20200801−02
「なんてことだ……!」
告げられた事実に、ゲンナイは思わず顔を歪めた。まさかこんな事態になるとは、どうして想像できただろう。早く選ばれし子どもたちへ助力を仰がなければ、手遅れになってしまう。
ゲンナイはフードをかぶると、幾つもある空間の扉を一つ開き、そこへ飛び込んだ。
光子郎の話では、彼らは今日ファイル島にいる筈だった。
ゲンナイがファイル島へ足を踏み入れたとき、彼らは確かにそこにいた。ゲンナイが想像していた風景と、少々違っていたが。
「これは、一体……」
パートナーと戯れる選ばれし子どもたちがいる、と思っていた。
子どもたちとデジモンたちは揃っていたが、皆沈んだ面持ちをしている。特にヒカリは顔を覆って座り込み、テイルモンや大輔たちが慰めるように寄り添っている。一際目立っていたのは、無表情でパソコンのキーボードを叩く光子郎の姿だ。
「あ、ゲンナイさん……」
メラメラと沸き立つような光子郎の迫力に、ゲンナイは絶句する。彼の登場に漸く気づいた空が声を漏らす。その声に常のような元気は見られず、暗い顔をする彼女の肩をヤマトが支えていた。
「やあ、これはどうかしたのか?」
ゲンナイの問に、ヤマトと空は顔を見合わせてから目を伏せる。しくしくとヒカリの泣き声が聞こえてきて、そこでやっとゲンナイは一人姿の見えない子どもがいることに気が付いた。
「ゲンナイさんはどうしてここに?」
京に声をかけられ、ゲンナイは自身の本題を思い出した。
「そうだ、君たちの力を借りたいんだ」
「……なにかあったんですか」
固い顔で賢が訊ねるのとほぼ同時に、タン、と高らかな音が響いた。
「――見つけました。予想通り、デジヴァイスの機能で追跡できました」
ワープロの上で手を止めた光子郎は、据わった瞳でブラウザを見つめる。彼の言葉を聞き、ヒカリは慌ててブラウザを覗き込んだ。
そちらを気にしながらも、ゲンナイは賢や京たちと向かい合って頷いた。
「暗黒の海で、異変が起きた」
「太一さんの居場所は、暗黒の海です」
思いもかけず重なった単語に、ゲンナイと光子郎は互いに顔を見合わせた。



冷たい泥の中に沈んでいくような眠りから目覚めると、視界を覆っていたのは黒だった。
「……?」
「あ、起きた?」
これは何だろうか。そんなことをぼんやり考えていると、もぞもぞと黒が動いた。すると遮られていた光が顔を照らし、思わず目が細まる。黒い何かの代わりに視界に映り込んできたのは、大きな瞳だ。
まだ靄がかかったようにはっきりしない頭へ手をやり、太一はゆっくりと身体を起こした。
片手を後ろについて、もう片方で前髪をかきあげる。すると、緩く曲げた膝の上に、ずっしりとした重みあるものが飛び乗って来た。
艶々と真っ黒なそれは、大きな瞳を輝かせて太一を見上げる。
寝起きで虚ろだった目を大きく開き、太一は乾いた唇をゆっくりと動かした。
「――ころ、もん」
「ひさしぶり、タイチ」
ニッコリと微笑んだコロモンは、友だちの印だと呟いて太一の顔に抱き着いた。



「暗黒の海の底に、建造物が?」
驚いた様子で、伊織は言葉を繰り返す。彼に首肯を返して、ゲンナイは長く続く螺旋階段を足早に降りて行った。彼の後を遅れないよう、子どもたちも着いて行く。
やがて辿り着いた最下層では、四体のデジモンが子どもたちを待っていた。それぞれチンロンモン、シェンウーモン、スーツェモン、バイフーモンといい、デジタルワールドの東西南北を守護する四聖獣なのだとゲンナイが紹介してくれた。
「待っていた、選ばれし子どもたち」
チンロンモンが悠然とした風体で子どもたちを見回す。ふと、チンロンモンは僅かに目を止めた。それは他の四聖獣たちも同じだ。視線の先にいたのはなっちゃんで、丈は彼らの分かりづらい表情に驚愕の色を見つけた。
「暗黒の海に建物ができて、何がまずいの?」
四聖獣の態度に気づかないミミが、小首を傾げて訊ねる。
ここへ来る道中、ゲンナイから語られたのは、暗黒の海の底に建造物が発見されたということのみ。固い表情のゲンナイが口を開きかけたとき、別の声が代わりに答えた。
「建造物の存在云々が問題なんじゃなくて、そこに『在るモノ』が問題なんだ」
四聖獣の影から現れたのは、ヤマトたちと同じくらいの年の青年だった。傍らには黒白の身体のデジモンを連れており、選ばれし子どもであると分かる。
