彼シャツ(211004)
イタリアンマフィアのボスとは、何かしら厄介な体質を持っていないと務まらないものなのか。
あの跳ね馬も、赤ん坊に部下がいないと実力が出せない究極のボス体質と言われていた。それでもあの男と会うことは比較的少なかったし、会うときは必ず部下を連れていたから雲雀がその被害を受けることは少なかった。
厄介なのは、二人の後輩の方だ。沢田綱吉と古里炎真。興味をそそられる小動物だからと、甘い目をかけていたのが悪かったのか。いや、雲雀に決して落ち度はなかった筈だ。
どんなことをしたら、絵の具を溶かした色水と埃を詰め込んだゴミ箱をひっかぶらなければならないのだ。
「……」
「誠に申し訳ございません」
土下座の見本と言われそうなほど見事な姿勢で平伏する小動物その一。雲雀は顎から垂れる水を手の甲で拭って、地面に払い落とした。
その一の横には、すっかり空っぽになったゴミ箱。先ほど、雲雀の頭をすっぽりと収めていたものである。色水のバケツをひっくり返した小動物その二は、過保護な保護者にさっさと回収されてこの場にはいない。
紫と青のマーブル模様になったワイシャツを見下ろして、もう一発ほど殴れば良かったと雲雀は内心毒づいた。
「あの……」
何も言わない雲雀を怯えつつ、綱吉はソロソロと顔を上げる。彼の頭にもすっかり埃がかぶさり、大雪に降られたような様相を呈していた。ひっくり返ったゴミ箱は、綱吉にも被害を与えていたのだ。自業自得である。制服もぽたぽたと水気を含んでいるのは、ゴミ箱をひっくり返すに至った原因が、何故か廊下に転がっていた栗に躓いた小動物その二であったからだ。
「すみませんでした」
「……もういいよ」
濡れているせいで殊更シュンと項垂れて見える頭を見下ろし、雲雀はため息を吐いた。許されたと見て良いのだろうか、と探るように綱吉は上目で雲雀を見やる。雲雀はグッと唇を一度噛み、綱吉の襟首を掴んだ。
「え、わ、」
「取敢えず着替えるよ。そんな色水と埃を撒き散らしながら、校舎を歩くのは許さない」
「あ、はい、あ」
ぐいぐいとリードを引っ張られる犬よろしく連行されていく綱吉。誰も止めず遠巻きに眺める視線の中、綱吉が連れていかれたのは雲雀の根城こと応接室だ。
応接室の床へ綱吉を放ると、雲雀はさらにタオルを投げた。顔面でそれを受け止めた彼は、つくづくドジ体質なのだと思う。
「着替えは?」
「あ、体育のジャージはさっきの騒ぎで濡れてまして……」
どうやら廊下の隅で同じように被害を受けていた鞄は、綱吉の持ち物だったらしい。
雲雀はため息を吐いて、応接室の隅に誂えたロッカーを開いた。
「はい」
「え」
中から取り出したワイシャツをまた放ると、今度はしっかり受け止めた綱吉はパチクリと目を瞬かせた。
「僕のだけど、まさか小さいってことはないでしょ」
「ええ! これヒバリさんのですか!?」
両手の人差し指と親指で摘まみ、綱吉はワイシャツを眼前で広げる。その反応に、雲雀の眉間へ思わず皺が寄った。
「何、不満?」
「め、滅相もございません!」
「さっさと着替えな。これ以上応接室を汚すな」
「はい!」
ピシと背筋を伸ばして、綱吉はソファの後ろへ飛び込む。ゴソゴソと隠れて着替えを始める様子を確認して、雲雀も汚れた学ランを肩から外した。
汚れた制服は適当にビニール袋へ入れ、後でクリーニングへ出せるようにしておく。草壁あたりが、気を利かせて持って行ってくれるだろう。雲雀が新しいワイシャツとスラックスに着替えたところで、「あ、あの……」とおずおずとした声がかかった。
「ありがとうございます、ワイシャツ……」
雲雀の鋭い目が、珍しく丸く見開かれる。
少しズレた肩のライン、二三回折ってやっと手首が見える袖。裾は本来の位置より少し下、太腿のあたりまで伸びている。スラックスの汚れはあまり酷くなかったのか、自前のままだ。しかしその分、ワイシャツの大きさが際立ってしまっている。
「……君、そんなに小柄だったっけ?」
身長は平均値よりやや下とはいえ、BMIは標準値だった筈だ。
「憐れむような視線……!! 確かに、Sサイズのツナギでも大きいと言われた過去はありますけど……!」
過去と言いつつ未来での出来事だが、その辺りの言い回しはややこしさを生むので割愛。
目尻に涙を浮かべる綱吉の、頭のてっぺんからつま先までジロリと見やって、雲雀は顎へ手をやる。
「ふうん」
小さな呟きは、やけに意味ありげに綱吉の耳に届いた。
「ひ、ヒバリさん? 何考えてます……?」
「いや、まあ、ちょっとね」
何かを考えるように顎へ手をやったまま、もう一方の腕を組む。やがて、コクリと一つ頷いた。
「今度、ちゃんと採寸しようか、着物」
「は?」
「僕のお古でも良いかと思ったけど、ちゃんと裾上げした方がよさそうだ」
いつか揃いの着物を贈ってやろうと画策していた雲雀は、そう筋書きを修正する。ポカンと口を開く綱吉を気にせず、雲雀は一人納得して細かい計画を頭の中で組み立てていく。
自分の思考に沈んでいく雲雀を見て、綱吉はハアとため息を吐いた。
「……ここで定石通りにいかないところが雲雀だな。残念か、ツナ?」
「俺の心を勝手に読むな!」
栗の着ぐるみ姿で窓辺に寝そべり、ニヤニヤとこちらを見やる家庭教師。全ての元凶となった彼に、綱吉は当てられない拳を握りしめたのだった。
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