20200801−03
自分には、一つの記憶がある。忘れていた時期はあるが、今はしっかりと思い出している、大切な記憶だ。
そこには、四人の子どもと四体のデジモンが登場する。自分は、彼らと一緒に冒険をしていた。楽しい、旅だった。
しかしあるとき、彼らの前に赤黒く巨大な影が立ちはだかった。子どもたちは互いに頷き合い、言葉をデジモンたちへ告げた。デジモンたちは泣きそうな顔で、それを受け入れた。
少女が一人、自分を抱きしめた。
その体温も彼女の姿も、言葉すら、しっかり記憶に刻まれていた。データの集合体である自分にとって、その記憶もまた、自分を形成するデータの一つだった。
――ありがとう、……モン。どうか、あなたのパートナーを、見つけてね。
それが、自分が今ここにいる意味の、一つだった。



黒だけしかない風景。他の色を全て吸い取ってしまったかのように、眼下に広がる海も天を覆う空も黒い。風もないのに立つ小波が、恐怖を青売るように耳へこびりつく。
初めて感じる空気に肌を泡立たせ、大輔はゴクリと唾を飲んだ。
「行くぞ」
胸元を握りしめる大輔の背中を叩き、ヤマトは彼の隣に立つ。熱く脈打つ感覚をしっかりと掌に刻み、大輔は強く頷いた。己の頭にあるゴーグルに触れてその存在を確かめ、大輔は気合の言葉を吐いた。
「ゲンナイさんの話では、海底に居城があるということですが」
光子郎はチラリとデジヴァイスを一瞥し、反応が海の下だということを確認した。
水中を移動できるのはイッカクモンとサブマリモンだけだ。太一は勿論、サイケモンも水中で生活するようなデジモンではないから、恐らく居城の内部は地上と同じ環境になっている筈。そこまでいけば、大輔たちも戦える。
問題は、その道中だ。
水中で攻撃を仕掛けられたら、応戦できるのは先ほどあげた二体のみ。目的地へ向かうのは、容易でない。
「戦闘になったら僕らが戦うよ」
悩みこむ光子郎へ、丈がそう進言した。彼の頭に乗ったゴマモンも、「任せろ!」と胸を叩いている。
「みんなサブマリモンにしがみついて行けば良い。僕らが敵を引き付ける」
「そんな、丈さんとゴマモンだけで戦うなんて無茶です!」
「そうだぎゃ!」
「なら私も戦う!」
勢いよく手を上げたのはミミだ。
「四聖獣のくれた力で究極体まで進化できるし、水面近くまで引き寄せてくれれば、空を飛べるリリモンで牽制できるわ。ね?」
「ええ、任せて、ミミ!」
「だ、だったら私も! アクィラモンかホルスモンなら、空を飛べます!」
「そうですね」
耳の言葉に賛同して、京も拳を握る。ホークモンも頷いた。二人の様子を見て、空は吐息を溢した。
「二人だけだと心配ね。私も残るわ」
「空」
「ヤマトくんは、太一を迎えに行ってあげて」
ね? と空はヤマトを見上げる。ヤマトは少し頬を掻いて、頷いた。彼の照れたような仕草に微笑みながら、空はヒカリへ視線を向ける。だいぶ落ち着いたものの、まだ青い顔をした彼女の傍らには、タケルが立っていた。
「ヒカリちゃん……大丈夫?」
「はい、私なら大丈夫です。行かせてください」
「ヒカリ……」
心配げに、テイルモンはパートナーを見上げる。タケルはヒカリの肩を掴み、自分の方へ引き寄せるように身体を近づけた。
「僕が守ります」
声を絞り出すヒカリの背中を押すように、タケルが力強く言う。思わずヒカリが彼を見やると、タケルは安心させるように微笑んだ。
「……ダイスケ」
「何も言うな、ブイモン」
大輔は固い表情で事の成り行きを見守っている。
「俺は俺なりに、ヒカリちゃんと太一さんを守るんだ」
「……そうだね、ダイスケ」
彼の固く握られた手を見て、ブイモンは口元を和らげた。
それぞれが、潜入組と牽制組に意思表明をしていく中、賢は迷いの表情を浮かべていた。ワームモンも心配そうな顔をして、パートナーを見上げる。賢は、京の横顔と大輔を交互に見つめていた。
ポン、と彼の肩を叩く手が一つ。
「ケンは、上で残っていてよ」
ウォレスだ。賢が驚きで目を丸くするうちに、ウォレスは京たちへ声をかけていく。賢を置き去りに京たちが了承したところで、彼はハッと我に返った。
「ちょ、ちょっと、僕は」
「女性ばかりを残してはいけないだろう? ナイト役はキミに譲るよ。……代わりに、危なっかしいダイスケのサポートは任せておいて」
パチン、とウインクをして見せる姿は、さすがというべきか、様になっている。賢は自分がホッとしていることに気づき、思わず眉間へ皺を寄せた。
