序奏(3)
ころん、と何かが地面に落ちた。草の影でキラリと光るそれに目を惹かれ、ユノは腰を屈めて拾い上げる。幼い手の平にすっぽりと収まったのは、闇をスプーンで掬いあげたように真っ黒な石だった。
全てを吸い込むようなその輝きに息を飲んだユノは、ハッと顔を上げた。これは先を歩いていた幼馴染が、落としたものではないのだろうか。慌ててユノが駆け寄って訊ねると、幼馴染は大きな目を不思議そうに曲げた。
「なんだ、それ。初めて見たぞ」
自分が首から下げるこの青い石と同じように、彼のお包みに入っていた手がかりなのかと思ったが、どうやら本当に知らないようである。
すぐに興味をなくして教会へ入って行く幼馴染の背中を見送り、ユノは手の中の石へ目を落とした。
光を吸い込んでしまいそうな黒――奥の方で集めた光を反射しているのか、ユノには輝いているように見えた。
その日、ユノの宝物が増えた。



「アスタの宝石……かは分からないけれど、ナッシュが『ユノ兄が、首飾りとは別の宝石を大切そうに持っているのを見たよ』って言っていたわ」
自分のお包みや持ち物に、宝石のようなものはなかったか。騎士団入団の報せと、そんな質問を書いた手紙の返信で、シスター・リリーはそんなことを教えてくれた。

「と、いうわけで金色の夜明け団本部にやってきました!!」
「俺の空間魔法でね」
「フン、この私の手を煩わせるなんて」
ダイヤモンド王国と交戦した魔宮攻略任務に、白夜の魔眼の王都襲撃防衛線――度重なる戦いで疲弊した身体と混乱した情勢が、ようやっとひと段落した頃。本来なら魔宮攻略任務後の報告会で顔を合わせた際、問い詰めるべきだったのだが、それ以外に優先すべきことが目白押しだったため、こんなタイミングになってしまった。
空へ向かってシスターへ感謝を捧げるアスタの傍ら、ノエルはフンと腕を組む。
「……で、なんでアンタも変な顔してるのよ」
「へ!」
ノエルは、大きく息を吐くフィンラルを一瞥した。フィンラルはギクリと肩を揺らす。それから、気まずげに視線を横へ移動させた。
「まあ、ちょっと会いたくない相手がいるというか……」
「?」
「あら、ノエルさん?」
ノエルの頭上にクエスチョンマークが浮かんだが、それはほんわりとした声によって霧散した。アスタと共に顔を向けると、そこには驚きで頬を赤らめたミモザが立っていた。隣にはクラウスもいる。
「何か用か?」
「ユノに話があってさ」
アスタの言葉を聞き、ミモザとクラウスは顔を見合わせた。
「……ちょっと難しいかもしれませんわ」
「は? アイツ、どうかしたのかよ?」
「……見た方が早いだろう」
ついて来い、とクラウスはローブを翻し、アジトの門を開いた。

「俺はここで待っているから」と遠慮するフィンラルを門前へ残し、アスタとノエルはミモザたちに先導されるまま金色の夜明け団本部を歩いた。
「あそこだ」
クラウスが指さした方を向いたアスタは、
「ユノの馬鹿――!!!」
というキーンと高い声に鼓膜を貫かれ、その場でつんのめった。
「な、なんだなんだ?」
目を白黒させながらアスタは顔を上げる。甲高い声に脳を刺激されたノエルも、額へ手をやりながらそちらを見やる。
クラウス曰く、そこは新人団員たちが主に使用する訓練場であるらしい。数十人が並んでも余裕のある広さのそこは、今、大きな竜巻に占領されていた。
「な、なんだあれ……!」
眼と口を大きく開けて呆けるノエルとアスタ。ミモザは困ったように微笑み、クラウスはため息を溢して眼鏡に触れた。
シュ、と竜巻が一度収まる。先ほどまでは強い風圧で見得なかったが、その中心には一人の青年が立っていた。アスタたちが探していたユノである。
ユノは面倒くさそうに片足へ重心を寄せて立ち、開いていた魔導書を閉じた。彼の鼻先では、顔を真っ赤にした四大精霊――シルフのベルが、肩を震わせている。
「とっととその石捨てちゃいなさいよ! アンタには私がいるでしょ!!」
「断る」
「キー!! この精霊不孝者!!」
小さな手で、ベルはポカポカとユノの頭を叩く。彼女の感情の起伏に誘発されて、また大きな風が巻き起こった。今度は切り裂くような鋭さを持つ風で、近くの石柱に切れ込みを入れていく。
アスタとノエルは咄嗟に物陰に隠れた。
