後に出版される本の冒頭は、次の通りになっている。
――始まりはいつであったのか、今となってしまえばそれは分からない。
――世紀末の予言が流れたあの年だったのか、その数年前だったのか。
――はたまた、バタフライが舞ったあの夜だったのか。
『新・デジタルワールドの冒険』より。



「バタフライ?」
ご存知の通り、蝶のことである。しかし、四歳の彼が何故それを知っているのか不思議で、ほたるは首を傾げた。当の本人は無邪気に頷いて、クレヨンを動かしていた手を止める。
「よる、目がさめてまどのそとを見たら、こう」
そう言って、太陽は短い腕を目いっぱい広げる。
「たくさんのバタフライが、とんでったんだ」
「アゲハ蝶、ですか?」
言いながらほたるは、夜中に群を成して飛ぶ種類などいただろうか、と頭の中の知識を探る。いたとしても日本、しかもこんなコンクリートジャングルの東京に生息しているものか。
ほたるの問に、太陽は首を横に振った。
「バタフライ。青とかピンクとか、キラキラしてた」
それからまた別の色のクレヨンを手に取って、太陽は画用紙を塗りたくる。先ほどから描いていたのは、昨夜目撃していたバタフライとやらだったらしい。
「ところで、太陽……それは?」
ほたるがどうしても見過ごせなかった物を指さすと、太陽は名前に相応しい晴れやかな笑顔を浮かべ、大切そうに『それ』を抱き上げた。
「でじたま!」
バタフライがくれたのだと嬉しそうに話す太陽の笑顔に、ほたるの頭の上の疑問符はますます増えるのだった。



その日、光が丘は快晴だった。
「あっつー」
額に薄ら浮かぶ汗を拭い、隆志は手にしていた団扇で風を起こした。しかし生温かい風が肌を撫でるだけで涼をとれるほどはない。隆志はカーテンの影でゴロリと横になって、外から聞こえる蝉の鳴き声を耳へ通した。
「良い天気だな……」
「たっかしー」
「まだ夏の始めだってのになー」
「たかしー、あついよー」
「あー……あっつー」
「たーかー」
「うっせー!」
とうとう無視を決め込むこともできなくなって、隆志は団扇で目の端を飛び回る青い生き物を投げ飛ばした。ぎゃん、と悲鳴を上げて、青い生き物はゴロゴロと床を転がる。身体を起こし、ゼーゼーと肩で息をすると、汗がさらに噴き出した。
青い生き物は達磨の要領で身体を起こし、ブルブルと頭を振った。
「なにするのさ!」
「うるさいんだよ! ただでさえ暑いのに!」
余計暑くなる! と語調荒く言って、隆志は汗を拭った。むぅ、と頬を膨らませ、青い生き物――隆志はチビモンと呼んでいる――は隆志の腹に飛び乗った。
「おい」
「あちゅい……」
「だから言ってんのに……」
勝手に自滅するチビモンに吐息を溢しつつ、隆志は彼の首根っこを摘まむと腹から引きずりおろした。ぐでー、と白い腹を晒して暑さに喘ぐチビモンを床へ転がし、隆志はチラリと天井の一角へ視線を移動させた。その先にあるのは、先ほどから沈黙したままの白い機械。今朝方、ぷつん、という嫌な音と共に活動停止してしまった代物だ。
元々それに頼りっきりだったから、このマンションの一室に扇風機等という代わりの冷房機器はない。汗でべったりと肌に張りつくシャツの襟元を動かして風を送ってみるが、それにも限界がある。ローテーブルに置いた麦茶のグラスも、浮かんでいた筈の氷の姿を消していた。隆志は意味を持たない音を発しながら、再びゴロリと床に身体を倒した。
カサ、と何かが投げ出した腕に触れる。首を回してそちらへ視線をやると、藍色に染まったチラシが目に入った。腕だけ動かして取り上げ、少し皺のよったそれを適当に広げる。
「『天体観測会』……」
回覧板で回ってきたものだ。場所は光が丘の公園、日時は今日の夜。
B5版の紙の半分を覆うほど大きく目立つその文字を隆志が読み上げると、それを耳聡く聞いたチビモンが嬉々とした声を上げてまた腹に乗り上げた。
「てんたいかんそく?! なにそれ、それなに?」
「乗るなよ……だから星を観察するんだよ」
よっこいせ、とチビモンが落ちないように手を添えながら身体を起し、そのチラシをチビモンの目前で揺らす。チビモンは大きな瞳を更に大きく開き、何かを期待するように隆志を見上げた。その目に浮かぶ光の意味を察し、隆志は小さく息を吐く。
「分かった、分かった。連れってやるよ」
「ほんと! ありがとう、たかし!」
「わ! だからくっつくなって!」
暑苦しい! ――喜びのあまり顔へと飛びつくチビモンのせいでまた床に倒れこみながら、隆志は団扇を投げだしたのだった。



「太陽、早く行きましょう」
横断歩道でほたるは立ち止まり、数歩後ろを歩く太陽を振り返った。腕時計を一瞥すると、観測会の開始時刻までもうそうないと分かる。
太陽は小さな両腕で大きなデジタマを抱えながら、よちよちと覚束ない足取りで歩いていた。ほたるが手を引こうも、そうすれば片腕でデジタマを支えることになり、彼の細腕でそれは不可能。代わりに持つからとか、置いていこうとか、ほたるが何度言っても太陽はそれを手放そうとはしないのだ。もうすっかり諦めたほたるは、溜息を溢して前方の信号を見やった。
「あ……」
彼女に追いつこうと必死に足を動かしていた太陽だが、やはり幼子、少しずつ疲れが見え始めた。そのため腕の力が弱まり、隙間からデジタマが滑り落ちてしまう。僅かに斜面になっていた道路を、大きく丸いデジタマがコロコロと転がっていく。太陽は慌ててその後を追った。
「わぁ……」
明後日の方向へ駆けていく太陽のことなど露知らず、ほたるは首を反らして夜空を見上げた。藍色の空に、散り咲く星屑。その間を、一筋の緑線が通り抜けた。



神経をひっかくような薄気味悪い笑い声が、暗い空間に響き渡った。
四方八方、漆黒の帳に囲まれた場所である。点々と銀の煌めきが散らばっているが、大した明るさではない。そんな場所で二体のデジモンが対峙していた。
片方の、より人形に近いデジモンの両肩には、パートナーらしき人間が一人ずつ乗っている。そのうち金髪の男は目前の敵を見て、苦々しく舌打ちした。
「全く、どこまでもしつこい奴だ」
「ヤマト」
もう一人が金髪の名前を呼べば、彼は分かっていると返し、自分のパートナーデジモンの合体形であるオメガモンを見下ろした。
「あんまし長くはできないぞ、太一」
「ああ。――さっさとケリをつけてやる」
アポカリモン――前方の敵を見据え、太一と呼ばれた男は低く呟く。笑い声はいつの間にか止んでおり、爛々とした瞳だけが二人に向いていた。
一瞬の沈黙。そして、轟音。
オメガモンとアポカリモンの攻撃が、正面からぶつかり合った。しかし爆風に怯まず、寧ろそれを利用して懐へ飛び込んだオメガモンは、右の刃を横に薙ぐ。それは見事命中し、アポカリモンの傷口から粒子が溢れ出た。
その光景にヤマトは拳を握るが、太一は周囲の違和感に気づき顔を強張らせる。
不気味な、地を這うような笑い声。アポカリモンでも、ましてや太一たちのものでもない。
黒々とした空間の一か所が円を書くように歪み、ダークホールを作り出す。そこから漏れ出す声と気配に、太一たちは覚えがあった。
「お前は……!」
太一の唇がその名を紡ぐより早く、二つの影が交差した。目の前を掠める風に、太一たちは反射的に目を閉じる。再び開いたとき、そこには自分たち以外の姿はなかった。