「一乗寺さんと大輔さんが分かれるんですか? パイルドラモンになれないのは、厳しいのではないですか?」
「いえ、海底の居城がどれほどの大きさか分かりませんから、その心配はないかと思います。場合によってはパイルドラモンの大きさで崩れてしまう恐れの方が大きいです」
あまり激しい戦闘になって居城が壊れてしまうことも避けたい。今回はあくまでも太一を連れて脱出すること、それと遼の落としたデータを回収することだけを目的とするべきなのだ。そのためには、余所で戦力を抑える役目が重要となる。
「成程な。頼んだぜ、賢」
「大輔……」
「野暮なことは言わねぇよ、気にすんな」
大輔はバシリと賢の背中を叩いた。勢いに圧された賢が首を回した先で、こちらを見つめる京と目が合った。京は少し頬を赤らめて、ヒラヒラと手を振る。つられて賢も赤面し、ワームモンとホークモンはそれをニマニマと微笑みながら見守っている。
「ごめん、もしかしたら、居城にデーモンがいるかもしれないのに」
デジモンたちの態度に大輔が呆れていると、腹をくくったらしい賢が控えめに声をかけてきた。
暗黒の海へデーモンを封印しようと提案したのは賢で、実際に扉を開いたのも賢。自分にはデーモを倒す義務があると、彼は思っているのだろう。
大輔は少し頬を掻いて、賢の肩を拳で叩いた。
「気にすんな。光子郎さんは、海底にはダゴモンがいる確率の方が高くて、幾ら何でもデーモンまでそこにいるわけがないって言ってただろ」
デーモンとダゴモンの力は拮抗している。両者が出会えば、縄張り争いは必至。つまり、その二者も対立関係にあるということだ。海底はダゴモンの縄張りであるから、デーモンは別の場所にいると考えるのが妥当だろう。
「安心して、しっかり守れよ」
京を一瞥して言えば、賢は強く頷いた。
「大輔も……守れよ」
「おう」
大輔は苦笑して、拳を持ち上げる。賢はそこに、自分の拳をぶつけた。
役割分担が決定したところで、ヤマトは子どもたちを見回した。
「あまり無茶はしないようにな」
「ヤマトは熱くなりすぎて突っ走らないでね」
「……ガブモン、少し黙っていてくれ……」
ガブモンの茶々ですっかり恰好つかなくなったヤマトは、額に手をやってため息を吐いた。少しの間閉じていた目を開き、ヤマトは顔を上げる。
「俺たちのリーダーを、迎えに行くぞ」
応、と光子郎たちは強く頷いた。
アグモンはそっと、風もないのに波打つ黒い水面を見つめた。
「タイチ……今、助けに行くよ。ボクは君の、友だちなんだ」



「なぁ、コロモン。ここはどこなんだ?」
コロモンに連れられるままあちこちを歩き回っていた太一は、足を止めて辺りを見回した。
白い壁や天井は、光の当たり具合によって七色の煌めきを放つ。まるで、貝の内側にいるようだ。
コロモンは太一の肩に飛び乗って、相変わらずニコニコとしている。
「ここはね、ボクの家」
「お前の?」
「そう。ここから外へは出たことないから、どうなっているかは分からないけど、今はタイチもサイケモンもいるから良いんだ」
「サイケモンって、さっきも言ってたお前の友だちか」
「そう! ヒカリとタイチと同じ、ボクの友だち!」
ピンと耳を伸ばして、コロモンは嬉しそうに笑う。つられて太一も小さく笑んだが、チクリと頭の片隅が痛んで思わず頬が引きつった。
「タイチ?」
「あ、いや、何でもない」
コロモンが不思議そうにこちらを見やるので、太一は慌てて首を横に振った。
「そうか、友だちか。今度、俺も紹介するよ。俺の、友だち……」
視神経の奥で、オレンジ色が弾ける。ぼやぼやとした色は頭に浮かぶが、明確な輪郭はなく、太一は言葉を止めた。
「タイチ?」
「えっと……あれ、誰だっけ……」
「タイチの友だちはボクじゃない! 変なタイチ!」
クスクスとコロモンは笑う。曖昧な笑みを返しながら、太一はまた痛み始めた頭へ手をやった。
友だち。確かに、太一はコロモンの友だちだ。しかしどこか違和感を拭えない。太一がずっと一緒にいたのは、黒いコロモンじゃなく――
「ピンクの……」
ちか、と頭の中が点滅する。まるで強いフラッシュに晒されたような眩暈がして、太一は思わず頭を抱えて膝をついた。
「タイチ!」
「俺、は……っ」
「ボク、サイケモンを呼んでくる!」
太一に手放される形で床に着地したコロモンは、ただならぬ様子に慌ててぴょこぴょこと跳ねて行った。
