√1632→0
・ちぢませスコッチ
・屋上自決のとき、仮死状態になる薬を飲んだつもりがアポトキシン系統の薬だったので縮んでしまったスコッチ。
・公安管理下でひっそり暮らしても良かったけど、ゼロがあんまりにも無茶な働きぶりだったので同居してQOL上げてるよ。
・姿を現すつもりは毛頭なかったけど、なんやかんや存在が認知されてしまう。


ベルモットからの通話を終え、安室はフゥと息を吐いた。
「おい」
それを見計らって、後部座席から声が聞こえる。運転中の安室はミラー越しにそちらへ視線をやった。
「聞いてないよ、テニスのコーチをするから俺がその間観察するって話だっただろ」
「不測の事態だ。僕だってまさかあんなことになるとは思わなかった」
後部座席の小さな影は、溜息を吐いた。
「で、自分で観察した結果はさっきの通り?」
「ああ。と、いうわけで暫く探偵助手の安室透は継続だ」
「だと思った。あの人も苦労するよなぁ」
両手を上げ、やれやれと首を振る。安室はクスリと笑みをこぼしながら、ハンドルを切った。
「お前にも力を貸してもらうからな。頼むぞ、僕のワトソン」
「お前はホームズって感じじゃないと思うけど」
大小の影を乗せた白い車は、夜の町を走っていく。

【√1632→0】

「安室透の近くに、中学生くらいの子どもがいる?」
コクリと灰原は頷いた。下校中の通学路である。少し先を歩く光彦たちから離れ、コナンと灰原は声を潜めて会話をしていた。
「この前のメテオハンターの事件のとき、あの人、助手だって名乗る男の人と別の車で帰って行ったじゃない?」
「ああ……」
助手と名乗っていたのは安室の本職の部下で、彼は黒の組織とは別の公安案件のためにあの現場を訪れていた。その際、不測の事態に陥り上司の安室が救助に向かったわけだが、帰りはコナンたちのようにパトカーに乗り込むことを断り、別で呼んだ車に乗っていた。
(まぁ風見さんは本庁の捜査一課と面識があるし、万が一にでも鉢合わせして芋づる式に嘘がバレるわけにはいかなかったんだろうな)
「で、仲間らしき別の人間が持ってきた車、その後部座席に子どもの影を見たの」
監禁された時間の長い風見に後部座席を譲った安室が、そちらへ向かって何やら話しかけていた時。風見以外の人間の影――それも中学生ほどの大きさの影を、灰原は見たという。
運転席に座っていたのは、コナンもチラリと見かけたことのある風見の部下だ。二人いた筈だから、もう一人が後部座席にいたのかと思ったが、灰原は子どもの大きさだったと言い張る。
「それは確かに……」
「あの人たちの正体がなんであれ、あんなところに子どもを連れてくるかしら?」
親戚縁者でもなければ、余計に怪しい。実子の線はないだろうなぁと苦く笑いながら、コナンは歩美が呼ぶままに足を速めた。

