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「出かけるの?」
穏やかな日差しの中、外へ出たレッドに声をかけたのは洗濯物を抱えたハナコだった。傍らにはバリヤードの姿もある。
相棒のピカチュウを肩に乗せ、レッドは小さく笑って帽子のツバに触れる。その仕草と恰好が下の弟二人を彷彿とさせ、やはり兄弟なのだと安堵してハナコも笑みを漏らす。
「はい。グリーンに借りていたリザードンを返しに」
「シゲルくんのお兄さん、帰ってきてるの?」
確か弟の話だと、ポケモン協会の本部に泊まり込みで仕事をしていると言っていた。トレーナーがいなくてもしっかりバトルできるよう鍛えられたポケモンたちがジムを守っているから、ジム運営の心配はないらしい。
ハナコは、それよりもいまだ敬語が抜けきらず他人行儀なレッドに眉を下げてしまった。
目を離した隙にいなくなり、つい先日まで再会できなかった大切な息子。その後に生まれた息子二人が旅立ったときも、今のような寂しさは感じなかった。遠いのだ。物理的なものではなく、心が。それを埋めていくには、まだまだ時間がかかるだろう。
「気を付けてね。いってらっしゃい」
「……いってきます」
そう感じているのは、レッドも同じ。申し訳なさそうな顔には、どこか照れ臭そうな笑みが浮かんでいた。
駆け出す彼の背を見送りながら、ハナコはそっと息を吐く。バリヤードが心配げに見上げてきたが、それには笑顔を返した。それから雑念を振り払うように、ハナコは取り上げたシーツを広げた。

「……だめだなぁ、俺」
一目散に駆け出したレッドは、トキワの森の中で唐突に立ち止まり、前髪をくしゃりとかきあげた。
そんなことはない、と肩に乗るピカが頬を叩く。彼の頭を撫でながら、レッドはボールを放り投げた。姿を現したのはグリーンのリザードン。
マサラからグリーンのいるトキワジムまで歩いて行けない距離ではないが、今はあまり森を歩きたい気分ではなかった。
レッドの記憶はここ、トキワの森から始まっている。人の姿がない深い森の中、ニョロと出会いマサラで暮らすようになった。今でも森を通る度思い出すのは、孤独に慣れず泣いてばかりいた幼少時代の記憶だ。家族と再会してからというもの、その孤独感は増すばかり。暖かく迎え入れてくれたハナコたちには、申し訳ない。
翼を広げ、リザードンは体勢を低くする。度々グリーンから借りていたこのポケモンは、すっかりレッドに慣れてしまった。代わりにプテラを渡してあるのでグリーンに迷惑がかかることはないだろうが、相棒はなるべく早く返した方が良い。
「よし、トキワジムまで頼むぜ」
背中に乗ってそう言うと、了承したようにリザードンは嘶く。彼の翼が雄々しく羽ばたき、風と共に辺りの草葉も宙に舞い上がった。
その時である。数本の光線が、空から降り注いだのは。
「なんだ?!」
光線の幾つかはレッドたちを取り囲むような穴を地面にあけ、幾つかはリザードンの両の翼を貫いた。痛みに雄叫びを上げるリザードンへ止めとばかり光線が直撃し、オレンジの巨体は木に叩きつけられる。その衝撃で地面に放りだされたレッドは、すぐに体を起こす。
「ピカ、『10まんボルト』だ!」
レッドから少し離れた地面に着地したピカも、耳を揺らしながら身体を起こす。それから地面を蹴って飛び上がり、溜め込んだ電気を空中に放った。目の眩むような閃光に、レッドは思わず眉を顰めた。
閃光の隙間から、こちらへ向かってくる黒い影がある。
「ピカ!」
丸い巨体はゴローニャだ。恐らく空中でボールから出されたのだろう。ゴローニャは落下エネルギーまで攻撃力に変えようとしている。落下中で身動きのとれないピカを巻き込んで、巨体は地面にめり込んだ。
「動くな」
思わず駆け寄ろうと立ち上がったレッドの首筋に、エルレイドの鋭い腕が添えられる。反射的に腰のボールに伸びた腕を止め、レッドはエルレイドの背後に立つ男を横目で睨み付けた。
「ピカチュウを肩に乗せ黒髪で帽子をかぶった少年……うん、特徴通りだ」
「……なんの話だ」
「悪く思うな。俺は頼まれただけなんでね」
微妙に噛み合っていないが、何となく察した。
どこの誰に何を頼まれたか知らないが、一人と分かればやりやすい。レッドが身動きとれない状態であるからだろう、男はのんびりと構えている。
「ブイ! ゴン!」
「! なにっ」
レッドの声に反応して、草むらから飛び出した二匹のポケモンが飛び出す。始めに吹き飛ばされた時、草むらへボールを投げ入れていたのだ。
慌てた男がピカを捕らえていたゴローニャを呼び寄せたので、ゴンと巨体同士がぶつかり合い、派手な音を響かせる。じりじりとした押し合い。それに反して、エルレイドとブイはひらりひらりと攻撃をかわしてあっていて、決定打と言える一撃を与えられずにいる。
ポケモンはポケモンに任せ、エルレイドの刃から解放されたレッドは男を睨み付けた。彼の迫力に頬をひきつらせはするものの、男は退散する素振りを見せない。度胸と実力はそれなりにあるらしい。
「何者だ! 目的は!」
「知るかっての! 俺は単なる雇われだ! あんたを生け捕りにしろってな!」
ゴンが押され始める。ブイの鳴き声がしたかと思うと、小さな身体がレッドに叩きつけられた。エルレイドに蹴り飛ばされたらしい。なんとかブイを受け止めたレッドは、焦りを必死に押さえ込みながら頭をフル回転させる。
始めに思い付いたのはデオキシスのことだ。どこから情報を得たかは知らないが、以前のロケット団のようにレッドを使って誘き寄せるつもりなのだろうか。
(なら尚更、捕まるわけにはいかない…!)