初めて見る顔に大輔たちが首を傾げる中、大きな声が上がった。
「遼さん?!」
驚いたような、嬉しそうな顔をしたのは賢。知り合いかと大輔が訊ねると、昔一緒にデジタルワールドを旅したことがあるのだという答えが返って来た。
大輔がもう一度遼を見やると、彼は苦笑して賢へ手を振っていた。
「久しぶりだな。他は初めまして……か。俺は秋山遼。こっちはパートナーのサイバードラモン」
遼の紹介を受けて、サイバードラモンは僅かに会釈して見せた。
「悪いな、今回のことは、半分は俺の責任だ」
遼は今まで、ミレニアモンとの戦いに身を投じていたらしい。長く続いたその戦いの決着がつくかに思えた瞬間、サイバードラモンの攻撃で破壊され散らばったミレニアモンのデータの一部が、暗黒の海へ落ちてしまったという。
「幸い、落ちたデータはほんの一部だ。ミレニアモンの意思を持つほどでないけど、俺としては早急に回収したい」
「私からもそれを願おう。暗黒の海は、ただでさえデジタルワールドのマイナスエネルギーが集まる場所だ。最悪、倒した筈のミレニアモンが復活してしまう可能性もある」
成程と頷き、丈は苦く顔を歪めた。暗黒の海には、厄介な暗黒デジモンも棲息している。これは想像以上に厄介なことが起きているようだ。
「太一とヒカリくんを狙ったのは、関係あるのか?」
鍵となるのは恐らく、あのときに現れたガブモンに似たデジモン。光子郎が調べたところによると、あれはサイケモンという名の成熟期らしい。サイケモンははっきりと、太一とヒカリの名を呼んでいた。ブラックホールも、八神兄妹を二人とも飲み込む一に開いていた。つまり、二人が狙いだったということは明白。
そして太一のデジヴァイス座標が暗黒の海にあるということは、太一の居場所ひいてはサイケモンの塒も暗黒の海ということ。
二つの事件が、暗黒の海で交わっている。この事実は、何を示唆しているのか。
「……ヒカリちゃんを狙う理由は、何となくわかる」
タケルはヒカリを一瞥した。
ヒカリは以前も、暗黒の海に招かれたことがある。暗黒デジモンを惹きつける何かを、彼女は持っているのだ。だからこそ守らねばならないと、タケルは強く思っている。
「では太一さんは……」
「ヒカリちゃんのお兄さんだからかしら」
そう推測して、伊織と京は顔を見合わせた。
「救い出せば、それも関係ありません」
きっぱりと言い捨てたのは光子郎だ。
太一を救う上で、サイケモンとの戦闘は避けられない。理由など、そこで幾らでも問いただすことができる。
「それよりも、あなたの説明は少々穴が空きすぎてはいませんか?」
光子郎はそう短く言って、遼を見やった。鋭い眼光を受け、遼は少し肩を竦める。
ゲンナイの言葉から察するに、ミレニアモンとはかなりの強敵なのだろう。そんなデジモンと戦っている子どもがいるという情報が、同じ選ばれし子どもである光子郎たちには知らされていなかった。これは可笑しい。
光子郎の指摘はもっともで、遼は困ったように頭を掻いた。
「どこから説明したもんか……正確に言えば、俺とお前たちは初対面じゃないわけだし……」
「え?」
「まぁ良いじゃねぇか。さすがに俺も単独で暗黒デジモンたちの相手は難しいからさ。敵の敵は味方……っていうのは少し違うか? 取敢えず共通の敵がいるんだ。いがみ合うよりは協力した方が賢い選択だろう? 『知識』の紋章保持者」
ニヤリと遼は笑う。光子郎は微かに肩を揺らし、彼の言葉が正しいと判断したのか視線を逸らした。光子郎から視線を外し、遼は渋い顔をしている丈とヤマトを見やった。
「で、そっちも何か言いたいことが?」
丈とヤマトは顔を見合わせ、目を伏せる光子郎を見やった。知識の紋章を保持するだけあって、彼は選ばれし子どもたちの中では参謀的存在だ。その彼が口を噤むことを選択した。今はまだ追求するべきでもそんな暇もないと察し、丈たちは首を横に振った。
「ありがとう」
どこかホッとしたように遼は微笑む。不安そうに一連のやり取りを見ていた賢の肩を叩き、遼はふと大輔を見つめた。
「お前……」
「え?」
視線を受けて戸惑う大輔を、遼はじっと見つめる。大輔はソワソワと肩を揺らした。
暫く真剣な眼差しをしていた遼は、唐突にパッと表情を和らげた。
「悪いな、どこかであったような気がしたんだが……気のせいかな」
遼自身、己の中の違和感を言葉にするのは難しいようだった。
「お前、名前は?」
「あ、本宮大輔、です」
