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「丈夫に育ったわねー」

友人と大声を出して走り回る姿を、目を細めて感慨深げに呟く声。どうかしたのかと問えば、含むような笑みを溢して頭を撫でてくる。あの時の母の笑顔は、きっと―――










アラベスク










強く固い地面に叩きつけられる。しかし腕に抱きとめられていたから、予想したような痛みはこない。だが庇った分、兄の痛みは自分以上だろう。ほのかが慌てて体を起こすと、古市は先に立ちあがり下がっているよう声を荒げた。肩を手で抑えた古市の更に前には、冷や汗をかいたラミアが敵から守るように立っている。

「あの子妹さん?か〜わい」
「本当ねー」

ほのかと同じ年程の少女と、ほわほわした雰囲気の少女。真っ白な服が日差しに照らされて眩しい。

「っ…」

突然、胸を掴んだ古市がかくりと膝をついた。ほのかが驚いて駆けよると、大きく肩を揺らして息を荒げている。確かに体調悪いとは聞いていたが、ここまでとは。ラミアは顔を青くして俯いた古市を振り返った。古市はとうとう手をつき、体を支えることも出来ていないようだ。

「ミカエルの予想当たったね!」
「本当〜」

ラミアは思わず舌打ちした。古市の体調不良は目覚める<霊珠>の魔力に体がついていけていないからだ。それが酷くなっているということは、つまり漏れだす魔力が増えているということ―――<霊珠>の完全な目覚めが近いということだ。それを狙っていたのだとしたら、こちらの分が悪い。
伸ばしたラミアの腕の隙を飛び越え、ウリエルが古市に手を伸ばす。慌てて振り返るが間に合わない。ほのかも、情報処理が追いついていないのか呆然としている。

「も〜らい」

その手が古市に触れる。その瞬間、

「おい小娘」

黒い靄が古市兄妹を取り囲んだ。ウリエルの顔が驚愕に固まり、反対に現れた男はニヤリとほくそ笑む。ラミアも目を丸く開きポカンと口を開いた。

「ヘ、ヘカドス…?!」

重症で病院に押し込んだ筈だ。その様子すら見せず団服を翻したヘカドスは、悔しげなウリエルを実に楽しそうに見下ろし、その腕ごと遠くに放り上げた。

「借りを、返しに来た」
「…別に返してくれなくても良かったのに」

一回転して着地したウリエルは、引き攣った笑みを浮かべた。ゆらりと立ちあがるが、どこかぎこちない。医者のラミアには彼女が足を捻ったのだと解った。しかしそれを伝える前にヘカドスは地面を蹴っていた。

「ラファエル、あの悪魔は私の獲物よっ」
「あらあら〜」

横を通り過ぎながらかけられた言葉に、ラファエルは少しも困っていない風に呟く。さてと、とこちらに向いた彼女の瞳は、先程までとは打って変わって刃のように研ぎ澄まされていた。ゾクリとラミアの背筋が凍る。勝てない。元々ラミアは戦闘要員ではないのだから、それも当り前だが。だが、引くわけにはいかない。古市とほのかの前に立つラミアに、ラファエルは意外そうな声を漏らす。

「そこまでして守るんですか?そこの人間を」

まるで咎めるような声色に、ピクリと反応したのはほのかだ。兄の肩を抱いたまま、涙を薄ら浮かべた瞳を上に向ける。

「どういう…意味」

喉が渇く。もう現れた三人が何者かなんてどうでもよかった。そんなこと言わないで。生まれてこなければ良かっただなんて、生きてる価値ないだななんて。だって彼は―――あんなに両親に望まれていたのだから。

「お兄ちゃんを、否定しないで!」
「否定しますよ」

裏返るほど荒げた声に、返って来たのは存外冷たい声だった。目を見開いたまま、ほのかは固まる。荒い息を吐いていた古市の意識が浮上したのもほぼ同時だった。

「<霊珠>は、強大な魔力で生命を創りだす―――それが体内にあるということは、彼は元々宿る筈の生命を持っている存在ではなかった」
「何、言って…」
「端的に言うと、古市貴之は生まれる運命ではなかった…ということです」
「…は?」

なにそれ。乾いた口でほのかが呟く。古市の肩が揺れ、同じように呆然とした面持ちが上がった。咄嗟に駆け寄ったラミアは、古市のその表情から隠していたかった事実を彼が聞いてしまったと悟り、悔しさで顔を歪めた。

「俺は…本当に…」

―――死んでるのと何が違うんだよ

あの時の自分の言葉が、何故か今は、

「しっかりしなさい!」

パチン。小さな温もりが、冷たく強張っていた頬を叩く。虚ろだった瞳に光が宿れば、涙目でこちらを睨むラミアの姿が明確に映った。

「アンタは、古市貴之よ!医者の私が言うんだから、信用なさい!」
「…ラミア」

ああ、暖かい。心からの言葉は、強く響く。それは、あの時から知っている。

「―――ありがとな」

触れた手の上に自分のそれを重ね微笑めば、ラミアはほんのり頬を赤らめて照れた様に顔を背ける。

「もういいのかしら…?」
「ああ、ごめんなさい」

ラファエルに不敵に笑い返し、ラミアは立ちあがった。

「こっちも準備出来たわよ」

ポウ、と淡くしかし暖かな光が三人のいる地面から立ちあがる。光が描いたのは、男鹿の持つそれとは違う、契約の紋章だった。
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