心音、針音
・景光が眠るときにつける腕時計はスマートウォッチだと思っていたけど、案外普通の腕時計説も多いと知って。


煩わしくないのかと、訊ねたことがある。
ふとしたときに触れる冷たい温度も、細かく音を鳴らす秒針も、睡眠を阻害する材料のように思えた。
訊ねた相手はキョトンと檸檬型の瞳を瞬かせて、それから何か言葉を探すように天井を見やった。
「……バーボンは、神経質なのか?」
「危機回避能力が高いと言ってください」
ヒクリと口端を引きつらせると、彼は冗談だと笑った。それからフッと目元を和らげて、こちらをまっすぐ見つめてくる。
酸味の奥に甘さを感じさせるスコッチウイスキー――そのコードネームが、案外ピッタリなのかもしれないと思わせるような、仄かに懐かしい色を覗かせる表情だった。
――そのとき瞳の奥で瞬いていた光は、今も降谷の視神経にこびりついている。
すり、と腕時計を撫でながら、彼は「だって」と口を開く。
「心臓の音みたいだろ?」
「……案外寂しがりなんですね」
これは良いことを聞いた。バーボンらしい意地の悪い笑みを浮かべると、スコッチはヘラリと眉根を下げる。それから不意に腕を伸ばして、バーボンの手首を掴むと背後に広がるベッドへ倒れこんだ。
「わ」と思わず声が漏れるが、そんなことお構いなしにスコッチは自分の腕の中に、ぎゅうぎゅうとバーボンを抱き込む。
「……そうだよ、人肌恋しくなるんだ。例えばこんな夜とかね」
低く耳元へ落ちた声は、しっとりと雨の日のように揺れていた。
スコッチが体勢を変えたことで、バーボンは左半身をベッドに沈ませた。バーボンは、ぎゅうと胸に押し付けられた顔を少し動かして彼を見上げる。
ヘラリとした笑顔は、スコッチの顔をしていた。バーボンは青い瞳をそっと伏せて、自分の手首を掴んだままの右手首へ指を這わせる。
「……人肌があるなら、こんなもの不要でしょ」
コツン、とガラスのカバーを突く爪。それはベルトを繋ぎとめる金具へ動くことなく、伸びて来た指に絡め取られた。

雨の音で、目が覚める。カーテンの隙間から零れ入るのは、道路に立っている街灯のものだろうか。柔らかい色のそれを額に受けながら、降谷はぼんやりと天井を見上げた。
雨の音。それに混じって、チクチクと規則正しいリズムで秒針が音を刻んでいる。
ゴロリと横を向いて寝転がり、顔の前へ投げ出した手首へ視線を止める。
黒いベルトの、腕時計だ。使い込まれたベルトはひび割れていて、所々こびりついた汚れもある。それを一つずつ指でなぞり、ガラスのカバーにも押し付ける。体温に馴染んだそこは、記憶にあるほどの冷たさを孕んでいなかった。
手首を包むように腕時計を手の平へしまいこんで、それを胸に引き寄せる。
チク、チク、チク――細やかな音と一緒に、握りこんだ皮膚が上下する。まるで、二つの鼓動を抱きしめているようだった。
「……ああ、本当。心臓の音、みたいだ」
元の持ち主の心臓を、抱きしめているような感覚。抱きしめたそれを自分のものと重ねて、音を合わせる。
暗いクローゼットの中で独り怯えていた少年はもういない。
遺されたのは、心臓だけ。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -