クロノスタシス・再
・前小説の最後に入れたネタの続き。
・幾つか分岐するだろう√の、その一つ。

「ねぇ、例えばの話なんだけどさ」
こういうのはどうかと、その子どもは言った。小学生らしからぬ鋭さを秘めた瞳で真っ直ぐ見つめてくる姿は、恐らくこちらと同じ思いを有しているのだろう。そう、信じられる目をしていた。

【クロノスタシス・再】

安室透の役目は、組織壊滅後に終えるつもりだった。しかし部下の進言や上司の有給休暇消化命令もあって、ダラダラと生き永らえている。
「そんな、死ぬみたいな言い方」
湯気を揺らす珈琲のカップを手で包み、コナンは盛大に顔を顰めた。ケーキを切りながら、そのつもりだったと安室はこともなげに言う。
「安室透は、あの月の七日に死ぬ予定だったんだよ」
降谷零はまだ暫く斃れるわけにいかないから、せめて安室透くらいはその日付に合わせたかったのだ。
淡々とした説明を聞き、コナンは目を閉じてこめかみに手をやった。
「どうかした?」
「いや……安室さんてそういう人なんだぁって意外だっただけ」
「あはは」
笑いごとじゃない、とコナンに睨まれたが、安室にとっては十分笑いごとだ。ペシミストではないが、自分が死ぬならどこかの七日だろうなぁと思っていたし、それが叶わないならせめて調節できる安室はそうしてやりたいと思っていた、それだけだ。
「ま、風見にはいつの間にか仕事を持ってかれて、休暇も一か月くらい与えられたし、暫くはのんびりポアロのアルバイトに精を出すよ」
はい、と安室は切り分けたパイをコナンの前に置く。それと入れ替えるように、コナンは一通の封筒をカウンターに置いた。
「それは?」
「赤井さんから。個人的なお礼だって」
「他国捜査官とそういったやり取りは癒着と思われそうだから遠慮します」
「安室透さんに、って」
それでもダメか、とコナンは上目遣いに安室を見やる。屁理屈だ、と呟いて安室は封筒に指を伸ばす素振りを見せない。
「……じゃあさ、もうひとつ、俺から」
意を決したように、コナンがゆっくりと言葉を繋ぐ。何かな、と訊ねようとしたとき、カランカランと来客を告げるドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
笑顔を向けた先にいたのは、今は代わりに本庁へ詰めている筈の部下だ。ヒクリと頬が引きつりかける。
コナン以外客も店員もいない時間で良かった。こっそり悪態をついて、コナンの隣、カウンター席に座る風見の前へ、トンと音を立てて水のグラスを置いた。
「珍しいな、お前が顔を出すなんて」
「ええ、ちょっと用事があって。……あ、安室さん、お冷はもう一つお願いします」
「はあ?」
風見は自分の隣、コナンが座るのとは反対の空席へ向けて手の平を示す。ここへ置けというらしい。安室はパシパシと瞬きを繰り返した。何となく、その席の周囲がぼんやりとぼやけているようだった。疲れ目だろうか、と眉を顰めつつ、安室は言われた通りにグラスを置いた。
「わ」
小さな声が、その空席から聞こえる。どこかで聞いたような気がしたが、すぐに風の音だったと脳が判断した。
「ねぇ、安室さん」
カウンターの中へ戻った安室へ、コナンが声をかける。
「名前、もう一度教えて?」
「何だい急に。君はよく知ってるだろ?」
「好いじゃない、これで僕とは最後かもしれないんだから」
ニコニコとした笑顔で、コナンは一歩も退く様子がない。安室は降参の意味でため息を吐いた。
「安室透です」
「へぇ」
また、声が聞こえた。先ほどよりもはっきりと。安室が顔を上げると、風見は空席の筈の隣の席へ顔を向けていた。誰かと、何かを話しているような動きだ。風見はもう一度空席へ手のひらを向けて、安室の顔を見上げた。
「こちら、長野県警の――警部のお知り合いで……」
風見の声に、ノイズが走る。ジク、とこめかみに鈍い痛みが起こる。
「っ」
「緑川一色です」
偏頭痛に似た痛みが、その声で和らいだ。顔を上げると、いつの間にか風見の隣に座っていた男がこちらを見て柔らかく微笑んでいた。
「はじめ、まして」
「初めまして」
安室の言葉に、返って来る声。安室の視界が一瞬ブレ、脳がかき混ぜられるような感覚が走った。しかしそれも一瞬のこと。は、と息を吐いたときにはその奇妙な感覚もなく、なぜ自分はカウンターに手をついたのか、その理由も分からなくなった。
「安室さん?」
「いや、大丈夫だよ」
心配げなコナンへ笑顔を返す。すると緑川も前髪をくしゃりと掴んで俯いていて、風見に何か声をかけられていた。
「風見さんと緑川さんは、ご注文何にします?」
「あ、じゃあ珈琲を。緑川さん、ここのハムサンド、評判なんですよ」
「へえ、じゃあ俺はハムサンドと珈琲」
ニパと笑顔を見せて、緑川はカウンターに肘をつき、安室の手元を覗き込む。好奇心を隠さないキラキラとした瞳に、安室の口元へ思わず苦笑が浮かんだ。
「そんなに注目されると照れてしまいますよ」
「あ、ごめん。手先が綺麗だなと思って」
クスクスと笑い合う二人の横顔を見つめていたコナンは、そっと風見と目を合わせた。コクリと頷いて、風見は立ち上がった。
「私は一度本庁へ戻らなければ。緑川さん、申し訳ありませんが、こちらで暫く待っていていただけますか?」
「え、俺はいいけど……」
「こちらも構いませんよ。今日はお客さんも少ないですし」
安室の言葉に、風見はホッと息を吐いたようだった。それから緑川の分まで代金を置いて、ポアロを出て行く。
「僕も行くね」
彼の後を追うように、コナンも椅子を飛び降りた。扉を開いた彼は、「あ」と足を止めて振り返る。
「安室さん、その封筒の中身、良かったら緑川さんと使ってね」
カランカラン――。
ドアベルを鳴らしていく背中を見送り、緑川はパチリと瞬きをする。
「封筒?」
「ああ、僕、探偵の真似事をしていたんですけど、そのときに知り合った人からお礼をもらいまして」
「へぇ。ああ、これ」
カウンターに置きっぱなしになっていた封筒を摘まみ、緑川はシゲシゲとそれを見つめる。
「ハムサンド、どうぞ」
「おお! ……なぁ、安室さん、あんたの探偵の話、聞かせてくれよ」
「そんなに大層なものじゃないですよ。この上に事務所を構えている毛利先生の方が、よっぽど素晴らしい探偵です」
「へぇ。そっちも気になるけど。まずは安室さんの話が聞きたいな」
時刻はお昼を少し過ぎた程度。風見が再び戻って来るまで、時間はたっぷりあるだろう。
頬杖をついて笑みを浮かべる緑川に、安室もつられて口元を綻ばせた。
「そうですね……じゃあ、その後に緑川さんの話も聞かせてください」
温かい珈琲の湯気がゆっくりと立ち上り、二人の間に広がった。

