20200801−01
夜の街に、砂煙がゆっくりと漂う。
大きな亀裂の入った道路。赤と青に点滅を繰り返すばかりの信号機。
道路に架かる歩道橋の下には、オレンジ色の巨体をした恐竜がいて、それと相対する緑の巨鳥が大きく翼を広げた。
ピ――――――。
空を刺すような、真っ直ぐとした笛の音。その数瞬後、それと比べものにならぬほどの轟音が、大地を揺らした。



二〇〇四年の夏は、近年では珍しい冷夏であった。
お台場中学へ進学した本宮大輔は、絶賛夏休み満喫中。その日は、相棒のチビモンと共にぼんやりと横断歩道で信号待ちをしていた。
憧れの先輩も所属していたサッカー部に入部したものの、一年生ということもあってレギュラーは獲得できず、しかも夏の大会で早々に敗退してしまった。
大会後の休養期間ということで――少し腐った気持ちがあったことは否定できない――ダラダラと家で過ごしていた大輔。彼を追い出したのは、姉のジュンだった。暇なら図書館で勉強してこい、ついでにコンビニで牛乳を買って来い――と完全に狙いは後者だろうと怒鳴り返したくなる言葉を最後に、本宮家の扉は閉じられてしまったのだ。
今思い出しても、苛々と腹の底が煮え揺れる。淀んだ声を漏らして頭を掻いた大輔は、対岸を歩くよく知った二つの背中を見つけた。
「あ、ヒカリちゃん! 太一先輩!」
途端に表情とトーンを変えた大輔の大きな声は、随分先を歩く兄妹にしっかり届いたようだ。二人は揃って足を止め、大輔の方を振り返る。大輔は信号が青になるのを見届けてから、二人の元へと全速力で駆け寄った。
「よぉ。元気そうだな」
「こんにちは、大輔くん」
「こんにちは!」
ヒカリの言葉にデレデレとだらしない顔をして、大輔は頭を掻く。夏休みでも二人で出かけるとは、本当に仲の良い兄妹だ。
「二人は買い物に?」
「ううん。ちょっとお迎えに」
お迎え? と大輔は首を傾げる。すると、何が可笑しいのか、太一とヒカリはニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「大輔くんも知っている人よ」
「え?」
きょとん、と大輔が目を瞬かせたそのとき、背中に軽い衝撃が起こった。
「Hey! How you doing , Daisuke?」
流暢な英語と、聞き覚えのある声。大輔は驚きで目を見開き、慌てて振り返った。そこに立っていた人物に、大輔だけでなくチビモンも驚いた。
「ウォレス!?」
「グミモンも!」
「Hi! またアエテ嬉しいよ」
「久しぶり〜、チビモン」
長く柔らかそうな耳をユラユラと揺らすウサギに似たデジモンと、それを抱えた金髪碧眼の少年。嘗てアメリカで出会ったときのように、リュックサックを背負ったウォレスとグミモンが、そこに立っていた。
パクパクと口を開閉するしかできない大輔を見て、ウォレスは悪戯っぽく笑った。クスクスとした笑い声は大輔の隣からも聞こえてきて、そこでやっと彼は太一とヒカリも同じように笑っていると気が付いた。
「ど、どういうことだよ」
「前に、ボクが日本人の女の子と文通していたって言っただろう」
初めてアメリカで出会ったとき、日本語をどこで学んだのかという京の質問に、彼はそう答えていた。それを思い出し、大輔はコクリと頷く。するとヒカリが髪を揺らして、大輔の顔を覗き込んだ。
「その女の子って、私なの」
最も、2002年の夏時点では、ヒカリもウォレスもお互いがペンフレンド相手とは知らなかった。その後文通が再開し、お互いが『選ばれし子ども』だと判明したのはつい最近のことだった。
