みっつ
とんとん、と爪先を鳴らす。帽子の位置を整え、良しと微笑む。白亜の床を踏み鳴らし、揃い並んだ彼らは耳を揺らした。
「いっちょ殴りこみと行きますか!」
不敵に笑う陽の言葉に同意するように、海は片目を瞑る。「ていうか」と前置いて、陽はクルリと振り返った。
「お前らも行くのかよ。海はまあ、良いとして、夜」
「何で王さまの海さんは良いとして、何だよ」
「元軍人ってことで、武王として通っているからな」
伸ばした人差し指と親指の間に顎を置き、海はニヤリと笑う。夜は小さく頬を膨らめ、譲らぬ意志を示すように腕を組んだ。
「夜」
「足ならお構いなく。隼さん特製のブーツで、遅れは取らないから」
こちらとて元軍人だ。たくさんベルトのついたブールを突きつけるように少し足を持ち上げ、夜は鼻を鳴らした。その枕詞が一番不安なのだと呟いて、陽は眉を顰める。カラカラと笑いながら海が、「諦めるんだな」とその肩を叩いた。
「はじめ、隼はブースト付の車椅子を勧めていたんだ。それよりか、マシだろ」
「まさかあのブーツもいきなりエンジンふかし始めないだろうな……」
「安心しろ、そこは確認済みだ」
手の平を立てて見せ、海は頷く。陽は高揚していた気分が下がり、胃の痛みを覚え始めていた。
「あれ、いっくん、剣は?」
そんな幼馴染を余所に、夜は小声で談笑する郁たちへ声をかけた。陽や夜、海でさえ腰に剣を携えているのに、郁の腰には何もなく涙と同じように身軽そうだ。夜の問いに郁は涙と顔を見合わせた。涙が喉を撫でると、ヤマトがゴロゴロと鳴いた。
「夜は知らなかったっけ」
「実は……」
コツ、と澄んだ音が、空間の糸を張りつめさせた。郁たちは言葉を止め、そちらを見やる。
死を司る剣を携えた魔王は、彼らを見てニコリと微笑んだ。
「お待たせ」
さぁ、行こうか――隼はシルクの布を撫でるように腕を動かし、白兎たちを手招く。海を筆頭に彼らは隼の後へ続き、部屋の壁に掲げられた鏡の前へ並んだ。いつも茶会を行うとき使用する、黒兎王国へ続く扉だ。鏡の前には石でできたチェス盤が置かれていて、無造作に駒が並んでいる。チェス盤に乗っているのは白い駒だが、鏡に映る姿は黒。鏡もチェスも隼が用意したもので、鏡が扉ならばチェスはそれを開く鍵となっている。隼は慣れた手つきで駒を動かした。
「毎度のことだけど、少しワクワクするよね、異世界へ行くのは」
「俺は一度目のときみたいな行き方じゃないことに安堵しかないね」
夜の言葉に吐息交じりの愚痴を返して、陽は肩を振るわせた。一度目――初めて黒兎王国へ行ったときは、白田の開いた穴へ兎よろしく飛び込まされたのだ。底の見えない兎穴を落下していくのは、幾ら死地を経験した軍人と言えど肝を冷やしたもので、陽は向こう側へつくなり隼を殴った。
トン、と白のクイーンを最後に置き、隼はニコリと笑った。
「さあ開け、扉」
ぽう、と鏡が淡い光を放つ。白兎たちは顔を見合わせて頷き合い、そっとそこへ足を踏み入れた。
目を覆うような光はすぐに止み、次に視界が開けたとき白兎たちは今まで見たことない場所にいた。
「ここは……どういうところなんでしょうね?」
困惑を隠せず、郁は辺りを見回した。いつもならば、緑の芝生が暖かい庭園へ出る筈だ。それなのに今眼前へ広がるのは、ミルクを溢したような霧が立ちこめる不思議な空間。試しに地面を叩くが、コツコツとまるで大理石の床のような音を立てる。
「解説の隼さん」
「ん〜、これは僕も予想外」
海の振りにニッコリと笑い、隼は腕を組んだ。どういうことだ、と陽は眉を顰め、腰へ手を当てた。す、と剣の柄へ手をかける。
「どうやら、『世界の意思』にはお見通しだったみたいだね」
陽は剣を抜くと同時に隼の横を通り過ぎ、彼へ向けて振り降ろされんとしていた剣を弾き飛ばした。びりびりと痺れる手に顔を顰めながら、弾き飛ばされた兎は後方へ飛び退った。
「いって〜」
緊張感のない間延びした声。もう一匹の兎を見つけ、夜はそっと陽の傍らへ並んだ。背中合わせになった二人は剣へ手をかけ、真っ直ぐ現れた兎たちを見据えた。
「!」
そのときグワリと地面が波打ち、陽と夜を除いた白兎たちを飲みこんだ。ピクリと反応する身体を押さえつけ、夜は顔を歪める。海の腕を引き寄せた隼がニコリと微笑み、「大丈夫」と口だけで伝える。それを信じたのだ。
とぷん、と波紋を立てて静かになった空間。分断されたのだとはすぐ分かり、夜はそっと抜刀した。黒兎たちも背中合わせになり、抜き身の剣をこちらへと向ける。
「新……葵……」
暗い決意を宿した瞳は、いつかの自分たちのようで、キリリと胸を締め付けられる感覚を抱きながら、夜は目を閉じた。

