十六
太宰――太宰治。三田の烏の一人か。織田の呼んだ名前から推測し、藤村はユラリと立ち上がる。さらに現れた男も厄介だ。
藤村がまた舌を打つ間に、織田は自分を庇って立つ兄貴分の肩を掴んだ。
「ちょっと、なんで太宰クンがここに……。それに、このお人は?」
太宰が答えるより先に口を開いたのは、男の方だった。
「自分は萩原朔太郎。君が犀の言っていた『毛色の変わった猫』だね」
「は?」
思わず織田は聞き返すが、一人得心がいったらしい萩原は頻りに頷くだけで、それ以上説明しようとしない。出会って数分でそれを嫌というほど理解したらしい太宰が、諦めたように「まあそういうことだ」とぼやいた。
「そういうことやあらへんよ! なんでここが、分かったん?」
「三好サンて人が来て、教えてくれた」
続きは後だと言い捨て、太宰は鎌を藤村へ向けた。
「……三田の烏に北原組の双璧……面倒なことになってきたね」
え、と思わず織田は萩原を見やる。胸元から重そうな銃を覗かせたまま、萩原はのんびりとした様子で窓枠の方に寄って行く。
藤村の言葉が間違いでなければ、この一般人より危機意識の低そうな男が、室生犀星と並び立つ北原の双璧ということになる。俄かには信じ難い。
窓硝子に手をついて外を眺めていた萩原は、「あ」と声を上げた。太宰が藤村に飛び掛かり、藤村が身軽に羽織を翻して鎌を避けるうちに、萩原はカラカラと窓を開ける。それから、織田の腕を引いて窓枠に寄せた。
「ちょ、ちょっと!」
「ほら、あそこ」
萩原はちょいちょいと下方を指で示す。眉を顰めながら、織田は少し身を乗り出して下を見やった。木の陰に隠れるその姿を見つけて、織田は「あ」と声を漏らす。
「先生――!」
どん、と背中を強く押された。
「な、」
太宰や藤村までも、萩原の行動に目を丸くして動きを止める。織田の身体が傾いて、その三つ編みすら外へ飛び出していってからやっと、太宰は我に返った。
「何してんだ、アンタ!!」
「だって階段はそっちの端だったから」
この方が早いと思って――そんな呑気な声を遠くに聞きながら、織田は放り出された宙で腕を伸ばす。
こちらを見つけた杏子色も目を丸くし、受け止めるように腕を広げる。
そうして織田はすっぽりと、下で期せずして待ち構える形になっていた室生の腕に収まったのだった。

室生は腕の中のものを取りこぼさないよう腕に力を込め、そのまま強かに背中を地面へ打ち付けた。肩の傷もあって、ズキンと重い痛みが背骨を走る。顔を顰めて声をかみ殺し、室生はゆっくりと身体を起こした。
「……大丈夫かい? ――織田くん」
ピク、と腕の中の彼が身体を揺らした。それから顔を上げて、彼はふにゃりと顔を崩す。
「……知っとったんですね、先生」
悪いお人やわぁ、と細い声で呟いて織田は室生の腕に手をついた。さり気なく払おうとしたが、室生は強く織田の腕を掴んだまま、彼が距離をとるのを許さない。それから身体を近づけたまま二人が木の幹の影に収まるよう、体勢を変える。
「悪いね、それについてはまた後で弁明させておくれ……それにしても、突然空から降りて来るとは思わなかったよ」
織田の身体を見回して、大きな怪我がないことを確認した室生は、彼の肩や腰についた砂埃を手で叩き落とした。
「はあ……何か、萩原朔太郎いう人に突き落とされまして」
「朔に?」
室生は驚いた顔をして、すぐ苦虫を噛み潰したように歪めた。それから木の幹の頬を当てるようにして向こうの様子を一瞥してから、「全く何を考えているんだ……」と呆れ声で呟く。
「悪い、それについても後で」
「はあ」
織田が頷くとほぼ同時に、パンと爆竹が爆ぜるような音がして、背後の壁が欠けた。
織田はビクリと肩を揺らす。室生はそれを宥めるように彼の肩へ腕を回して身体を引き寄せた。そのとき血で濡れた肩に織田は触れ、ぎょっと目を見張った。
「ちょ、先生」
「ああ、これかい。館内にいた狙撃手にやられてね」
汚れてしまうのは申し訳ないが、我慢してほしい。そんなことを室生は口早に言う。
織田の脳裏に、ボウガンを持った男の姿が浮かんだ。しかし室生の肩の傷は矢でできたものではない。種類までは分からぬが、銃器によるものだ。藤村は織田の気配を感じて、様子を見に来た風であった。しかも、銃声のすぐ後に――つまり、館内には藤村以外に銃器を持ったもう一人がいるのだ。
「太宰クン……」
「太宰?」
ポツリと溢した織田の呟きを拾い、室生は眉を顰める。織田が飛び降りるまでのことを説明すると、室生はますます顔を顰めた。
「朔がそこらの奴に負けるとは思わないが……」
ドジを踏みやすいから、初対面の人間と連携が取れるとは思い難い――そこまで思案した室生は、後頭部の方で何かがピカリと瞬くのを感じた。北原の言っていた援護がてっきり『それ』だと思っていたが、もしや違うのではないか。
室生は慌てて視線を志賀の方へ戻し、それから彼の背後にある塀を見やった。
「……成程」
「先生?」
織田は思わず声をかけた。鋭い杏子色の瞳は真っ直ぐ一点を見つめたまま、口元を柔らかく緩ませる。
「少しは、活路が見えたようだ」

「やっぱり銃は慣れないな」
護身用にと持たされた拳銃を見て吐息を漏らし、志賀はそれを脇へ下ろした。
ここで抜け出した猫が室生と合流するのは、志賀の予定外だ。見張りを命じた筈の犬は何をしているのか。志賀は苛立たしさに舌を打った。
隠れている二人は様子を窺っているのか、動く気配を見せない。
「隠れん坊か……しかし遊びに付き合ってやるほどこっちも暇じゃあないんでな」
志賀の想定では、白樺にちょっかいをかけた情人の責任を取らせる建前で、北原の双璧の片方を壊す筈だった。片方壊してしまえば、あとはなし崩しに北原のエリアも白樺に取り込める。丸め込むだけの口先や手数は、揃えている自負があった。
「俺は、こんな程度で足踏みするわけにはいかないんだよ」
薄暗い光を称える橄欖石は、狙うべき敵の潜む草むらではなく、別の何かを映していた。
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