「ブイ! サイコキネ…」
不自然にレッドの言葉が止まる。青ざめるその表情を見て、同じようにその存在に気がついていた男はにやりと口許を歪めた。
「兄、ちゃん…?」
末子のサトシが、いつもは肩に乗せている筈のピカチュウを伴わず、丸腰の状態で現れたのだ。なぜここにいるかは定かでないが、この状況は非常に不味い。レッドはあの家の人間を誰も傷つけたくなかった。
サトシも何となく穏やかではない雰囲気を察したのだろう。落ち着かない様子でキョロキョロと辺りを見回し、何を思ったかレッドに向かって駆け出してきた。男がエルレイドを呼ぶ。咄嗟に、レッドは叫んでいた。
「来るんじゃない!」
「え…」
ピタリ、とサトシの足が止まる。だが遅かった。
彼の頭上から降り下ろされる鎌。レッドは無我夢中で駆け出した。
ザンッ――。
布を引き裂く音が、森に響く。
暖かいものに抱き締められたサトシの瞳に映ったのは、降り下ろされたエルレイドの鎌と、それに背を向けている兄の姿。名前を呼ぼうとしても恐怖で震える喉からは、空気が漏れるだけだ。
ぐらり、とレッドの体が揺れる。サトシは咄嗟に抱き留めようと腕を伸ばした。
「サイコキネシス」
男の指示で放たれたポケモンの技に脳を揺すぶられ、サトシは呆気なくその意識を飛ばした。
主が倒れたことで動揺したポケモンを倒すことは容易い。派手な音を立てて地面に沈むカビゴンを尻目に、男はエルレイドに薙ぎ倒されたエーフィを爪先で転がした。
ピカチュウ、リザードン、カビゴン、そしてエーフィ――ほぼ聞いていた通りのメンバーだ。今回のターゲットは様々な種類をゲットしていると聞いていたから用心していたのだが、それも必要なかったか。
「兄弟がいるなら、それを使えば良かったぜ」
寄り添う弟を退かし、エルレイドの刃を背に受けて気絶した兄を抱き上げる。空中攻撃の際に使用したチルタリスを取り出すと、その綿毛のような羽の中へ彼を隠すように横たえた。それから、兄が落ちないよう支えながら自らも飛び乗った。
チルタリスは二人の人間を乗せ、苦もなく飛び去ってゆく。それを悔しげに見送りながら、ピカとリザードンはゆっくりと体を起こした。
あれくらいの攻撃で気絶してしまうとは、情けない。まだ痛みは酷く、起き上がるのが精一杯だ。
それでも早く助けを呼ばなければと、リザードンは翼を動かした。翼に穴が空いているため、よろよろと左右に揺れながら、トキワを目指した。
それを見届けてから、ピカは気絶する仲間を見やる。ゴンとブイはそこにいたが、フッシーとニョロの入ったボールは見つからなかった。きっと、まだレッドの腰についたままなのだろう。古株の二匹がついていると知り、一先ず安心したピカだが、自己嫌悪は増すばかりだ。
四天王戦の記憶がちらついてくる。また自分は護れなかったのだ、と。
ふと顔を上げた先には、横たわるサトシがいる。ピカの主が護り抜いた存在だ。嘗て、ピカにしてくれたように。
「ピィカ…」
見上げた空は、目が覚めるほどの青さだ。しかしやがてそれは水面のように揺れ、ピカには見えなくなってゆく。
「――!」
――ここで名前を呼ぶ資格は、自分にはないのだろう。傍にいたのに、三度も君を護れなかった自分が。
哀しみに引きつった鳴き声が、森中に響き渡った。



20201101改稿
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