第5話 chapter3
メイクーモンは、道を歩いていた。
初めて見る場所のような気もするが、懐かしいような気もする。しかし特にこちらへ影響はないと判断し、メイクーモンは足を止めなかった。
ふと、目の端で何かが動いた。メイクーモンは足を止め、そちらを見やる。
メイクーモンはパアッと顔を輝かせた。
暗い道の端に、向日葵が数本、生えている。そこだけスポットライトでも当てられているように、キラキラと輝くように眩しい。
そうだ、とメイクーモンは思いついた。この向日葵たちを、芽心に見せてあげようと。
自分の体毛と同じ色のこの花がメイクーモンは大好きだったし、芽心も勿論大好きだと知っていた。だから、メイクーモンが向日葵を持って帰ったら、彼女はとても喜ぶだろう。それは、メイクーモンにとってとても素敵なことだった。
早速摘もうと向日葵の方へ駆け寄る。すると、向日葵の向こう側に、誰かが立っていることに気が付いた。
「メイコ!」
それは、たった今思い浮かべていた芽心だった。
メイクーモンが声をかけるが、芽心はダランと腕を両脇に垂らしたまま動かない。メイクーモンはさらに彼女の方へ寄ろうと思ったが、向日葵の向こう側に道は見えず、どこを通ったら良いか分からないので進めない。
「メイ、コ……?」
「悪い子」
不安になったメイクーモンが彼女を見上げると、冷たい言葉が降ってきた。少し俯き加減だったため、芽心の顔は髪の影になってはっきりしない。
「いろんな物を壊して、いろんな人を傷つけて」
「メ、メイコ……」
何かが可笑しい。ゾワゾワと体毛を撫でる冷たい空気に、メイクーモンの身体は硬直した。
どろ、と黒い何かが向日葵を汚す。それが触れた途端、向日葵は瞬く間に枯草と化し、ポロポロと崩れていく。
「ひっ……」
「私まで傷つける」
そこでメイクーモンは気が付いた。どろりとした黒い何かは、芽心の顔から流れ落ちて来ているのだ。
「――生まれてくるべきではなかったのよ」
暗く冷たい声は、別の少女のものと重なって聞こえた。

ハッと、メイクーモン――メイクラックモンは目を覚ました。
びっしょりと掌が汗をかいている。バクバクとなる心臓をそっと撫で、メイクラックモンは樹の枝に横たえていた身体を起こした。
「……メイコ」
ポツリと呟くのは、現実世界で出会った、そして、ここデジタルワールドにはいる筈のない、少女の名前。
「!」
ピクリ、とメイクラックモンの耳が動く。
懐かしい気配を感じ、メイクラックモンは枝を蹴ると、その場から姿を消した。

