20200801−05
ずん、と建物が揺れた。地震ではない。恐らく、別の場所で起こっている戦闘のせいだ。
ピクリ、とコロモンの耳が立ち上がる。
「サイケモン……」
心配げに歪んだ顔は、瞬く間に憎悪の色をヤマトたちへ向けた。
「サイケモンに、何してるんだ!」
「そっちこそ、タイチに……ボクのパートナーに何したんだ!」
アグモンも負けじと声を張る。互いに歯茎をむき出しにして威嚇し合うコロモンたちの傍らで、太一の肩が微かに揺れた。
「タイチはボクの友だちだ! タイチがちっちゃいときから、一緒にデジタルワールドを冒険したんだ!」
「何を言っているの? あのコロモン」
ブイモンは訳が分からないと呟いて大輔を見やる。そんな顔を向けられても、大輔が答えを知るわけがない。
「タイチと冒険したのはボクだ!!」
「……あぐ、もん……?」
か細い声が、鼓膜を揺らした。アグモンは慌てて太一を見やる。彼は少し顔を上げて、口を動かした。今度は先ほどよりしっかりとその単語を呟いた。
「アグモン……」
「タイチ……?!」
信じられないと言いたげなコロモンを通り過ぎ、太一の視線は涙を浮かべるアグモンへ向かう。
「タイチ!!」
「ぐっ!」
太一の気を引こうと、コロモンが叫んだ。そのとき、黒い電流が、太一の身体を締め付けるように走った。彼は痛みに顔を歪め、蹲る。
「太一!」
「やめろ!」
「タイチ、ボクが君の友だちでしょ!」
「ぐぅ……!!」
コロモンの泣き声の呼応するように、電流はバチバチと太一を絞めつける。
ガブモンはコロモンの身体を抑え込み、テイルモンが脅すようにその顔へ爪を突き付けた。
「やっぱり太一に何かしたんだな。記憶でも操作したのか?」
「はなせ! ボクたちの邪魔は、誰にもさせない!」
「ぐぁぁ!!」
一層太一が苦し気に呻く。ヤマトたちが駆け寄って肩を抱くが、電流は太一だけを絞めつけるようで、触れることもできなかった。
バシン。
渇いた音が響いて、辺りが静まり返る。「ひょえ」と思わず零れたブイモンの間抜けな悲鳴が、バチバチと鳴る電流の音に混ざりながらも良く聞こえて、大輔の羞恥を煽った。
アグモンが、コロモンの額に頭突きをぶつけたのだ。
コロモンを抑えていたガブモンにも余波は伝わり、じんわりとした痛みに顔を顰める。
アグモンは涙の浮かぶ目でコロモンを睨みつけた。
「タイチが君の友だちなら、あんな苦しい顔させちゃだめだろ!」
それだけ言い捨てると、アグモンは太一の元へ駆け寄る。
ヤマトに身体を支えられた太一は上半身を辛うじて起こしており、アグモンは彼の膝元で顔を見上げることができた。
「タイチ……」
「おま、え……」
「アグモンだよ、タイチ」
肩で息をする太一の手に、大きな爪を持った手を重ね、アグモンはニコリと笑う。
「ボクは君の友だち(パートナー)だよ」
「――!」
ぱりん、と薄い何かが割れた。
柔らかく、温かい光が太一のデジヴァイスからあふれ出し、彼の身体を優しく撫でていく。
テイルモンの目には、その光が黒い靄を綺麗に取り去ってくれている様子が見えていた。
「タイチ……」
すっかり力を失くしたコロモンから手を離し、ガブモンはアグモンたちの様子を見守る。
頭のてっぺんまで光に撫でられた太一は、穏やかな呼吸でゆっくりと目を開いた。
「――アグモン」
「タイチ!」
ワ、とアグモンは涙を浮かべて太一に抱き着く。今度こそホッとして、大輔は胸を撫で下ろした。
「悪いな、アグモン」
「全くだ」
心底安堵した様子で、ヤマトは太一に手を差し出す。彼に手を借りて立ち上がった太一は、鼻をぐずぐずと鳴らすヒカリも胸に抱きよせて頭を撫でた。
「俺だって良く分からない。どうしてか、俺はあのコロモンを友だちだって……」
太一は黒いコロモンへ目を止めて、いや、と言葉を切った。
「友だちだったな、俺たち」
ヒカリの後頭部を撫で、太一は彼女にコロモンを見るよう囁いた。
「コイツ、あのときのコロモンだよ」
ヒカリは、その言葉だけで意味を察したらしい。揃って首を傾げるブイモンと大輔に苦笑して、太一はアグモンの頭を撫でた。
