七番目の死神
・彼らの命日が七にまつわることに関するあれこれ
・逆行話を書きたい筈だったのに

七日は厄日。とある世代の鬼塚教場、特に伊達班においては、それがジンクスのように絡みついていたように思う。捜査一課のある女刑事は、自身を死神だと称していた。父から始まり、大切な人を亡くしていたからだ。成程、その条件ならば自分もまた、死神だ。
ヒュウ、と喉が鳴る。寒い。冬の寒空、風を遮るものは崩れた瓦礫のみ。おまけに耳元の脈拍がドクドクと、早くなっているのが分かる。体内を回る血液が少なくなって、中心のポンプが忙しなく動いているのだ。決壊する原因となった場所を手で覆うようにしたつもりだが、べちゃりと嫌な音が聴こえただけでうまくできたか分からない。指先の感覚が薄いのだ。
(……僕に死神が憑いていたとして、これは最後に僕の番、というやつか)
捜査一課の女刑事が上げた死神に狙われた人々は、間接的に自分の関係者でもある。ならば、これでもう彼女も死神の影に怯える必要はなくなるのではないか。酒でも酌み交わせる場があれば、あなたの婚約者はこれでもう無事ですよ、なんて軽口を叩けたかもしれない。
死んだら酒は酌み交わせないが。
視界がぶれる。血液が足りないのだ。短く吐き出される息が、気温差のために白くなってはすぐに溶ける。
甲を地面につけて緩く開いた手の平を、微かに動かした指で撫ぜる。小石程に小さく砕けた瓦礫が、いつの間にか転がっていたらしい。ざり、ざり、と感覚が鈍くなった指先が存在を告げる。
砕けた欠片が、四つ。
なくしたくないものはあった。帰りたい場所だってあった。嘘じゃない。多くの嘘をついてきた自分の中にも、一つくらいそんなものはある。
ぼやけた視界の向こうで、何かが光った気がした。その光が、何故か馴染み深い人間の顔に見えた。こちらを小馬鹿にするような笑顔で、少し心配するような眼差しで見下ろす、彼らの顔。
(ああ、本当は僕も……)
「ずっと……そっち側が、良かった……」
ポロリと零れた言葉は小さく透明な一欠片となって、手の平に落ちた。

【七番目の死神】

「え、そんなに風呂掃除やりたかった?」
目を開くと、幼馴染の顔が視界を埋めていた。
「……」
「ゼロ?」
「……」
「おーい。……もしかして結構怒ってる?」
無言が続くので気まずくなったのか、彼はヒラヒラと目の前で手を振った。それでも無反応と見ると、ペタリとその手の平を頬へ添える。じんわりとした暖かさに、漸く脳が動いていく気がした。
「ゼロ?」
困ったように眉を下げて微笑む。頬に触れた温度と声、そしてその顔に、ジクと目の奥が疼いた。
ボロリ。
「ぜ、ゼロ!?」
驚いた幼馴染が大きな声を出したものだから、無表情のままボロボロと涙をこぼす姿はあっという間に班員全員に知れ渡ることとなり、数日間それで揶揄われることになる。