足元が崩れる感覚を覚えた瞬間、咄嗟に郁は傍らにいた涙の腕を掴んで引き寄せていた。抱き合うようにして二人が再び地面へ上がったとき、そこは変わらずミルク色の霧で満ちていた。辺りを警戒しながら郁たちが立ち上がると、彼らの背後に気配が二つ現れた。慌てずゆっくりと、郁と涙は振り返る。
そこに立っていたのは、黒い兎耳を持った駆と恋だ。
二人は腰の剣を抜き、こちらへ近づいてくる。郁はそっと涙を下がらせた。
「恋、駆」
涙が、二人の名前を呼んだ。しかし駆たちは何も言わず、ギラギラとした瞳を向ける。剣の間合いに入った、途端、駆と恋はその刃を振り上げた。
「!」
郁は涙の腕を引き、斬撃から身を躱す。そのまま涙はヤマトに任せ、郁は恋の剣を蹴り飛ばした。びりり、と衝撃で痺れる腕に、恋は顔を歪める。
郁は、帽子のつばに刺したトランプを抜き取った。腕を掲げる白兎、その手の先には太陽のように浮かぶスペードのスーツが描かれている。郁はそのカードを放り投げた。
「不敗の剣(クラウ・ソラス)」
スペードを模した剣が郁の手中に収まった。不滅の剣(デュランダル)の代わりに郁が手にした新たな武器だ。突然現れた剣に、恋は少し驚いて怯んだようだった。その隙をついて、郁は彼の懐に飛び込む。そして思い切り剣を振り、恋の剣を手から弾き飛ばした。
郁がさらに剣の柄を恋の鳩尾へ叩き込むとほぼ同時に、ヤマトに乗った涙へ向かって駆が飛び掛かった。ヤマトがヒラリと身を躱し、駆の攻撃を避ける。
「――」
「!」
駆の短刀は涙を傷つけることなく、空を裂く。着地した涙の元へ郁が駆け寄った。
「涙」
「いっくん」
よろよろとした足取りで恋は後ずさり、口元に垂れる涎を袖で拭う。駆は恋より前に出て、短刀の刃先を郁たちに向けた。二人から視線を逸らさず、涙は少し身を屈めると郁の耳元へ口を寄せた。
「二人の後ろにある、あれ」
涙の囁きを受け、郁は視線を向ける。駆と恋の背後に、鳥かごのような銀細工がある。釣り竿のように弧を描く支柱の先に、雫型の籠がぶら下がっているのだ。籠の中にあるのは鳥ではなく、菫色の宝石だ。神秘的な光を放ちながら、籠の中で宙に浮いている。
「あれ、壊そう」
どうやら駆たちは表立ってはあれを守るために、郁たちと戦わなければならないらしい。菫色の宝石を破壊して王たちを救ってほしい――駆はそう、涙に囁いた。郁はちらりと宝石を一瞥する。それから、剣を握る手に力をこめた。
「よし。やるぞ、涙」
「うん」
力強い涙の声が、背中を押す。郁は駆け出した。

……・*・……・*・……

「成程、あれが重要なわけね」
ポンポンと抜身の刃で肩を叩き、陽は呑気に宝石を見やった。彼の横腹に肘をぶつけて、夜は一つ溜息を吐く。
「もう、真面目に」
「わかったよ」
陽たちを排除しようとしながらも、さり気なく宝石から遠ざけようとする動き。中々新も器用なことをするではないか。
「壊して良いのかな」
「良いんじゃね」
また夜が牛のように頬を膨らめる。陽はペロリと舌を出して、剣を構えた。
「さて、行くか。あのときのリベンジ戦だ」

キィインと鉄同士のぶつかる音が響く。重い一撃に海は顔を顰め、力で押し切る。
「さっすが海」
後方に控えていた隼がパチパチと拍手する。海は苦笑して剣を肩に担いだ。
二人が落とされたのは黒と白の市松模様が描かれた床の上だった。光沢がある床は踏むたびにカツカツと音を立てる。まるで、チェス盤だ。
そんなチェス盤の最奥には、玉座に座った始の姿がある。彼を守るように立ちはだかるのは、剣を携えた春だ。翡翠色の瞳には、光が見得ない。代わりと言うように、彼の首元では美しい菫色の宝石が光を放っていた。

恋の斬撃を避け、郁はヤマトに飛び乗る。追撃する駆をヒラリといなし、ヤマトは跳躍した。駆たちの頭上を飛び越え、ヤマトは籠へ向かって一直線。見送る二人の前で郁はヤマトから飛び降り、振り下ろす力で籠ごと宝石を両断した。
ぱき、ん――
「やった……」
零れた安堵の声は、駆たちの方から聴こえた。
着地した郁は振り返ろうとして、唐突に起こった眩暈に足を取られた。
――りりぃん。
膝をつきかけたところを、ヤマトから降りて駆け寄っていた涙に受け止められる。
「いっくん?」
「……何、か」
郁は足元に散らばる宝石の欠片を見下ろした。チカチカと菫色の光が瞬いて、頭の中にある音を響かせた。
――君、だれ?