「光が丘に来たコロモンだ」
光が丘爆破テロ。世間的にはそう呼ばれている、とある一夜のできごと。その渦中にいたのはヒカリと太一と、あのコロモンだ。
それでは、と呟いて、ヤマトと大輔はコロモンを見つめる。太一は頷いた。
「こいつは確かに、俺の友だちだよ」
あの日、確かに友だちの印を交わしたのだから。忘れていてごめん、と太一は呟いた。
「そうだ、タイチはコロモンの友だちだ……」
絞り出すような声に、ヤマトたちはハッとしてそちらを見やった。
傷だらけの人型デジモンが、壁にもたれ掛かるようにして立っていた。ぽたぽたと床を打つ赤が、傷の酷さを物語っている。
「サイケモン!」
引きつった声でコロモンが名前を叫ぶ。そこでヤマトは、人型デジモンがサイケモンの進化系であると察した。
サイケモン――アスタモンの背後から、駆けてくる光子郎たちの姿も見得た。擦り傷と埃塗れだが、動けないような大きな怪我はないようだった。
「ヒカリもタイチも……コロモンの友だち……だから」
ブツブツと執念じみた視線を寄越すアスタモンの様子に、大輔はゾクリと背筋を泡立たせた。彼は咄嗟に前に出て、太一とヒカリを背に庇う。
「よくも……」
地を這うような声が、聞こえた。
「よくも、ボクの友だちを……」
それは紛れもなく、コロモンから漏れた声だった。
「まずい、逃げろ!」
空気の変化を敏感に読み取った遼が、声を飛ばした。デジモンたちがその声に反応し、己のパートナーの身体を掴んで飛び下がる。
コロモンから黒いオーラが立ち上ったのは、そのすぐあとのことだ。
「ゆるさない」
ぐわり、と世界が揺れた。



「何だ!」
海上でハンギョモンたちと戦っていた丈たちは、突然津波とは違う何かによって揺れる海に困惑していた。
「丈さん!」
このままイッカクモンに乗って海にいるのは不味い。京の指示で下降したアクィラモンに進化を解いたゴマモンと丈は捕まった。
「大輔たちは大丈夫かな」
不安げに眉を下げ、京は手を握りしめる。その手をそっと包み、賢は強く頷いた。
「大丈夫」
冷たかった手に、温もりが移される。京は固い表情を少しほどくと、そうね、と頷いた。
やがて、海だけでなく空も渦を巻き始める。空は、あまり離れないように、と声を張り上げた。
脳を直接回転させられるような気分だ。余りの気持ち悪さに、ミミは口元を抑えて蹲った。彼女を抱きしめるように肩を寄せ、空は必死にバードラモンの背へしがみ付く。
揺れが収まったのは、突然だった。
「え……」
「これは……」
黒い空と、それを映す黒い鏡のような大地。先ほどまで揺蕩っていた海は形を潜め、全く違う風景がそこには広がっていた。丈が視線を下ろし、声を上げた。
「ヤマト、光子郎!」
タケルや伊織たち、海へ潜ったメンバーがそこにいた。その中に太一の姿を見つけ、空はホッと息を吐いた。
「良かった……」
バードラモンたちを下降させ、空たちもその鏡の大地へ足をつける。ヤマトたちと同じように、しっかりと立つことができた。
「ヤマトくん、太一」
「空」
「無事で良かった」
大きな怪我をした様子のない二人に空は安堵する。何があったのかと問えば、ヤマトは微妙な顔をしてある方向を見やった。空は小首を傾げながら、彼と同じ方向へ視線をやる。
「あれは……」
それは例えるなら、黒い炎だった。それが、鏡の大地にぼぅと浮いている。炎の中には同じくらい黒いコロモンがいて、こちらを忌々し気に睨みつけていた。
「光が丘に現れたコロモンだよ」
太一の言葉に、丈たちは息を飲んだ。小首を傾げる賢と京に、大輔がそっと耳打ちで説明する。
「でも、それがどうして暗黒の海に?」
ミミは頬へ手を当てて首を傾いだ。太一はコロモンへ視線をやったまま、分からないと首を振る。
「コロモン!」
少し離れたところで傷だらけの身体を引きずるようにして、アスタモンが何度も呼んでいる。しかしそれすら聞こえないようで、コロモンは何かをブツブツと呟くだけだ。
「タイチは、ボクの友だち……サイケモンも、ヒカリも……だから」
――ボクが、守る。
コロモンは確かにそう呟いた。そしてその瞬間、炎は砕けた。