諸伏の幼馴染は、不思議な人物だ。星のような髪と、海のような瞳。元々色の濃い肌まで、目立たない方が可笑しい容姿をしている。それが仇になることもあったが、負けん気の強い彼は挫けることがなかった。その性格に諸伏も救われたことがあるほど。
警察学校へ入校してからは、文武両道を絵にかいたような活躍ぶり。心配ごとがあるとすれば、その負けん気が人付き合いの中で悪い方へ向かわないかということ。それと。
「死神の夢?」
モグモグと口を動かしながら、松田は眉を顰める。彼に頷きつつ、諸伏は少しも量が減っていないグラスを手で撫でた。
「小さいときからたまに見るんだって、周りの人が死んだり遠くへ行ったりする夢」
つい先日もその夢を見てから、降谷はすっかりふさぎ込んでしまっている。授業態度は問題ないが、こうして松田たちが外食へ誘っても断って、一人部屋に引きこもっているほど。
「あの降谷ちゃんがねぇ」
頬杖を突き、萩原は摘まんだ枝豆を口に放り込んだ。
「夢は夢だろ?」
「でも潜在意識とも言うだろ? 自分の中に、無意識にそうなることを望んでたり、そうなる可能性があることを考えてたりするんじゃないかって……ゼロ、自己嫌悪してるんだ」
「……しかし珍しいな」
ビールのグラスを揺らした伊達が、呟く。え、と諸伏は顔を上げた。
「諸伏がそんなことを言うなんて。お前と降谷は、互いが言わないことを、勝手に他人へ話さないもんだと思ってた」
諸伏の過去のことを、本人が話すまで松田たちに口外しなかったように。
「ああ……」と溢して、降谷は机に落ちた水滴を指で拭った。
「……ゼロに、友達甲斐がない奴って思われるかな」
「理由によるだろ。お前ら二人だけ共有して共倒れになるようなら、ガス抜きは必要だ」
松田は唐揚げに箸を伸ばす。諸伏は小さく唇を噛んだ。
「……ひとりで、死ぬ夢だったんだって」
「は?」
「誰が?」
「ゼロが」
唐揚げを頬張っていた松田も、メニューを開いていた萩原も、ビールを飲んでいた伊達も、皆その手を止めた。
「どこかの現場で、俺も松田も萩原も伊達班長も、誰もいない場所で、ひとりで死ぬ夢だったんだって」
目指している職業が故、その可能性は無きにしもあらず。殉職なんて、珍しくない職業だ。この日本で一番死に近い場所にいる可能性だってある。
しかし、それでも。
カラン、とグラスの中で氷が揺れた。

