Dark Night
(グリレ)

天井まで届く本棚が、グルリと取り囲むように立ち並ぶ部屋。床は、それが模様であると錯覚してしまいそうなほど、書類で覆われている。部屋の中央には大きな机が一つあり、その上にも本や書類が山と積まれていた。そんな机上の僅かなスペースに頭を埋めて眠りこける青年が一人。白衣を纏った彼の右手はペンを握ったままであるから、仕事中に寝落ちてしまったらしい。
眉間の皺を取り去った年相応らしい寝顔の上に、影が落ちる。くすりと小さく笑んで、その影は手を伸ばし、青年の頬をつついた。えい、と可愛らしい声を出して。
「……」
「……」
「……何の真似だ」
「あら起きた?」
身体を起す青年にご苦労様と労って、少女は机に積まれている本の山の上へ腰を下ろした。その行動を咎めるように青年が顔を顰め、「ブルー」と彼女の名を呼ぶ。しかし本人は気にした風もなく、室内であるのに広げたパラソルをクルクルと回した。
「大変そうね、室長代理さま?」
処理済みの山から書類を一枚持ち上げて、ブルーはひらひらとそれを振った。溜息を隠さず、グリーンという名の青年は、その書類をブルーから取り上げた。
「……で、何の用だ。神出鬼没なエクソシストさま?」
「あら、それさっきの仕返しかしら?」
グリーンは表情を崩さず、肩を竦めるだけだ。ブルーはフンと息を吐いて、本題を切り出した。
「私さっき、任務で帰還したばかりなのよねー」
「それはご苦労だったな」
「……あんた、本当に知らないの?」
「? なにが」
怪訝そうに首を傾げるグリーンの様子に溜息を吐きつつ、ブルーは口を開く。彼女が告げた事実に、グリーンは山が崩れるのも構わず乱暴に立ち上がった。



廊下を、脇目もふらず全速力で走る。普段の彼と違うその様子に、擦れ違う団員達が驚いていた。しかしそんなことを気にしている暇はない。上昇機械の待ち時間すら惜しくて、階段を駆け降り、ブルーに教えられた部屋に飛び込む。
「レッド!」
その勢いには部屋の中にいた人々も驚き、和やかな雰囲気は一瞬にしてピタリと固まった。唯一のんびりと返事をしたのは、グリーンもその名前を呼んだ、部屋の中央で人の輪に囲まれていた青年だった。
「あ、グリーン」
何か言いかけるレッドへ近づき、側にいた少年を押し退けたグリーンは、呑気そうな彼の頭を指で弾いた。
「いだっ! ……っ何すんだ!」
「それはこっちの台詞だ!」
額を押さえ、涙目で睨みあげてくるレッドにグリーンは怒鳴った。レッドは今、医務室の真新しいシーツが引かれたベッドに座っている。掛け布団で隠されている下半身は知らないが、上半身は一目で重傷を負ったと分かるような量の包帯で覆われているのだ。グリーンは大きく息を吐いて、腰へ手を当てた。
「無茶をするなと言っただろ」
彼の性格と戦闘スタイルからそれは無理だと知っているものの、そう願わずにはいられない。世界だなんだと言う前に、グリーンにとってレッドは一人の大切な人間なのだ。それを理解しているから、レッドはまだ赤い額を摩りながら苦く笑った。
「……うん、ごめんな」
「……分かればいい」
そっとグリーンは、ガーゼの貼られた頬へ手を伸ばす。添えられた手に、レッドも自らのそれを重ねて頬を擦りつけた。ようやっとグリーンも眉間の皺をなくし、小さく口角を上げる。頬から耳の方へ手を滑らし、黒髪を撫で付けるようにさらりとかきあげると、赤い瞳が気持ち良さそうに細められる。その様子にムズムズとする口元を抑えながら、グリーンは手を離した。
「……? どうした」
「?」
周囲を見渡した二人は、そこに広がる反応に揃って首を傾げた。二人が醸し出していた雰囲気に、ある者は赤面し、ある者は呆れていたのだ。しかし当事者二人は無意識による行動であったから、その理由が理解出来なかったのだ。こんなことを日常茶飯事にやっておいて、お互い無自覚というのだから性質が悪い。こっそり溜息を吐きながら、ゴールドは自身の武器であるキューで肩を叩いた。
「いちゃつくのは後にして下さいよ」
「いちゃつく?」
何を言っているのかと顔を見合わせる二人の様子に、もう何も言うまいと周囲は心中で決意する。これ以上何か言って、馬に蹴られるのは御免だ。
「あ、そうだ。イエロー」
「は、はひぃ!」
ああ可哀想に、とゴールドはこっそり同情する。あの雰囲気に当てられて赤面していたところ、憧れの人から指名されて喜べば良いのか照れれば良いのか、混乱していることだろう。
「これ」
そう言ってレッドが彼女に差し出したのは、今回の任務の戦利品であり、彼がこんな重傷を負った原因だ。
仮想19世紀末、世界ではとある聖戦が勃発していた。正体不明、神出鬼没の千年伯爵と名乗る人物――であるかも怪しい――を筆頭に、現世界の破壊と新世界の創造を目論む組織。対するグリーンたちはそれを阻止せんとする組織に与し、日夜戦いに明け暮れている。通常の戦争と違う点があるとすれば、伯爵側の兵士がアクマと呼ばれる特殊な兵器であるため、人間側もエクソシストという特別な人間を兵士としているところか。エクソシストたちは唯一アクマに対抗し得るイノセンスと武器を集め操り、アクマはそれを破壊し――といった、イノセンス争奪戦の容を成しているのがこの聖戦だ。
レッドがイエローに見せたのは109あるイノセンスの内の一つだ。他のモノがそうであるように、淡い露草色の光を放っている。イエローは暫く目を閉じて、レッドの手上にあるそれに自分のそれを翳した。
「はい。確かにイノセンスです」
月色の瞳を開いて頷くと、イエローはもう一度目を閉じる。ふわり、と風が彼女とイノセンスを取り巻いて、一つに包み込んだ。そんな風にしてイノセンスが少女の中に吸い込まれていく瞬間は、何度見ても神秘的で目を奪われてしまう。
イノセンスを使うことを、イノセンスによって赦され、選ばれた者を適合者と呼ぶ。各言うイエローもその一人だった。彼女の場合は、全てのイノセンスを保護し所有する箱の役目を担った石箱の適合者。彼女自身がイノセンスであり、その体内には今まで手に入れてきた適合者不明のイノセンスが目覚めを待っている。
「……これで41個か」
「まだまだ先は長いなー」
呟きに笑顔で相槌を打ったレッドをじと目で見やって、グリーンはその頭に軽く手を置いた。
「取敢ずお前は暫く謹慎だ」
「えー」
不服そうなレッドを、髪をかき混ぜることで黙らせたグリーンはふと手を止め、珍しく柔らかい笑みを浮かべる。
「見舞いにはきてやる」
「……サンキュ」
仕事があるからと言って踵を返したグリーンを、レッドは白衣を掴むことで立ち止まらせた。
「ただいま」
「……おかえり」
そういえばまだ言ってなかった。それを思い出したグリーンはまた柔らかな笑顔で、小さく手を挙げる。レッドは満面の笑みを浮かべ、手を振り返した。そこでふと、周囲の雰囲気が可笑しいことに気づき、小首を傾げる。
「……誰、今の」
「……グリーンさんが、笑った……?」
どうやら普段はしかめっ面であるグリーンの柔らかな雰囲気と笑顔を受け入れられなかったようだ。
「グリーンはいつもかっこいいよな」
しかしレッドがそんな呑気なことを宣うものだから、周囲は益々口を閉ざすのだった。