「どこへ行った!」
「太一、どうやら別次元へ逃げたようだ」
「二体ともか?!」
「いやヤマト、アポカリモンだけみたいだ」
もう一体は完全に気配を断っている。舌打ちしつつ太一は耳へ手をやり、そこに装着していたインカムへ声をかけた。
「光子郎!」
「もうやっています!」
地上でサポートに専念していた男からの、焦った返答。次いで、忙しなくキーボードを叩く音がする。タン、と一際高い音が太一とヤマトの耳を刺した。
「次元特定できました! 但し、外部からの干渉のみで直接次元内への侵入はできません!」
「十分! アポカリモンが残滓でも存在できるんだから、デジタルワールドがあるってことだ!」
デジタルワールドがあるなら、選ばれし子どもたちもいる筈だ。彼らに助力を仰ぐほかない。
出現と同時に行方を眩ませたもう一体の存在を地上にいる他の仲間へ報せるよう言伝し、顔を見合わせた太一とヤマトはオメガモンと共に、光子郎が開いた次元の穴へと飛び込んだ。



携帯の画面に映るデジタル時計は、観測開始時刻を知らせている。
自動販売機が立ち並んでいるから、電灯がないのにそのお陰で公園の裏口は明るい。ガコン、と音を立てて滑り落ちてくる冷たいコーラのペットボトルを拾い上げ、隆志はショルダーバッグを何気なく肩にかけ直した。そんな彼の頭には、小さく欠伸を溢すチビモンが乗っている。
あれだけ昼間は楽しみだと騒いでいたというのに、今はすっかり疲れ果てた様子。溜息を吐いて、隆志はコーラの蓋を捻る。
その時、隆志の足元を何か丸い物が通り過ぎて行った。
「な、なんだ?」
溢しそうになったコーラを何とか支えて、蓋をしめる。隆志が揺れたことで目を覚ましたらしいチビモンも、パチクリと目を瞬かせてそちらを見やった。
「なになに?」
チビモンに言葉を返せず、隆志は思わずそれに魅入る。
――ピンクと白の斑模様をした、あれは。
「デジ、タマ」
ふわふわと、不思議な色の蝶が夜空を飛び回る。背後から吹いてきた風が隆志の髪を揺らし、ショルダーバッグに括り付けられていた古いゴーグルを揺らした。
驚く隆志の横を、小さな人影が駆け抜けていく。ハッとして視線を向けると、青いヘアバンドを首から下げた少年が、そのデジタマを大切そうに抱き上げた。
「たかし?」
「……それ、お前の?」
訝し気なチビモンを無視し、隆志がツンツン頭のその少年に声をかけると、彼は驚いた様子も見せずじっとこちらを見返した。それからコクンと一つ頷き、肯定の意を返す。
隆志が更に口を開きかけたそのとき、赤く強い光が彼らのすぐ傍らに落下した。
「!?」
「! 何だ……!」
巻き上がる風と埃から顔を庇い、隆志は腕の隙間から目を凝らす。モクモクと立ち籠る煙の向こうで、巨大な何かが蠢いているのが見えた。それと一緒に、背筋を騒めかせるような笑い声が聴こえてくる。
「ククク……久しいリアルワールドの空気だ」
ようやっと収まった風に腕を下ろした隆志は、晴れた煙の向こうから現れた姿に思わず息を飲んだ。
「二十年……いやもっとか。何にせよ久しいことに変わりないか」
そう呟いて闇より黒い翼を広げたのは――デーモン。いつか画面で情報として見たことがあるその姿に、隆志は背筋を震わせた。存在自体が恐怖を増長させる、そういうデジモンなのだ。
デーモンはふと、何かを見つけたように視線を止めた。隆志、ではない。隆志がその視線の先を追うと、先ほどの少年が尻もちをついている姿が目に入った。少年はキョロキョロと辺りを見回し、何かを捜しているようだ。隆志はそこで、彼の傍らにあのデジタマがないことに気がついた。あの衝撃で落としてしまったのだろうか。
デーモンが少年に近づく。しかしデジタマ探しに夢中な少年は、それに気づかない。
「たかし、マズイんじゃないの?」
「分かってるよ……!」
チビモンに後押しされ、隆志は少年に声をかけようと一歩踏み出した。デーモンは少年の近くで足を止める。それに気づかない少年は、デジタマを見つけたことで、嬉しそうにそれに頬ずりした。それからふと、視線に気づいて顔を上げる。
「……デジモン?」
少年はきょとん、と目を瞬かせる。デーモンは目を細め、少年と彼の抱えるデジタマを見やった。
「貴様、まさか……」
デーモンの鋭い爪をもつ手が伸びる。それが少年へ向いていると気づいた隆志は、咄嗟にポケットに入れていた携帯を取り出し、手から滑り落とした。
携帯が地面と衝突する前に、思い切り蹴り上げる。固いそれは狙い通りデーモンの手甲に命中し、動きを一瞬止まらせた。
鉄の塊を蹴ったことでジンジンと痛む足に耐え、隆志は地面を蹴る。こちらをゆっくりと振り返るデーモンの脇をすり抜け、隆志は少年の手を引いて駆けだした。取り落としそうになったデジタマは、隆志がもう片方の手で抱きかかえる。
買ったばかりの携帯なのに、勿体ないことをした。頭の片隅でそんな呑気なことを考えながら、全速力で走る。しかし、突然少年が躓いたことで足を止めることになった。隆志は思わず舌打ちする。
「おい!」
「いたた……」
強打したのか、赤くなる鼻を抑えて少年は起き上がる。隆志は強く彼の腕を引いた。
「早く逃げるぞ! 死にたいのか!」
瞬く間に、少年の大きな瞳が潤みだした。隆志は思わず言葉に詰まる。兄弟のいない隆志は、年下の面倒の見方を知らない。どうすれば良いのか分からず迷う隆志の頬に、チビモンがペシリと手を添えた。
「たかし、ちっちゃい子にはやさしくしないと」
「う、うるさいな! 今そんな悠長なこと言ってられないだろ!」
チビモンに怒鳴り返した隆志は、ゆったりとした足取りでこちらへ向かってくるデーモンの姿に息を飲んだ。闇を纏う爪が、隆志たちへ伸びる。
隆志は背筋を震わせ、しかし唾を飲んで気を奮い立たせる。ショルダーバッグにデジタマを詰め、少年を背負うと、一目散に駆け出した。
「たかし!」
「とにかく、どこかへ……!」
今すぐにでも父に電話して、助けを呼ばなければならない。あのデジモンに、隆志はおろか進化できないチビモンも太刀打ちできないだろう。携帯は蹴り飛ばしてしまったから、公衆電話に頼る他ないが、昨今ではそれを見つけるのは難しい。
隆志は無我夢中で走り、いつの間にか歩道橋のある道路の真ん中へと飛び出していた。ピタ、と足を止めた隆志は、辺りに漂う違和感に眉を顰める。
「たかし?」
「何か……」
「変だ……」
隆志の言葉に、少年も続ける。隆志の肩に置く手に力をこめ、少年――太陽は小さく唾を呑みこんだ。
辺りは、薄らと靄がかかっていた。それは普通の靄のように白ではなく、何処となく青や桃の色を交ぜている。まるでネオンが反射しているかのような風景の中、ポツンと聳える歩道橋が象徴的だった。その下に、小さな人影が見える。
「!」
隆志が目を凝らそうとする前に、衝撃波が彼の足元を抉った。隆志は思わず尻もちをつき、彼の手から離れた太陽も、固いコンクリートに背中を打ち付ける。痛みに呻く二人の前に立ちはだかったのは、デーモンだった。
「……!」
隆志は何とか身体を起し、まだ起き上がれない太陽を背中に庇う。小さな子どもが更に小さな子どもを庇うその様子に、デーモンはせせら笑った。
「……っ!」