「な、なんだよ、あれ」
「見ての通り、シルフの癇癪だ」
鋼魔法で作った防護壁の後ろへミモザと共に隠れたクラウスが、眼鏡の位置を正しながら説明する。
「シルフって、この前の魔宮で出会った精霊よね? それがどうして?」
「それがどういうわけか……ユノさん、どうやらニュンペーの宝石を持っていたようなんです」
ミモザの言葉に、ハッとしてアスタとノエルは顔を見合わせた。
「ベルさんのような四大精霊は、上級精霊です。そんな精霊に選ばれたユノさんが、下級精霊との契約の証である宝石を持っていたので、ベルさんとしては面白くないんですわ」
例えるなら、指輪を贈ろうとした相手の薬指に、玩具の指輪がハマっていたようなもの。しかも相手は頑なにその玩具を外そうとしない。玩具より高価な指輪を贈ろうとしていた側は、その強情さに苛立っているのが、今のユノとベルの状況である――とミモザは言った。
そういうものか、とアスタは小首を傾げたが、ノエルは納得したようだ。何故かほんのり赤い頬で「コホン」と咳払いし、アスタの背を叩く。
「さっさと取り返してきなさいよ。上級精霊があの様子じゃあ、アイツも手放すしかないんだから」
「だな。ちょっと行ってくる」
ベルの呼吸に合わせて、風も止む瞬間がある。それを見計らい、アスタは柱の影から飛び出した。
「ユノ!」
「! アスタ」
ユノの声が僅かに弾む。その様子とアスタからの『匂い』で、ベルはすべてを察したらしい。キッと持ち上げた眦で、アスタを睨みつけた。
「アンタが、ユノに引っ付いたニュンペーね!」
「で、えええええ!!!」
鋭いかまいたちがアスタを襲う。アスタは足を止め、取り出した反魔法の剣で風の刃を切り裂いた。
「いきなり何すんだ! 俺はユノに用があるんだよ!」
「下級精霊如きが何の用よ! 本契約しに来たとか言うんじゃないわよ!!」
「何の話じゃあああ!!」
首を狙う風を、膝を曲げることで避ける。ベルは胸を反らして息を吸い込んだ。
「やめろ、ベル」
ピタ、とベルは動きを止める。ユノが手の平で彼女の顔を覆い隠したからだ。ユノの手の平に穴を開けるわけにはいかない、とベルは渋々力を収めた。
ユノはベルを手で背後に押しやり、アスタを見下ろした。
「アスタ、用事って?」
「あ、ああ」
アスタは剣を魔導書へ戻しながら、膝を伸ばして立ち上がる。
「ユノ、俺の宝石返してくれ」
ピシリ、と石にヒビが入る音がした。クラウス曰く、それはユノともう一つ、自分の隣からも聞こえたらしい。
しかしそんな音には一切気づかないアスタは、「早く」と言うように手の平をユノへ差し出す。ユノはぎこちない動きで眼球を動かし、マメだらけの手を見下ろす。
ユノがそのまま動きを止めたので、アスタは小首を傾げながら差し出した手をヒラヒラと振った。ユノは思わず、眉間に皺を寄せる。
「……アスタ、これの意味知っているのか」
言いながら、ユノはポケットから何かを取り出した。彼が指で摘まんで見せたのは手の平に乗るほどの小瓶で、中には夜を掬いあげたような黒い宝石が入っている。
アスタは一目で、それが探していたものだと分かった。
「フィンラル先輩たちから聞いたから大体は。てか、ユノは知ってんのかよ」
「……ハージの村の女たちが噂しているのを聞いた」
「へー」
ユノは度々村娘たちに囲まれることがあったから、その際に世間話で聞いたのかもしれない。
それはともかく、とアスタはさらに手を突き出した。
「返してくれ。ノエルとの仮契約に必要なんだ」
ユノの眉間の皺が、さらに深くなる。
ミモザが青いのか赤いのか分からない顔でノエルに詰め寄ったが、彼女は必死に手を振って「『仮』! 『仮』だから!」と弁明した。
「――やだ」
「は?」
暫しの沈黙の後、ユノはプイと顔を背けてそう言った。久しく見ていないユノの子どもっぽい仕草に、アスタは目を瞬かせた。
「だから、いやだ」
「はあああ?! いやいやいや! 何拗ねてるんだよ!」
「そうよ、ユノ! 本人が返せって言ってるんだから返しなさいよ!」
あのベルでさえアスタの見方をし、ユノの髪を引っ張る。しかしユノも頑なに譲らず、襟元を掴むアスタからツーンと顔を背けた。
「人のもん、勝手に持っていきやがって、その態度はないだろ!」