こつ、と鏡の大地を叩く足は、コロモンのものではない。その姿に大輔たちは息を飲み、目を見開いた。
「ブラックウォーグレイモン……」
金の鬣に、銀の装甲。嘗てアグモンたちの前に現れたものとは違う個体だ。しかしその威圧感は引けをとらず、ビリビリと大輔たちの肌を刺した。
アスタモンでさえ、驚きで言葉を失っている。
ブラックウォーグレイモンは鏡の大地をゆっくりと歩き、アスタモンと太一たちの方へ視線を向けた。
そのときだ。
「!」
がし、とブラックウォーグレイモンの四肢に、蛸の足が絡みついた。驚いた様子でブラックウォーグレイモンは腕を動かそうとしているが、絡みつく蛸足の力が強く、自由が効かない。
「何だ?!」
「まさか――ダゴモン!!」
身構える太一たちの横で、アスタモンはクワッと顔を歪めた。
くくく……というねっとりとした笑い声が聞こえてくる。ずるりずるり、と蛸のような足が顔を出す。鏡の大地の下から這い出るようにして現れたそのデジモンは、ギリギリとブラックウォーグレイモンを絞めつけて自分の方へ引き寄せようとしていた。
「ダゴモン……あれが……!」
禍々しい、蛸のようなデジモンだ。子どもたちの警戒など意に介さず、ダゴモンは触手の一つでブラックウォーグレイモンの頬を撫でた。
「くくく……このときを待っていた」
「貴様、一体何を……!」
「海の核である貴様を取り込めば、さらなる力を手にできる」
べたりと頬を撫でる触手に目を眇め、ブラックウォーグレイモンは身体を捻じる。しかし触手の力は強く、振り払うことができない。
「まさか、ブラックウォーグレイモンのデータを吸収するつもりか……!」
「そんなこと、させない」
痛みに歯を食いしばり、アスタモンは鏡の大地を蹴った。ブラックウォーグレイモンを戒める触手を射ち落そうと弾丸を放つ。
「死にぞこないが」
別の触手が飛び、アスタモンの身体を大地へ叩きつけた。ぐぅと呻く間にも、幾本もの触手が追撃してくる。大地へ転がるアスタモンと触手の間へ、ワーガルルモンが滑り込んだ。
触手を拳で打ち返し、踏みつけ、浮かんで止める。自分を庇ったワーガルルモンの背中を見上げ、アスタモンは目を開いた。
「何故……」
アスタモンの問に答えは返って来ない。小さな呟きだったので、聞こえていない可能性もあった。
ワーガルルモンは、掴んだ触手を押し付けるように、ダゴモンへ突進していく。その援護をしながら、ガルダモンは炎の翼を広げた。
「ギガブラスター!」
「ヘブンズナックル!」
「ハープンバルカン!」
「フラウカノン!」
「ホーリーアロー!」
ワーガルルモンとガルダモンがダゴモンの注意を逸らす隙に、ブラックウォーグレイモンを戒める触手へ向かって、一斉に攻撃が放たれた。しかし微かに触手が焼け焦げただけだ。
「!」
すぱ、と触手が切り刻まれ、不意にブラックウォーグレイモンの身体が軽くなる。
ダゴモンの悔しげな声を背に受けながら、ブラックウォーグレイモンは首を回す。触手を切り捨てたドラゴンキラーを脇に垂らし、ウォーグレイモンは静かな目でブラックウォーグレイモンを見つめた。
「邪魔をするなぁあ!!」
ダゴモンは声を荒げ、触手を振り回す。鋭い一撃に吹き飛ばされながらも、リリモンたちは何度もダゴモンへ立ち向かった。
「いっけー、リリモン!」
「でも、これどういう状況なんでしょう?」
戦闘に興奮するミミだが、冷静に伊織は首を傾げた。
海が消えたと思ったら、ブラックウォーグレイモンが現れた。ダゴモンはそのデータを取り込もうとしているようではあるが、理由が分からない。
「私が説明します」
大輔は驚いて振り返り、太一は冷静に彼女を見つめた。
「ヒカリじゃない……ホメオスタシスか」
薄く発光したヒカリは、ニコリと微笑んだ。
「説明って、この状況をか?」
「はい。ですが先に言っておきますと、私が今回の全てを理解したのはつい先ほどのことです」
だから、原因を知っていて静観していたわけではない。今の今まで、ホメオスタシスなりにこの事件を探っていたのだ。