太陽を捜して駆け回っていたほたるは、歩道橋の上で足を止めた。手摺に擦り寄って下を覗きこめば、広い道路の真ん中で知らない少年と共にデジモンと対峙する太陽の姿が見える。思わず身を乗り出し、ほたるは大きく息を吸い込んだ。
「太陽――!」
声は靄へと吸い込まれたのか、デーモンの耳に届く頃には蚊のようにか細く、太陽たちへは伝わらない。
ニヤリと細く笑むデーモンは、小さな存在を簡単に潰してしまえるという余裕に満ちていた。
「貴様たちが新たなる選ばれし子どもだというのなら、ここで潰しておくことが得策だろう」
独り言のように呟いて、デーモンは手を掲げる。
ここまでか、と隆志は歯を食いしばった。ふと、背中を握る小さな熱に気づく。隆志はハッとした。今彼の背中には、名も知らぬ幼い少年がいるのだ。隆志一人諦めるのは簡単だが、それにこの少年まで巻き込んでしまうわけにはいかない。
「たかし……!」
それに、自分たちの前に立つこの相棒は、ちっとも諦めていない――なら、隆志も諦めてはいけない。
「そうだな、チビモン……こんなところで、負けてられるか……!!」
どくん。大きく脈打つ鼓動。チビモンはハッとして顔を上げる。何処からか飛んできた青色のバタフライが一匹、チビモンの額に止まった。
「ばたふらい……」
太陽のそんな呟きと共に、ゆっくりと淡い光がバタフライから溢れだす。それはチビモンを包み、シャボン玉のようにフワリと浮き上がった。驚く隆志と太陽に反して、デーモンは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
「これは、まさか……!」
悔し気に呟く彼の前で、シャボン玉は更に光を増していった。そしてその光は唐突に――それこそシャボン玉の終わりのように――弾けた。
その眩さには、隆志や太陽だけでなく、デーモンまで目を細めた。
光を追って来た子どもたちが、道路脇に並ぶ。何れも天体観測に参加するため、近くの公園を訪れていた面々だ。彼らは靄に包まれながらも、道路の真ん中で輝くそれをじっと見つめた。
全ての光が収束したとき。そのときそこにいたのは、小さなチビモンではない。それは色形こそ面影はあれど、屈強な体躯と一対の翼、そして強固な鎧を持つデジモン――アルフォースブイドラモンであった。
「……チビ、モン……?」
「タカシ、大丈夫だ。オレが守るよ」
チビモンのときよりもしっかりとした口調。それに対する頼もしさよりも先に隆志の心に沸き上がったのは、紛れもない高揚感だった。
ニヤリと笑うアルフォースブイドラモンに、隆志も笑い返して強く頷いた。
「しかし、貴様一体で何ができる!」
「できるんじゃなくてやるのさ。オレはタカシを守るために在るんだから」
「ほざけ……!」
デーモンは苛立ちも露わに吐き捨てる。次の瞬間、空間をも闇へ切り裂く爪が、アルフォースブイドラモンへ伸びた。アルフォースブイドラモンはそれを横に移動して避け、握りしめた拳を思い切り叩きこんだ。ぐ、と呻いてデーモンは二三歩よろける。
「おのれ……!」
アルフォースブイドラモンの優勢に、隆志は酷く興奮していた。しかしそんな彼の傍らで、太陽は一人、立ったままじっとデーモンの背後を凝視する。
ユラユラと揺れる青い靄に映るのは、大きな恐竜に似た影だった。
「……グレイモン……」
太陽の呟きは、隆志には聞こえない。彼は片膝をついた状態で両手を握り、アルフォースブイドラモンの繰り出すそれと一緒に前へと突き出した。かしゃん、とショルダーバッグにぶら下げたゴーグルが音をたてる。
「行けー!」
アルフォースブイドラモンは拳に力をこめ、胸を張る。胸のV字型のアーマーに光が宿り、眩い光線が発射された。