「お熱いわねー」
「……ブルーか」
廊下で待ち伏せていたのだろう、偶然を装って声をかけてきたブルーは、ニッコリと笑って手を挙げる。彼女へ何のことかと訊ね返すと、心底呆れたといった表情を向けられた。
「レッドのことだけど」
並んで歩きながら、ブルーは声を潜める。細長い廊下に人気はなかったが、念には念を入れて。
「あんたの見解、当たりかもね」
「……やはりか」
頷き、グリーンは口元へ手をやった。レッドのイノセンスは、珍しい寄生型の中でも滅多にないと思われる形をとっている。血だ。恐らく核となるのは、その心臓。
「流した血でアクマを倒す……便利って言えば便利だけど、その分限界も早い筈。ただでさえ寄生型は、短命なんだもの」
「……血自体がイノセンスなら、耐性も強いと考えた奴らもいたがな」
昔の話だが、と呟くグリーンを一瞥し、ブルーは下唇を噛み締めた。彼は恐らく、幼い時に教団から施された実験のことを言っているのだ。ブルーも被検体のうちの一人であったから、その辛さは手にとるように分かる。エクソシストを兵器としか見ないあの冷たい視線は、今もブルーの脳裏に焼きつくように残っていた。
「……無茶しなければ、出血多量で死ぬことはない。けどいつか、躯が耐えられなくなるわ」
聖なる血の力を収められるほど、人間の躯は強く出来ていない。純粋すぎるが故、人間の手に余る。なんと皮肉なことか。
「……そしてその限界は近い」
明日か一週間後か、細かくは見定められなかったが今回の戦闘を見てそれだけは断言できた。抑えられない聖なる力によって、レッドはいつか、壊される。
「……壊させない」
ぐ、と拳を握り、細めた緑の双眼が睨み付ける先は、何処だろう。そっと視線を外して、ブルーは小さく笑む。
「絶対に護ってみせる……何としてでも」
「……そうね」
隣を歩くグリーンに頷きを返して、ブルーは彼の肩を小突いた。お互いしか見ていない幼馴染みたちに、微力ながらも手助けが出来ればと。彼らに幸あれと、信じていない神に今だけは手を合わせたいと、そう思った。
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