3
古市が目覚めた時、窓の外はすっかり闇に包まれていた。はぁ、と息を吐くと熱を持っているのだと自覚する。額にのる冷たいタオルに気をつけながら首を回すと、ベッドに顔を埋めて眠るラミアの姿が目に入った。頭を撫でようと手を上げかけるが、何かに引っ張られて叶わない。更に視線を下げると、ラミアの隣で、同じような格好で古市の手を握りしめる男鹿の姿があった。何故か安堵して吐息が漏れる。気がついたのか、男鹿がゆっくりと目を開いた。寝惚けた瞳は古市を見つけると途端に大きく開かれた。

「古市…」

手を握って無い方の腕を伸ばし、肘をついて僅かに起こした古市の頬に指を滑らす。存在を確かめるように。ふ、と男鹿の頬が緩んで、古市の耳が赤くなった。

「気がついたか」
「!!」

お互いしか見えていなかった所為で、第三者の声に古市は肩を飛びあがらせた。腕を組んだヒルダの姿に、何故か気恥かしくなって古市はわたわたと慌てる。その動きでラミアまで目を覚ました。まだ眠そうに目をこするラミアも加わって円になり、ヒルダは持っていた書類を円の中心に広げた。魔界の言葉で書かれたそれは、人間である男鹿達には到底解読出来るものではない。眉をひそめ書類の一枚を持ち上げる男鹿に、ヒルダは冷めた目で逆さになっていると言い捨てた。不貞腐れて紙を捨て、男鹿は立てた片膝に頬杖をつく。

「で、結局昼間の奴らはなんだったんだ?」
「うむ。何せ天界と魔界は一切交流していないからな、何の情報もなかった」
「なんだよ、それ」
「しかし一つだけ」

ひら、とヒルダが取り上げた紙は、やっぱり男鹿にはちんぷんかんぷんだ。

「ルシフェル―――神に逆らい地に堕とされた傲慢な天使だ」

ぴ、とヒルダの投げた紙が古市の膝に乗る。恐らくルシファーに関する事柄が事細かに記載されているのだろう。

「昼間奴らが呼びあっていた名前は、四大天使に挙げられていたものだ。それなりの地位と力を持っていると考えていいだろう。だからしっかりとした情報が欲しかったのだが…いくら洗ってもこれくらいしか魔界には天使関係の情報はなかった」

不服そうに口を尖らせ、ヒルダは腕を組む。大きく吐いた息が、彼女の落胆さを物語っている。

「で、他の紙はなんなんだ?」

ルシファーに関する資料がこれだけだとして、残りの資料は一体何の物か。ヒルダはまた一つ頷いて、古市を一瞥した。

「昼間の天使達は、古市が狙いだと言っていた―――そして、<霊珠>だ、とも」
「れいじゅ?」
「魔具の一つだとでも思え。強大な魔力を秘めた珠だ。恐らく―――詳しい説明は省くが―――それが古市の体内にあり、天使達はその魔力を欲して古市を狙った。というところだろう」

不意に胸が大きく鳴った気がして、古市はぎゅっと服を掴んだ。

「で、でも俺、魔力も腕力もないのに…!」
「それは今まで<霊珠>が目覚めていなかったからだろう…最近、体調が悪いんだったな」
「!」
「<霊珠>はその働きの為、埋め込まれて数十年はその一つの目的の為にしか動かない。が、宿主に定着してくると魔力として扱えるようになる。恐らくここのところの体調不良は、慣れない魔力に体がついていなかった所為だろう」

そして恐らく、男鹿にこれほどまで悪魔と関わるようになったのは、少なからず古市の存在も関係しているのだろう、とヒルダは考えている。<霊珠>が―――天使達の言葉を借りるなら―――目覚める予兆として漏れた魔力が、男鹿とベル坊の出会いのきっかけに少なからずなったのだろう、と。

「…因みに、<霊珠>を取りだしたら、古市は―――どうなる」

男鹿が訊ねる。きゅ、と膝上で古市の手が拳を作った。その上から、男鹿がそっと手を添える。安心させるように小突くそれに、古市はこっそり苦笑した。

「…死ぬ」
「!」
「<霊珠>の魔力はイコール古市の生気だ。まぁ逆を言えば古市が死ねば<霊珠>の魔力も消える。だから天使達は生け捕りにしようとしてくるだろうな。そう簡単には殺されんぞ、良かったな」
「あんま良くないっす!」

いつもの調子で言い返した古市の様子に、ヒルダはふっと口元を緩める。

「それだけの気力があれば、ひとまずは安心だな」
「へ?」
「ラミア、ここは任せた。…男鹿、ちょっとこい」
「ん?」

出ていくヒルダと男鹿を見送りラミアと二人部屋に残された古市は、ぽり、と頬をかいた。もしかして、励まされたのだろうか。一枚の紙を握りしめたまま伏せたラミアの顔が蒼白に震えていることに、古市は気がつかないままだった。

「なんだよ」

ひんやりとした薄暗い廊下で、ヒルダは腕を組んで壁に背中を預けていた。古市が心配で気が気でない男鹿は、頭をかきながらちらちらと部屋を見ている。

「…<霊珠>の働きについて、言っておこうと思ってな」
「は、俺に?なんで?」
「貴様に気を使ってやったんだ」

古市には貴様から伝えろと前置きして、ヒルダは目蓋を下ろした。

「…<霊珠>の効力を端的に言えば、『生命の授与』だ」
「…は?」
「古市は恐らく―――生まれてはこない筈の存在だった」
「…どういう、意味だ」
「…」

<霊珠>は、母の胎内に宿ったものの魂を得ることの出来なかった肉塊に命を宿す力を持つ。それが古市の中にあるということは―――古市に肉塊が宿るわけがないのだから―――彼は元々肉塊として母親の胎内に宿ったということだ。命を持たない肉塊は、何があったか知らないが<霊珠>という魂を得て、十六年間を生きてきた。そんな不安定な存在が確立されたのは、最近だったのだろう。

「…だからこそ、生命を尊ぶ筈の天使達が、死のリスクを気にせず積極的に古市を狙ったのだろう―――初めから、有るべき存在ではなかったのだから」
「…っふざけんな」

爪が掌に食いこんでいるであろう拳が、行く宛のない空を彷徨って壁に叩きつけられる。手加減の配慮はあったのだろう、然程音は鳴らなかった。
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -