第4話 chapter8
ヒポグリフォモンは、そう離れていない場所で横たわっていた。崖の際で、少しずれていたら急流に飲まれていたことだろう。
そこまで考える余裕はなかったとはいえ、空はホッと胸を撫で下ろした。
ヒポグリフォモンの様子をよく観察しようと、ガルダモンは近づく。
カッ、と閉じていたヒポグリフォモンの目蓋が開いた。
「!」
カパリと開いた口から、熱風の弾丸が放たれる。ガルダモンは腕の中の空を庇い、背中でそれを受けた。
「ガルダモン!」
ぐらり、とガルダモンの身体が揺れ、膝をつく。
ヒポグリフォモンはゆっくりと立ち上がる。ジジ、とヒポグリフォモンの輪郭が歪み、別の何かの生物の影を重ねていた。
空の目には、大きな鳥型のデジモンの影が見えていた。

◇◆◇

完全なる変化はしない。映像のように輪郭を歪めながら、起き上がったトリケラモンの上に別のデジモンの影が重なる。
その影に、アグモンたちは見覚えがあった。
「チンロンモン……?」
四聖獣が暴走したという話は聞かない。仮に暴走していたら、デジタルワールドはもっと混乱していたことだろう。
「これも暴走の影響かな?」
「かもな。文化祭のときも、究極体に進化したって言うし」
進化が安定していないのは、進化先が四聖獣だからだろうか。幾ら考えても予測は確信には変わらない。ただ明らかなのは、まだトリケラモンは太一たちへ敵意を向けているということだけだ。
「フィフクロス!」
鋭い一閃が木陰から飛び出し、トリケラモンを切り裂いた。目をやられたトリケラモンはたたらを踏み、動きを止める。
太一はアグモンの隣に降り立った影を見て、目を見開いた。
「ハックモン!?」
首元で揺れるゴーグル。間違いなく、現実世界で何度も衝突したあのハックモンだ。アグモンが、バオハックモンという種族だと教えてくれた。
バオハックモンはチラリと太一を一瞥して、トリケラモンに視線を戻した。
「八神太一、デジタルワールドに来たのか」
「……ああ。俺たちはまだ、何も成せていないからな」
「フン……貴様らが何を決意しようと、結果は変わらん」
「あ、待て!」
太一の制止を聞かず、バオハックモンは駆け出すと、尻尾の刃を回転させた。それをトリケラモンへ突き刺す。
「ティーンブレイド!」
鋭い尾はトリケラモンの足を貫き、巨体を地面へ沈ませた。
「何もデジタマに戻す必要はない! 光子郎がワクチンプログラムを開発したんだ!」
「関係ない」
太一の言葉を、バオハックモンはその刃と同様鋭く切り捨てた。
「こいつらだけは、俺の手で決着をつけなければならない」
「え……?」
バオハックモンは、空中で両足の刃を煌めかせた。
「ドラグレスパイカー!」
鋭い刃が、トリケラモンの身体を切り裂く。
データに還って行くトリケラモンを背に、バオハックモンは音もなく着地した。
「お前は、一体……」
「! タイチ、何か来る」
最後の言葉の意味が気になり、太一はバオハックモンを見つめる。するとアグモンが、別の気配を感じ取った。
浮遊しているため、足音はない。
緑の自然の中、その白はよく目立った。
「あれは……!」
様々な図形を組み合わせたような、異様な姿。デジモンなのか、判断し難い。頭部らしき場所から覗く赤い光が、目なのだろうか。左右に浮かぶ白い『手』は、あの日、メイクラックモンを捉えたものと似ていた。
警戒露わにする太一とアグモンに比べ、バオハックモンは幾分冷静だった。しかし相手を睨みつける瞳はギラリとした熱がこもっている。
「出たか、イグドラシルの犬」
呟かれた声に込められているのは、紛れもなく憎悪だった。