◇◆◇

どしん、と青い身体が地面に投げ出される。
「ガルルモン!」
ヤマトはガルルモンへ駆け寄った。
ガルルモンを投げ飛ばしたイグドラシルは、ヒポグリフォモンの方へ手を翳し直し、残りのデータを全て吸収してしまった。ヒポグリフォモンの身体は、消えてしまう。
「くそ……っ」
「一体、何なんですか。デジモンじゃない……」
アナライザーの画面を見ながら、光子郎は歯を噛みしめる。
「イグドラシル――ホメオスタシスが造った、自律型監視システムだ」
その問いに答えたのは、空の手当を受けて大人しく座っていたハックモンだ。
ほら見たことか、と皮肉を言われると思っていた太一は少々面食らいつつ、ハックモンの方を見やった。
「だから何なんだよ、その自律型監視システムって」
「ホメオスタシスに代わり、デジタルワールドを監視するシステムだ」
日々拡張し、リアルワールドと距離の近くなるデジタルワールドにおいて、ホメオスタシスが管理すべき事柄は膨大になっていく。エージェントたちに任せても、手が足りない。そこでホメオスタシスは、デジタルワールドの異変を感知するためだけのシステムを作製した。それが、イグドラシルである。
「しかし、イグドラシルには欠陥があった。自律型故か、デジタルワールドを独自の価値観に基づいて統治しようとし始めたのだ」
「独自の価値観?」
「強者ばかりが存在するべきだという強者生存。そのために、すべてのデジモンを強化するプログラムを無差別にインストールし始めた」
「それって、ウイルスプログラムのこと?」
アグモンが訊ねると、ハックモンは頷いた。
「そこでイグドラシルの機能を停止し、プログラムデータを破棄した、筈だ」
「破棄したって、動いているじゃないか」
「何者かにハッキングされ、操作権を奪われたらしい」
「誰に……」
「姫川マキだ」
ハックモンの言葉に割り込んだのは、太一や光子郎ではない。第三者の声。
太一たちがバッと振り返ると、そこにはパートナーデジモンに運ばれてきたタケルたちと、西島の姿があった。
西島は芽心の姿を見つけると、ホッと息を吐く。
「無事だったか」
「す、すみません。気づいたら、西島先生がいなくて……」
どうやら、西島と芽心は何らかの方法を使い、二人でデジタルワールドに来たらしい。彼らの会話からそれを推測し、光子郎はそれも気になるが、と前置いた。
「姫川さんが、ホメオスタシスの破棄したシステムをハッキングした……そういうことですか?」
西島は頷く。
「恐らく、ハッキングしたイグドラシルの分裂体を使って、ウイルスプログラム――強化プログラム――をばら撒いていたんだろう」
これで得心がいったと西島は苦く顔を歪める。
「日本の、それもお台場にゲートを集中させて暴走デジモンを送り込んでいたのは、これが狙いだったのか」
「どういうことだ?」
頭の回転が追いつかない、と太一は訊ねた。
「……ウイルスプログラムはデジモンのデータを強化させる……つまり、それを回収したがったんだ」
その言葉で、光子郎も何か思い当たることがあったようだ。少し顔を青ざめ「まさか」と呟く。
「前に、ヒカリさんが言っていた……お台場には僕たち『選ばれし子ども』がいる……――僕たちに暴走デジモンを倒させて、その強化させたデータを回収していたということですか?」
太一たちは絶句した。西島は顔を歪めたまま、首を縦に振る。
「そんな……それって……」
芽心にも分かる。残酷で、身勝手な行為だ。
ザリ、と砂を踏む音がする。
それは丁度芽心の背後から聞こえた。彼女はバッと振り返る。
彼女の行動で新しい気配に気づいた太一たちもそちらを見やり、身体を強張らせた。
「ヒカリ……」
固い表情をした妹が、ゆっくりとした足取りでこちらへ寄って来る。彼女をそっと背に庇い、太一はもう一人を睨んだ。
「あら、みんな揃っているのね」
警戒する子どもたちの視線をさらりと流し、『少女』は頬に触れる髪を摘まむ。
「姫ちゃん……」
