序奏(2)
洗礼の儀――とマグナが勝手に位置付けている――を無事に済ました後、アスタはマグナにアジトを案内されていた。
先ほど出会った団員数とは不釣り合いなほど広々とした食堂。団の証である牛の頭から湯が流れ出る大浴場。罠魔法で飾られた女子部屋。団長の趣味だという猛獣部屋――そのどれもが破天荒なものだったが、アスタは目を輝かせながらアジトを歩き回った。
「でこっちが……って」
アスタの反応に気を良くしたマグナが次の部屋へ向かおうとしたところ、丁度向かいから一人の少女が歩いてくるところだった。
月明かりに照らされた小波を集めたような銀の髪、少しツンとつり上がった菫色の瞳。胸を張るように立ち、肩にかかった髪を手の甲で掻きあげる仕草は洗練されている。
フワ、とアスタの鼻先を水のような匂いが掠めた。少し塩の匂いも混じっている気がする。
「おい、お前の同期だ。今年のもう一人の入団者」
「同期、素敵な響き!」
言葉の響きに気を取られ、アスタの頭からは『匂い』のことなど吹っ飛んだ。
親睦の印にと差し出した手は、スパン、と叩き落とされた。
「気安く話しかけないで、魔力の乏しい下民の小虫が」
「……ええ〜!!」
突然の暴言に、アスタは言葉を失う。一瞬呆気にとられたアスタだが、すぐに我に返った。
「誰が小虫だあ!! 俺とお前は騎士団の同期!」
「そうだ、アスタ、言ってやれ!」
騒ぐ二人を見て、少女――ノエルは吐息を漏らした。それから、徐に手を翳す。
「言葉で理解できない下民は、魔力の差で分からせるしかないようね」
「!」
白く細い手の中に、水の形をした魔力が溜った。
放たれた水が、アスタへ迫る。思わず腕を上げかけて身構えたアスタの鼻先で、水の塊は直角に曲がった。
「え」
水の塊は油断していたマグナを襲った。びしょ濡れで倒れたマグナは、肌に貼りつく髪をかきあげながら、マグナは頬を引きつらせて立ち上がる。
「てめえ……いい度胸だな……」
「……フン。あなたの立ち位置が悪いのよ」
「手前、コラアア!! 王族だが海精(ネーレーイス)の末裔だか知らねえが、手前みたいなじゃじゃ馬引き受けてくれんのは、ヤミさんだけだからなあ!!」
「ねーれーいす?」
聞きなれない単語にアスタが首を傾げる間に、ノエルは騎士団の証であるローブを投げ捨てた。
「こんな団、こっちから願い下げよ」
マグナの怒声を背中で受け流し、ツカツカと歩き去る。
「な、なんだったんだ……」
怒り心頭の先輩と取り残され、アスタはただただ呆気に取られていた。

埃だらけだが念願の一人部屋で一夜を明かしたアスタは、強い水の『匂い』で目を覚ました。昨日、ノエルと対面したときに感じた、塩気の混じった水の『匂い』だ。
鼻を擦りながら起き上がったアスタは、アジトの外で水音が聴こえることに気が付いた。
「! これは……」
匂いと音を頼りに探しだした場所は、中心に大きな樹が一本ある開けたところだった。中心の樹には的の図が描かれており、樹の周囲には隕石でも落ちたような穴が幾つも空いている。その樹と向き合う位置で佇むノエルは、肩を震わせて俯いていた。
「アイツがやったのか……?」
部屋で感じた水の『匂い』が強い。見えない霧となって、そこら中に漂っているよう。
きゅ、とノエルは胸元を掴んだ。どうやら、そこにつけていたブローチを握りしめているようだ。グッと唇を噛みしめたノエルが「なんで……なんでよ……!!」と叫んだ瞬間、水の魔力が爆発した。

「……なんだ、ありゃ」
朝の一服を楽しんでいたヤミは、フゥと紫煙を吐く。
突如として、アジトの空に巨大な水の塊が浮かんだのだ。ヤミがアジトの庭へ出ると、他にも目を覚ました団員たちが何事だと集まってくる。
「魔力が暴走しちまってやがるな」
「なんつー魔力量だ」
「あらあら。海精の末裔って本当だったのね」
酒瓶を片手にやってきたバネッサは、精霊的特質はなくとも彼女に流れる海精の血が、王族特有の魔力量をさらに上乗せしているのだろうと言った。フィンラルも顔を青くしていたが、ふと何かに気づいたように目を凝らした。
「あれ……ネプチュナイトだ」
「ねぷ……? なんだ、そりゃ」
「海王石ですよ。ほら、あのブローチ」
フィンラルが指をさす先を、ヤミも目を凝らして見やる。確かに、豪奢な銀細工に濃い紫の宝石が嵌めこまれたブローチがある。
「でもノエルちゃん、ニュンペーじゃない筈……」
「先祖に海精がいたって言うから、先祖由来の家宝かもね」