◇◆◇

空と太一が、戻ってこない。
湖の畔に立ち、ヤマトはガブモンと共に二人の消えた森を見つめていた。
「ヤマト?」
「……ガブモン、俺、実を言うと不安だったんだ」
エンジェモンが暴走し、タケルは絶望に蹲っていた。ピヨモンの暴走を予感し、空は恐れに足を止めた。二人の姿を見て、ヤマトはかける言葉を見つけられなかった。
「俺は、何も変わってなかった。何も……アイツらの力になってやれない」
「ヤマト……」
「結局……まだ太一が羨ましいんだよなぁ、俺は」
自嘲気に口端を持ち上げると、ガブモンがポンポンと背中を撫でた。
「前と同じだね。良いよ、また一緒に探そうよ。ヤマトなりの言葉をさ」
「……やっぱり、お前がいてくれないと心細いよ」
「照れるな」
クスクスとガブモンは笑う。膝を折って視線を寄せたヤマトは、モフモフとした毛皮をギュッと抱きしめた。
そのとき、遠くで何かが爆発するような音が聴こえた。

◇◆◇

先ほどよりも威力の上がった空気弾を、ガルダモンはもう十発ほど背に受けている。それというのも、空を抱えているためだ。安全な場所へ逃がそうにも、その隙がない。
空は、顔を歪めるガルダモンへ手を伸ばした。
「ガルダモン、もうやめて! 私のことは気にしないで!」
「そんなこと、できない」
ガルダモンは嘴を噛みしめ、空を胸に寄せる。空は何度も頭を振った。
「私が、弱いから、力がないから……」
握りしめたデジヴァイスからは、何の反応もない。究極体へ進化できれば、この状況から逃げる隙も造り出せるかもしれないのに、その力がない。
「どうして……!」
「空」
優しい声が、頭上から降って来る。空が顔を上げると、大きな手が頬を撫でた。
「そんなこと言わないで。私は例え強く大きく進化できなくても、空を守って見せるわ」
「ガルダモン……」
「だって、私はあなたのたった一人のパートナーだもの」
そう微笑むと、ガルダモンは大きく翼を広げた。
「シャドーウィング!!」
鳥の形をした影が、ヒポグリフォモンへ向かう。しかし、熱風と翼によって容易く叩き落とされた。傷が深く、思ったような威力が出せないのだ。
「ガルダモ、――!」
ぐら、と空の身体が揺れた。ヒポグリフォモンが、ガルダモンの背に突進したのだ。避けきれなかったガルダモンはバランスを崩し、崖の方へ倒れて行く。
固く握っていた手が緩く開き、空の身体が宙へ投げ出された。
「――!」
囂々と水流が、背後から聞こえる。傷ついたガルダモンと一緒に、空は落下していった。
「っガルダモン!」
空中で必死に手を伸ばし、空はガルダモンの指を握る。ガルダモンの目は閉じられていて、このままでは頭から水面へ叩きつけられてしまう。
この間ほんの数秒。空はガルダモンの身だけを案じていた。
「目を開けて、ガルダモン――!!」
「そ、ら……手ぇ……あったかい……」
その瞬間、温かい赤の光が二人を包んだ。
「ガルダモン、究極進化――」
眩い光から、空は反射的に目を瞑った。
ふわりと柔らかい何かに身体が包まれ、浮遊感が消える。
「ホウオウモン!」
ハッとして空は目を開く。金色の柔らかい羽毛が、視界でキラキラと煌めいている。
空の身体は、大きな鳥の足に捕まれていた。
身体を起こし、空はバードラモンのときそうするように、鳥の足へ腕を回した。
四つの金の翼と、二つのホーリーリング。バードラモンより大きな体躯を持つ鳥型のデジモン。
「ホウオウ、モン……」
「ええ。空、私進化できたわ」
ポロ、と空の瞳から雫が一滴零れ落ちる。さらにポタポタと落ちるそれを、空は手で拭った。
「ありがとう……ホウオウモン」
「こちらこそ。しっかり捕まっていて」
空は強く頷き、ホウオウモンの足にギュッとしがみついた。
ホウオウモンは大きく翼を動かし、崖の上へ飛び上がった。ヒポグリフォモンはまだ崖上にいて、こちらを視認すると同じように飛翔する。
連続して発射される熱風弾を避け、ホウオウモンは四枚の翼を目いっぱい広げる。
「スターライトエクスプローション!」
金色の翼から、同じくらい眩しい金の粒子が舞った。それはヒポグリフォモンに降り注ぎ、白い身体を光で覆った。
悲鳴を上げながら、ヒポグリフォモンは落下する。
光の粒子は弾けながら、ヒポグリフォモンの輪郭にまとわりついていた歪みを消していった。
地面へ横たわったヒポグリフォモンは、すっかり気絶して動かない。それを確認すると、空はホッと肩の力を抜いた。
「空」
「ホウオウモン、ありがとう」
空はそっと逞しい足に頬を寄せ、目を細めた。
叶うことならきっと、空は戦いを全て太一やヤマトに任せ、ピヨモンと二人だけで過ごしていた。空は、そうやって痛みや決断を仲間に任せ、一人思い出にこもる道を選択する。自分がそういう狡い人間だと、自覚していた。
それでも、仲間たちは――太一とヤマトは、それが空の選択ならば、と何も言わないでくれる。そんな二人の優しさも、空は知っている。
しかし、今回は違う。空はもう知ってしまった。新しい仲間の苦悩を、二人のパートナーとしての絆を。近くで見て知って、それを救いたいと思った。なら、空も戦わなければならない。
空は目を開き、真っ直ぐホウオウモンを見上げた。
「私の覚悟と一緒に、戦ってくれる?」
「ええ。私は空のパートナーだもの」
力強い返答に口元を緩め、空は「ありがとう」と呟いた。
足元の方で、空を呼ぶ声がする。下を見やると、こちらへ向かって手を振るヤマトたちの姿があった。
口元が綻ぶ。心の余裕ができていると、自覚できた。
(きっと行けるわ。どこへだって――二人なら)
空は片手で足を掴んで身を乗り出すと、ヤマトたちへ向かって手を振った。