カーテンも閉め切り、電気も消した暗い部屋の中。降谷は頭まで毛布をかぶって蹲っていた。聴こえるのは自分の呼吸と心臓の音。時折耳鳴りもしたが、頭が痛くなるほどではない。ほど良い暗闇と静けさの中、降谷はそっと目を閉じる。
始まりは、世話になった女医一家だった。暗闇の中、手を振って小さく消えていく姿を夢に見た。数日後、その一家は本当に降谷の前から消えてしまった。その次は、その家の女の子だった。怪我をした腕を引いて、病院である家まで案内してくれた笑顔の似合う女の子。夢の中で、彼女は身体から血を流して埃塗れの場所に倒れていた。
誰にも言っていないが、幼馴染の夢も見た。ニコニコと笑う彼が、右胸にぽっかりと穴を開けて、夜空の下、じっと降谷を見つめる夢。
これが未来の予想図なのか、いつか読んだ物語の影響を受けたただの妄想なのか、はたまた自分の願望なのか。降谷には全く見当がつかなかった。見当を、つけたくなかった。
どんどん。乱暴にノックされる。幼馴染でないことは確かだ。今は誰にも会いたくない、そう思ったがノックは一向に止みそうにない。こんなことをするのは、唯一殴り合いをしたあの男くらいだ。
若干苛々としながら、降谷は仕方なく身体を起こした。頭からかぶった毛布を落とす気にもなれず、そのまま扉を開いた。
「はい――」
「お邪魔しまーす!」
少し開いた隙間を強引に抉じ開けて、松田が入り込む。便乗するように陽気な掛け声をしたのは、萩原だ。苦笑しながら伊達と諸伏も続く。ここまで僅か数秒。降谷が呆気にとられる間に、伊達が扉をしっかり閉めて、諸伏が部屋の電気をつけた。
「おい、ちょっと!」
「ごめんね、ゼロ」
諸伏の言葉で、何となく察した。彼らは全て聞いたのだ。
降谷がため息を吐くと、勝手に部屋の中で座り込んだ松田と萩原が彼を呼んだ。仕方なく言われるまま足を向けると、グイと腕を引かれて膝をつかされる。逃がさない、という意思を感じた。
「まつ、」
「お前な!」
ギュウと強く手首を握られた。諸伏と伊達も、降谷を取り囲むように座っている。
「なんでお前より、俺の方が先にくたばること前提なんだよ。お前より成績低いからか?」
「まあ、俺ら爆処希望だしね、危険っちゃ危険だ」
「この中で一番無茶しそうなのは、降谷な気もするがな」
「あはは、まあ、暴走トラックのときはひやひやしたけど」
ストン、と尻もちをつく。掴まれていない手と毛布が、膝に落ちた。
「……わ、かる、わけないだろ。夢なんだから」
ツン、と鼻の奥が痛む。顔を伏せると、松田はますます不機嫌そうな音を漏らした。
「だから!」
「ていうかその夢、どういう感じだったの?」
勢いづく松田を宥めながら、萩原が訊ねる。「どういう」と彼の言葉を繰り返すと、優しい笑顔で頷かれた。
「諸伏からは俺らがいない場所で死ぬ夢、としか聞いてないな」
「でしょ? 詳しい設定とかないの?」
伊達からも言われ、降谷はそっと記憶を手繰った。それから首を振る。
「よく分からない。多分、冬で、夜で。爆心地みたいな場所で、ひとりでいる。でも僕は、何も持ってなかったんだ。手の平に小石が四つ落ちて来たくらいで、何も持ってなかった」
「だから、ひとりって……」
諸伏はキュッと眉を寄せ、降谷の頬に手を伸ばした。傷の手当をするように、かさついた頬を撫でる手。じんわりとする温度に、身体が冷えていたことを知らされた。
「それだけならさ、分からないじゃん」
両手を開いて、萩原は言う。
「多分、降谷ちゃんが帰ってくるの待ってると思うよ、俺は」
「待ってる……」
「SATなのか他の部署なのか分からないけどさ、きっと何かの大捕り物の可能性もある。それに爆心地っていうなら、俺らも出動してるかも」
「ていうか、それだけのワンシーンで死んだ扱いするなよな」
降谷から手を離して、松田はその場に寝転がった。
「成程、大捕り物か」
「すごいなぁ、ゼロはきっとエースとして動くのかもね」
諸伏と伊達まで納得顔なのが、降谷にはさっぱり分からない。萩原はうんうんと頷いた。
「夢の続きではきっと、」
続き。降谷の夢は、いつも終わりだった。誰かの終わりの夢だった。
「降谷ちゃんはすぐ病院かな。俺らも無傷じゃなさそうだけど」
「馬鹿言え、防護服支給されてる爆処の俺らが怪我するかよ」
「降谷の見舞い行って、どうせ松田と言い争いするんだろうな」
「看護師さんに怒られるまでがセットかな」
「退院したら、お祝いパーティーしたりさ」
「その前に事後処理とかあると思うぞ」
頬から手に移動した諸伏の手が、降谷の身体に熱を戻していく。
続き。コロリとその単語を舌の上で転がす。
「……考えたことなかったな」
ポツリと呟くと、いつの間にか顔を覗き込んでいた萩原がニッと笑った。
「夢は夢、だけどさ。俺たちは生きてるんだから、切りとったワンシーンだけずっと見てたら疲れるし、詰まんないでしょ」
「ていうか、俺は死なねぇよ!」
ビシ、と松田は降谷の鼻先へ指を突き付ける。伊達も腕を組んで深く頷いた。
「班長を務めた身としても、お前らを置いて行くのは忍びなさがあるな」
膝の上で握った手が、そっと持ち上げられる。両手で降谷の手を包んだ諸伏は、柔らかく微笑んだ。
「ゼロがそんな夢を見るほど不安なら、俺も強くなるから。お前がもう、そんな夢を見ないように」
冷えていた指先に、感覚が戻って行く。あの夢と同じように血を失ったままだった手足に、熱が戻る。
「……ありがとう」
握った指の間から伝わる幼馴染の脈拍に、自分の心臓もまた鼓動を打ち直す、そんな感覚。
死神の夢を、塗り替える。続きを得るために。それができるなら、幾らでも抗いたい。手の平にある五つの欠片を、今度は一つも取りこぼさないように。
降谷は膝の上に残ったままだった手の平を、そこに壊れやすいものが乗っているかのように、そっと握りこんだ。
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