茜さす図書室の片隅、二匹の黒兎が顔を合わせている。
凛々しい黒兎は腰に手を当て、出窓の縁に座る黒兎を見つめた。
「俺は始。お前は?」
本を膝に乗せていた黒兎は慌てて窓から降りて、ぐずと小さく鼻を啜った。
「……春」
「春」
聞こえた名前をすぐに呟いて、凛々しい黒兎は固く引き結んでいた口を少し綻ばせた。
「春、これからよろしく」
凛々しい黒兎の言葉に首を傾げながらも、呼ばれた黒兎は小さく笑った。
「うん、よろしく。始」

「!」
ハッと郁は我に返った。彼だけでなく、支えていた涙も離れたところに立っていた駆たちも、目を瞬かせている。
「今の……」
「春と始の、記憶……?」
一体どういうことか。駆たちに聞こうとするも、二人も事情が飲み込めないと言った顔をしている。嫌な予感が、郁の心にひしめいた。

「優しい王さまがいてくれたら良いのに」
ふと、春は呟いた。一緒に物語本を読んでいた始は、隣に座る彼を見やる。王冠を抱く王の挿絵を指でなぞり、春は目を細めた。
「この国にも、こんな王さまがいてくれたら、俺たちは……」
そこまで呟いて、春は苦笑した。所詮は物語の中だけの話だと笑い、本を閉じる。本棚へしまおうとする手から本を取り上げ、始はペラペラと頁をめくった。
「俺はやってみせるぞ」
「え?」
「優しい王さま」
始は王の絵を開いて見せる。ぷ、と春は思わず噴き出した。
「始が優しい王さまに?」
「何だ、その顔は」
「いだだだだ!」
顔を握りつぶさんばかりの始の手をやっとのことで引き剥がし、春はため息を吐く。
「もう、こんな王さまだったら、家臣たちが可哀そうだ」
「なんだと」
「しょうがないから」
スルリと始の手から本を奪って、春は悪戯っぽく微笑む。
「俺が宰相になって始を支えるよ」
始はきょとりと一瞬目を瞬かせ、それからニヤリと笑った。
「楽しみだ」

「今のは……」
宝石を斬った途端、頭の中に流れ込んできた映像。夜が陽たちを見ると、三人とも同じ映像を見ていたのか、きょとりと目を瞬かせている。
「春さんと、始さん?」
「昔の二人、か?」
「俺たちはあの宝石が始さんたちの動きを制限するって、聞かされていたのに」
宝石を壊すたび、流れる二人の過去の映像。これは何を意味するのか。検討がつかず、陽は首を傾げた。

「――このたび宰相に任じられました、春です」
深々と頭を垂れる黒兎を見下ろし、始は小さく笑みをこぼした。
「久しぶりだな、春」
声をかえると春は少し驚いたように目を丸くして顔を上げ、ふわりと綻んだ笑みを見せた。
「久しぶり、始」
嘗て孤児院で寝食を共にした黒兎。いつか二人でこの国を変えられればと、夢物語を語り合った仲だ。その夢物語が今、叶おうとしている。始は玉座から降り、春の方へ歩み寄った。春は立ち上がり、始の言葉を待つ。
「これからよろしく、春」
「仰せのままに」
春はもう一度頭を垂れ、膝をついた。
「王の命を守ること――それが俺の」

「生きる意味だよ、始」
床に押し倒された海に跨り剣を振り上げた状態で、春は背後に座る始の方を見やる。間一髪、押し倒された状態で春の胸元にある宝石を砕くことに成功した海は、直後頭に流れてきた映像に気を取られていた。ハッと我に返ると、春は既に剣を下ろし、穏やかな笑みで始を見つめている。
「は、る……」
思わず、海はその名を呼んでいた。隼も、始も目を見張って春を見つめている。春はにっこりと微笑んで、目を閉じた。
「春!」
すとん、と力が抜けて海の上に春が倒れる。海は慌てて身体を起こし、春の身体を揺すった。
それまで無表情で玉座に座ったままだった始も、急ぎ駆け寄る。海から受け取った春の身体を彼が揺すると、少しして眼鏡に隔てられた目蓋がフルリと震えた。
頼りない翡翠が姿を見せ、海と隼、そして始を映す。
「春!」
春の頬に手を添え、始は彼の顔を覗き込んだ。ぱち、と翡翠の瞳が瞬きを一つ。
「――君、誰?」
「――!」
春の表情が、瞳が、偽りでないと言っている。本当に始のことを知らないようだ。グ、と始は唇を噛みしめた。
海は一瞬言葉を失い、どういうことだと隼に訊ねた。端正な顔を歪めた隼は「やってくれたね」と吐き捨てる。
「あの宝石は、春の中の始に関する記憶だったんだ。それを僕たちは、破壊してしまった」
『世界の意思』は余程始にご執心で、春を敵視しているらしい。隼はギリギリと拳を握りしめた。
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