一人残された太一は、連続する小さい痛みに顔を顰める。オレンジ色が目蓋の裏で点滅しており、少々煩わしい。
「何だよ、これ……」
理由の分からない頭痛と色に、太一はギュッと目を閉じた。



「どうしてダイスケたちに教えなかったの?」
四聖獣の間で、自分より巨大な四聖獣たちを見上げて、なっちゃんはそう訊ねた。
大輔たち選ばれし子どもたちは暗黒の海へ向かっており、ここにいるのはゲンナイと彼女と、四聖獣たちだけだ。
シェンウーモンは困惑したような顔でチンロンモンを見やり、バイフーモンは気まずそうに顔を歪めてスーツェモンを一瞥する。チンロンモンは黙したまま、じっとなっちゃんを見つめるスーツェモンを見守っていた。
「……その姿は」
口火を切ったのはスーツェモンだ。なっちゃんは自身の身体を見回し、小さく笑った。
「ウイルスに侵されたとき、無意識のうちに記憶にある人間の姿を選んだみたい。今考えると、少し笑っちゃうわね」
クスクス笑いながら、なっちゃんはクルリと一回転。ふわ、とワンピースの裾が翻った。
「――『  』」
思わず零れたスーツェモンの呟きに、シェンウーモンは目を伏せ、バイフーモンはサッと視線を逸らした。
「やっぱり、あなたは」
「そういうあなたたちも、やっぱり」
スーツェモンはコクリと頷く。なっちゃんは眉根を下げて上空を仰いだ。彼女の差し向かいで会話を見守っていたゲンナイからは、その表情が見えなくなってしまう。
「……随分、時間が経ったのかしら」
「少し前まではこちらの世界の時間が早く進んでいたから、現実世界ではそう経っていないかもしれない」
「それでも、もうすっかり過去の思い出になってしまったわ」
「……君が」
目を細めて感慨深げに呟くなっちゃんへ、チンロンモンが声をかける。
「――君が、パートナーを見つけられて良かった。きっと彼らもそう思うだろう」
「……ありがとう」
彼らの会話を聞きながら、ゲンナイは脇に垂らした手をギュッと握りしめた。
太一たちが選ばれし子どもとして、デジタルワールドに召喚された一九九九年。実はそれ以前に、別の子どもたちがデジタルワールドを訪れていたのだ。
子どもの数は六人。そのパートナーデジモンが、今の四聖獣である――あとの二体もまた別の究極体へ進化し、デジタルワールドを見守っている――。そしてなっちゃんは、その冒険の途中で彼らと行動を共にしていたデジモン――パロットモンだ。
ゲンナイが聞いた話では、同じ鳥型デジモンということでスーツェモン――当時はピヨモン――と、そのパートナーの少女と特に親しかったとか。
冒険の中で、子どもたちはアポカリモンを封印するためにすべての力を使い果たした。紋章を持たない彼らがパートナーたちを究極体にまで進化させるために対価としたのは、パートナーとの絆――デジヴァイスだった。そのおかげでアポカリモンは一度封印され、四聖獣たちはデジタルワールドを見守る役目を授かることとなった。
しかし、大団円というわけではない。デジヴァイスを失ったことで、デジモンたちは『パートナーデジモン』ではなくなり、子どもたちも『選ばれし子ども』ではなくなったのだ。
それでも、選ばれし子どもたちはそれを選択し、パートナーたちへ世界を託し、なっちゃんの未来を祈った。
『きみのパートナーが、見つかりますように』と。
大輔たちへ伝えないのは、選ばれし子どもたちの結末を知った時のショックを慮ってのことだろう。ゲンナイとて、進んでこの話を伝えようとは思わない。
ふと、ワンピースの裾を摘まんでいたなっちゃんが、ポツリと呟いた。
「パートナーが死んでも、デジモンは生き続けるのかしら」
ゲンナイだけでなく、四聖獣たちも困惑したように彼女を見やる。なっちゃんはニコリと笑って、ワンピースから手を離した。
「例えばの話よ……あなたたちのようなデジモンならともかく、私みたいなデジモンのパートナーがリアルワールドで死んでしまったら……どうなるの?」
「パロットモン……?」
スーツェモンが彼女を呼ぶ。なっちゃんはゆっくり首を振った。
「私は『なっちゃん』よ」
ミミがつけて、大輔が呼んで、あの子が受け入れてくれたこの名前。最期まで、大切にしていきたい。
なっちゃんは胸の上でそっと手を重ね合わせた。
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