「ちょっと待てよ! お前、あのときガールフレンドに教えてもらったって……!」
「ウン、ヒカリは『女の友だち(ガールフレンド)』だからね」
大輔は思わず歯噛みした。いっぱい食わされた気分である。大輔の顰めた顔を見て、ウォレスはニヤニヤと笑った。
「ここまで迷わなかった?」
ヒカリの質問に、ウォレスは小さく肩を竦めて「No problem」と呟いた。
「アメリカより道は狭いし、そこまでゴチャゴチャした建物もなかったからネ」
「嫌味かよ」
「そうとっちゃうところが、ダイスケだよね」
「あんだと!?」
食って掛かる大輔を軽くあしらうウォレス。二人の様子にクックと喉を鳴らしながら、太一は「そう言えば」とパーカーの腹ポケットに両手を突っ込んだ。
「まだ光子郎には会ってないよな」
「ウン、駅から真っ直ぐ来たからね」
「光子郎さん?」
何故そこで、彼の名前が出てくるのだろう。はて、と首を傾げた大輔へ、答えをくれたのはヒカリだった。
何でもウォレスと光子郎は元々ネット上での知り合いで、度々光子郎の口から登場する『ロスのチャット仲間』とは彼のことであったらしい。
「大輔くんも行こうよ」
世界は狭いものだと感心していた大輔は、ヒョイと顔を覗き込んでくるヒカリに、思わず身を引いた。かかか、と大輔の顔に熱が溜っていく。その様子を見て、ウォレスはやれやれと肩を竦めた。
「ダイスケ」
ふわり、と聞き覚えのある声が鼓膜を撫でた。
大輔が息を飲むと、頭に乗るチビモンも驚いたように「あ」と声を漏らした。ウォレスが柔らかく微笑んで、大輔の背後を顎で示す。
振り向いた大輔は、キュッと眉間に皺を寄せた。その何かを堪えるような表情に、クスリと小さく笑う声。
「なっちゃん……!」
「久しぶり、ダイスケ」
いつかの夏に出会った少女は、そんな大輔にニコリと微笑んだ。



「本当に久しぶりだね、なっちゃん」
「マタアエテ、嬉しい」
「そうね、私もよ。チビモン……今はブイモンって呼んだ方が良い?」
どちらでも良いと言って、ブイモンは実に嬉しそうに目を細める。現在のパートナーに貰ったのだという白いワンピースの裾を揺らし、なっちゃんはグミモンの柔らかい頭に抱き着いた。
そんな三体のやりとりを、ガブモンたちは遠巻きに見守る。ふと顔を上げたなっちゃんと目が合うと、ピクリと肩を飛び上がらせるガブモン。それから顔を見合わせ、恐る恐る距離を縮めていく――相も変わらず、実は臆病なパートナーの様子に、ヤマトはついつい苦笑を溢した。
あの後、折角だからとヒカリは他の選ばれし子どもたちへも連絡を入れた。大輔が彼女たちと光子郎の家を訪れ、彼のパソコンからデジタルワールドへ足を踏み入れると、既にそこにはタケルたちがいた。
ヒカリと親し気に話すタケルを見て、大輔は少々頬を膨らめる。そんな大輔の背中を、ミミが強く叩いた。
「もう、辛気臭い顔しないでよ! 折角このミミさまが可愛い制服姿を見せてあげてるのに!」
ねぇ! と強い口調で同意を求められた丈は、すっかりくたびれた様子でぎこちなく頷いた。彼の肩にしな垂れかかるゴマモンは、その様子に呆れてペチペチと頬を鰭で叩く。賢は丈を気の毒そうに見やって、空はクスクスと笑った。彼らのパートナーはすっかりなっちゃんやグミモンと打ち解けて、仲良くじゃれあっている。
前につんのめった大輔がミミの方を振り返ると、仁王立ちした彼女は大輔たちの見知った緑の制服に身を包んでいた。隣に並んだ京が、嬉しそうに笑って頬に手を当てる。