面影はあった。そして、西島のその呟きで理解した。
薄暗い光を瞳に湛えたこの少女が、姫川マキ――すべての元凶であると。
子どもたちを庇うように、西島は前に出る。
「姫川、一体、何を企んでる?」
彼を一瞥し、姫川はザリ、と草を踏みつけた。
「雑草は、何度も踏まれることで、強く逞しくなる」
唐突な言葉に、西島さえ何も返せない。しかし姫川は気にした様子はなく、一人言葉を続ける。
「何度もデリートされることで協力になるプログラム。それに侵される苦しみ、デリートされる痛み――プログラムと共にイグドラシルの中へ回収されるデジモンたちの怨嗟」
まるで舞台役者のように、身振り手振りを加えて言葉を紡ぐその姿に、ヒカリはザワザワと腹が熱くなるのを感じた。
「それが、暗黒世界を引き寄せる力となる」
姫川の背後に、新たなイグドラシルの分裂体が現れる。ミミが、先ほど取り逃がした一体だと呟いた。
「……暗黒世界の創造――それが、お前のデジモンと会うための必要条件なのか?」
冷や汗をかく手の平を握り、西島は慎重に訊ねる。
「これでもデジタルワールドを隅々まで探したのよ? でも、どこにもいなかった。探していないのは、暗黒世界だけ。きっと私のデジモンは、何かの間違いで暗黒世界に迷い込んでしまったんだわ」
だから、こちらから迎えに行くのだ、と姫川は口元に笑みを浮かべる。
光子郎はハッとして辺りを見回した。いつの間にか、イグドラシルが四体、周りを取り囲んでいる。
数を目で数えて、姫川は小首を傾げた。
「あら、四つ足りないわね」
「……ホーリーエンジェモンの力で、異空間へ送ったので」
タケルが告げると、「そう」と短く姫川は呟いた。
胸元でループタイを握りしめた芽心が、大きく息を吸った。
「メイちゃんは、何なんですか!」
イグドラシルと姫川の関係、それから繋がる彼女の目論見は、共感せずとも理解した。それならば、メールによって芽心へ送って来たあのデジモンの意味とは、何なのか。
「イグドラシルを、デジタルワールドを見る『目』としてハッキングしたとき、見つけたデータよ」
恐らく元になったのは、ホメオスタシスがイグドラシルに提供していたデジモンたちのデータ。全てのデジモンの情報を内包したデータ集合体――それがメイクーモンだ。
「最も、核となったのはそこのテイルモンのホーリーリングのコピーデータだったようだけど」
姫川の視線を受け、テイルモンはグワリと歯を剥きだして威嚇した。
「どの程度、私の計画に利用できるか未知数だったから、芽心ちゃん、あなたに託したのよ」
芽心の指先が真っ白になり、カリ、と力なく硝子のループタイをひっかいた。
「じゃあ、私とメイちゃんは……」
太一とアグモンたちのように、運命のパートナーであることを期待していた、信じていた。しかし事実を聞けばどうだ、ただの有り合わせでしかなかったのではないか。
顔面蒼白になる芽心の肩を、空が支える。そうしないと、彼女はそのまま座り込んでしまいそうに見えた。
「半分になってしまったけど、まあ、問題ないわね」
姫川はマイペースに呟き、何やら指を動かした。
黙したまま子どもたちを取り囲んでいたイグドラシルたちが、集まっていく。十分エネルギーは回収できた。分裂体が合体し、暗黒世界の扉を開くには、十分すぎるほど。
分裂体の倍以上の身丈。究極体に匹敵する威圧感を持つ姿。これが、イグドラシルの本来の姿か。
ゴクリ、とヤマトは唾を飲みこんだ。ヤマトにも分かる。イグドラシルの足元から、暗黒世界を引き寄せようとする負のエネルギーが溢れだそうとしていた。
「やらせない!」
そのとき、鋭い声が、威圧されていたヤマトたちの身体を解放した。
キッとイグドラシルを睨むのは、タケルだ。彼の手から眩い黄色の光が溢れている。
「例えどんな理由でも、デジタルワールドを暗黒に染めて、デジモンたちの希望を奪うことなんてさせない!」
「タケル……」
「世界を暗黒になんて、させるもんか!」
光が、強さを増していく。

ホーリーエンジェモン、究極進化――

「セラフィモン!」
神々しい天使。金に輝く翼を十枚広げ、セラフィモンは空へ飛び立った。
姫川の顔が、僅かに歪む。
何かを演算するように点滅を繰り返していたイグドラシルは、フイと顔を上げる。上空に浮かぶセラフィモンを捉えたのか、後を追うように浮遊した。
セラフィモンは右手の聖剣エクスキャリバーを構えた。イグドラシルは、巨大なクリスタルを頭上に出現させ、セラフィモンへ向けて打ち放つ。
「は!」
セラフィモンはエクスキャリバーを振り上げ、クリスタルへ切り付けた。互いの勢いが鬩ぎあい、火花を散らす。
ピキ、とクリスタルにヒビが入った。
クリスタルと聖剣、二つの煌めきが日光を反射し、太一たちの目を焦がす。
「はああ!!」
セラフィモンは力を込め、エクスキャリバーを横に薙ぐ。パキン、とクリスタルは割れ、細かい破片と散った。
破片が子どもたちの上に落ちないよう、続いて進化したエンジェウーモンが、翼を羽ばたかせて風を起こし、破片を吹き飛ばした。
クリスタルを破壊してイグドラシルとの距離を詰めたセラフィモンは、エクスキャリバーを相手の白い身体に就きつける。
ピピ、と機械のような音を立て、イグドラシルはさらなるクリスタルを生みだそうと掲げた腕の間にエネルギーを貯める。セラフィモンは突き付けた聖剣を抜くように、イグドラシルに足をかけた。それから、離れた位置へ向けて思い切り蹴り飛ばす。イグドラシルは、姫川の背後から少し離れた地面にズシンと沈んだ。
エクスキャリバーをしまったセラフィモンは、手を合わせた。
「セブンヘブンズ!!」
七つの超熱光球が、イグドラシルの身体に直撃した。眩しい光、一瞬の間の後、爆音と爆風が辺りを襲った。
姫川は爆風に背を向け、頭を腕で守った。風が収まった頃、姫川は振り返る。
白い身体をヒビと煤で汚したイグドラシルが、茶色い地面に沈んでいる。
ポン、と音を立てて進化を解いたトコモンが、落下する。タケルは慌てて落下地点へ駆け寄り、トコモンを受け止めた。
「タケル」
「ご苦労さま、トコモン」
疲れた様子を見せたトコモンは、タケルの胸に頬を擦りつけた。
「イグドラシルを、倒したの……?」
「これで、暗黒世界は……!」
戸惑いながらも、少しずつ喜色を浮かべる子どもたち。倒れるイグドラシルを見つめ、こちらに背を向けていた姫川へ、西島はそっと歩みを寄せた。
「姫ちゃん……」
「ふふ……」
触れようとした肩が、小さく震える。
動きを止める西島を振り返って、姫川は髪と一緒に西島の手を払った。
「私の目的は、誰にも邪魔させない」
ハッとした西島は、イグドラシルの上に新しい影が立っていることに気が付いた。見覚えのあるその姿に、芽心たちも息を飲む。
「メイ、ちゃん……」
鋭い爪に、つり上がった目――メイクラックモンは、無表情のまま芽心たちを見下ろす。
「イグドラシルの中から見つけたデータ……まさか、『メイクーモン自体もイグドラシルの分裂体』だということですか?!」
「まさか! そんなら――!」
子どもたちの視線を受ける中、メイクラックモンは大きく口を開いた。ギラリと光る牙。それを、ためらうことなくイグドラシルの身体に突きつける。
「……吸収、している」
ごくん、とメイクラックモンの喉が動く。イグドラシルのデータを取り込んだメイクラックモンは、点を仰いだ。
ジワジワと黒い煤のようなものが、メイクラックモンの足元から沸き上がり、身体を包んでいく。
「そう言えば、文化祭でも進化したのだったわね」
異変に慄く子どもたちとは対照的に、姫川は平然とした態度で言葉を続ける。
「あれをメイクラックモンと呼ぶのなら……そうね、こちらのメイクラックモンはヴィシャスモードとでも呼ぼうかしら」
「ヴィシャス……――『悪意』?」
バラ、とメイクラックモンの身体を包んでいた煤が剥がれ落ちる。現れた姿は、面影こそあれど、禍々しい翼と爪を持つデジモンだった。
「そしてこのデジモンこそ、この間違った世界の終末を告げるラッパ吹き――その名をラグエルモン」
カッ、とラグエルモンは咆哮を上げた。
ビリビリと空気が揺れ、木々が震える。竦みそうになる身体を叱咤し、芽心はキッと顔を上げた。
「メイちゃん!」
空たちが止めるのも構わず、芽心は足を進める。西島より一歩前に出て、芽心は真っ直ぐラグエルモンを見つめた。
「私だよ、芽心だよ! 会いに来たの!」
ピタ、とラグエルモンの咆哮が止む。ラグエルモンは上空へ向けていた顔を、芽心へ向けた。
「メ、」
「あかん」
さらに言葉を重ねようとした芽心の口を、ぴしゃりと止めた。
「メイとメイコは、いっしょにおったらあかん」
「メイ、ちゃん……?」
それ以上言うことはない、とラグエルモンは顔を背け、姫川の背後に寄った。まるで、そちらの方がパートナーであると示すような光景に、芽心の視界がぐらりと暗くなる。
西島が腕を掴んだので倒れることはなかったものの、芽心は膝をついて座りこんだ。
「メイちゃん……」
「そんなに落ち込まないで、芽心ちゃん。あなたのパートナーはきっと見つかるわ」
メイクーモンは姫川が見つけ、芽心へ渡しただけのデジモンと呼べるかも曖昧な存在。そんな存在へ心を砕くより、今はまだ見ぬ本当のパートナーデジモンを待ち望んだ方が良い。
「どうして、そんなこと言うの……?」
グラグラと、頭が揺れるようだ。こんな感覚は初めてで、何と形容したら良いか分からない。フワフワと、身体が軽くなっている。しかし足はしっかり地面についたまま、ヒカリは兄の影から出て姫川の方へ歩く。
「ヒカリ……」
兄の声など聞こえないほど、ヒカリの意識は目の前の少女に向けられていた。半歩後ろで付き従うパートナーも、普段の聖女の微笑みなど失くし、興奮で赤く頬を染めている。
「自分のパートナーを探してるって言っておきながら、人の絆は踏みにじるの?」
狭い視界が、赤く染まる。ヒカリの手に握られたデジヴァイスが、鈍く点滅する。
「あなたみたいな人間がいるから……」
「! ヒカリちゃん、それ以上は、いけない!」
異変に気付いたタケルが声を上げるが、ヒカリの言葉は止まらない。
「あなたみたいな人に、デジモンもデジタルワールドも、好きにさせない!」
叫んだと同時に、自覚する。この身体全体が痺れるような感覚は――怒りだと。
デジヴァイスが黒ずんだピンクの光を、炎のように沸き立たせる。それと共にエンジェウーモンも、その炎のような光に身体を包まれた。
「まさか……進化?」
「いやこれは……」
タラリ、と太一は冷や汗を浮かべる。この感覚は、太一も覚えがある。
「――暗黒進化だ」
黒ずんだ光の中から現れたのは、青緑色装甲に身を包み、四枚の尖った翼を広げた女性体のデジモン。
光子郎はジワリと汗が浮かぶのを自覚しながらも、アナライザーをそのデジモンへ向けた。

『オファニモン:フォールダウンモード』

兜の下の目が開き、赤い光を露わにした。
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