「あれ、安室さんまだ来てないの?」
「そう。今日は遅番なんだけどね」
また急ぎの用事でも入ったのかしら、と梓は時計を見あげる。彼の当日欠勤遅刻早退癖も、すっかり慣れたものだ。
よくクビにならないと思うが、きっと出勤したときの経済効果がそれを帳消しにしてしまうのだろう。コナンが苦笑していると、ポアロの電話が鳴り始めた。梓は手が離せない様子だったので、コナンは「僕が代わりに出るよ」と一言断って受話器を取り上げた。
「はい、ポアロです」
『あ、あー? えっと、』
中学生くらいだろうか、変声期間近の子どもの声だった。コナンが出たことで戸惑っていたらしい相手は、しかしすぐに調子を取り戻したようで、しっかりとした口調になった。
『そちらで勤めている安室透の知人です』
「安室さんの?」
『はい。安室、今日は申し訳ありませんが欠勤ということで店長さんに伝えてください。高熱で動けそうになくて』
「あ、はい、伝えます」
『よろしくお願いします』
最後まで丁寧な口調で、相手は通話を切る。目をパチクリとさせながら、コナンは受話器を戻した。
「あ、コナンくん、何だった?」
「安室さんから、熱が高くて今日は動けそうにないって」
「あちゃー」
梓は全く困っていなさそうな顔で眉尻を下げる。こういった場合の対応策は講じてあるのだろう、キビキビと動き始める彼女の背中を見送りながら、コナンは口元に手を添えた。
安室の知人と名乗った、変声期前の子ども。恐らく、灰原が目撃したという子どもと同一人物だろう。
(安室さんの隠し子……なわけねぇよな。あの人まだ二十代だし)
少ない手がかりでは、これ以上推測を立てようにもできない。恐らく安室本人に聞いたところで、適当に躱されるのだろう。今日まで存在を匂わせもされていないのだから、こちらには秘匿したい人物であることは確か。
(まあ、親戚縁者だとしたら、そこから身バレする可能性は高いから当たり前か……)
親戚縁者。それはつまり、安室の従兄弟であったり甥だったりする可能性があるわけで。
(……安室さんも、家族がいるんだな)
当たり前であるが、恋人は日本だと言い切るほど全てを国の治安維持に捧げている男とて、木のうろから生まれ落ちたわけではない。母がいて父がいて、きっと幼馴染や同級生がいたのだろう。
「……」
アイスコーヒーを啜り、コナンはカラリと氷とグラスをぶつける。
(今度、聞いてみようかな)
これは探偵としての好奇心ではなく、安室透を知る人間の一人としての歩み寄りだ。

電話を切った少年――景光は大きく息を吐いた。背後でゲッホエッホと咳き込みながら、こちらへ伸びてくる手をサッとよけ、起き上がりかけた身体をベッドに押し戻す。
「もう連絡したから、今日は大人しく休め、ゼロ!」
灰色の目で精一杯睨む顔を見上げながら、ベッドに押し戻された男――安室は渋々落ちていた布団を引っ張った。
汗で貼り付く前髪を掻き分け、額にそっと手を乗せる。そこから伝わる温度に、平常時以上の高熱を察して、景光はまたため息を吐いた。
「これ三十八度超えてないか……? 一度病院行った方がいいと思うけど」
この状態の安室に運転させるわけにはいかない。自分は言わずもがなだ。運転手のあてはあるが、明日まで別件で詰めていると聞いた。少なくとも、今日一日はこの部屋で何とか休息させなければならない。
「全く、傷を隠しておくからだぞ。化膿して高熱でぶっ倒れてたら、意味がないだろ」
額を撫でながら言うと、安室は熱で潤んだ目を細めて頬を膨らめた。
「食欲は?」
「……ない」
「だろうなぁ。でも何か食べないと」
ぼんやり部屋を眺めながら呟く。一定のリズムで胸元を叩いていると、やがてゆっくりとした寝息が聞こえて来た。体力的にも限界だったのだろう、それみたことか、心の中で呟き、景光は布団の位置を正すと立ち上がった。
「さて、しまったな」
そういえば冷蔵庫はもう空に近い。食材がないことはないが、今の安室に合わせた食事を作るには買い出しにいかねばならない。市販の薬も切れていたことだし、ついでに調達するべきか。
「……近くの薬局なら平気か」
完治したら怒られそうだが、今のまま放っておけと言われたら景光だって黙っていない。
黒のキャップの上からグレーのパーカーのフードをかぶり、ついでに伊達メガネをかける。ショルダーバッグを肩から下げると、景光は大きな音立てないようそっと部屋を後にした。

