第5話 chapter4
「オファニモン……フォールダウンモード……」
息を飲む子どもたちの前で、憎悪に瞳を赤くしたデジモンは飛翔する。それと反対に、ヒカリの身体は崩れ落ちる。
「ヒカリ!」
慌てて駆け寄った太一が抱き留めると、ヒカリは気絶したのか目を閉じていた。
オファニモンFMは禍々しい鎌を振るう。そこから炎が燃え上がり、それは真っ直ぐ姫川とラグエルモンに向かった。
ラグエルモンは鋭い爪で、炎を薙ぎ払う。それから地面を蹴って、オファニモンFMへ飛びかかった。
「二人の堕天使の戦い……まさに終末ね」
どこか弾んだ声を漏らす姫川に、さすがの西島も鋭い視線を向けた。
「姫川、お前は……!」
ズシン、と子どもたちの近くに、二体のデジモンたちの攻撃の余波が落ちる。地面を抉るほどの威力に、西島の背筋がゾッと冷えた。
「ここにいると危ない! 撤退だ!」
「西島先生と芽心さんも!」
ヒカリを抱き上げた太一が声を上げ、空が芽心の手を引く。ミミに肩を叩かれ、西島はハッと我に返った。
それに頷いた西島は、ふと視界の端を歩くハックモンの姿に目を止めた。傷だらけの身体を引きずるようにして、ハックモンは子どもたちとは別の方向へ歩いて行こうとしている。
西島はヒョイとその身体を抱き上げた。
「な、何を!」
「良いから、そんな身体でどこに行く気だ」
バタバタと抵抗する身体を押さえつけ、西島はミミたちの呼ぶ方へ駆け出す。
「離せ、俺は、」
ハックモンは西島の腕から抜け出そうとするが、傷だらけの身体に力は入らず、されるがまま運ばれていったのだった。

◇◆◇

「無事だったか」
空には暗雲が立ち込め、そこを二体の究極体デジモンが争いながら飛び回っている。ゲンナイもその異変は察知しており、湖の畔に現れた子どもたちの姿を見てホッと胸を撫で下ろした。
「ヒカリと望月を休ませたい」
「ボクたちも、エネルギーを補充したいんだ」
太一とアグモンの言葉に頷き、ゲンナイは自分の部屋へ彼らを通した。
「大目に用意しておいて良かったわ」
ゲンナイの用意した部屋で、空は預けていた自分の荷物から食糧を取り出した。お弁当や日持ちする食糧を並べると、デジモンたちが一番に頬張った。
子どもたちも、ゼリーやおにぎりを腹へ入れる。
空が、別室で休むヒカリと芽心の様子を見に行った。二人ともまだショックが大きいらしく、ヒカリは目を覚まさないままだと言う。芽心も、ぼんやりと何かを考えこんだ様子で、二人の側におにぎりを置いて来たが、食べてもらえるか不安だと、空は溢した。
「今、デジタルワールドは暗黒世界に包まれつつある」
成長期まで戻ったデジモンたちと、物を食べたことで少し落ち着いてきた子どもたちを見回し、ゲンナイが説明した。
姫川が暗黒世界を引きずり出そうとした関係で、最近はデジタルワールドと暗黒世界の境界が近しくなっていた。その境界がさらに浸蝕され、暗黒世界にデジタルワールドを覆うまで時間はかからないだろう。
「オファニモンFMとラグエルモン……あの二体を、まず止めないと」
「ラグエルモンを止められれば、暗黒世界の浸蝕も止まるんでしょ?」
「暗黒世界を引き起こそうとしていたイグドラシルと、同じ機能をラグエルモンも持っている。理性を取り戻して、自分の力を制御できるというのなら、希望はあるだろう」
完全にラグエルモンをデリートする必要はないということだ。その言葉に、ミミはホッと胸を撫で下ろした。
「暗黒進化は、エネルギーを消費すれば解けるんだったか」
以前、スカルグレイモンに進化してしまったとき、そうやってアグモンに戻っていた筈だ。ヤマトの視線を受け、太一はコクリと頷いた。
「だと思うけど、あの二体は究極体だ。エネルギーを消費させるのも、容易じゃないだろ」
「下手をすれば、その前にデジタルワールドが壊れてしまいます」
本当ならヒカリや芽心がパートナーたちに呼びかける方法が良いのだが、彼女たちの立ち直りを待っている時間も、急かすつもりもない。
太一たちを立ったまま見ていたゲンナイが、スッと頭を下げた。突然のことに、太一たちはぎょっと目を丸くする。
「すまない」
頭を下げたまま、ゲンナイは言った。
「今回のことは、こちらの失態だ。イグドラシルの不具合に気付くことが遅れた上、破棄が不十分だったために最もならない形で利用されてしまった……だから、ホメオスタシスは当初、デジタルワールド側で解決しようとしていた」
アグモンたちにゲートを渡したのは、あくまでパートナーの護衛と、彼ら自身の安全のためだった。まさか、現実世界でもウイルスプログラムをインストールするとは、エージェントたちも予測していなかったのだ。
あの夜、ホメオスタシスが子どもたちに手を引くよう言ったのも、失態の尻ぬぐいを子どもたちに負わせるわけにはいかない、といった責任からだった。
しかし、ことはホメオスタシスやエージェントだけではどうしようもないところまで来てしまっている。
ゲンナイは深く頭を下げて、グッと手を握った。
「オレたち、やるよ」
力強い声を出したのは、ガブモンたちだ。
「ボク、憶えてる。暗黒進化って、すっごく辛いんだ」
「そんなの、テイルモンたちが可哀そうよ」
「テイルモンもメイクーモンも、助けなきゃ」
「これ以上、あの二体にデジタルワールドを壊させちゃあきまへん」
「暗黒世界にもさせないよ」
「オイラも、まだ戦えるぜ」
頼もしいパートナーの言葉に、子どもたちは顔を綻ばせた。
「よーっし、やっちゃうわよ!」
「ま、今更だしね。ここまで来たら、最後まで足掻いてやるさ」
「デジタルワールドを救います。メイクーモンとテイルモンも、もとに戻します」
「そのために、私はデジタルワールドに来たんだもの」
「うん、希望を失くしちゃいけないよね」
「俺たちはいつだって、こういった困難を乗り越えてきたんだ」
太一は、首にかけたままだったゴーグルに指を伸ばした。グッとそれを掴んで、額に持ち上げる。
「ああ、やろう」
太一の言葉に、ヤマトたちは強く頷いた。
「……強いな」
部屋の隅で彼らのやり取りを見ていた西島は、ポツリと呟いた。どこか懐かしいものを見るような彼の視線に気づいた光子郎は、「そう言えば」と口を開いた。
「そもそも、姫川さんの探しているデジモンとは何なんですか? 西島先生の話では、デジタルワールドに来たわけではないんですよね?」
そう言えばそうだ、とミミも首を傾げる。
西島は分けてもらった水で喉を潤した。
「……少し長くなるが、昔語りを聞いてもらって良いか?」
子どもたちは少し顔を見合わせ、頷く。西島は礼を言って、しかしどこから話そうかと少し考えこんだ。
「俺と姫川が同級生だったって話はしたな。高校のとき同じクラスで、同じマンションに住むグループとして行動することが多かったんだ」
そのグループは姫川と西島を入れた五人組。五人とも、大学進学を期に家を出て連絡をとらなくなったので、今どうしているかは知らない。西島が姫川の現状を知ったのは、捜査線上に浮かんできたからだ。
「結論から言うとな、俺たちにもパートナーデジモンがいたんだ――いや、あれはパートナーと呼べる関係性だったのかも、分からないけどな」
西島は自嘲気に微笑んだ。その表情になんと返したらよいか分からず、太一は目を逸らす。その様子を気にせず、西島は話を続けた。
「高校一年のときだったかな」
九年ほど前かと指折り数え、残酷な時の流れに西島はまた顔を顰めた。
当時まだパソコンは珍しく、五人組の中で唯一パソコンを持っていたのが西島の家だった。放課後、西島の家に集まってパソコンを面白半分に弄る日々。そんなある日、不思議な画面を見つけたのだ。
それはドット絵で作られた箱庭のような図で、その中には、勝手に動き回るキャラクターが五匹いた。キャラクターたちは、RPGのゲーム画面のように微かに上下していて、動いていることを示していた。
「それが、俺たちは自分のパートナーと信じていたデジモンだった」
そのときの西島たちの知識に、パートナーデジモンという概念はなかった。ただ子ども心の独占欲というのか、これが自分のキャラクターだ、と愛着を持つようになった。
西島の場合は、熊のような姿のデジモンだった。
「俺のだって印をつけたくて、ゴーグルのアイコンを与えたこともある」
友人には少し揶揄われたが、ゴーグルをドラッグすると、熊は嬉しそうに飛び跳ね、次からは首に下げるドット絵に変化していた。
まるで本当に生きているようで、ますます愛着が沸いたことを覚えている。
「姫川も、一匹のデジモンに愛着を持った」
一番小さい動物の姿をしたデジモンだった。その執着心は、仲間たちの中で一番強かった。学校が終わると誰よりも早く家へ来て、ずっとそのデジモンを見つめていた。
一人パソコンの前に立ち、慈しむ視線をドット絵に向ける姿は、今も西島の脳裏に焼き付いている。

――……あなたに会いたいわ。

その呟きは、心の底からの願いだとすぐに分かった。
西島たちの秘密は、やがて終わりを迎える。
高校三年の夏、突然、そのパソコンが壊れたのだ。理由は分からない。父の話では、容量オーバーになったのか、不具合があったのか、そんなところであろうということだった。
数か月後には初期化された新しいパソコンがやってきたが、幾ら西島たちが探してもあの箱庭はどこにもなかった。
丁度受験のこともあって、西島たちは箱庭とそこに住んでいたキャラクターたちのことに構う余裕はなかった。忘れかけていた。しかし、ただ一人は忘れず、ずっと行方を捜していたのだ。
「それが、姫川さん」
西島は頷く。
「元々、何でもそつなくこなすせいか、何に対しても執着しないやつだったんだ。俺がしつこく話しかけて、やっと言葉を返してくれるくらいで。そんな人間が、初めて執着したのが、あのデジモンだったんだろうな」
そこまで話して、西島は懐かしい思い出に目を細める。
光子郎はアナライザーを持ち上げ、西島の傍らに膝をついた。
「そのデジモンたちの特徴は?」
「え……えっと、紫の兎みたいなのと、赤いペンギンみたいなやつと、カメみたいなの……」
ベアモン、エレキモン、ムーチョモン、カメモン……バクモン西島はふと光子郎の持つアナライザーを指さした。
記憶を思い起こしながら、西島は特徴を挙げる。
光子郎がアナライザーを検索し、『エレキモン』『ムーチョモン』『カメモン』の画像を見せると、西島は「それだ」と頷いた。
「『バクモン』……これが、姫川さんの探しているデジモン?」
「ああ、確かそんな姿だった」
中華街にもバクモンはいたが、人間と交流した経験を話す個体はいなかった。
最後に、光子郎は一体のデジモンの画像を西島へ見せた。
熊に似た、成長期のデジモン。
西島は目を丸くし、微かに震える指でアナライザー越しに輪郭をなぞった。
「……『ベアモン』――そうか、ベアモンって名前だったのか、あいつ……」
西島がゴーグルを贈ったデジモンは、間違いなかったらしい。
彼の様子を離れたところで眺めていたハックモンは、静かに部屋を後にした。

