Memory of Dark
(ルサ)

幼い頃助けてくれたあのひとの力になりたいと、それだけを思ってこの道を歩んできた。後悔は、していない。

サファイアが列車から降りると、夕方の生温い風が頬を撫でた。森特有の匂いに、思わず空を見上げる。ぼんやりとする彼女を、じれったそうにゴールドが呼ぶ。慌ててサファイアは駆け出した。
今回は『森で暮らす異形の人間』という奇怪な噂の真偽を確かめるため、遙々やってきた。サファイアは新人エクソシストで、まだ任務に対して緊張が抜けきらない。それでも今回は比較的落ち着いていた。
異形が住まうのは、枯木ばかりの山の中腹だった。人里離れているため、道中出会う人間はおらず、それどころか生き物の気配すら感じ取れない。その寒々しさにぶるりと身を震わせ、サファイアは腕を擦った。
「あれか」
ゴールドが指し示したのは、灰色の風景中、不自然に際立ったログハウス。その扉が揺れたので、二人は近くの大木の影に身を滑らせた。ログハウスから姿を見せたのは、意外にもサファイアと同じくらいの年の少年だった。左腕は怪我でもしているのか、包帯が巻かれている上、脇に垂らしたまま動かす様子が見られない。あの腕が異形と言われる由縁なのだろうか。
「……こんな時に」

隣で溢された苦々しいゴールドの呟きに、サファイアは首を傾げた。しかしその意味を次の瞬間に理解する。外に出た少年の背後から、彼を取り囲むようにして三体のアクマが現れたのだ。このままでは彼が危ないと思い飛び出しかけるサファイアだが、様子を見ようとゴールドに合図され上げかけた拳を下ろした。
少年はアクマの気配に気がついたらしく、ゆっくりと振り向く。そののんびりとした様子に、知能の低いレベル1でも癇に障ったのだろう、奇声を喚き散らしながら、一斉に飛びかかった。少年は溜息を吐いて、左腕の包帯に手をかける。一息で解き放った包帯の下から現れたのは、手の甲に十字架を埋め込んだ異形の腕。肩まで木の皮のように凸凹とした皮膚で覆われた異様な腕に、サファイアは思わず息を飲んだ。
「発、動」
少年の声に呼応し、十字架が光を放つ。それは肩まで広がり、弾けた。気味悪さのあった皮膚は鎧のように変化し、爪が鎌のように鋭利になる。ゴールドの中で、予想が確信に変わった。間違いなく、彼は自分たちの仲間だ。鋭い爪が、断末魔すら許さずアクマを切り裂く。全てを一瞬の内に破壊し、少年はその発動を解いた。
「成程、確かに噂通りだ」
背を向ける少年へ、物陰から姿を見せたゴールドが声をかける。恐らく彼はとっくにその存在に気がついていたのだろう、動揺した様子を見せずに、サファイアたちの方を振り向く。ほう、とサファイアは思わず感嘆の声を漏らした。レッドのとはまた違った、宝石のような紅の瞳には、冷たい光しか見いだせなかった。

「成程」
大体の事情は分かったと頷いて、ルビーと名乗った少年は紅茶を啜った。外で立ち話もなんだからと通されたログハウス内は、男の一人暮らしにしては綺麗で居心地良い。畏まった席が苦手なサファイアは、必要以上に入っていた肩の力が抜けていくのを感じた。ゴールドの態度もまた別の意味で慣れたもので、ともすれば無礼と解釈されそうであるが、ルビーがそれを気にした様子はない。
「で、僕もその戦争に参加しろと」
「そういうこった」
「成程、お断りします」
笑顔で、しかもさらりと言うものだから、サファイアは思わず礼儀も忘れて立ち上がった。
「な、なんで?!」
「興味ないから」
「はあ?」
先程この少年は、話を理解したと言った筈。ならばこの戦争が世界の命運を左右するものだということも、理解したのではなかったのか。何故そんな冷たいことを言うのだ。
「あんた、世界を救いたくなかと?」
「救世主様にはなりたくないね」
「はあ?」
「サファイア」
その辺にしておけとゴールドが目で制すので、渋々サファイアは口を閉ざして腰を下ろした。ゴールドに無理意地する気はないらしく、その話はそれで打ち切られ、今晩の宿を提供して貰えないかと交渉し始める。それには快く了承するルビーを、憮然としない思いでサファイアは見つめるのだった。