「まさかミミお姉さまと同じ中学に通えるなんて」
「一年だけだけどね〜」
膝上でヒラヒラ揺れるスカートを摘まんで、ミミは満足そうに笑った。
現在アメリカ在住の彼女は、秋から日本のお台場中学校へ転入する予定なのだ。
「ミミ、すっごく可愛いよ。よく似合っている」
「ありがとう、ウォレス。相変わらずうまいわね」
「本心だよ」
恥ずかし気もなくサラリと言葉を吐くウォレスの横で、大輔はベェと舌を出した。
「相変わらずだなぁ、ミミちゃんもウォレスも」
「そうですね……」
大輔たちの様子を少し離れた木陰から眺めていた太一は、カラカラと笑って膝に乗るアグモンの頭を撫でた。彼の左肩にはヒカリが頭を寄せて座り、テイルモンと共に心地よい風に目を細めている。太一の右方に座る光子郎は、膝に閉じたままのパソコンを乗せて、テントモンと風に揺れる木々を見上げた。さらにその右側には伊織がちょこんと座っていて、なっちゃんとの会話を再現するアルマジモンに、頷きを返している。
ウトウトするアグモンの目元を撫で、太一は空を見上げた。
データの配列とは思えないほど、そこには美しい青が広がっている。
「……」
「タイチー?」
呂律の回らないアグモンは、太一をぼんやりと見つめる。太一は少し視線を落として、そっとオレンジの頭を撫でた。
「平和だなぁ……」
肌を撫でる心地よい風に、太一はそっと目を閉じる。

「タイチ」

パチリ、と太一は目を開いた。今しがた聞こえてきたのは己の名であるが、その声は聞き覚えのないものであった。
目の前にいたのは、ガブモンに似たデジモン。しかし色が薄暗く、別種であると思われる。
微睡んでいたヒカリも目が冴えたようで、興味深そうにそのデジモンを見つめていた。
「タイチ、と、ヒカリ」
デジモンは視線を動かし、ゆっくりと確かめるように口を動かす。
何故、こちらの名前を知っているのだろう。太一は眉を寄せ、そっとヒカリを庇うように腕を伸ばした。伊織と光子郎も、僅かに警戒を滲ませてデジモンを見つめている。
目を覚ましたアグモンが、目をこすりながらムクリと身体を起こした。
「タイチ?」
アグモンのその言葉とほぼ同時に、太一とヒカリの背後に黒い穴が空いた。
「――!」
ゾクリ、と太一たちの肌が泡立つ。ぐん、と背後に引かれる感覚がして、太一は咄嗟にアグモンとヒカリの腕を掴んだ。
「ヒカリちゃん! 太一さん!」
異変に気付いたタケルが、鋭い声を上げて駆け出す。大輔も太一たちの方を見やると血相を変え、タケルの後を追った。
太一はグッと歯を食いしばり、両手に掴んだアグモンとヒカリをタケルたちの方へ思い切り投げ飛ばした。
勢いよく飛ばされたヒカリは、タケルにしっかりと抱き留められたため、衝撃は幾分か軽く済んだ。アグモンは頭から大輔の腹に飛び込み、それを予期していなかった彼と絡まったまま地面に転がった。
「お兄ちゃん!」
「太一さん!」
身体を起こさないまま、ヒカリが引きつった声を上げる。
光子郎はパソコンを乱暴に捨てて立ち上がると、懸命に腕を伸ばした。黒い穴へ溶けていく太一も、それに気づいて手を伸ばし返す。
あと数ミリで指が触れる――しかしそれも虚しく、互いの指は絡まぬまま、太一は穴へ落ちて行った。
「……っ!」
光子郎は顔を歪め、伸ばした手を握って地面を殴りつける。
「お兄ちゃん――!!」
太一を吸い込むと同時に穴も消え、ヒカリの悲痛な叫びだけが青々とした空に響いた。
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