「シャイニングVフォース!!」
光線は真っ直ぐ、デーモンの身体を焼く。デーモンは夜空に呻き声を響かせる。
「……」
道路脇からその光景を眺めていた一人が、カメラを持っているのとは別の手で、首から下げたホイッスルを手に取った。それを口へと運び、小さく息を吸う。

ピ――――――――――

高く、長く、道路に響き渡るホイッスル。驚きや恐怖すらなくす力強いその音は、『二つ』あった。
太陽はじっとデーモンの背後に浮かぶ影に目を凝らし、そして呟く。
「……撃て」
それはいつか、父から聞いた言葉。
ドン、と大地を揺るがすような轟音が、次の瞬間に響き渡った。
隆志はよろけ、地面に手をつく。ほたるや道路脇の子どもたちですら体勢を崩す中、一人太陽だけがじっと微動打にしなかった。
光線に焼かれるデーモンの身体が、白い光の塊と化す。それは徐々に小さくなっていき、手の平に乗るほどの光球になる。すると、どこからか飛んできたバタフライが羽根を広げて、それを包み込む。
青と桃色のグラデーションの光が、隆志たちの目を焼いた。
それも一瞬のことで、光はすぐに消え去った。
突然のことに頭がついていかず、隆志は目を瞬かせる。アルフォースブイドラモンは先ほどより弱い光を放ちながらチビモンへと戻った。
「たかしー!」
ぴょん、と飛びつくチビモンを抱き留めて漸く、隆志の頭はデーモンを撃退したのだと導き出した。
「……すっげえ……すっげぇ……すっげえ!」
同じ言葉を繰り返し、隆志はひたすらチビモンの頭を撫でまわした。チビモンもそれを嬉しそうに受け入れ、二人はキャッキャッとじゃれ合う。
そんな彼らを横目に、太陽はゆっくりと靄が晴れつつある歩道橋下へと足を進めた。そこに、先ほど見た影は一つもない。
「あのグレイモンは……おれの……」
太陽は小さく呟き、徐に両手を伸ばす。ふわり、とその手の平にバタフライが一匹降り立った。太陽はそれを包むようにそっと胸元へ引き寄せた。
「太陽!」
名を呼ばれて顔を上げれば、歩道橋を駆け下りたために息を切らしたほたるの姿があった。彼女の名前を太陽も同じように呼び返すと、ほたるは急ぎ駆け寄って彼を強く抱きしめた。
そんな諸々のできごとを道路脇から傍観していた子どもたちは、あまりの非現実さに言葉を失っていた。そんな中、ノートを抱えた少年が、近くに転がる何かに気づいて拾い上げた。最新機種とCMで紹介されていた、携帯端末だ。
「ん?」
彼の手中で、プスンという音と焦げ臭いに匂いがする。瞬間焼けつくような熱さに思わず手を離せば、携帯は地面へ転がり落ちた。暫くの間マナーモードのように振動していたそれは、限界だったのか軽い音を立てて小さな爆発を起こした。
「……壊れた」
爽やかな朝日が照らす中、新品だった携帯の慣れ果てを見て、少年は勿体ないと呟いた。それから白み始める空を見上げる。
バタフライはその羽根と同じ色の燐紛を、置き土産として撒き散らしていったのだろうか。白金色の朝日は何処となく虹色で、美しかった。



――夜中に起こったその出来事は、後から聞けば十三人の子どもたちしか、目撃していなかったそうだ。
――これが何を意味するのか、その事実を知らぬ子どもたちにも、分からなかった。
――それは早すぎる出会いだったのだということを知るのは、数年後。
――物語が大きく動き出すのは、その四年後。
――二〇二七年の八月一日である。
『新・デジタルワールドの冒険』の『序章』より抜粋。

To be continued?
×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -