第5話 chapter2
「イグドラシル……?」
どこかで聞いたような言葉だ。
太一たちの戸惑いを余所に、バオハックモンは白い物体へ向かって飛び掛かった。
白い物体――バオハックモンがイグドラシルの犬と呼んでいた相手は、顔らしき部分を赤く点滅させる。それから移動を止め、バオハックモンを捉えた。
バッ、とイグドラシルの身体からクリスタルの欠片が飛び散る。小さなガラスのような破片は、バオハックモンの身体に切り傷をつけた。
幾つかを刃で弾きながら、バオハックモンはイグドラシルの腕に飛び乗ると、グッと爪を立てた。
「ドラグレス――!」
技を出そうとしたバオハックモンは、横からイグドラシルの腕の一撃を受けて吹き飛んだ。
樹の幹へ背中を強かにぶつけたバオハックモンは、そのままズルズルと座り込む。動きの止まったバオハックモンへ向かって、イグドラシルのクリスタルの欠片が飛んだ。
「ベビーフレイム!」
そのとき、横から飛んできた炎が小さな欠片を炎で溶かした。
呆気に取られるバオハックモンの前に立ったのは、一人の人間と一体のデジモン。
「八神太一……アグモン……」
「ボクにだって、アイツが敵だってことは分かるよ」
「ああ、放っておけるかよ」
アグモンに進化できるエネルギーが残っているかは分からない。しかし、ここで何もせずにいるのは、太一もアグモンも、本意ではなかった。
傷だらけの身体を、バオハックモンはゆっくりと起こす。
「……止せ。相手はホメオスタシスの造った自律型監視システムだ。しかも暴走している。今のお前たちの敵う相手ではない」
「ホメオスタシスの?」
バオハックモンの言葉の意味を問い直そうと、太一は振り返る。しかしその隙にも、相手の攻撃は止まらない。アグモンはギラリと目に炎を浮かべ、大きく息を吸った。
「ベビーフレイム!!」
力を込めた炎が口から飛び出し、イグドラシルの身体を舐めるように広がった。気合の入った、良い攻撃だった。しかし、白く滑らかな身体は傷跡どころか焦げた跡一つつかない。
「パワーが足りないのか」
進化できれば良いが、先ほどの超進化でアグモンのエネルギーは残り少なくなっている。ここは撤退も止む無し――太一がそう思案したとき。
「! 何だ?!」
カッと強い光が離れた場所で散った。
すぐに収まった金の光。あれは、進化の光だ。
「まさか……空?」
脳裏に浮かんだのは、仲間の少女の姿だった。
「タイチ!」
光に気を取られていた太一の裾を引き、アグモンはイグドラシルを指し示す。
攻撃の手を止めたイグドラシルは、何かを演算するように赤く目を点滅させていた。やがて点滅を止め、移動を始める。
向こうが撤退してくれるなら僥倖だ。そう息を漏らした太一だったが、バオハックモンは傷だらけの身体を起こしてイグドラシルの後を追いかける。
「タイチ、どうする?」
アグモンがそう訊ねる。太一はガシガシと頭を掻いた。
「放っておけるわけないだろ」
「だよね」
アグモンと太一は頷き合い、バオハックモンたちの後を追いかけた。

◇◆◇

「どうして西島先生がここに?」
西島と向かい合ってタケルは訊ねる。少し離れた場所から伸びてくる幼年期デジモンたちの視線を気にしながら、西島は立ち上がった。
「姫川マキが残したプログラムを見つけたんだ。アバターを使って、精神体だけデジタルワールドに入るプログラムだ」
つまり今丈たちの目の前にいる西島は、デジタルワールド内でのみ実体を持つアバターであると言う。
ミミとパルモンは眉を顰め、西島の肩や足を突く。そこは、現実世界と変わらぬ感触を彼女たちに与えた。
「触れるのに、変なの」
「アバターって……姫川さんも、それでデジタルワールドに来ているってことですか?」
いまだ信じられないと言いたげに、丈は眼鏡の位置を直す。
「そう推測される。ただ、このアバターは自分で外見を変更できるようだった。姫川が現実世界での姿のままこちらに来ているとは……」
そこで西島はハタと言葉を止めた。
「すまん、思ったより俺自身、混乱していたようだ」
初めてデジタルワールドに来て、こんなにたくさんのデジモンに囲まれたら、大人とて混乱するだろう。タケルが仕方ないと慰めると、西島は大きく息を吐いて頭に手をやった。
「大切なことを確認し忘れていた。俺は彼女のデジヴァイスの座標を利用してここに来たんだ。一緒じゃないのか?」
『彼女』と聞いて思い浮かぶ女性は二人。しかし片方はデジヴァイスを持っていないと、西島自身が証言していたことがある。
「まさか、」丈が呟くと、西島は若干青い顔で頷いた。
「望月芽心は、どこだ?」
丸腰で、初めて来た土地に一人放りだされてしまった少女。彼女の所在が分からない状況だと察し、ミミの顔からも血の気が引いた。
「先生のドジ!」
「なんでそんなことになったんだよ!」
パルモンとゴマモンからぺちぺちと叩かれ、西島は言葉もない。
「取敢えず、太一さんたちと連絡をとって――」
タケルがそう言って耳元の通信機へ手をやったとき――
ズズ。
黒い影が、タケルたちの頭上に落ちた。
小さな悲鳴を上げて幼年期たちは森の奥へと逃げていき、それらの背中を守るようにオーガモンは武器を構える。
パルモンとミミは思わず互いを抱きしめ合い、ゴマモンを抱えた丈はヒクリと口角を引きつらせる。
「な、何なんだ、あれは!?」
一言で表すならば、白い結晶。透明感はなく、ただのっぺりとした色合いだが、形がそれを丈に連想させた。手と頭らしき部位はあるが、足のようなものは見受けられない。地面から数センチほど浮いて移動しているようだ。
顔のような部分が、赤く点滅している。点滅は止まり、動きも止まる。それは丁度タケルとパタモンの目の前で、タケルは赤いライトのような目と視線が合った気がした。
「これは……」
「気を付けろ! ソイツらはイグドラシルの分裂体! ウイルスプログラムをばら撒いているヤツらだ!」
オーガモンが叫ぶとほぼ同時に、相手が動く気配がする。タケルは咄嗟に、パタモンを抱えて横に飛んだ。タケルたちが立っていた場所に、クリスタルの欠片が突き刺さる。
「ウイルスプログラムって……これが?!」
「デジモンじゃないの?!」
「ホメオスタシスが造り、破棄した自律型監視システムだ」
「動いているじゃない!」
ミミが悲鳴に似た声を上げると、イグドラシルは顔を彼女の方へ向けた。
「パルモン進化――トゲモン!」
「ゴマモン進化――イッカクモン!」
彼女へ向けられた攻撃を、トゲモンが拳で射ち落す。その隙に進化したイッカクモンが、突進する。角が表面を削ろうとするが、白いそこには傷一つない。
「幼年期たちは結界の奥へ!」
「イッカクモンたちは抗体があるから!」
丈たちの言葉に頷き、オーガモンは幼年期たちを森の奥へ追い立てた。
「タケル、ボクも!」
「うん、パタモン!」
「パタモン進化――エンジェモン!」
真っ白な翼を動かし、エンジェモンは飛翔した。
「ハープンバルカン!」
「チクチクバンバン!」
「ヘヴンズナックル!」
三つの攻撃がイグドラシルに直撃する。衝撃でイグドラシルは地面に倒れる。
「やったぁ!」
嬉しさに飛び上がり、ミミはトゲモンの手にハイタッチした。
「まだだ!」
幼年期の避難のため少し離れていたオーガモンが、鋭い声を飛ばす。
「油断すんじゃねぇ!!」
オーガモンの声に反応したエンジェモンが、そちらを見やる。ググ、と横になっていたイグドラシルの身体が持ち上がった。
「まだそいつは、倒せちゃいねぇ!」
「!?」
キラリ、と赤い瞳が光る。
イグドラシルの上に浮かんでいたエンジェモンに、煌めくクリスタルが飛ぶ。
「ぐは!」
先ほどまで見ていたものより大きなクリスタルが、エンジェモンの腹部に直撃した。
「エンジェモン!」
平衡感覚を失い落下していくエンジェモンへ、さらに細かい欠片が追撃する。幾つもの切り傷を作りながら落ちてくるエンジェモンを受け止めようと、タケルは駆け出した。
必至に腕を伸ばすが、自分を軽々抱えるようなエンジェモンをしっかり受け止められる筈もなく、タケルはエンジェモン共々地面に転がった。
「タケルくん!」
「ミミ、動かないで!」
駆け寄ろうとしたミミを、トゲモンが押しとどめる。イッカクモンも、丈を守るように前へ出た。
周囲から、四つの新しい影が現れた。
「うそ! まだこんなに!」
確かにオーガモンは『ソイツら』と複数形で示していたし、『分裂体』と表現していた。しかしまさか、こんな状況になるとは想像していなかった。
「う……」
「エンジェモン」
エンジェモンが起き上がる。タケルも地面に手をついて起き上がったが、倒れたときに擦りむいた肘が痛み、顔を顰めた。
タケルが動きを僅かに止める間に、エンジェモンは立ち上がってイグドラシルの分裂体たちへ向かおうとする。タケルは咄嗟に腕を伸ばして、エンジェモンの裾を掴んだ。
「待って、エンジェモン。その傷じゃ、」
「行かせてくれ、タケル」
力強い、声だった。
「私はもう、何にも負けない。タケルたちを守って見せる」
ゴクリ、とタケルは唾を飲みこんだ。それからエンジェモンから手を離し、立ち上がる。擦りむいた肘や膝が微かに痛む。タケルはグイと、目の前のエンジェモンと同じように砂のついた自分の頬を拭った。
「うん、行こう。僕らは、何にも――もう自分にだって負けたくない」
タケルの真っ直ぐな視線を受け、エンジェモンは頬を緩めた。
「ああ。一緒に戦おう」
眩いばかりの光が沸き上がる。
イグドラシルたちの動きを抑えようと動いていたイッカクモンたちは、その眩しさを受けて足を止めた。
「エンジェモン、超進化――」
その光の傍らに立つタケルは、懐かしい暖かさにそっと目を閉じる。

