出会い編
どこかの世界にある、どこかの時代、どこかの島国。季節は春。物語の開始としては、絶好の時候である。さて、そんな春爛漫な島国の首都の端、薄紅の並木の中を、凛とした姿勢で歩く影が一つあった。彼は並木の突当りに堂々と立つ豪華な鉄扉の前で足を止め、それを見上げた。
「ここか……」
立て襟の洋風シャツに、皺一つない滑らかな生地の上着、かっちりと裾までしまいこんだ長靴は少々踵が高く、煉瓦の道で音を鳴らしている。羽織のようだが少々形の違うマントを肩から下げ、頭に乗せた帽子の位置を弄った彼の青年は門扉の隣で大きく刻まれた文字を見て、小さく息を吐いた。
『陸軍士官学校』―――青年、睦月始の目指していた場所で違いない。懐中時計の示す時刻は目標より数分早いていどで、ほぼ予定時間通りに行動できたのだと表していた。懐中時計を丁寧に懐へしまい、始は己を落ち着けるように呼吸をすると、意を決し門を潜った。
士族、睦月家嫡子である彼は、本日よりこの士官学校の生徒となる。

【ハジマリノハル 第一幕・罌粟の香】

陸軍士官学校は、その名の通り、陸軍士官を目指す男(おのこ)を育成する目的の学舎である。睦月家は士族である。先代当主である祖父は廃刀令以後も武士の誇りを捨てきれず、己のみならず息子も軍属させると決めていた。現当主である父にもその思想は受け継がれ、始は幼き日より士官学校へ入学するこの日を待ち望まれていた。
士官学校は原則二人一部屋の寮生活である。あまり人づき合いが得意ではない始が、危惧すべきはこの一点であった。朝から晩まで赤の他人と顔を合わせ生活する、そこに窮屈さと面倒さを感じていた。
「初めまして、睦月くん」
そんな危惧をより一層強めたのは、始を出迎えたにこやかな笑顔だった。人当りの良さそうな柔らかい笑顔、始はそれを、胡散臭いものだと心の中で称した。
「弥生春です」
そう名乗り、ルームメイトの男は西洋風に友好の証を求める。差し出された手を取らず始がじっと見つめていたものだから、男はどうかしたのかと首を傾いだ。君の笑顔が薄ら寒かったのだ、とはさすがの始も言うことができず、曖昧に笑って手を握り返した。
「睦月始だ、よろしく」
「よろしく」
始の薄暗い感想など露知らず、春と名乗った男はニッコリと笑って始の手を握った腕を振る。彼は既に制服を脱ぎ、洋風シャツに袷と袴を合わせたバンカラ姿だ。始より一足早く到着していたようで、荷物も片付けられている。
「睦月って、陸軍の?」
鞄を開いて勉学の道具をとりだしていると、二段ベッドの下段に座った春がそう訊ねた。枕元には本まで置かれており、下段はすっかり彼の領域にされている。二つ並んだ勉強机のうち、片方にも春の私物は並んでおり、直射日光の当たる窓に向かった机しか残っていない。冬は良いが、夏は暑いことだろう。もう少し早く到着するようにすれば良かったと、今更後悔したところでたつものはなし。
春の問いへ肯定を返しながら、始は荷物の紐解きを続けた。ふーん、と頷いて、春はベッドへ倒れこむ。
「すごいねぇ、名門だ」
「そういうお前だって、あの弥生だろう」
「あはは、一応ね」
一応、とは。どういう意味だと問おうとした始は、春の浮かべた笑みを見て口を噤んだ。ヘラリとした笑顔に、始の腹の底がザワリと騒ぐ。
「まぁ、これからよろしくね」
色々と――そっと口元へ立てた人差し指を添え、春はニコリ。今度こそ始の腹に明確な苛立ちという文字が生まれた。

それから数日後の夕刻。始は苛々としたまま夕食を終えた食堂を後にし、部屋へと戻っていた。バタンと乱暴に戸を閉め、ベッドへごろりと横になる。
士官学校の授業が入って数日、第一の感想は『最悪』であった。
当たり前のように同室の春は隣席。事あるごとに声をかけては来るものの、こちらから接触しようとすればスルリと交わして消えてしまう。まるで春の陽気、あの生温さで肌を撫で明確な姿形を掴ませぬ春の微風のよう。
からかいや嘲りは予想のうち、小鳥の囁きだと無視すればよいのだが、春のそれはどうも的確に始のツボを踏みつけるようで、うまくいかない。思い出せば出すほど苛立ちは募り、始は外の空気を吸おうかと身体を起こした。
「――!」
ピリリ、と空気が張る。普通の人間ならば、夜風の冷たさと誤解するだろう。しかし始は、別の気配も感じ取っていた。
「……来たか」
始は枕の下へ手を差し入れる。入寮時からずっと隠し持っていた扇子を握り、始は窓から外へ躍り出た。

始には二つ、この学校で果たせと命じられた使命がある。一つは士族・睦月の次期長として相応しい知識と技術を身に着けること。もう一つは――外ツ国より現れる魔を滅すること。
「――滅しろ」
ふわ、と扇で穢れた空気を凪ぐ。雑巾を引き裂くような断末魔を残して、妖が花弁のように散っていく。図体だけ大きくて、能力を持たない下級であった。無事二つ目の使命を果たせたと胸を撫でおろした始は、『氷輪紫鬼』と名のついた扇――伝承によれば、鬼の魂を練りこんでいるらしい――をパチンと閉じた。
ふと視線を感じ、始は顔を上げる。まだ残る妖の塵。桜のように舞うその向こうに立つ人影が一つ、こちらを見つめている。始は眉を顰めた。
「弥生、春」
少し距離はあったが、二人以外いない静かな夜道だ。春はニコリと手を振った。
「……」
「さすが睦月家嫡子、鮮やかなお手並みだね」
カラカラと笑いながら、春は始の方へ歩み寄る。いつから見ていたのだろうか。探るように始は注意深く彼を観察するが、春はゆったりとした動作で歩くだけで別段怪しい様子はない。
「けれどもっと周囲に気を配るべきだ。あまり騒ぎ立てると、お役目に支障が出るだろう?」
「……お前、何者だ」
始の質問に、春はパチリと目を瞬かせた。それから声を上げて笑う。彼の笑い声は夜の空に響き、そちらの方がよっぽど騒ぎ立てていると始は毒ついた。
「そうだね、ごめん。けれど君がそんなにも無知だとは思わなくて」
「無知?」
「ハレ六家って、聞いたことない?」
無知と馬鹿にされた始だが、その知識はしっかり刻みこまれている。睦月を筆頭とする六つの退魔師一族の総称だ。古くは力を合わせて、都を脅かす鬼を退治したと聞いている。始はよもやと目を丸くした。春はニヤリと口元で弧を描き、手を自分の胸へ当てる。
「そう。嘗て睦月を支えた六家が一つ――弥生の嫡子が俺だよ」
始はヒクリと口元を引きつらせた。ニコニコと春は楽しそうに笑っているが、こちらは少しも面白くない。まさかこんなにもいけ好かない男と、これから協力しなければならないとは!
「これからよろしく、始」
媚びるような声音は、始の苛立ちを誘うものだろう。理解していながら、始は飛び出る手を止められなかった。
「え」
しかし今回はさすがの春も予想外だったらしい――そういえば、彼に直接手を出すのは今回が初めてだった。
ギリギリと顔を握りつぶさんばかりの握力に、さしもの春も慌てて悲鳴を上げた。
「ちょ、ちょっと落ち着いて! 痛い痛い痛い――!!」
数分後、やっと我に返った始から解放された春は、薄っすら目尻に涙を浮かべていた。顔を赤くして大きく息を吐くその姿に、始は数日ぶりに留飲が下がったのを感じた。
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