都会よりも田舎の方が、星が眩しく見えるのは、空気が澄んでいるからだ。ログハウスから外へでて、サファイアは冷たい空気を身体の隅々まで満たすように吸い込んだ。
「よお、野性児ギャル」
「ゴールドさん」
寝付けないのは同じなのか、散歩していたらしいゴールドが、サファイアの隣に並ぶ。身体を伸ばす彼を一瞥し、サファイアは夕方から気になっていたことを恐る恐る訊ねることにした。
「ゴールドさん、あの……――なんでルビーって奴を放っておくと?」
ゴールドは予想していたのか、彼女を一瞥して根本に腰を下ろす。
「人命かかってんだ。本人の意志なく、無理矢理戦わせられるかよ」
上の人間は首輪でもつけて引っ張りだすべきだと言うが、それによってできた被害者をゴールドはよく知っている。できれば、意志を尊重したい。
「けど、大勢の命を救うための戦争じゃなかと?」
この戦争で敗北すれば、待っているのは世界の破滅だ。大勢の生命を救うには、彼の力が必要不可欠だ。
「……何の為に戦うのか、だな」
「え……」
「お前は何のために戦う?」
星空を見上げたまま、ゴールドは独り言のように呟く。その姿がいつもの騒がしい彼の雰囲気と違い静かなもので、サファイアは戸惑った。しかしそれを追求することは出来ず、代わりに質問の答えを探すため、幼い頃の記憶へ思いを馳せる。
「……アタシは、小さい頃助けてくれた人の力になりたくて」
まだ聖戦の存在など知らなかった頃、偶然遭遇したアクマ。その危機を救ってくれたのは、同い年と思われる少年だった。けれどサファイアは、その少年に恐怖してしまったのだ。アクマと戦うその姿を、怖いと、言ってしまった。適合者と判明したとき思い出したのも、彼のことだった。名前も顔すら覚えていないその少年に、一言謝りたいと、今度はその隣に立って共に戦いたいと、そう決意した。
「アタシは、この道を選んだと」
「……そうだろ」
「は?」
「戦う理由はどれも自分のためってこった」
各言うゴールド自身も。命をかけるのだから、それだけの理由が必要だ。それは他人のためなんてものじゃない。あくまでも、自分自身のため。
「あのオシャレ小僧には、それだけの理由がなかった」
ただそれだけのことだ。それに、どの道、エクソシストが聖戦から逃れることはできない。本当に神に導かれるように、彼もやがては聖戦に参加することになるのだ。しかしそれを二人に伝える必要はないと、ゴールドは長く息を吐いて目を閉じた。
サファイアは何処か釈然としないまま、更けていく夜の空を仰いだ。

話をしよう。
翌日、まだゴールドは起床していない二人きりのリビングで、サファイアが言った。朝食の準備をしていたルビーは、その唐突さに暫し手を止めたがすぐに再開し、よく焼けた目玉焼きをサファイアへ振る舞う。漂う良い香りに、サファイアは本題も忘れて涎を垂らしたが、すぐに我に返り口端のそれを手で拭った。
「昨日のことやけど!」
じと目のルビーを振り払うように、サファイアは声を荒げる。そのことかと返して、ルビーは紅茶を啜る。目玉焼きを勧めれば口いっぱいに頬張る彼女に苦笑しながら、ルビーはその向かいに腰を下ろした。
「それならもう断った筈だけど?」
「けど……やっぱりアタシは納得できんと」
「君がどう考えるかは自由だ。けれど、それを押し付けないでくれ」
キツい語調に、サファイアは思わず口をつぐむ。その端には黄身がこびりついていて、彼女はまだ子どもなのだなとルビーは独り言ちた。目玉焼きを平らげ、サファイアはフォークをそっと机に置いた。
「……何のために力があるとか、考えたことなか?」
「……」
「アタシは、昔の過ちを正すためやと思った」
初めて、ルビーの顔に驚きの色が浮かぶ。それに僅かな優越感を覚えつつ、サファイアは昨晩ゴールドにしたのと同じ昔話を、彼に話して聞かせた。彼女の話が進むにつれ、ルビーの深紅に浮かぶ驚愕が色濃くなっていったのだが、紅茶の揺れる水面を見つめていたサファイアがそれに気づくことはなかった。
「……あんたは?」
「……え」
「あんたの力は、何のためにあると?」
その時のサファイアの顔は、お転婆な常の彼女には似つかわしくない実に少女らしいものだったが、今この場にその違いに気づく者はおらず、ただルビーはそれに見惚れていた。深い藍の瞳は自分が触れるには、実に綺麗過ぎる。そう思い、逃れるように目を伏せて、ルビーはじっと紅茶のを見つめる。揺れる水面に映る自分と目があって、自嘲の笑みが自然と口端に浮かんだ。
「……昔話をしてもいいかい」
唐突な話にサファイアは小首を傾げたが、静かに頷いて先を促す。それが彼の理由に繋がればと、そう思ったからだ。
「……ありがとう」
ある所に男の子がいたんだ――そんな出だしで、その昔話は始まった。

少年は生まれつき、奇怪な左腕を持っており、それが原因で親に捨てられた。けれど決して孤独ではなかった、友がいたからだ。友もまた親がおらず、従姉と家族は二人だけ、その上病弱だった。普通の子供のように外で走り回って遊べるような二人ではなかったが、それでも彼らは幸せだった。日がな一日、部屋の中で本を読んだりお喋りしたり。一人じゃないから楽しいと思えたのだ。
ある日、友の従姉が亡くなった。事故だった。雨で滑った馬車が、彼女を直撃したのだ。
唯一の肉親を亡くした友の哀しみを、少年が全て理解することは出来なかった。肉親なんてものが、彼にはなかったからだ。友は日に日に痩せていく。それを止め、励ます術を、少年は持っていなかった。
そんな日々が続いたある日、少年はある男と出会う。
死んだ者を生き返らせたくないか――男はそう、少年に訊ねた。少年は迷った末、こう言った――少し待ってくれ。彼はそれが理を壊すかも知れない願いだと理解していたから、躊躇ったのだ。しかしその数日後、友の家を訪れた少年は、その選択を後悔する。
ベッドに座った友の横には、先日出会った男と、人骨の模型が立っていた。模型の額には従姉の名が刻まれており、それを見上げて友は涙を流すほど歓喜していた。
『姉さんが生き返るんだって!』
少年の存在に気がついた友は、とても嬉しそうに叫んだ。しかし次の瞬間、従姉の魂を手に入れた骨組みが、彼を殺した。少年は動けなかった。友が殺されて化物の皮にされていくさまを、情けなく泣きながら、ただ見ていることしか出来なかったのだ。
友の皮と骨が馴染んだ頃、それまで黙っていた男が、少年を指差して言った。
『さぁ、その少年を殺せ』
「……で、あんたはどうしたと?」
喉を潤すため紅茶を流し込み、ルビーは相変わらず自嘲的な笑みを浮かべた。その姿は、サファイアの胸へツキリとした痛みを生んだ。
「……それまで指一本動かなかった左腕が、その時になって初めて動いた、勝手にね」
鋭い爪に変化した自らの腕を見て、少年は察した。このままでは友を壊してしまう、と。それだけは嫌だと思った時、彼の耳に別の音が届いた。
それは窓を蹴破る音だった。涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げると、散らばった硝子の破片を踏み潰して立つ人影が二つ見得た。その片方は、少年とはまた違った真紅の瞳を持っており、彼の存在に気づくと、にっこりと微笑んだ。大丈夫だ、という真紅の瞳の一言に、とても安心した。
「……結局、元友人のアクマは、男と共に姿を消した」
「それが、あんたの戦わない理由やと?」
「いや、これは戦う理由」
「?」
「君と同じだよ」
あの時、自分が従姉の魂を呼び戻していれば、友人は死なずに済んだかもしれない。そんな考えに囚われたことさえあった。しかしその度脳裏に浮かんだのは、助けてくれた少年達の姿だった。彼らに対する恩と憧れから、共に並んで戦いたいと、強く望んだ。
伯爵のこと、アクマのこと、この戦争のことを教えてくれた彼らは、その後数回、ルビーの様子を見にやってきた。アフターケアというものだったのだろう。もうこれっきりだと告げられた日、共に戦わせてくれと、ルビーは頼んだ。けれど、当時自分がまだ幼かったためか、真紅の瞳のその人は少し困ったように笑って、頭を撫でてきた。
『もう少し大きくなって、護りたいものができたら、その時は手伝ってくれ』
「そんな約束から一年後」
ルビーは新しく淹れた紅茶を二人分用意して、サファイアと自分の前に置く。柔らかなダージリンの香りが部屋に漂った。
「僕は、護りたいと思える女の子と出会った」
所謂、一目惚れに近かったのだろう。アクマに襲われるその姿を見たとき、いてもたってもいられなかった。それまで自ら封印していた腕を開放し、彼女を襲うアクマを倒したのだ。
「けどフラれちゃってね」
「え?」
「彼女を庇った時に額に傷を負ったんだけど、その傷と戦う僕の姿に恐怖を抱いたらしい」
怖いと言われたよ――事も無げに言って、ルビーは紅茶を啜る。もしや、とサファイアは立ち上がり、ルビーの額を隠すバンダナへ手を伸ばした。ルビーは抵抗せず、真っ直ぐサファイアを見つめる。震える手で取り払われたバンダナの下から現れたのは、生々しく残る傷痕。サファイアの脳裏に、助けてくれた少年の姿が、鮮やかに浮かび上がった。
「……あの時、助けてくれた……」
「うん」
震える口で呟けば、ふわりと笑って、ルビーは肯定する。震える唇を噛み締めて、サファイアは勢い良く頭を机に打ち付けた。
「ごめん」
ずっとずっと、それだけを言いたかった。
「.……いいよ」
優しい声と、優しい手。記憶の中のそれと違えることのない温もり。潤み出す目頭を悟られないよう俯いて、サファイアは歯を食い縛った。
「……まぁその時思い出したんだよね、自分が異形だって。別に、君を責めるつもりじゃないよ。ただ、この力で護れるものなんてあるのか―――そう思ったら、すっかり戦う気が失せてね。こんな腕じゃ街では暮らせないから、こうして辺境に家を構えたってわけ」
長い昔話はこれで終いとばかり、ルビーは紅茶に口をつける。サファイアも流石にこれ以上何かを言うことはできず、居心地悪気に俯いた。
「……ま、でもいいかな」
「? なにが」
「教団、行ってもいいよ」
「……はあ?」
またもさらりと、ルビーは言ってのける。先程よりも音をたてて立ち上がり、サファイアは裏返った声を上げた。にこやかな笑顔を浮かべたルビーは、間抜け面なサファイアの鼻先をつつく。
「君と一緒に戦いたい」
それが理由だと、ルビーは恥ずかし気もなく平然と言い放つ。彼の代わりか、サファイアはボンと音を立てて赤面した。嬉しいことに代わりはなく、サファイアは口元を緩める。
「アタシも」
――一緒に、戦おう。
お互いに差し出した手を打ち付けて、約束の証を刻んだ。

ガッシャン、と派手な音を立てて、硝子のコップが砕け散る。その音に顔をしかめ、ソファで寛いでいた男は、咎めるような視線を少年へ向けた。少年は荒く肩を上下させて息をし、苦しそうに胸元を掻きむしっている。ただ事ではない様子に、しかし男は動じることなくまたか、と愚痴に似た呟きを溢した。
「あまり無理をするな」
「うるさい!」
大人しそうな外見に似合わず、噛みつくように言い返して、少年は男を睨み返す。男はただ肩を竦めた。
「……殺してやる」
優し気な笑みの似合う顔は、憎悪と苦痛に歪んでいる。その双眸が狙うのはただ一人なのだろうと想像して、男は名前しか知らないその相手に、こっそり手を合わせた。
「……ルビーくん……っ」
ぎり、と強烈な歯軋りの音が、部屋に響いた。
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