(まずい)
景光は自分の浅はかさを後悔した。
往復十分もかからない薬局で、それこそ安室や風見と何度か訪れた場所であるから、商品棚の位置も記憶している。目当ての物を買って帰るだけならそう時間はかからない。そんな算段はものの見事に崩れ去った。
まさか薬局のど真ん中で殺人事件が起こるなど、誰が想像できたことか。
取敢えず、この身体になる前から愛用しているスマホと連動しているバイタルウォッチに触れ、風見に連絡を入れる。あまり目立たないよう商品棚の影に隠れていたつもりだったが、それが逆に怪しかったのか小学生の男の子に声をかけられてしまった。
「ねぇ、どうかした?」
(あれ、この声……)
どこかで聞いたような、と思いながらそちらへ視線をやった景光は、ひゅっと鳴りそうになる喉を何とか堪えた。安室が一目置いている江戸川コナンだ。
「な、なんでもない」
(なんでこの薬局に……ゼロの家がバレた……?)
焦りを覚えた景光だったが、どうやら話を聞くにたまたま出かけた先で事件に遭遇しただけらしい。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、捜査一課の刑事が現場に到着する。彼らに目撃者として警視庁へ連れていかれる前に、何とか風見と合流したいところだ。身分についてのややこしさもあるが、家に一人にしたままの安室の容体が気になった。
「商品棚の隙間から、犯人の刺青を見た?」
「!」
そっと距離をとろうとした景光は、思わず足を止めた。チラリと視線をやると、目撃者らしい子どもたちが必死に刑事へ訴えかけている。その傍らには、コナンの姿もあった。

歩美たちに、店舗限定の菓子があるからと誘われたのは、普段の行動範囲から少し外れた場所にある薬局だった。まさかそこで殺人事件に遭遇してしまうとは、思わなかったが。
店内にいた客は少なかった。うち一人は中学生ほどの子どもで、フードを深くかぶりギュッと手首を握りしめている。チラリと見得た様子からするに、バイタルを記録する時計だ。滅多に遭遇することのない状況に、不安になっているのだろう。
「僕、見ました」
犯人を目撃したと言ったのは、光彦だ。彼は商品棚の隙間から、犯人と被害者が言い争う姿を目撃したという。犯人が商品棚にぶつかり、光彦の間近まで近づいた。その際、犯人の身体の一部に花の刺青が入っていたのを見たと証言したのだ。
しかし店内の、しかもそのとき被害者の近くにいたと思われる容疑者三人に、光彦の言う刺青を入れた人間はいない。
「その小僧が見間違えたんじゃねぇの?」
「ぼ、僕は本当に見たんです!」
光彦は必死に訴えかけるが、該当する容疑者がいない以上、目暮たちもその証言にばかり気を回すわけにもいかない。別視点から捜査を進めようと、もう一度現場検証に戻る背中を見送り、光彦は肩を落とした。彼を慰める元太と歩美。彼らから一歩下がって全体を眺めていたコナンは、フムと顎に手をやった。
「――急功近利」
ポソリ、と本当に小さな呟きが聞こえた。コナンは思わず顔を上げ、振り返る。隅の方で商品棚に隠れるようにして、先ほどの少年が佇んでいた。フードの下、眼鏡越しの瞳がコナンを射抜き、ぞわ、とどこかで覚えのある感覚がコナンの背中を走る。
「あ、」
「おや、コナンくんじゃないですか」
別方向から声をかけられ、コナンはそちらを見やった。視界の端、少年も驚いた様子だったのが少し気になったが、それよりも。
「あ、安室さん!」
高熱でポアロを欠勤した男が、何故かそこに立っていた。
白いパーカーに黒のスラックスというシンプルな恰好で、安室はニコリと微笑む。
「安室さん、今日熱が出たって……」
「ああ、だから家で寝てたんだけど、薬が切れちゃって、買いに来たんだよ」
そう言いながら、安室は膝を曲げてコナンと目線を合わせる。確かに近い距離で見ると、安室の肌にはうっすらと汗が滲み、呼吸も荒い。
「大丈夫なの?」
「ああ。でも、なんだかそれどころじゃないみたいだけど、どうかしたのかい?」
安室は刑事たちの方を一瞥する。近寄って観察しなければ、彼の口調は平素と変わらないものだった。コナンは頷きながら、事件の詳細を話す。
少年が姿を消したことに気づいたのは、犯人が判明し、それを目暮に指摘した後だった。
「くそ!」
逆上した犯人が、逃げ出そうと刑事を振り払い、元太たちの方へ向かって駆けだす。人質にしようとしたのか、そこなら突破できると踏んだのかは分からない。しかし犯人と元太たちの間に割って入った安室が、それを許さなかった。
ボクシングの構えから懐に飛びこんだ安室は、思い切り顎を打ち上げる。脳を揺らされた犯人はぐらりと揺れながらも、少しでも抗おうと腕を振り回した。それを避けようと身を屈めて――クラリと突然襲った眩暈に、安室は動きを止める。
「安室さん!」
膝をついてしまう安室に、好機ととったのか犯人は腕を振り上げる。安室のアッパーも、本調子でなかったため大したダメージにはなっていなかったらしい。高木たちも捕縛のために駆け出すが、間に合わない。コナンも咄嗟にシューズへ手をやった。
「――1、0」
パシュ、と軽い音がした。
途端、犯人はビクリと身体を痙攣させ、バタリと蹲る安室に覆いかぶさるようにして倒れる。慌てて高木が引き剥がすと、どうやら犯人は気絶していたようで、安室も無事だと笑顔を浮かべる。
(……この跡……)
時間差で安室のアッパーが効いたのだろうと、目暮たちは結論づけていた。しかし、コナンの耳に届いた音が、そうではないと示している。そして、犯人のこめかみにある小さな赤い跡。
(……BB弾)
地べたに座り込んだままの安室の指がスッと床をなぞり、そのままポケットへ滑り込んだ。