「ホーリーエンジェモン!」

聖なる大天使は、大きく飛翔すると、右手の聖剣を煌めかせた。ホーリーエンジェモンはイグドラシルたちの間を飛び回る。目で追うのも大変なほどのスピードで動き、イグドラシルたちに切り付けたのだ。
ホーリーエンジェモンの攻撃は有効で、イグドラシルたちはバチバチと小さな電撃を起こしながら、ズシンと地面に沈んだ。
「すごい!」
「いや、まだ動くみたいだ」
ミミは喜色を浮かべるが、丈は油断できないと顔を歪める。彼の言葉通り、イグドラシルたちは――先ほどより鈍い動きではあるが――身体を起こして上空に浮遊するホーリーエンジェモンへ狙いを定めた。
ホーリーエンジェモンは聖剣を天空へ掲げる。それからクルリと円を描いた。
「ヘヴンズゲート!」
剣先の描く弧は金色に代わり、円状のゲートを顕現させた。異空間の扉が開き、イグドラシルたちを吸い込み始める。
無い足で踏ん張っていたイグドラシルたちだったが、吸い込む力に耐え切れず、一体また一体とゲートへ吸い込まれていく。
「よし!」
グッと拳を握りしめたタケルは、勝利を確信した。
彼と同じように色めき立つ仲間たち。同じようにホッと胸を撫で下ろしていた西島は、ふと少し離れたところで動く白い影を見つけた。
「まだだ! 一体取り逃がしている!」
西島がそう叫んだとき、丁度ヘヴンズゲートが閉じるところだった。彼の声で、タケルたちも逃げ去って行くイグドラシルを見つける。
「分裂体ってことは、他の分裂体のところへ行くつもりか……もしくは核になるものがあるのかもしれない」
「どっちにしろ、追いかけないわけにはいかないわね」
西島の見解にミミは一つ頷き、トゲモンの差し出す手に腰を下ろした。丈もイッカクモンの背に上り、西島に手を差し出した。西島は少し驚きつつも、彼に導かれるままイッカクモンの背に乗る。
「行こう、タケル」
「うん、ホーリーエンジェモン」
タケルも、ホーリーエンジェモンの肩に腕を回して抱き上げられた。
「おい、お前ら」
「僕たちはアイツを追いかけるよ」
「オーガモンは、小さなデジモンたちを守ってあげて」
「……油断すんなよ」
苦く顔を歪めるオーガモンへ、ミミはニッコリ笑ってブイサインを作って見せた。

◇◆◇

太一とアグモンが木々の間を縫ってそこへ辿り着いたとき、イグドラシルの側には見慣れた顔があった。
「空、ヤマト、光子郎!」
「太一!」
イグドラシルとバオハックモンの戦いに戸惑っていた空たちは、太一の姿を見て安堵した様子を見せた。
「良かった、無事だったのね」
「これは、一体どういうことなんでしょう」
「バオハックモンは、イグドラシルの分裂体だって呼んでいた。ホメオスタシスが造った、自律型監視システムで、今は暴走しているって」
「ホメオスタシスが? 一体、何を管理するためのシステムだって言うんだ」
「俺が知るかよ」
そこまでは聞いていない、と太一がぼやくと、彼らのすぐ傍らにバオハックモンが飛んできた。
「きゃ!」
それと一緒に、小さな悲鳴も。
空はそちらを見やって、目を丸くした。
「芽心さん!」
何故か、現実世界へ残っていた筈の少女がそこに立っている。
震える脚で、芽心はストンと座り込む。
彼女の傍らで地面に沈んだバオハックモンの身体から光の粒子が消えていき、ハックモンへと姿を変えた。ぐったりとするハックモンは、そのまま動かない。
空が慌てて駆け寄り、身体を抱き起こした。
「なんで望月が……」
「た、太一さん……」
「おい、あれ」
ハックモンへ気を取られていた太一の肩を、震える声のヤマトと光子郎が掴む。太一はそちらへ視線をやって、頬を引きつらせた。
「ヤマト、アイツ……」
「ヒポグリフォモンを、吸収してまっせ……」
ガブモンたちも顔を強張らせている。ピョコモンは、怯えて空の影に隠れてしまった。
気絶するヒポグリフォモンの傍らに浮かび、イグドラシルは身体に手を翳している。データの粒子がヒポグリフォモンから、イグドラシルへ移動している様子が、太一たちの場所からよく見得た。粒子が吸い込まれるほど、ヒポグリフォモンの身体が薄くなっていく様子も。
「止めろ……」
身体が痛むだろうに、堪えてハックモンは身体を起こす。支えようとする空の手を払い、よろよろと前に出た。
「おい、そんな身体で……」
「これ以上、アイツらを冒涜させはしない……」
ハックモンを止めようとしたヤマトは、そんな呟きを聞いて眉を顰めた。
「おい、あいつは何をしてるんだ?」
呟きが聞こえない位置にいた太一は、そうハックモンに訊ねる。
ハックモンはそちらをチラリと一瞥した。
「……お前たちがウイルスプログラムと呼んでいる強化プログラム。それをデジモンのデータごと回収しようとしているのだ」
「回収……? ちょっと待ってください、ウイルスプログラムは姫川さんが作ったものではないんですか?」
「元は強化プログラムだ」
光子郎も、その仕組みには気づいていた。まさか、本当に元々強化プログラムとして作られていたとは。
ハックモンは駆けだそうとするが、痛みに膝をつく。その横を、青い影が駆け抜けた。
「ガブモン進化――ガルルモン!」
青き獣はグワリと口を開き、白い身体に牙を突き立てた。
「そんな身体じゃ、何もできないだろ」
「石田ヤマト……」
ハックモンの隣に立ち、ヤマトはそちらを見下ろす。呆気に取られるハックモンの腕を掴んで持ち上げ、空に介抱を頼んだ。
「ヤマトくんたちに任せて、ここで大人しくしていて」
言葉は優しいが語調は強く、空は顔を顰めている。ハックモンは思わず言葉を失い、傷口にハンカチを押し当てる彼女にされるがまま座らされた。

――きず、いたい?
――無茶したみたいだな。ここで休んでいくと良いよ。

遠い日の思い出がふと耳元をついて、ハックモンは知らずのうちに目元を和らげていた。
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