◇◆◇

「おい、どこに行くんだ」
ゲンナイの家を出て、一人森へ入ろうとしていたハックモンは、背後からそう声をかけられた。足を止めて顔だけ振り返ると、そこに立っていたのはヤマトとガブモンだった。先ほどまで話こんでいたと思っていたが、ハックモンの退室に気が付いていたらしい。
「……関係あるまい」
「お前の、ロイヤルナイツのことは聞いた。デジタルワールドを守護する、ホメオスタシスの騎士だと」
ハックモンの拒絶も構わず、ヤマトは言葉を続けた。
「だが、お前はその役目以外にも理由があって戦っているように見えた。何を隠している? お前と、あのデジモン――ヒポグリフォモンたちは、何か関係があるのか?」
ハックモンはヤマトから視線を逸らし、暗雲立ち込める空を見上げた。
「……私は、デジタルワールドに生まれ落ちたとき、一人だった」
近くに同じ種族の姿は見えず、それどころか他にデジモンの姿もなかった。何故生まれたのか、どうしてここにいるのか――生まれてきた意味を見出せず、一人それを求めて、デジタルワールド内をさまよった。そんな中、五体のデジモンたちと出会う。
「それが、ベアモン、エレキモン、ムーチョモン、カメモン……バクモンだった」
「それって……」
驚いて、ガブモンはヤマトを見やった。ヤマトも驚きながら頷き、ハックモンの背中を見やる。
先ほど、西島の話に登場したデジモンと同じだ。
「ベアモンたちは、行倒れていた私を助けてくれた」
彼らも、群れからはぐれて生まれたデジモンたちだったらしい。
五体で生活していたところに、ハックモンが加わることになったのは、殆どベアモンの独断だった。それでもバクモンたちがハックモンを厭うことはなく、穏やかな日々は続いた。
ある日、ハックモンはエージェントからデジタルワールドを守護する騎士――ロイヤルナイツの候補であることを告げられる。その修行に出るため、ハックモンはベアモンたちの元を離れることになった。
「このゴーグルは、そのときに餞別としてベアモンから譲り受けたものだ」
赤いマントの影に隠していたゴーグルを少し持ち上げ、ハックモンは背後のヤマトたちにそれを見せる。

――お前が立派なロイヤルナイツになれるよう、お守りだ。いつか、返しに来いよ。

恐らく、西島はこのゴーグルに気が付いていた、だからあれほどハックモンのことを気にしていたのだろう。
「じゃあ、お前なら西島先生のベアモンやバクモンの居場所を知っているんじゃあ……」
ゴーグルを持つベアモンは、西島の言っていたベアモンである可能性が高い。そのベアモンと共に行動していたというのなら、姫川の探しているバクモンは――。
「無理な話だな」
きっぱりと言って、ハックモンはゴーグルをマントの下へ戻す。
「バクモンは、この私がデリートした。イグドラシルのウイルスプログラムで、暴走していたからだ」
「!」
ロイヤルナイツとして――ジエスモンとして最初にホメオスタシスから与えられた使命が、ウイルスプログラムに侵されたデジモンたちをデータに還すことだった。その道中、彼らに再会した。その時は既に、バクモンはウイルスプログラムに侵されていたのだ。
ハックモンは、バクモンをその手でデリートした。それが、デジタルワールドの平穏のため、自身の使命だと信じて。
「罵りたければそうすれば良い。姫川の悪意の源は、紛れもなく私だ」
初めにバクモン。その後、ベアモンたちもウイルスに侵されていると知った。
「私はこれまで、オロチモン、ヒポグリフォモン、トリケラモン……嘗て助けてくれた仲間たちを切り捨てたのだ。デジタルワールドの、平穏のために」
今更立ち止まることはできない。既に賽は投げられ、剣は抜いてしまったのだから。ハックモンには、進み続けるという選択肢しかない。
「幾ら誹られ罵られようと。例えロイヤルナイツとしての力を失い、ジエスモンに進化できずとも」
「どういうことだ?」
「ヤマト、きっとあれだ」
ハックモンの言葉の意味が分からず眉を顰めるヤマトへ、ガブモンが指をさして示した。
影に隠れてはっきりしなかったが、ハックモンの爪はボロボロで、欠けているところもある。繰り返された戦闘で割れた爪。恐らく、ハックモンの身体は限界に近いのだろう。ジエスモンへの進化にはエネルギーが足りず、だからといって大人しく静養する気は、ハックモンにはないらしい。
ふつ、とヤマトの心に何かが浮かぶ。ハックモンの赤いマントで覆われた背中を見つめ、ヤマトは手を握りしめた。
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