「本当に大丈夫なのかね、ふらふらじゃないか」
「家まで送りますよ」
「大丈夫ですよ、近くですし。もう少しすれば、知人も来ますから」
目暮たちの申し出を固辞し、歩美たちにも手を振って、安室は少しフラフラとした足取りで歩いて行く。純粋な心配もあって、コナンは人ごみに紛れる彼の背中を目で追っていた。
ふと、安室が立ち止まる。彼は足元へ視線を向けて何か話している様子だった。やはり心配だと駆け寄ろうとしたコナンは、思わず足を止める。
人ごみに紛れて見え辛かったが、灰色の小さな影が安室の腕をとり、細い道へ誘導していったのだ。音は聞こえなかった、ただフードから零れた口元が動く形が僅かに見得ただけ。
――ゼロ。
それは、安室透にとって二つ意味を持つ単語だ。

ヒタリ、と封を切ったばかりの冷却シートが額に乗る。ペシリとそれごと額を叩いた景光は、その手を頬へ滑らせて安室の熱の具合を確かめた。
「全く、あんな無茶をして。拗らせたらどうする」
「お前に……言われたく、ない……ケホ」
あの後、路地で座り込んでしまった安室を、景光から連絡を受けた風見が拾い、部屋まで連れてきてくれたのだ。病院へ連れていくまでの時間はなく申し訳ない、と風見は本庁へ戻って行ってしまった。元々今日一日は家で様子を見る予定だったから、景光もそれを見送ったのだが。
(無理にでも連れてってもらうべきだったかな……)
赤ら顔、涙目、熱い呼気。久方ぶりに幼馴染がぐったりとした様子を見た。
時間をかけたがおかゆも食べ、市販だが薬も飲んだ。一応化膿した傷も新しいガーゼに取り換えたし、後は眠って回復を待つばかりだ。
景光はベッドの枕元に腰掛け、汗の浮かぶ頬から髪を摘まんだ。
「ヒロ……」
「悪い、起こしたか?」
薄く開いた瞳は、夕暮れの海のようにドロドロと溶けている。思わず苦笑すると、布団の端から出ていた手が、景光の手を掴んだ。手首をスルリと指でなぞる様子に、脈拍をとっているのだと察する。
「大丈夫だよ、ゼロ」
「……ああ。無事で、良かった……」
景光が手の平を握るように手を動かすと、安室は力尽きたように目を閉じ、腕をダラリと垂らした。
景光は目を細め、力の抜けた安室の手を握る。随分小さくなってしまったこの手では、凛と立つ彼を守るに力が足りない。本当ならば、公安部の手の届く場所で大人しく保護されるべきなのだろう。しかし、幾ら周囲から完璧と呼ばれてもこうしたとき一人になろうとする幼馴染を、景光は放っておけなかった。
「……もう、ひとりにしないよ、ゼロ」
夕刻の赤が差し込む部屋の中、景光はグッと手を握った。この胸の痛みが、再び彼を苦しめることのないように、と。
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