「うまくいったみたいだね」
ポアロを出て、少し離れた位置から窓ごしに見える二人の様子を伺っていた風見は、足元からの声に「ああ」と頷いた。
「まさか、あんな抜け道があるとは」
「物は言いよう、屁理屈だって言われればそれまでと思ったけど」
提案したコナンも、成功するのは賭けだったのか見るからに肩の力を抜いている。
とある事件をきっかけに、二人の男を蝕んだ記憶障害。諸伏が死んでいると思い込んでいる降谷にとって、現在を生きている諸伏の存在は否定すべきものであるため認識できず。降谷という存在を過去の記憶から消去した諸伏にとって、今も生きる降谷の存在は認められない存在のため肯定できない。
互いが互いを見ることができない現状で、コナン自身が屁理屈だと称した提案は、彼ら二人を別の人間として紹介するというものだった。
「諸伏景光さんは緑川一色さんとして、降谷零さんは安室透さんとして、お互いに新しい人間関係を築けば良いかなって」
「降谷さんにはまだ暫く安室透を残すことは伝えてあるし、諸伏警部も緑川一色という仮の人物を作る訓練だと言い含めてはいるが……」
風見はハァと嘆息した。提案したのはコナンだが、実行するために手を回したのは彼の方だ。
「そういえば、あの封筒の中身は一体なんだったんだ? 金券の類であれば、やはり安室透宛でも看過は……」
「あーえっと……新幹線の切符、だけど」
「新幹線?」
「そう、長野行きの、二人分の往復券」
金券に該当すると言えば該当する類だが、やはりまずかっただろうか。コナンが恐る恐る風見を見上げると、眉間を指で揉んでいた風見は深く深く息を吐いた。
「……後で赤井捜査官に、領収書を提出するように言ってくれ」
「え、経費で落とすの?」
「こちらでの作業の方が、後始末は容易い」
はは、と乾いた笑みを浮かべ、コナンは一応伝えておくと了承した。
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