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「行ってきまーす」

爪先で地面を蹴って具合を確かめる。奥に声をかけると、歯ブラシを銜えたほのかと一緒にラミアが飛び出してきた。口端に食べカスがついているから、慌てたのだろう。ゆっくりすればいいのにと言えば、一緒に登校するから良いのだとか。

「まだ体調が万全じゃないんだからね!暫く私がアンタの専属医よ」

そして、それは文字通り四六時中つきっきりを意味していたと知るのは、この数分後だった。門前で当たり前のように待ち構えていた男鹿も連れて学校へ向かう。今日は成績不振者用の補習だ。当然石矢魔メンバーはほとんど該当している―――それ以外でも教えるという名目で登校する者はいるが、古市のように―――。いくら喧嘩が強くても、ダブった頂点ほど格好悪いものはない―――早乙女のそんな説得により、出席率は上々だ。

「あ、キモ市ー」

教室を一歩入ればかかるのはもうすっかり定番となった花澤の挨拶。しかしすぐに彼女から奇声が発せられた。どうも寧々に頭を小突かれたらしい。

「痛いっスー」
「アンタは学習しなさい」

唇を尖らせる花澤を捨て置いて、寧々は古市の前まで来るとその顔色を窺い今日は調子が良さそうだと頬を緩める。クリスマスを境に度々気を使ってくれるその様子に、古市は条件反射で頬を染めた。

「…今日は、この子も一緒なのね」

千秋も寧々の隣に立ち、並んで登校したラミアと古市を見比べる。どこから話して良いのか解らず古市は言葉を濁したが、それより早く男鹿が言葉を発した。

「こいつの護衛兼…なんだあれ…船乗員?」
「いや専属医な」

条件反射で突っ込んでからしまったと思う。教室にいた全員の頭に?マークが浮かんでいる。眉をひそめた邦枝がそっと近寄り男鹿に耳打ちした。彼が頷いたから、恐らく悪魔関連のことか訊ねたのだろう。そう、と小さく彼女が呟いたと同時に、二人の背後に大きな影がついた。

「席につけ」

早乙女だ。細められた鋭い目が、男鹿と古市を順に映す。彼も今回のことを既に知っているのだろう。あの早乙女がいるなら幾らか安心できる。ホッと息を吐き、古市は促されるまま席についた。ラミアは持参した折り畳み椅子で隣に陣をとる。教卓についた早乙女は、持っていた出席簿を叩きつけるとクラスの面子を見回した。

「今日の補習はー」

また、変わらない日常が始まる。

***

その報せが来たのは、午前が終わりこれから昼食ということで幾らか気が緩み騒ぎ始めた、そんな頃合いだ。バタバタと派手な音を立てて扉を開けたのは、冬休みでここにいる筈のないほのかだった。

「ほのか…」
「お兄ちゃん!」

憔悴しきった彼女は目に涙を浮かべ古市の胸に飛び込む。咄嗟に抱きしめた彼は、ピクリとその肩を揺らした。思いもかけない兄妹の抱擁に、石矢魔メンバーは僅かに動揺する。

「お前…」
「古市はいるか」

と同時に教室に現れたのは、佐渡原だ。兄妹の邪魔をしては悪いと思い邦枝が代わりに対応すると、佐渡原は言い辛そうに目を彷徨わせた。

「今妹さんから電話があってな、至急病院まで来て欲しいそうだ」
「病院…?いや、でも妹さんなら…」

来てますけど、と続けようとした邦枝の言葉は、机にぶつかる派手な音にかき消された。驚いて視線を向ければ、腕を伸ばした古市と突き飛ばされたであろうほのかの姿があった。

「お前…誰だ」

古市の言葉を正確に理解出来たのは男鹿だけだった。すぐさまほのかと古市の間に割り込み、拳を構える。妹にその仕打ちはないんじゃ。言いかけた神埼は、その言葉をすぐに飲みこむ。一瞬きょとんとしたほのかは、額に手をあて顔を俯かせると短い笑い声を上げ始めたのだ。その声は少女らしくなく、例えるならそう、自分たちの様なガラの悪い男の笑い方に似ていた。

「残念、バレちった」

少女の声と男の声が二重になって聴こえる。可愛らしい外見にその声は酷く不釣り合いだ。違和感のような気分の悪さに、神埼はひくりと頬をひきつらせた。ほのかの姿をした何者かはくるくると長い髪先を指で巻き、にっこりとした笑みを浮かべる。ぎりりと歯を噛みしめて睨みつける古市をその瞳に映し、口を開きかけた少女は

「ごがっ」

そんな親父声を出して吹っ飛んだ。男鹿が拳を握りしめているから、彼が殴りつけたのだろう。黒板にめり込んだ少女の体は一瞬ホログラムのように歪み、次の瞬間白い服装の男に変化を遂げた。教室内がざわつくが、男鹿は気にせず倒していた上体を戻し背中に庇っていた古市を振り返る。顔を青くした古市はラミアに手を握られても返すことも出来ぬまま、かくりと膝をついて座り込んだ。

「男鹿、これはどういうことだ」

古市の肩に手を置いた男鹿に、減り込んでいた男を引き抜いた姫川が訊ねる。男鹿は古市を一瞥したが彼がまともに話せないと察すると、仕方なしとばかり頭を掻いて立ちあがった。
古市が知将と自称するように、頭の足りない男鹿の代わりに状況説明をするのはいつだって彼の役割だった。だからこの状況を説明しろと問われても、慣れていない男鹿に明確な答えは期待できない。案の定、主語が抜けまくりの穴だらけな説明に、姫川の額に青筋が浮かぶ。慌てて邦枝が間に入り何とか通訳した。流石に悪魔等という単語は暈し得なかったが。

「…つまりまとめるとこうか。悪魔野学園と敵対する天使学園が最近殴りこみをかけてきていて、古市の命を狙っている、と」
「そう…なの?」
「んー、まぁそんなん」
「こいつらはその天使学園の生徒か」
「ああ、多分な」
「あのー…そろそろいいか?」

恐る恐る顔を覗かせた佐渡原に、気が立っていたのだろう男鹿は思わず睨みをきかせてしまう。邦枝はその頭を軽く叩いた。

「古市をな…病院に…」
「ああそう言えば。そんなこと仰ってましたね」

何かあったんですか。邦枝の問いに、佐渡原は冷や汗を浮かべた頬をぎこちなく掻いた。

「古市の母親がな…」

続いたその言葉を聞くと同時に、古市は立ちあがった。

「…ごめんね」

バサッ、と窓から風がカーテンを巻き上げる。逆光を背に窓枠に現れた姿に、ラミアは息を飲み男鹿はまた拳を構えた。古市は大きく揺れる瞳で光を浴びて輝く白金の髪を見つめる。

「…お前は、」
「…僕は、ガブリエル」

相も変わらずぼんやりとした表情で、その天使は言った。
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