「俺はブイモン!」
飛び跳ねるブイモンにカラカラと笑って、遼は二人によろしくと手を差し出した。
「ともかく、暗黒の海へ行こう」
大輔たちとの握手を終えた遼は、そう言ってヤマトたちを見まわした。それを受けて、ヤマトたちも頷く。
始終顔を顰めたままだったゲンナイは、重い口を開いた。
「くれぐれも気を付けてほしい。暗黒の海には、厄介なデジモンたちがいるからな」
暗黒の海の主であるダゴモン。以前、ヒカリを呼んだのはこのデジモンだろう。そしてもう一体、今の暗黒の海には二年前大輔たちが封印した究極体がいる。
「今の暗黒の海には、デーモンがいる」
あの神経を爪弾くような笑い声が、不意に脳内へ蘇る。賢は思わず、己を抱きしめるように腕を摩った。



白い貝で作られたようにキラキラとした床を、黒いデジモンと人間が踏みつけていく。まだ覚束ない足取りの人間を誘うように、デジモンは長い耳を使って飛び回る。
「ちょっと、待ってくれ、コロモン」
人間――太一が足を止めたので、デジモン――コロモンも飛び跳ねるのを止めて彼を見上げた。走り回って疲れた太一は、行儀悪くその場にしゃがみこむ。胡坐をかいた彼の膝に、コロモンはぴょんと飛び乗った。
「たのしいねぇ、タイチ」
「俺は疲れたよ……お前、腹減らねえのか?」
確か相当な大ぐらいであったと、太一は記憶している。しかしコロモンはキョトンとした様子で目を瞬かせた。
「うん、大丈夫。ボク、そんなにお腹は空かないんだ」
「そうか……そう、だったか?」
太一は苦笑し、頭を掻く。「変なタイチ」とコロモンが笑うので、己の思い違いに頬を染め太一はコロモンの頭を撫で回した。
その様子を少し離れた物陰で見守るデジモンが一体。サイケモンは、フッと口元を緩めた。
「良かったな、コロモン」
コロモンが嬉しいと、サイケモンも嬉しい。人間に与えたプログラムも、きちんと作動しているようだ。
今は二人きりにしてやろうと踵を返したサイケモンの前に、ズルリと細長い足が現れた。サイケモンは足を止め、蠢く蛸足のようなそれが伸びている曲がり角を見やった。
光が届かないのか意図的に遮られているのか、影が落ちたそこにいるだろう姿は、ハッキリとは見えない。ただ、常人ならば失禁するのではないかと思われるほど嫌な空気が流れ出ており、サイケモンの毛皮を不快に撫でてくる。
「……なにか用か」
「いや、首尾はどうかと思ってね」
「問題ない」
声自体、粘性を持っていると思わせるような不快感。サイケモンは素っ気なく返答して目を逸らした。くくく……と尾を引く笑い声が、そんなサイケモンの耳に滑り込んでくる。
「折角力を貸してやっているのに、つれないな」
「……アドバイスには感謝している。幾ら太一でも、『あのアグモン』との記憶が残ったままでは、コロモンと気兼ねなく話せなかっただろうから」
「人間の記憶もデータの一つだ。こちらとしても有意義なデータ収集ができた」
今、廊下の向こうでコロモンと笑い合う太一の中に、本来のパートナーに関する記憶はない。それというのも、曲がり角の奥にいるデジモンから与えられた一つのプログラムの効果だ。完全消去するものではなく上書きをするタイプで、『アグモンとの記憶』は全て『コロモンとの記憶』に上書きされている。
「四聖獣たちもやがて気づくだろう。あの選ばれし子どもの居場所や、お前の存在に」
「……」
蛸足がズルリと持ち上がり、サイケモンの鼻先へ近づく。顔を背けることでそれを払い、サイケモンは鋭い眼光を蛸足の伸びる影へ向けた。
「コロモンの願いの邪魔はさせない」
「そうか。こちらも引き続き力を貸そう」
ずるり、ずるり、と音を立てて足は暗がりへ引っ込んでいく。それをそっと目で追い、サイケモンは感謝すると呟いた。
「いや何……同じデジモン同士、助け合おう」
どこか小馬鹿にするような笑い声を残して、声の主は去って行ったようだった。
ブルリと身体を揺らして、粘りつく空気を毛皮から払う。それからサイケモンはもう一度廊下で戯れるデジモンと人間の姿を一瞥した。
「誰にも、邪魔はさせないよ、コロモン――選ばれし子どもたちにも、ホメオスタシスにも……あいつらにも」
大切な友だちの願いを、サイケモンが叶えてみせる。コロモンの、友だちとして。
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