◇◆◇

芽心は、病室の前に立っていた。
胸元には、硝子に沈んだ向日葵がワンポイントのループタイ。それの輪郭を指でなぞり、そっと握る。ひんやりとした硝子へ緊張を吹き込むように、ゆっくりと息を吐いた。
顔を上げた彼女は、意を決して扉を開く。
病室のベッドで、座る人影がある。
それでも足を止めず、芽心は部屋へ、一歩。

◇◆◇

西島は同僚数名と共に、とあるマンションの廊下を歩いていた。
東京都の中にある、築数十年の古いマンション。しかしセキュリティは万全と謳っており、入居者も多い。数日前に発見された、姫川のセーフティーハウスの一つだ。
管理人から借りた鍵は、同僚が持っている。鍵を穴にさす前に、西島はそっとノブを握った。音に気を付けながら回すと、軽い手応え。鍵は、開いていた。
西島は片手をあげ、同僚にそれを伝える。彼らはサッと胸元へ手を差し入れ、銃を握った。
西島は手汗が浮かぶのを感じながら、ドアを開いた。
中から物音はしない。それどころか、生きている者の気配もない。
西島たちは顔を見合わせ、忍び足で部屋に入った。
「これは……!?」
玄関から伸びる廊下の突き当りは、リビングだった。しかしそこは、パソコンの配線が散乱する異様な部屋となっている。
異様なのは、それだけが原因ではない。
カーテンが閉め切られており、光源は電源がついたままのパソコン画面のみ。そんな薄暗い部屋の中、一人の人間が床に仰向けに寝そべっていた。
姫川マキだ。
「姫川マキを発見!」
別室を見て回っていた同僚へ声をかけ、西島は彼女へ駆け寄って脈を確認した。
脈はある。呼吸も薄いが、している。意識だけがないようだ。
「これは一体……」
どういう状況だと同僚が訊ねるが、西島にも説明できない。発見された被疑者が意識不明になっているなど、誰が想像できようか。
西島はふと、青い光を放つパソコンの画面に目を止めた。
真っ青な画面の中央に、黒い文字が点滅している。
「『GATE OPEN』……?」
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