「つーかそれよりあれを何とかするのが先だろ。フィンラル、空間繋げ」
「む、無理無理、無理です! あんな高魔力の中、まともに空間なんか繋げられませんよ!」
「ち、使えねぇな」
舌を打ったヤミは、ふとずぶ濡れで転がって来たアスタを見つけた。ヒョイと片手でアスタの襟首を掴み、猫のように持ち上げる。
「丁度良いところに来た。ちょっとあれ、どうにかしてこい」
「いやいやいや! どうやってあんなとこに」
「うるせぇ」
アスタの反論を聞かず、ヤミは彼の襟首を掴んだ腕を振りかぶった。そしてそのまま、水の塊へ向けて放り投げる。風圧で顔を崩しながらも、アスタは咄嗟に魔導書を開き、剣を引き抜いていた。
「どりゃああ!!!」
鍛えぬいた腕で剣を振り、水の塊を叩き斬る。
「……!」
水に囚われていたノエルは、水圧が消えたことで固く閉じていた目を開く。微かにぼやける視界の中、こちらへ向かって飛んでくる少年と目があった。宙に投げ出されていたノエルの手が、マメだらけでごつごつとした手に握られる。
その瞬間、呼吸が軽くなった。今まで水中で動いていたのかと疑うほど、呼吸が楽で手足が軽い。身体の変化に気を取られていたノエルは、手を握るアスタと共に自分が落下していることに気づいていなかった。一方、咄嗟にノエルの手を取ったアスタは、迫りくる地面に死を悟った。
「あ、死んだ」
――空間魔法、『堕天使の抜け穴』
ヴンと異空間の穴が開き、ノエルとアスタは吸い込まれる。次に二人が飛び出したのは、地面と平行に開かれた空間の穴だった。
「生きてたあああ!! 空間魔法あざぁす!」
「はっはっは、よくやった小僧」
機嫌よく笑いながら、ヤミは起き上がったアスタの頭を撫でる。胸を撫で下ろしたフィンラルとバネッサたちも駆け寄ってきてアスタと、まだ地面に寝転がったままのノエルに怪我がないことを確認した。
「王族の魔力量と海精の力が合わさったら、中々コントロールできないわよね」
「でも、さっきは一瞬、力が抑えられていたよ」
バネッサに頬の泥を拭われるノエルの顔を、ラックも覗き込む。ノエルは肘をついて身体を起こし、自分の手の平を見つめた。アスタに手を握られた瞬間の、あの感覚。あれは一体何だったのだろうか。
「小僧、お前、ノエルと組め」
「へ」
言葉少なに頭を掴んで引きずり出されたアスタは、気の抜けた声を漏らすしかない。「ああ、仮契約ね」と納得したらしいバネッサはニヤリと笑う。
「仮契約?」
「ニュンペーの宝石を、人間に貸し与えることで力を分け与えるの」
ヤミとフィンラルもそうだ、とバネッサは片目を瞑って指を振る。思わず二人の方を見やったアスタは、成程と納得した。ヤミの胸元で揺れる紫水晶に、何かが思い出される気がしていたのだ。フィンラルの瞳と、同じ色だったからだ。
「俺たちのことは良いから……ほぼ脅し取られたようなものだし」
「アッシーくんの癖に文句でもあるんですかー」
「滅相もアリマセン」
「え、でも俺宝石がないのに」
「これじゃない?」
膝を曲げたラックが、ツンツンとノエルのブローチを指さす。
海の波を連想させる銀細工の一辺に、指先ほどの小さな黒い石がついていた。
「これは……オニキスね。もしかして、坊やの宝石の近似種なのかも」
「ニュンペーの契約に必要なのは本人の宝石なんだけど、近似種でもそれに近いことはできるんだよ」
クエスチョンマークが浮かぶアスタたちに、フィンラルが説明する。
「それでノエルちゃんの力を抑えるんですね」
「そいうこと」
話はこれで終わりだと、ヤミはさっさとアジトの方へ戻って行く。気だるげな背中を見送り、アスタとノエルは顔を見合わせた。ノエルはそこでハッと我に返り、赤くなる頬を隠すように俯く。
「な、何よ。アンタもコントロールできないってバカに……」
「いや、スゲーと思うぜ」
「え……」
「自分の魔力なんだ、特訓すればコントロールくらいできるだろう。そしたらあの魔力量……お前、無敵だな」
菫色の瞳を丸く開き、ノエルはアスタを見上げる。アスタはにっかりと笑い、彼女へ手を差し出した。ノエルはキュッと唇を引き結び、アスタの手をとった。
「よろしく……お願いします」
濡れたノエルの言葉を聞き、アスタも嬉しそうに微笑む。二人の様子を見て、フィンラルたちは口元を綻ばせた。
その日、黒の暴牛団に新しいニュンペーのバディができた。
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