準備(220502)
ふらりと気まぐれに姿を見せる男は、その便りを寄越さない。それでも何度か連絡をくれと言い続けた結果、一日前にはショートメールを送ってくれるようになったから、マシだろう。
そのショートメールを見た綱吉は、とある準備に取り掛かる。
まず、与えられたプライベートルームの掃除。家庭教師や中学からの友だちがよく来訪するそこは、お菓子や消しゴムのカスが落ちていたり、漫画や教科書の山ができていたりする。それらを集めて捨てて、本棚の所定の位置へ戻して、念のため机は拭き掃除をしておく。
綱吉がそうして部屋を歩き回ると、一番に事情を察するのは弟分だ。スクオーラ・メディアの勉強から逃げてソファで丸くなっていた彼は、綱吉の忙しない足音で身体を起こす。これ以上ここにいてもお昼寝も綱吉に構ってももらえないと察すると、大分丸みの取れた頬を少し膨らまして部屋を出て行く。綱吉はその背中に向けて、今度埋め合わせをするからと声をかけるのだ。
次に顔を出したのは家庭教師だ。少し伸びた背丈に合わせて新調したスーツをぴっちりと着込み、今日の課題を持って部屋を訪れる。綱吉が机の上を拭いている姿を見つけると、小さく息を吐いて持ってきた課題を本棚の隣の棚に積んだ。明後日までにキッチリ宿題をこなせば、明日のさぼり分は見逃してやる、と綱吉の返答も聞かずに言い捨てて、家庭教師は部屋を出て行った。積まれた課題を見て、綱吉が肩を落としても知らん顔だ。
たまに、同じ屋敷に寝泊まりする中学からの友人も顔を出す。今日の課題の復習と明日以降の予習に誘ってくれるのだが、綱吉は申し訳ないと断った。いつも彼の手を借りて何とか齧りついているところだが、こういうときは自分でなんとかしなければならないのが辛い。友人はしかめ面で、そんな連絡など無視してしまえと進言するのだが、綱吉は苦笑いを溢すしかなかった。
時折、オフシーズンの親友も実家の寿司を片手に来てくれることもある。そんなときは、短い親友の休日に付き合ってあげられない心苦しさを感じながら、また頭を下げる。気の良い親友はカラリと笑って、それなら先ほど綱吉が断ってしまった友人の方へ声をかけると部屋を去った。本当に彼らには頭が上がらないと、綱吉はつくづく思ってしまうのだ。
電気ポットや茶器、茶葉はプライベートルームに置いているが、ケーキといった生ものはストックできない。机の隅に茶器一通りを並べてから、綱吉はそっと自由に出入りが許されている台所へ顔を覗かせた。そこには大人しい少女がいて、口端に生クリームをつけた弟分と一緒にケーキを突いていた。綱吉の姿を見て、弟分は少しバツが悪いような顔をした。頬に触れる髪を揺らして、少女は顔を上げる。
苦笑いしつつ綱吉がお茶菓子を貰いに来たのだと言うと、少女は納得したように頷いた。それから戸棚を幾つか開いて、両手で抱えられる程度の箱を取り出した。何かと訊ねると、先日日本の女友達から贈られた最中の詰め合わせだと言う。成程、蓋を開いて中を見ると、可愛らしい色味のお菓子が並んでいる。折角彼女宛に贈られたものを貰うわけにはいかないと、綱吉は断った。しかし少女は幾つかを木の器に移して、お裾分けだと綱吉へ差し出す。少し迷ったが、綱吉は有難く受け取った。
部屋の簡単な掃除とお茶菓子の用意。気に入っていると言っていたクッションと毛布をソファに置いて、綱吉は一息ついた。準備は大方、こんなところだろう。そう一通り終える頃には、日も落ちて静かな月明かりが窓から射しこんでいた。
そろそろ夕飯か。そう思い、冷たい夜風の入る窓を閉めようとそちらへ歩み寄る。
ぶわり、と一際強い風が吹いて、レースカーテンが綱吉の顔面に叩きつけられる。わ、と綱吉が目を閉じると、顔に落ちていた月明かりが何かに遮られた。
「やあ」
目を開くと、黒い影が窓辺にあった。綱吉は思わず目を瞬かせる。窓辺で片膝をつくのは、綱吉が出迎えの準備をしていた張本人だ。
「……明日かと思ってました」
「僕は行くと言っただけだ」
確かに細かい日は書いていなかった。いつものことだが。
窓辺から飛び降りた男は、部屋の中をぐるりと見渡して口元へ笑みを浮かべた。
「準備はできているじゃない」
「まあ、早ければ良いかと思って」
少し肩を竦めた綱吉は、でも、とため息を吐いた。既にソファに座って柔らかいクッションに背を預けていた男は、まだ何かあるのかと訊ねる。綱吉はコクリと頷いた。
「夕食の準備は、一人分余計にお願いしてなかったんです」
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