「俺は聞いたぞ。アスタが知らないっていうから貰ったんだ」
「そ……れはそうかもしれないけど! 謝るけど! 今は返してくれって!!」
「絶対いやだ」
「ユノー! もう私の力、貸してあげないわよー!!」
「……別に」
「ユノー!!」
ユノの首がもげんほど、アスタは彼の襟首を掴んで前後に振り回す。苛立ったアスタは無理やり奪おうとユノの握る小瓶へ手を伸ばすが、それを察したユノがその手をサッと高く掲げた。
「ユノ!」
「アスタが悪い」
「はあ……?」
すっかり拗ねた顔のユノを見上げ、アスタは眉を顰める。
「ごめんね」
そのとき、ユノの頭上に空間が開き、そこから伸びた手がユノの手から小瓶をかっさらった。ハッとしてユノとアスタがあたりを見回すと、ノエルたちの傍らに新しい人影があることに気づいた。
「フィンラル先輩!」
「もう、時間かかっているから何やっているのかと思えば……」
魔導書を開いたフィンラルは、もう一つ空間を開いた。それはアスタの真後ろに開き、そこから腕を伸ばして彼を傍らに引き寄せる。
「ちょっと強引だけど、これで目的達成したから……」
「風創成魔法――」
ぶわ、と魔力を帯びた風が渦を巻く。ユノの殺気を向けられたフィンラルは肩を震わせ、身体を小さくする。彼を庇うように、ノエルとアスタは前に出る。
「そこまでだよ」
静かに落ち着いた声が、凛とその場に響いた。ユノの足元から樹が枝を伸ばし、彼の四肢を封じる。
「ヴァンジャンス団長――!」
呆気に取られていたクラウスは我に返り、場を鎮めた男へ縋るように視線を向けた。
現れた仮面の男はニコリと微笑む。チラリ、と彼の瞳がどこかへ向けられた気がしたが、アスタにはその意図を読み取ることができなかった。ただ、背後に庇った身体が微かに強張ったようだった。
「っ空間魔法――!」
ノエルとアスタは、突然の浮遊感に息を飲んだ。前触れもなく、フィンラルが足元に空間を開いたのだ。三人はそのまま、その場から離脱する。空間へ完全に落ちきる前、悔し気にこちらを睨むユノの顔が、アスタの網膜に焼き付いた。

天井を眺めながら、ヤミは咥えていた煙草を指で摘まんで細い紫煙を吐き出した。
「おかえり」
「た、ただいま戻りました……」
ヤミの腹部に乗り上げた物体が、もぞもぞと動く。しかし他の手足や家具と絡まってしまっているのか、うまく起き上がれないようだ。ヤミは煙草を咥え直すと、腹筋を使って起き上がった。驚いた声を上げて、ヤミの上に落ちてきた身体がゴロリと床へ転がっていく。
「ちょっとアッシーくんたち、何してんだよ」
「ちょ、ちょっと焦って空間繋いじゃって……」
ヤミが見下ろすと、フィンラルはノエルとアスタに手を貸しながら起き上がった。
「で、首尾は?」
「強引でしたけど、何とか」
フィンラルは「はい」とアスタの手に小瓶を渡す。それを受け取ったアスタは、礼を言って小瓶の中身を覗き込んだ。
夜の闇をスプーンで掬って丸めたような、深い黒の宝石。オニキスだと、フィンラルが教えてくれた。
「えっと、これをノエルに……?」
「そうだ。バネッサ」
「はいはーい」
少し離れたソファから、しゃっくり混じりにバネッサが顔を出す。赤ら顔の彼女が器用に指を回すと、糸が伸びてアスタの手から小瓶を取り上げた。深い赤の糸がクルクルと動き、小瓶の中から取り出したオニキスに巻き付いて行く。やがてカゴの網目のようにオニキスを包み、ノエルの首にストンと収まった。
「はい、完成」
胸元に下がったオニキスのペンダントに触れ、ノエルはキュと唇を結んだ。
夜の冷たい光を胸に乗せたような感覚だ。荒れ狂う自身の魔力の渦潮が、抑えられている心地がする。これが、ニュンペーとの仮契約。
「……」
「ノエル?」
「何でもないわ」
ペンダントヘッドになったオニキスを指で弄っていたノエルは、アスタに声をかけられてパット手を離す。
何となく、彼の幼馴染の気持ちが分かってしまったような、そんな悔しい気持ちが胸中に浮かんで消えたのだ。それを振り払うように髪をかき上げる。
「……ま、よろしく」
「おう」
ニッコリとしたアスタの笑顔に、ノエルはほんのり頬を染めた。
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