一体……」
こっそりイエローが彼女へ耳打つと、ブルーは肩を竦めて別の方向を指さした。
示された通りの方へ視線をやれば、向い会う二匹のピカチュウの姿がある。片方は申し訳なさそうに俯き、片方は怒ったように目をつり上がらせていた。
傷だらけの方がレッドのピカだろう。ということは、もう一匹はサトシのピカチュウだ。ピカはきっと睨みつけたまま、抑えきれない苛立ちの徴か、バチバチと頬袋から静電気を発していた。ピカチュウは弱々しく鳴いて、ペタンと両の耳を下げた。
「さっきからあの調子なの。イエロー頼めるかしら」
「あ、はい。やってみます」
頷いてイエローは二匹の傍に膝をつくと、目を閉じて手を翳す。イエローがその意思を読み取る間もピカの静電気は弾けており、周囲はハラハラしながら見守った。突然、ピカの電撃がそれまでよりも強く光り、その衝撃でピカチュウとイエローは尻餅をついた。
「イエロー先輩!」
「だ、大丈夫です」
シルバーが手を貸すと、直撃はしなかったのかイエローはすぐに立ち上がった。ピカチュウも体を起こし、まとわりつく電気を振り払うように頭を振っている。
「ピッカピ」
ピカチュウに向けて一言吐き捨てるとピカは、硝子を片付け終えて立ち上がったゴールドの肩に飛び乗った。不安気なピチュも頭に乗せたゴールドは、もう一度詫びの言葉を告げて部屋を出て行く。
「ちょっと、ゴールド」
「悪い、クリス。一人にしてくれ」
いつになく低い声で拒絶の意思を示されると、クリスはそれ以上何も言えず口を噤んだ。
「ゴールド!」
唯一の兄弟だけがその背中を追っていき、他は漸く消えた重い空気に安堵の息を吐いた。
「一体何なんだ」
「色々あるのよ、あの子も」
シルバーの呟きにはブルーが答え、彼女は視線をグリーンに向けた。それを気まずそうに受け止め、グリーンは踵を返す。また部屋を出て行く背中に、ブルーは溜息を吐いた。
「それでイエローさん、ピカはなんて?」
まだ座り込んだままのピカチュウを抱上げ、クリスが訊ねる。イエローは口を開きかけて、言い難そうに顔を歪めた。
「……『何で主人の傍に居なかったんだ。サトシを庇ってレッドはやられたんだ』と……」
「予想はしてたけど、やっぱりね……」
あのレッドが、そこらのトレーナーにやられるとは思えない。考えられるとすれば、相手が四天王レベルの実力者だったか、全力で戦えない理由があったか、だ。この場合は後者だったわけだ。
マサラに滞在する間、サトシはいつも、広いオーキド邸の中庭にポケモンを放した状態にしている。ピカチュウも、今日はたまたま健康診断でオーキド研究所に止まっていたのだ。
クリスの証言では、サトシは待っているのも暇だからとその辺を散歩していたらしい。恐らくその時に、レッドの姿か彼に降り注ぐ攻撃を目にしたのだろう。新しく出来た兄を慕い、好奇心旺盛な彼はトキワの森に入り――ここから先は推察するよりも、イエローの力でブイ達の記憶を読んだ方が早いだろう。
(レッド……)
ブルーはきゅ、と下唇を噛み締める。折角家族と再会できて、これから幸せな生活が始まろうとしていたところだ。手が届きそうな瞬間全てを闇に奪われる絶望感を、ブルーはよく知っている。出来れば、誰にも同じことを味わって欲しくはなかったのに。
(それでも、あんたは大切なものを護ったのね……)
ブルーは別室で眠る友人の弟の姿を思い浮かべ、目を伏せた。

「……」
風が頬を撫でる。汚されぬ白を通りすぎて行く風は、常のそれとなにも変わらない。
ぼーっと眼下に広がる風景を見つめていると気配が一つ背後に現れ、グリーンの隣に並んだ。
「ヘタレ」
いつかの少女と同じことを宣って、こちらに一瞥もくれない従弟を横目で睨み付ける。しかし反論出来ないことは、グリーン自身が理解していた。
――俺はアンタを、信じてたのに。
ゴールドの怒りに満ちた顔が、未だに網膜に焼き付いている。それと同時に脳内に再生されたのは、数日前の、レッドとの会話だった。
「サトシが起きた」
思案に沈んでいたグリーンが我に返って顔を上げると、Jr.が彼にしては珍しく真剣な表情でこちらを見つめていた。
「整理がついたら戻ってこいよ」
それは、彼なりの気遣いだったのだろう。軽く肩を叩いて先に家へ戻って行くJr.を横目で見送って、グリーンは苦く顔を歪めた。
「……ああ」
ぐ、と拳を握る。
――誇りであるマサラに誓って、何よりも自分自身に誓って。
「必ず救ってみせる」
――あの笑顔を、もう一度見るために。

そんな彼らの会話を耳端で捉えつつ、ヒビキはずるずると壁に沿って座り込む。それから膝に顔を埋めて、深く息を吐いた。頭に浮かぶのはつい数分前の出来事だ。
「八つ当たりなんて、そんなん分かってんだ」
俺もピカもな、と背を向けたままのゴールドはそう言った。
飛び出してすぐ追い付いた彼はヒビキに一瞥もくれないまま、すでに飛行用のマンタインに乗り込んでいた。
続く言葉はマンタインが上昇することで巻き上がる風にかき消されて聞こえなかったが、ヒビキには分かった。双子だから、だろうか。
(……それ以上に許せないのは何も出来なかった……しなかった自分自身だ……)
知らなかったのだからしょうがないじゃないか、とか慰めの言葉はいくらでもある。けれどそれでは彼らは納得しない。そんな言葉は意味を持たない、ただの音でしかなくなってしまう。
――ならば、自分も彼らのために。
「よしっ」
気合いを入れて、ヒビキは立ち上がった。研究所へ駆けてゆく彼は肝心なことを失念していたのだが、それに気づくのはまだ暫く先のことになりそうだ。


20201101改稿
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