夜の料理教室
ミクリオは頭を悩ませていた。夕食も終了後、各々明日の支度や寝る身支度に動く時間帯。キッチンにいる彼の目の前にあるのは、狐色を通り越して枯木色になった物体だった。クッキーであるというのは、制作者のミクリオしか分からないだろう。一つ摘まんで齧っても、見た目通り味覚を刺すような苦みが広がるだけ。甘味とは名ばかりの物体を前に、ミクリオは痛む頭を抑えた。
先日作ったものは火が弱く、真っ白な生焼けクッキーだった。好い加減上達したいと思うのだが、どうも火加減がうまくいかず、焼き菓子は成功した例がない。
「どうしたものか……」
「どうかしたの?」
突然背後から声をかけられて、ミクリオはビクリと肩を飛び上がらせた。その反応に声をかけた方も驚き、ミクリオの脇から「わあ」と声を上げる。
「す、すまない、ルカ」
「う、ううん。こっちこそごめん」
銀髪の少年は部屋へ戻るところだったのか、腕に本を数冊抱えていた。ルカは大きく首を振り、それから調理台の上に広がる失敗作を見て小首を傾げた。ミクリオは恥ずかしくなって、そっと腕で隠す。ルカはクスリと笑った。
「それ、ミクリオが作ったの?」
「……あまり見ないでくれ」
ミクリオはさっと腕で一まとめにすると、失敗作をゴミ箱へ落とした。
「意外だな、ミクリオは料理が得意だと思った」
「アイスとか、冷たいものなら……どうも僕は、火を使う料理が苦手で」
「へえ」
ルカはクスクス笑う。ミクリオが思わず視線をやると、ぴゃっと顔を強張らせた。ここに彼の親友がいれば、苛めるなと突っかかってきそうだ。
「ご、ごめんなさい! ミクリオにも苦手なものがあるんだなって、ちょっと親近感沸いちゃって……!」
ルカから見れば、仮想空間に集う多くの者たちは己より秀でている。ミクリオは天族という特殊な生まれと、男から見ても美しい中性的な姿が相まって、その感覚がさらに強まるのだ。
別にルカに対して怒りを覚えていたわけではないミクリオは、気にするなと吐息交じりに言って、手の平についた滓を払い落とした。
「スレイのために作っていたの?」
「……まあ」
ルカはキッチンを出て行く様子を見せず、渋々頷いたミクリオを見てクスクスと笑った。
「スレイ、ミクリオの作るソフトクリームが大好きだって言っていたものね! あれ、でも作っていたのは……」
言葉を止め、ルカはコテンと小首を傾げる。ミクリオは少し顔を苦く歪めた。
「いつまでも氷菓子ばかりでは芸がないと思ってね」
一番の理由は、先日のエドナ様のお茶会で主催者が「いつまでも冷たいものばかりじゃあ、スレイも飽きるでしょうね」と揶揄ってきたためだが、それをルカに言う必要はないだろう。
ふーんと頷いたルカは、少し何かを考えるように髪を弄った。それが考えるときの癖だと教えてくれたのは、彼の親友だ。
「じゃあ……」
「あれ、ルカにミクリオ?」
ルカが口を開きかけたところ、言葉を遮るようにしてキッチンの床を踏んだのは、ガイとセネルであった。二人は腕に何やら膨らんだ紙袋を抱えており、ガイはルカたちの姿を見て気まずそうな笑みを浮かべる。
「どうしたんだ、二人で」
「ガイたちこそ」
あまり見ない組み合わせに、ミクリオは目を丸くする。ガイとセネルは思わずといった風に顔を見合わせ、持っていた紙袋を下げた。
「えっと、その……」
ガイは言葉を濁し、視線を逸らす。セネルはあまり表情を動かさず、吐息を漏らすと紙袋を作業台に置いた。
「それは?」
「……言いふらすなよ?」
セネルが声を顰めると、ルカとミクリオに小さな緊張が走る。二人がゆっくり頷くのを確認すると、仕方ないと言うようにガイも頭を掻いて、紙袋に手を入れた。
「わあ……」
「これは……」
二人が取り出して作業台に並べたものを見て、ルカとミクリオは目を丸くした。小麦粉や卵、ベーキングパウダー――他にもバナナ等のフルーツや魚介類まである。
「パンの試作品を作ろうと思ってな」
「セネルが?」
ミクリオにコクリと頷き返して、セネルは袋の底から取り出したエプロンを腰に巻いた。
「元々、パン作りは得意なんだ。最近、落ち着いてきたから久しぶりに作ってやろうと思って」
「シャーリィに?」
思わずルカが訊ねると、セネルは少し目を動かして小さく頷いた。以前彼が、この戦いが終わったらシャーリィとパン屋を開くのも良いかもしれない、と言っていた姿を思い出す。
元の世界へ戻る手段が見つからない今、『すべてが終わったあと』の身の振り方を考える者は少なくない。各言う、ミクリオも。
「……」
「ガイは?」
「小腹が空いたときに、セネルのパンの試作品も貰ってね。以来、唯一の味見役だ」
夜の稽古を終えてグルグルと腹を鳴らしながら、簡単な夜食でも作ろうかと台所を覗いたところ、丁度パンを焼きあげたセネルと出会ったのだと、ガイは笑い声混じりに教えてくれた。
アジトに住む人数も増えてきたため、台所は幾つか増築されている。ここは始めの方に作られた一番端っこにある台所で、夜になれば前にある廊下を通る者も少ない――ルカはたまたま、こちらの方面にある図書室へ立ち寄ったため、台所の明かりに気づいたのだ――。
「ルカたちは?」
「僕は、図書室から部屋に帰るところ」
抱えていた本を少し持ち上げ、ルカはチラリとミクリオを見やる。ミクリオは腕を組み、小さく息を吐いた。
「僕もちょっと、試作したい料理があったものでね」
「ソフトクリームとかか? スレイが絶賛していたな」
道具を作業台に並べながら、セネルが訊ねる。少し迷って、ミクリオは首を振った。
「……少し、焼き菓子を、ね」
「へえ」
成果はどうだとガイに問われ、ミクリオは肩を竦める。その袖を、おずおずとルカが引っ張った。
「ねぇ、セネルに習ったら?」
「セネルに?」
「うん。パン作りが得意なら、焼き菓子も似た感じでできるんじゃないかなって」
セネルは目を丸くし、フムと顎を撫でた。
「菓子パンなら作ったことあるが……」
「ミクリオは、焼き加減が苦手だって言うんだ」
「成程。焼くところくらいなら」
セネルは頷いて、ミクリオを見やる。ミクリオは組んでいた腕を解き、差し出がましいことをしてしまっただろうかと不安半分な視線を向けるルカと、彼の考えをくみ取って苦笑するガイを順番に見やり、セネルへ視線を戻した。
「……お願い、できるだろうか」
セネルは口元を綻ばせる。
「俺で良ければ」
こうして、奇妙な人選による夜中の料理教室は始まったのだ。


▽得意料理
水の天族:氷菓子。火を使う料理はジャンル関係なく苦手。
魔王の転生者:簡単な炒め物とチーズスープ。美味しい料理を振舞いたい相手はいる。
マリントルーパー:一番得意な料理はパンだが、他の料理も一通りできる。
女性恐怖症の護衛剣士:実はこのメンバーの中では一番できる。
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