「あのコロモンは、1995年の光が丘で太一さんとヒカリさんの元へやってきた個体……そして、暗黒の海の核そのものです」
大輔はゴクリと唾を飲みこんだ。
コロモンが光が丘に現れたのは、ホメオスタシスたちにも想定外のできごとだった。現実世界で進化し続けるコロモンをデジタルワールドへ連れ戻すために派遣されたのが、パロットモン――なっちゃんである。
「しかし予想以上にレベルアップをしていたグレイモンに、パロットモンも苦戦してしまいました」
「何か……すみません」
「気にしないでください」
コロモンを孵化させたのはヒカリで、あのとき倒れたグレイモンを叩き起こしたのは太一だ。けれどそのお蔭で、デジモンと人間が共に在ることの利点を見いだせた。
「パロットモンとグレイモンの技がぶつかりあった衝撃で、パロットモンはデジタルワールドに強制送還されました。しかしグレイモンの方の行方は掴めなかったのです」
それも今なら納得がいく。暗黒の海――当時はまだ海はなかったから暗黒の世界と称そうか――へ落ちてしまっていたのだ。そしてコロモンを核にして海ができ、暗黒デジモンたちが住みつくようになり、今に至るのだと、ホメオスタシスは言った。
「あのコロモンが……」
「ただのコロモンなら、これほどまでにはなりません。あのコロモンは、」
ホメオスタシスは言葉を切り、ブラックウォーグレイモンを見つめた。
ギロリ、と仮面の奥に隠れた瞳が、ウォーグレイモンから子どもたちへ――その中に並ぶ太一を捉える。不意にブラックウォーグレイモンの身体が動き、ウォーグレイモンへドラゴンキラーを突き付けた。ウォーグレイモンは咄嗟にドラゴンキラーで受け止める。
「あのコロモンは――この世界のデジモンではない」
ホメオスタシスは淡々と言葉を紡いだ。
「リョウみたいに、別世界から来たってこと?」
遼がチラリとウォレスを見たが、ウォレスは気付かぬふりをしてホメオスタシスを見やった。
「次元は同じです」
「違うのは時間――未来から来たってことですか」
「はい。恐らくは、今から23年後の未来から」
光子郎の言葉に、ホメオスタシスは頷く。ホメオスタシスの上げた数字に声を上ずらせ、丈はズレた眼鏡を戻した。ミミも頬に手を当て、驚きに目を見開いている。
「23年後って、私もうおばさんじゃない!」
「そこかい、ミミくん」
「あんまり年齢は考えたくないけど……子どもはいそうね」
喜んで良いのやら、と言った風に空は吐息を溢す。そこでふと、ヤマトたちは動きを止めた。
「――子ども?」
そう言えば先ほど、あのコロモンは太一が幼いときから共にいたと言っていた。あれはてっきり光が丘でのできごとのことだと思っていたが、デジタルワールドを冒険したということは。
ヒクリ、と大輔は思わず口元を引き攣らせる。
「まさか、あのコロモンのパートナーって……」
恐る恐るホメオスタシスを見やれば、彼女はコクリと一つ頷く。大輔が言外に言わんとした事実が正解です、と言うように。
「……」
何とも言い難い沈黙が子どもたちの間に落ちた。
「……何か、すみませんでした」
「いや、太一が謝ることではないけど……」
太一は少し頬を掻いて、吐息を溢した。
「どんな理由があったにせよ、こっちに来ちゃったヤツは元の場所へ返してやらないとな」
上げた視線の先では、戦うウォーグレイモンとブラックウォーグレイモンの姿がある。目は相変わらず怒りに塗れ、我を忘れていることをこちらへ教えていた。ホメオスタシスの話から推察するに、暗黒の海のエネルギーを全て取り込んだことで暴走を始めているのだ。
あれは、迷子の目にも似ている。本当の自分の居場所を見失い、傍にあるものに縋る迷子の目だ。
ふと、ヤマトは口元を撫でた。
あのとき感じた海の味、あれはそう、涙の味によく似ていた。暗黒の海は、コロモンの涙が溜ってできたものだったのかもしれない。
こつん、とヤマトの肩に拳がぶつかった。それは太一の拳で、ヤマトも同じように彼の肩へ拳をぶつける。
「―――行こうぜ」
「ああ」
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